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Walk With God Ministries


30 08月

主は実を探しておられる マット・ソーガー 8月30日


主は実を探しておられる

マット・ソーガー
 

イエスは神の民の人生、生活の中の実を探しておられます。遠くから良く見えるだけでは十分ではありません。主は私たちの傍近くに来て、実を探されるのです。

マルコ11:13−14「葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。イエスは、その木に向かって言われた。『今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。』弟子たちはこれを聞いていた。」

物事は遠くから見るとすばらしいように見えることがあります。いちじくの木は遠くからは立派に見えました。葉が茂っていました。しかしイエスが近づいて見ると、実が一つもなっていないのがわかったのです。

ここで、御霊の賜物と御霊の実との比較を少ししてみたいと思います。私たちの人生において神の賜物の働きは遠くからは素晴らしく見えるかもしれません。神の賜物は取り去られることはありません。 賜物を受けたあなたはミニストリーを正しく始めることができるでしょう。あなたは神とよい関係にあったので 、御霊の賜物を用い始めることができました。しかし出発が正しいだけではいけません。終りも正しくなければなりません。初めは神とのしっかりした関係の中で出発しても、だんだん神が与えて下さった賜物に乗じて、心の中で神から離れてしまうことが起こりうるのです。
遠くからでもはっきりわかるほどの力強い賜物を持つ事は可能です。しかし、その木にどのような実がなっているのかは、近づかねばわかりません。

季節はずれでも

私たちの本当の実は、自分に最も親しい人たちとの関係を通して明かにされます。 人を本当によく知るようになったときに始めて、その人がどのような実を持っているかを見ることができます。イエスは私たちが賜物を顕すだけの、葉だけ茂った木のようになることを望んではおられません。主は実を見つけたいのです。 主の私たちのためのデスティニーは、私たちが多くの実をみのらす木になることです。

イエスはこのことを大変重要だと思われたので、実のなる季節ではなかったにも拘わらず、いちじくの木に実がないことを責められました。実際のところ、どのような季節であっても、私たちの置かれた状況がどのようであっても、それが いい日であっても大変な日であっても、イエスは私たちに実を結ぶことを望んでおられるのです。常に良い実をみのらせるのは簡単ではないでしょう。それには自分の肉の望むところに死に、自己中心に死ぬことが必要です。しかし、神は実のなる季節でも季節はずれでも、私たちにその用意ができていることを望まれているのです。

第二テモテ4:2−5「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために呼び集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分のつとめを十分に果たしなさい。」

神は実のなる教会を必ずつくられる

ヨエルは2:22−24で預言しています。「野の獣たちよ。恐れるな。荒野の牧草はもえ出る。木はその実をみのらせ、いちじくの木と、ぶどうの木とは豊かにみのる。シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主はあなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油であふれる。」

神はこれからも御民のうちに働かれ、荒野が緑の牧場になるようにされます。乾ききって死んだような場所を再びよみがえらせます。木は実をみのらせ、ぶどうも豊かにみのるようにされます。神はご自分の民に力を与えられるので、私たちは神の望まれるような実をみのらせる者となります。神は御民を御霊にあって強くされるのです。

打ち場は成熟と収穫で満ちる

神は御民の上に後の雨を激しく降らせるので、今までに蒔かれていたすべての種は萌え出て豊かにみのり、収穫することができるようになります。私たちの内に蒔かれたすべての神の言葉は、芽を出し成熟します。即ち、神は御民を成長させられるのです。神は神のからだである教会を大人に成熟されるのです。

あなたが成熟したことを示すしるしの一つは、以前は腹が立ったことが最早気にならなくなるということです。あなたはあまり腹を立てなくなるでしょう。また、自分の肉によって動かされること(肉の反応)が少なくなり、もっと御霊によって導かれるようになるでしょう。霊的成熟のもう一つのしるしは、誘惑に打ち勝ち、神を喜ばせるような歩き方、生き方を学ぶようになることです。霊的成熟はあなたの考え、態度、行動に映し出され、それは特にあなたの最も親しい人との間でそうなるでしょう。

私たちは今、本当に神の臨在と真実の光の中で自分を吟味するべきです。私たちに押し寄せる肉の罪を深く悔い改め、ふさわしくない態度や立腹を後にして、私たちの人生を取り扱ってくださる神の御手に完全に服従するべき時が今来ています。

