08 12月
秋の日本旅行の報告 その3
10月18日の朝、私たちは愛知県知立市の馬場純平宅を訪れました。馬場夫妻はその昔、オレゴンの大学に留学中に知り合い結婚されたのですが、一時、私たちの家の離れに住まわれたこともあり、又、マウンテンパーク教会での伝道活動も一緒にしてくださったので、家族のように親しい間柄となりました。
日本に帰国されたのは20年ほど前ですが、二人のお嬢様を与えられました。
長女の言葉(ことは)さんは現在東京の大学で美術を専攻されています。
今年18歳になった次女の理歩(りほ)さんは先天的な筋萎縮症というのでしょうか、筋肉が全く成長しない病気をもって生まれ、医学では手の施しようがないのですが、奥様の富久美さんを中心として家族中で理歩さんのお世話をしておられます。富久美さんのご両親も同居しておられて、理歩さんが通う特殊学校への送り迎えなど、献身的な愛をもって仕えておられます。
ある意味では、理歩さんが家族の中心であり家族を愛で一つにしているといえるでしょう。彼女は言葉さんと共に数年前に洗礼を受けましたが、身体が不自由な代わりに霊が強く成長しているのがよくわかります。彼女は話すことはできませんが、すべてのことを理解し、また、神と人に深く霊で交わることができるのです。
理歩さんは喉に痰がたまると自分の力でそれを出すことができないので、45分毎くらいに器具を使って吸引せねばなりません。ですから誰かがいつもそばにいなければならず、家族の負担が大きいのが分かります。その他、理歩さんが自分ひとりでできることは全くないと言ってもいいでしょう。しかし、それに対してご家族は「大変だ」というようなことは一言も言わず、神様の癒しを信じて明るく過ごしている信仰の姿には、心から感動させられます。医者からこの病気の人の寿命は長くて18年と言われていたのですが、今はそれを毎日更新中です。どうか皆様も理歩さんのために、またご家族のためにお祈りください。(終わり)
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25 11月
秋の日本旅行の報告 その2
10月15日に新小岩の駅前商店街にある東京バイブルチャーチに行かせていただきました。
主任牧師は福田広司先生からご子息の誠先生に引き継がれておられますが、世代交代された両牧師御夫妻が主のために力を合わせておられるのを見せていただきました。
この教会はガッズキングダムという幼稚園から高校までのチャーチスクールをしておられますが、今年から神学校も始められました。 チャーチスクールの高校を卒業した二人に加えて、あと二人の計4名の学生で、講師陣は両牧師を始めてとして外部からも多様な顔ぶれが揃っているようでした。
今回は午後の授業を主人が受け持たせていただきましたが、みなさんとても熱心に聴いてくださいました。また、よい質問をしてくださり、若い世代のクリスチャンが主との親しい交わりを真剣に求めている姿勢が伝わってきました。
神学校での授業の写真です。
夜の教会の集会では、誠先生のリードによるすばらしい賛美のあと、主人がメッセージを語りました。聖霊の豊かな臨在の中で神様が働いてくださいました。
一人の若い女性が特に神様に触れられ激しく泣いておられましたので、その方についてお尋ねしたところ、先の日曜日に初めて教会に来られ、その日のうちに救われた方だということでした。教会に来たのはその日が初めてだったのですが、5年ほど前に駅前で広司先生が配っておられたギデオンの聖書を2度受け取られ、それ以来ずっとその聖書を読んでおられたそうです。
彼女は仕事の関係で今まで日曜日に教会に来ることが出来なかったのですが、やっと仕事のスケジュールが変わり教会を訪れたということでした。その日曜日はアメリカからのある夫妻がゲストスピーカーでしたが、メッセージの後でみなさんに預言をされたそうです。そして、初めて来た彼女にも神様がこれからお用いになるという預言を伝えたそうです。まわりの人は、彼女は今日来たばかりでイエスをまだ信じていないのにと、戸惑われました。しかし、集会の最後の招きの時に、彼女は前に進み出てイエスを救い主と信じたのです!
