22 06月
熟年離婚 坂 柚実子 6月22日
熟年離婚
日本でよく聞く話の一つに熟年離婚があります。夫が定年になって退職金をもらうのを待って、妻が「永らくお世話になりました。これにて失礼させていただきます。」と離婚を申し入れるのだそうです。そして悲しいことに、ほとんどの夫には寝耳に水で、そういわれても何故そんなことになったのか、全く分からないそうです。
長年、仕事ばかりしてほとんど家族との時間を持たなかった夫に妻は愛情を感じないようになっていて、自分の趣味とかを見つけてそれなりに充実して生活する術を身につけています。定年になってずっと家にいる夫との生活など考えられない、ということが多いらしいです。夫としては、やっと仕事から解放されて、家でゆっくり好きなことをして暮らそうと思っているわけですから、本当にショックは大きいでしょう。妻子のために犠牲的に働いてきた、必要なものは与えてきた、確かに一緒に過ごした時間は少なかったかも知れないけれど、それもすべて家族のためにしてきたことだ、、、と本心思っていますから、無理もありません。
このことを考えていたら、マタイ7章21-23節の話を思いだしました。「あなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか。」という大ぜいの者にむかって、イエスは、その日には、「わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども、わたしから離れて行け。」といわれるという箇所です。
夫が「私はあなたのために長年一生懸命働いてきたではありませんか。給料を運んできたではありませんか。すべてあなたのためだったのですよ。」というと、妻が「私はあなたを他人のように感じます。(あなたを全然知らない)あなたは私の気持ちを少しも理解しようとはしてくれませんでした。もう離婚してください。」と応えるのと、似てませんか?
イエスの言葉は非常に厳しくて、主人がこのところから説教するたびに、私はとても複雑な気持ちになりました。「彼らなりに一生懸命イエス様のために働いたんでしょう?イエス様もそこまで言わなくてもいいんじゃない?」という風に。
でもやっぱり、イエス様は「御心を知り、御心を行う者」だけを求めておられるのですね。それが「イエスの身体」としてのつとめであり、主を愛することであり、それ以外の「活動」は何の益にもならないどころか、神の怒りを買うことであることを、私たちは肝に銘じるべきでしょう。妻が夫に望むように、イエス様も私たちが一緒に時をすごしてお互いに心を通わせることを、何よりも一番望んでおられるのですね。
私は離婚を求める妻が正しいとは勿論思いませんが、ともあれ、夫の皆様、イエス様の御心とともに、妻の気持ちもしっかり理解するようにしようではありませんか。(終わり)
トップページへ戻る