打ち場は穀物で満ちあふれるでしょう。それは成熟した収穫のことを指しています。それは人々の魂の収穫だけではなく、あなたの中に育まれている神の言葉のみのりの収穫をも指しているのです。あなたは成熟した神の息子、娘になるということです。(人生という)打ち場に今までに置かれていた私たちの人生の中のすべての領域が、成熟と実りという収穫を生み出すでしょう。

満ちあふれて生きるとは

石がめは新しいぶどう酒と油であふれるでしょう。神は御民を、成熟と収穫という場所から、次に「溢れる」overflowと呼ばれる場所へと導かれます。私たちの人生に神の臨在と油注ぎがあふれ、その中で私たちは生きることができるようになるのです。新しいシーズンというだけではありません。それは新しい次元(dimension)に入ることです。神の御民たちは大いなる神の臨在と力を持ち運ぶので、私たちの人生からは神の臨在が溢れだし、それは私たちの回りの環境をも変えていくのです。この溢れるような新たな油注ぎは私たちを変革させる ばかりでなく、私たちの回りの世界に深い影響を与えていきます。

神は「丁度足りるだけ」という神ではありません。神は常に「有り余る」神なのです。神はただあなたに「丁度足りるだけ」の油注ぎを与えたいとは思っておられません。神はご自分の臨在と力があなたからあなたの回りの世界に溢れ出て届くほどに、ご自分をあなたに与えたいと思っておられるのです。

一致の祈り

父よ、私は今日あなたの御前にへりくだります。私の人生の中にあなたの祭壇を築きます。自分をあなたに捧げます。罪と妥協のすべての領域を悔い改めます。私があなたに不快な思いを与えたすべての罪をお赦しください。私を清め、あなたの御目に義なるものとしてください。聖霊よ、あなたが喜んでくださるような生き方ができるように助けてください。私の人生にあなたの実がなるようにしてください。私のなすすべてにおいて成熟するように導いてください。新しい油注ぎをいただき、あなたの御霊でいつも溢れて生きられるような力を与えてください。あなたの力で私を満たし溢れさせてください。私がするすべての偽善と 罪を悔い改めます。私の霊、魂、身体を癒してください。私の人生の中にあなたの「常にやどる臨在」を回復させてください。父よ、私たちの国を癒してください。アメリカをあなたに再び立ち帰らせてください。イエスの御名において祈ります。アーメン(終わり)


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21 08月

「22:22」という鍵 ボブ&ボニー・ジョーンズ 8月21日


「22:22」という鍵

ボブ&ボニー・ジョーンズ
 


「わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。」
イザヤ22:22

最近、私と妻のボニーに「22−22」という数が示されましたが、イザヤ22:22はここ数年,何度も何度も私たちに示されてきました。しかし、イザヤ22:22とダビデの鍵に関して、今までは見えなかった何かを今示されていると私たちは信じます。

イザヤ22章では、一つの大きな変化が起こっています。それまで実権を握っていた者たちが、「父たち fathers」によって取って代わられているのです。現在キリストのからだに、多くの「教師」はいますが「父」はほとんど見当たりません。

第一コリント4:15「たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。」


父たちと母たちが息子たちや娘たちの霊の鍵を開ける

イザヤ22:21「その日、わたしは、わたしのしもべ、ヒルキヤの子エルヤキムを召し、あなたの長服を彼に着せ、あなたの飾り帯を彼に締め、あなたの権威を彼の手にゆだねる。彼はエルサレムの住民とユダの家の父となる。」

古い権威であるシェブナ(イザヤ22:15)は、上記にあるように、新しい権威であるエリアキムによって取って代わられています。エリアキムは、「残りの者(レムナント)の父」という意味です。

この箇所は私たちに、残りの者の父たちが神の御国の鍵を与えられることを示しています。そして父や母たちが彼らの息子、娘の霊の鍵を開け、それによって息子、娘たちが神の御国を来らせることができるようにするのです。
息子、娘たちは霊のすべての賜物を持って現れ、主の栄光が訪れる道を備えるのです。宗教の霊が彼らを縛って来たところも、今や解放の霊が彼らを自由に解き放つのです。

私たちはかつてなかったような神の賜物の顕れを見ることでしょう。今まで「宗教」が統治して来た場所で宗教が終焉し、神の統治が始まろうとしています。この神の統治は、息子、娘たちの最も奥深い中から、キリストのからだに御国が訪れる道を備えるでしょう。