神様のすばらしい救いのみ業、先生方のたゆまない伝道の実をお聞きし、又、見させていただくことができて、私たちにとっても本当に幸いな日でした。(続く)
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18 11月
秋の日本旅行の報告 その1
一月余の秋の日本伝道旅行も無事に終わらせていただき、11月4日にハワイに戻りました。春の旅行のときは主人の旅行疲れからの回復に時間がかかりましたが、今回はすぐに元気になり、もとの生活に戻ることができました。
最初に奈良、九州、そして沖縄に10日間、あとは東京や東北の教会に行きました。
沖縄は真夏の暑さでしたが、東北ではもう冷たい秋でした。でも全行程、皆様のお祈りに支えられて主と共に過ごすことができました。ありがとうございました。
まず、九州の八女の写真からご紹介します。八女市は「八女茶」の産地であり、どこに行ってもおいしいお茶が供されますが、お茶とともに仏壇の町として有名です。町中がお寺と一つになっているところといってもいいでしょう。
八女市で伝道しておられる近藤雅子先生は、グルーバー先生から祈りの歩行を学ばれて、この10年間八女市を祈って歩いている方です。先生は八女市に牧師先生方(グルーバー先生や私たちも)が来られる度に、ご自分がいつも伝道しておられる町の方たちのところに連れていかれてご紹介されます。眼鏡屋さん、漢方薬屋さん、クリーニング屋さん、そしてお寺の住職にも。
その中に八女市で4期市長をつとめられた野田国義氏ご夫妻がおられます。多くの牧師や伝道者から話しを聞かれ、イエス・キリストを受け入れる祈りもされたそうです。今回野田氏が国会議員として民主党から選挙に出ることになったので、その事務所をお訪ねしました。
野田氏は不在でしたが彼のポスターの前で写真を撮りました。右側が野田夫人と近藤先生、左側が私たちです。彼のスローガンは「義憤」です。今まで八女市の市長として公約を果たし、市民から信頼されてきたそうです。国会の解散が遅れていますが、それも氏が広く知られるためには益に働くのではないかと、近藤先生は言われています。翌日は近藤先生と私たちで、選挙区である7つの市の市役所を回り祈りの歩行をしてきました。選挙の対抗候補は自民党の選挙対策委員長の古賀誠氏ですから大変厳しい戦いになることは間違いありませんが、主の御心がなされるようにぜひお祈りください。
近藤先生は、今までの10年間、祈りの歩行をしてきた意味がよく分かったような気がする、と言われています。今回いろいろなところで同じような言葉を聞くことができました。祈りの歩行は地味な働きですが、確実にその地を清め罪の束縛から開放する力があることを実感しています。(つづく)
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14 08月
プレイヤー・ショール私たちがホノルルのメシアニック・ジューの集会に集うようになってから三ヶ月ほどが経ちました。私がその昔結婚してアメリカにきたときに、幼い甥が「ゆみこおばちゃんの目はもう青くなった?」と姉に聞いたそうです。それと同じで私たちが何か「メシアニック・ジュー」という違う人種、違う種類のクリスチャンになったように思う人もあるかもしれませんが、そんなことはありません。
「メシアニック・ジュー」とはイエスをメシア(キリスト)と信じるユダヤ人のことです。イエス様の12弟子もみんなメシアニック・ジューでした。私たちは異邦人ですから、本来の意味でのメシアニック・ジューではありませんが、霊的にはそうである、という人もいます。
この集会はいわゆる「教会」ではなくて、ミニストリーという形を取っていますので、メシアニック・ジューの見地からの学びをしたい人が自由に出入りしています。集会の時間も金曜の夜ですので、日曜日には普通の教会に集う人たちも多くいます。リーダーは牧師ではなくラビといいます。ラビであるダニエル・バーガス師はもともとアセンブリー・オブ・ゴッドの牧師だったのですが、ご自分もユダヤ系アメリカ人であり、ユダヤ人に対するミニストリーを始めるためにラビの資格をイスラエルで取得されたのです。
まず集会で気がつくことは、多くの人がタリートという祈りのためのショールをかけていることです。早速私はニューヨークの息子に頼んで「母の日のプレゼント」として買ってもらうことにしました。ニューヨークはユダヤ人が多く、きっとそんなお店もあるだろうと思ってのことでしたが、息子はインターネットでイスラエルに注文したそうです。息子には「ハワイは暑いから、ウールとかではなくて涼しげな薄い生地にしてちょうだい。」という注文を私は出したので、二週間後にイスラエルから送られてきたものは、かげろうの羽のように透き通るものでした。
プレイヤー・ショール(Talith)の意味を調べてみました。Talithとは小さなテントという意味で、モーセが神と会った会見の幕屋の小型だそうです。ショールを頭からかぶることで一人用のテントを作り(密室ですね)そこで祈りを唱えて親しく個人的に神と出会うことができるのです。これで思い出したのが、ジョン・ウエスレーの母スザンナのことです。彼女は沢山の子供(19人いたそうです。そのうち8人は夭折。)を育てる多忙な生活の中で、祈るときはエプロンを頭にかぶって密室のかわりにしたということですね。子供たちはお母さんがエプロンをかぶっていたら話かけない約束だったとか。
私の透き通るショールでは、あまりテントの役に立たないようなので、がんばって裏をつけました。めでたし、めでたし。
その他にも、ショールの房のついた四隅は「翼」と呼ばれ、マラキ4:2の「その翼には癒しがある。」はそのことであり、イエスの衣のすそにさわった長血の女はそこに癒しがあることを信じていたこと、マルコ6:56でも病人がイエスの着物の端にさわって癒された、など、興味深いことがわかりました。
申命記22:12に「身にまとう着物の四隅に、ふさを作らねばならない。」とあるように、昔はショールではなく衣に直に房をつけたようです。
また、男性が自分の「翼」で女性をおおうことは結婚を意味し、ルツ記3:9に「あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。」とはそういう意味であるそうです。今もオーソドックス・ジューの結婚式では花婿が花嫁をプレイヤー・ショールで覆い、これから花嫁を守ることを表すそうです。
ですからプレイヤー・ショールが必要だったのは、私ではなく主人だったのですね。早速主人のために大きなプレイヤー・ショールを注文しました。私をおおって守ってもらうために。(おわり)