神の統治とは人民の、人民のための、人民によるものです。

「わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。」ルカ11:20(終わり)


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09 08月

神の息が家族の上に吹かれる時、国々は震える ビル・ヨント 8月10日


神の息が家族の上に吹かれる時、国々は震える

ビル・ヨント


創世記2:18「人が、ひとりでいるのは良くない。」

私たちは、家族の中に秘められている素晴らしい力を見過ごしてきたか、あるいは過小評価してきたと私は信じます。神は私たちを生まれさせたとき、 家族の中に置かれました。 私たちが地球を治め、この世界に神の御国をもたらす力を生み出す何かが、家族という環境の中にはあるのです。

サタンは「女の子孫 the seed of the woman」を恐れていたと思います。なぜならば彼にはサタンを滅ぼす力が与えられていたからです。私たちの子供たちさえ、門でサタンと戦うことを彼はよく知っていました。(詩編127:5参照)孤独な者(寂しい者、やもめ、孤児、父のない者)を家族の中に入れることが、常に主の願いであった理由がそこにあると思います。(詩編68:5、6参照)

最高の「国宝」はあなたの家の中に

第二列王記4章に、エリシャが二人の息子のいるやもめを訪ねたことが書かれています。彼女にはほんの少しの油しか残っていませんでした。 負債のために彼女の息子たちは奴隷として取られようとしていました。当時の政府は彼女を助けることができなかったので、彼女はエリシャのところに助けを求めてきました。エリシャは「あなたの家には何があるのか?」と聞きました。彼女はいろんな所に助けを求めて出かけたのですが、自分の家だけは見ていなかったのです。つまり、エリシャは「あなたの家の中にあるすごい奇跡の力をあなたは知らないのです。」と彼女に言ったのです。

今日、多くの人たちは私たちの国を救うものを期待してホワイトハウスを見ています。しかし、神は今、神の民に「あなたの家には何がありますか? 最高の『国宝』はあなた自身の家にあることを悟らないのですか?」と言っておられるのです。この偉大な「国宝」は私たちの家族のなかにあるのだと私は信じます。多くの場合、まだ磨かれてないダイヤモンドに価値は見つけにくいものです。あなたの家族に今までに起こった様々な問題が、あなたを祝福する時がきました!

家族が国を救うように整える

ヨシュア24:15「私と私の家とは、主に仕える。」

ヨシュアがイスラエルの国に向かって生か死かを選び取れと言ったとき、 彼は 自分が何を選択するかということだけでなく、 彼が家族に対して抱く思いの重要さも伝えようとしたのだと思います。

ヨシュアがすべての父親母親に願っていたことは、彼らが自分たちの家族も主に仕えると宣言することだった私は感じます。 家族が持つ「国全体が滅ぼされるのを免れる力」を彼は知っていたのでしょうか? もし神が彼を救うことが出来るなら、神はまた彼の家族をも救えると彼は信じていたのではないでしょうか。そして更に、神が彼の家族を救えるのならば、国全体をも救うことが出来るとヨシュアは信じていたのではないでしょうか。彼は「国宝」は自分の家の中にあることを信じていたのです!

使徒行伝16:31「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」

私たちは今までよりも更に家族全員の救いを宣言する必要性がある、と私は感じています。そしてアメリカに対しては「私たちの国家は、神のもとにある一つの国家!One Nation ,Our Nation, Under God!」と宣言し始めるときだと思います。天の父はあなたの家族だけではなく、国家全体が一日のうちに救われることができるという夢を心の中に持っておられます。

イザヤ66:8「だれが、これらの事を見たか。地は一日の陣痛で産み出されようか。国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。」

エデンの園以来ずっと、敵であるサタンは、「家族」が彼の王国を滅ぼし、国家全体を救う秘めた力を有していることを良く知っていたのではないでしょうか。ですから彼が家族の上に様々な問題を起こして地獄をもたらすのは何の不思議もないのではないでしょうか。

ヨエル2:28「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」

これから起ころうとしている御霊の傾注は、まず私たちの家族に注がれると私は信じます。そうすればそれがすべての人類に広がるのを止めるものは何もないことを神は知っておられるのです。私はまた、家族のメンバーの一人ひとりが家族の健康と解放のためのある鍵を持っていて、それが究極的に私たちの国の解放という結果を生み出すとさえ私は感じています。もう一度見てください!この国の問題の答えは私たちの家の中にあるのだと私は信じます!

主の言葉。「アメリカよ、わたしの息をあなたの家庭の中に吹き込んでもいいですか?わたしの息を家族の一人ひとりの鼻に吹き込みたいのです。曾おじいさんからお腹の中の赤ちゃんまで。私は今この国の家を一軒ずつ訪れます。わたしは3Dの立体天然色で直接あなたの住んでいる場所に行きます。今あなたの家の住所が記された天使たちが出動態勢で整列しています。彼らはあなたの住まいの回りに陣を巡らし、遠くや近くにいるあなたの家族のメンバーを救うために遣わされようとしているのです。今まで単なる家だったものが、暖かい家庭に変えられるでしょう。

「わたしの息をあなたの家庭に吹き込んでもいいですか? 放蕩息子たちが電話をしてくるでしょう。何年も行方不明だった子供がわたしの霊の息によって救われるでしょう。今までわたしはあなたの家族のメンバーがわたしに抵抗するのを我慢してきました。これまではわたしは彼らの家や心の戸をやさしく叩いてきました。しかし今わたしは強く息を吹きかけて入口の戸を吹き飛ばします。わたしは入っていきます!」

この国のための奇跡は私たちの家にある!

神ご自身の角笛が今、私たちの家庭に吹き鳴らされ始めると私は信じます。そして救い、癒し、解放の音を放ち、家族全部がこの国を勝ち取るために調えられます! 今それを受け取りなさい!

祈り「主よ、私たちは再び生きるために、あなたのいのちの息を家族の鼻に受けとります。私たちは家族全部が王である祭司、選ばれた世代であると叫びます。まだ顕れていない事を、すでに成就した事として叫びます。彼らは救われ、癒され、解放された者だと私たちは叫びます。彼らは「国宝」であると私たちは叫びます。私たちは家族のメンバ−をあるがままの姿で受け入れ、無条件に愛します。私たちは彼らがすでに救われているかのように接します。私と私の 家は主に仕えます!」【終わり】


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03 08月

ノアの時代のように テレサ•フィリップス 8月3日


ノアの時代のように


テレサ•フィリップス 


私がワーシップをしている時、 主が語られました、「今はノアの時代です。このことを語りなさい。黙っていてはいけません。」と。私はびっくりしました。はっきりとした大きな御声だったのです。「はい、主よ。」と私はお答えしました。すると 私を通して主は預言を与え始められました。「今はノアの時代です。人々がノアのしていることを理解できなかったと同じように、わたしがあなたがたに願うことを人々は理解しないでしょう。」 主の御言葉が大変重要なことであることがわかりました。

主は再び言われました。「今はノアの時代です。箱舟が造られるとき、人々からの反応は嘲笑でした。今度もそうなるでしょう。わたしのために安息の場所を建てなさい。」と主なる神が言われました。「誰がわたしのために隠れ家を建てるでしょうか? 誰がわたしのために建てるでしょうか?」と主が訊かれました。

「今はノアの時代です。わたしは語っています。わたしは求めています。わたしはわたしの御国を建てる協力者を待っているのです。嵐を呼ぶ黒雲がわき起こってきています。わたしは一つの建物、即ち御国の改革、を打ち建てようとしています。それは直ぐそばまで近づいています。誰が建てるのでしょうか?」と主が言われました。私はその時、畏敬の念に打たれて震え始めました。

私たちは何を建てればよいのか?
神よ、ダビデの心を下さい!

第二サムエル7:13「彼はわたしの名のためにひとつの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」
「わたしは必要としています。」と主が言われます。「一つの家、家庭、安らぎの部屋、安息の場所を。わたしは常にノアとその家族たちと共にいました。」と主が言われます。「それと同じようにわたしはあなたと共にいるでしょう! わたしは 安全な新しい箱舟が出来る事を願っています。わたしは地上にわたしの永遠の御国が再建されることを願っています。わたしはわたしの教会がこの仕事のために立ち上がることを願っています。わたしのための家を建ててください。」

使徒行伝7:49「主は言われる。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。あなたがたは、どのような家をわたしのために建てようとするのか。わたしの休む所とは、どこか。」


私は主が何を指令しておられるのかがわかりました。主は幕屋—手で造られる幕屋ではなく、人々の心のなかに打ち立てられるものーを建て直すようにようにと言われているのです。この幕屋とは、神としもべたちとの間の絶え間ない交わりのことです。

「わたしの民よ、わたしの計画を阻もうとする誘惑に勝て」

主は更に語り始められました。「わたしは今、このために人々を召し出しています。わたしはわたしの民がわたしの計画を阻もうとする誘惑に打ち勝つようにと願います。それはノアの時代と同じように、 人々は、ノアがわたしとの間に持った親密な関係を持つ用意ができていないからです。彼らは怒鳴ったり文句を言って地上で打ち立てられつつあるものをあざ笑っていました。一人の人がわたしの声を聞き、わたしに従いました。その結果、彼とその家族は救われました。造られたものたちも安全な場所に来ました。わたしが箱舟に乗せたものたちは決して滅びないことを知っていますか? 決して滅びません!」と主は言われます。

「人は決して滅びません。わたしのかたちに造られたものは死にません!なぜならば、わたしは永遠の神であり死なないからです。わたしはあなたを決して離れず見捨てないと言いました。わたしを信じなさい。今わたしが進んでいる道は、人間が計画しているものと必ず衝突します。わたしはわたしの御国、わたしの領土、わたしの臨在、わたしの領域、わたしの環境を押し進めていきます。わたしはそれを突然にあなたのただ中にあらわすので、あなたはそれに気が付き畏れで立ちつくすことでしょう。」と主が言われます。

「あなたはシーズンがわかる」

「『何故?』という疑問がわたしの耳によく届きます。『いつ?』が次にきます。しかしわたしはあなたに言います。あなたにはシーズンがわかるでしょう。そのシーズンがやって来たときに種を蒔き刈り入れるのはあなたです。わたしはそれを見て満足するでしょう。わたしはあなたがたのただ中を進んでいきます。」と主が言われます。

エレミヤ8:7「空のこうのとりも、自分の季節を知っており、山鳩、つばめ、つるも自分の帰る時を守るのに、わたしの民は主の定めを知らない。」

「ノアは聞いて従い、あざけられました。しかし彼はわたしの(ことばを聞く)耳を持っていたのです。わたしは今多くの人々に語っています。今この時にわたしは励ましの言葉を送っています。わたしはあなたに宣言します。『わたしは今建物を建てています。わたしはダビデの幕屋を再び建てているのです。』」と主は言われます。

使徒行伝15:16「この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を立て直し、それを元どおりにする。」

「これは賛美の家です。そうです、賛美が安全な場所を造っているのです。なぜならばわたしはわたしを賛美するものの中に住むからです。彼らはわたしをさらに賛美するようになるでしょう。」と主は言われます。

詩編22:3「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」「わたしは建て直し、再び顕れ、再び確立しようとしています。わたしの御国がその王を見るときに、この国は変るでしょう!」

「わたしはいにしえの城壁を建て直しています。今も研究者たちはいにしえ人の地の廃墟を発見しています。わたしは見つけられています。そしてわたしは、あなたがもっと熱心にわたしを求めるようにします。」

「今わたしは建物—わたしの御国の建物—を願い求めています。わたしは賛美の家を再建しています。鎚音は海外でも聞かれるようになり、多くの者が「 一体何が起こっているのか?」と言って見に来ます! わたしは祈りの家を再建しています。そして多くの者が来て癒され、わたしの声を聞くことを学びます。わたしは王を愛する者たちの軍隊を再編成しています。そして多くの者が彼らの習慣を改めるでしょう。わたしに近づきなさい! 入ってきなさい! 王に近づきたくない者などいるでしょうか?」と主が訊かれました。

「わたしは王である祭司として再び現れているのです。多くの者たちがやって来て、希望という力ある祭壇の前に ひれ伏すでしょう。わたしはわたしの定めた境界線—そうです、それはわたしの律法ですーを人々の心の中に再び確立しています。もう一度、ホーリネス(聖さ)のリバイバルがやって来ます。
わたしの御国がパンの家(ベツレヘム)にその王を見るときに、この国は変えられるでしょう。よく聞きなさい、わたしが王座に座るときこの国は変えられます。「わたしは、人間を通して、人々がわたし自身を『見ることができる』ようにします。それによって 政府のリーダーたちやネットワーク、ビジネス界のリーダーたちに、神のすることが分かるようにします。」

「今はノアの時代と同じように新しい事が起こる時です。目を覚ましてよく見張り、祈り、従いなさい。」

マタイ24:37−38「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。」

「この警告をしっかり受け取りなさい、わたしの愛する者たちよ。なぜなら時が迫っているからです。わたしは大いなる変革をもたらすために近づいているからです。あなたはわたしの口から聞きました! わたしはそれをします! わたしを王座にすわらせなさい。あなたの報いは大きいでしょう。御国は近づいています。なぜならば、王が今も王として 認められねばならないからです。ノアの時代のように、わたしの道を学んでいない者は、わたしが語ることができ新しいことを指示できることを信じませんでした。もう一度いいます、『今はノアの時代のように新しいことが起こる時です!』」

「さあ、あなたはこのような時に生きているのです。わたしは今、あなたに言います、あなたの希望やヴィジョンをなくしてはなりません。進んでいきそれを達成しなさい! 今、わたしはリーダーであるあなたに言います、目をさまして見張り、祈り、従いなさい。この建物を実現させねばならないからです!」

第一ペテロ5:1「そこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり、キリストの苦難の証人、また、やがて現れる栄光にあずかる者として、お勧めします。」

「そうです、互いに分かち合いなさい。なぜならばわたしの御国はチームで働かねばならないからです。働き人たち、一致しなさい! 教会は一致しなさい! 人々よ、あなたの知らない人からも主の言葉を受け取りなさい。なぜならばこの地でわたしの御国を建てているのはわたしだからです。わたしが呼んでいるのです。わたしが指示しているのです。わたしは永遠にあなたと共にいます!」と万能の主なる神が言われます。


共に祈りましょう。「愛するイエス様、わたしはあなたの御国のしもべとなりすべてをお捧げいたします。わたしは今日、あなたとあなたの御言葉、そしてあなたの御国の人々に従うことを選び取ります。私は今日、あなたはあなたを礼拝するすべての場所に来られることができ、またそうして下さることを信じます。わたしは彼らを自分の家族として受け入れ、彼らがあなたの御こころを行うように訓戒します。私は今日、あなたと契約を結び、あなたと共に宿り、人々との関係を建て直し、橋を修復してあなたに似たものとなることを選び取ります。これを読む人すべてを祝福してください。アーメン(終り)


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28 07月

愛を表す  グラハム・クック  2010年7月28日


愛を表す

グラハム・クック


イエス・キリストの福音がギリシャの人々に届いたとき、彼らには「無条件の愛」を表す単語がありませんでした。神の愛の偉大さを十分に表す言葉がなかったのです。彼らは神の愛の持つ性質を定義できる言葉を創らねばなりませんでした。それが「アガペ」という言葉です。「愛」に関してもっとも重要なことは、私たちが「愛」をどのように用いるかということです。

「アガペ」とは見返りを期待しない無私の愛です。愛する故に愛するのです。憎しみが確実に憎しみを生み出すのと同じように、愛は愛を生み出します。愛は他人に与えると増えていき、与えないでいると減っていきます。アガペの愛は 神が、神というお方である故に、 無条件で私たちに与えてくださるものです。神はご自分の敵をも100%愛されます。その究極の証拠はヨハネ3:16及びエペソ2:1−10に書かれています。

自分というものを見失ってしまい、それによって他人に対してどのように行動すればよいか分からなくなった人たちをも、私たちは愛します。自己中心な人、高慢な人、人を侮辱する人、欲張りな人、ケチな人、偏狭な人、人を赦さない人等です。愛はすべてを受け入れ、すべての人の心に触れることができます。 難しい人々は、愛によって変えられるために愛を最も多く必要としますので、愛があるかないかを証明するもの、立証するものとなります。よい人たちを愛するのはよいことです。けれども私たちが愛し難い人を愛するとき、 それは私たちが「自分は神に愛されている 」こと(神に愛されている者であること)をよく知っている確実な証拠となります。

愛とは、御父が自分を愛していてくださることを内に感じながら、他の人々を御父が見るように見ることです。ある種の人々を愛するには、とても忍耐が必要です。
私たちは自分が持っている偏見を乗り越えるためには、あるいは、神に自分の心をいつも開いている状態になるためには時間が必要です。そして、どんなに愛そうとしてもどうしても神経にさわってしょうがない人々をどう愛するかにおいて、人生をかける一大決心をするに至るまでには、私たちには時間が必要です。往々にしてクリスチャンは忍耐強く深く考えることが苦手なようです。愛についての説教はよくしますが、実際の生活はこの世的な愛のレベルにとどまっていることが多いのです。

私たちは神の愛で人々を解放し自由にするべきなのに、かえって怒ったり裁いたり責めたりという自分の肉的な習性によって、彼らを牢に閉じ込めてしまっています。愛は人々に代価を求めません。私たちは裁きjudgmentと正義justiceとを混同してしまっています。裁きjudgmentは責め、罰し、咎めます。正義justiceは誠実integrityと尊厳dignityを伴う義righteousnessであり、公正な取り扱い、差別しない公平さです。愛は、それを全く受けるに値しない人々にも益を与えるものです。

このような愛は決して弱々しいものではありません。力強いけれども柔和であり、優しいけれども揺るがないものであり、寛大で義しいものrighteousnessです。柔和さは弱さではなく、自制された強さ(力)です。愛は人々をそのままに放っておきません。愛は人生の軌道を変えます。 自分は無関係だとは言いません。アガペの愛は他の人を引き下ろすことは決してしません。かえって彼らの人生の質を高めることに力添えをすることです。
神が愛されるように私たちが愛するとき、私たちは神が造られた人間本来の真価(自分の真の身分・アイデンティティー)に最も近づきます。神の内に自分を発見するのです。私たちは愛を実践するときが常に一番自由であり、その反対に 罪悪感を与えて人々をその中に閉じ込めるとき、自分自身も一番縛られているのです。アガペの愛は自意識過剰ではなく、神経質ではなく、独善的ではありません。
私たちが真実に愛を実践するとき、それを他人から批判されることを予期せねばなりません。私たちがアガペの愛をもってこの世に神の臨在を顕している時には、その確実な証拠として、私たちが過度に霊的ぶる人や宗教的な人から誹謗されることによってそれが分かります。

私たちは人を愛している振りをすることは出来ません。それは実在しない非現実的なことです。しかし、神のご性質を人々対して実践する練習をすることはできます。そしてそうすることによって、私たちが変革されていくのです。アガペの愛を実践するということは、非常に意識的な選択です。単に即興的に行き当たりばったりですることはできないのです。それは意識的に計画されねばなりません。このような愛は単に感情ではなく決断的な意志による行動です。「自分がどう感じるか」とは関係なく、愛することを選ぶことです。今の自分がどのような者であるかの故に、またイエスにあってどのような者になりたいかの故に、私たちは愛するのです。

愛は実際に表わされるときに増えていき、表すことを抑えるときに減っていきます。愛とは、私たちをよく思ってくれる人が自分の前に立っているときに自然に起こる感情のことではありません。もし神がまず私たちを愛してくださったとしたら(第一ヨハネ4:19)私たちはアガペの愛を外にではなく自分の内に見つけねばなりません。愛は、御国と同じように、今すでに私たちの内にあるのです!それを信じて受け取り、その中で喜んでください。愛されているように愛してください。

愛を表現する一番の方法は実践することです。愛を与えることはイエスというお方を実際に表現していくことです。アガペの愛は何かを得るためにするのでもなく、自己中心でもありません。愛はそれを使うことによって必ず自分に戻ってきます。私たちはすでに今愛を持っているのですから、他人に与えてください! 誰かから愛をまずもらわなければ自分は愛を持っていないと考えること程、私たちを自己依存させ、自己憐憫に陥らせ、苦々しさを常に持ち、皮肉っぽくものを見て、感情的不具者にさせてしまうものはありません。


私たちは今ある自分からゆっくりとスタートせねばなりません。「自分のアイデンティティーにおいて、自分がどのような人間になりたいのか」を決めていく意識的な行動として愛を実践していくことが非常に大切です。愛は報酬を必要としません。貸し借りの勘定をしません。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐えます。愛は、人から認められることを必要とせず、仰々しい言葉や約束、決意も求めません。自分が注目されることも求めません。神のみ翼の陰から愛します。静かに、誰にも知られず、密や かに。そのときあなたの隠れた愛の行為を見ておられる御父は、アガペの愛をあなたに何倍も与えてくださるでしょう。私たちが愛するとき、私たちは自分自身を祝福しているのです。ですからどうか、ただ実践してください。静かに、神のために!(終わり)


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