Archive for the ‘アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ’ Category:
28 08月
神とアライン(一致)するヴィジョン
グラハム・クック
私たちは勝手に自分でヴィジョンを持ち、神に「この上に息を吹きかけてください」と頼むのではありません。ワーシップし、祈り、黙想することにより、神の御思いに耳を傾けるのです。理性的なものや論理的なもの、又、 自分の能力や資源で十分達成できるようなヴィジョンは、その 企画に関わる人たちを最終的には引き上げることはできません。
御父は私たち一人ひとりのために、またグル—プのためにヴィジョンを用意されています。御父が見ておられるのは何でしょうか? 夢、幻、聖書、預言は、別次元から与えられるヴィジョンのための苗床になります。私たちのライフスタイルや思考過程が超自然的にならなければ、 キリストの啓示へ私たちが開かれることはありません。
人間が作ったヴィジョンは、あがき、苦労、骨折りを生じます。それは私たちから御霊のエネルギーを奪い去ってしまいます。 私たちから畏敬、驚嘆の念を無くしてしまいます。超自然的な財源、資源は人間が作ったヴィジョンには与えられません。ヴィジョンは神によって所有されねばならず、私たちはそれを従順に、又知恵を用いて管理せねばなりません。啓示は常に責任を生み出します。主ご自身がヴィジョンを所有しておられるならば、そのための資源は天から必ず送られてきます。
私たちが経済的に苦労しているときには、自分が神とアラインしているかを問うてみる必要があります。神が注文されたものは、神が現実的な形で必ず支払われます。資源が欠乏しているのは、私たちが神の目的にアラインしていないしるしです。
ある人たちは、自分が欠乏しているのは敵の所為だと言いますが、それは貧困の霊がそう言っているのです。私たちが何かを敵の所為にするのは、「敵が自分の上に力を持っていて、自分はそれと戦うことができない」と告白しているのです。またある人たちは、自分の欠乏を 回りの状況(例えば不景気とか)の所為にします。それは貧困のメンタリティーです。貧困とは経済的なことではなく、小さく乏しい可能性の中で生きることを学んでしまうことです。
神は破産したのでしょうか? ぎりぎりの予算でやりくりされているのでしょうか? 神の御国はこの世のシステムに依存しているのでしょうか? 豊かに溢れるばかりに所有しているのは誰でしょうか? もし御父が溢れるばかりの物の所有者であり、且つ悪者の富をも持つお方であるとすれば、、、私たちは自分が欠乏している理由をはっきりと見極めねばなりません。
何が神とアラインしていないのでしょうか? キリストの姿にもっと似なければならないのは私たちのどの部分でしょうか? もし私たちがもともとは神ご自身からヴィジョンを受けたのならば、それに忠実に歩んでいるでしょうか? 神が求めておられる方法で管理をしているでしょうか? 御霊で始めたものをどうにかして自分で達成しようとしているのでしょうか? パウロが持っていた根本的な視点は、「私は天からのヴィジョンに最後まで従い続けねばならない」というものでした。(使徒行伝26:19)
「ヴィジョンを管理する」ということは、必要な資金、能力、資源は一番のサポーターである神にすべて依存するということを意味します。神はすべてのことに関して私たちを真に成就させてくださる方です。私たちは「 自分が何者であり何が出来るのか」を、人々や状況によって支配されては断じてなりません。
御父の御思いと御こころを奉じるヴィジョンであれば、その必要は必ず備えられます。御父のめぐみにより私たちは、神ご自身が私たちの尽きる事のない命の源であるという確信を得ることができます。ヴィジョンは信仰を生じさせます。即ち自分は神のパートナーとして共に歩み働いているという確信が与えられるのです。ヴィジョンは力を生み出し、 神の力溢れる臨在によって生きるために必要な勇気を私たちに与えます。
神のヴィジョンはエネルギーを与えます。毎日私たちは私たちに対する神の喜びと情熱という重荷を背負って歩いています。主のくびきは負いやすく荷は軽いのです(マタイ11:28−30)もし私たちのヴィジョンが正しくアラインされていないと、物事を達成するための責任の重圧に私たちは押しつぶされるのです。
神のヴィジョンは洞察力を与えます。神はご自分が私たちの内に、又私たちのために見ておられるものを、私たちにも見せてくださいます。私たちは神の視点を学び、私たちが自由に使える資源を見ることを学びます。私は自分に与えられたヴィジョンが神のものであることを常に忘れないようにしています。それによって私の人生を神の視点で見続けることができるからです。(終わり)
21 08月
預言を解釈し伝える方法
リック・ジョイナー
私が最近発表した「アメリカの西海岸に大災害が間もなく起こる」という物議をかもす預言を例にとって、預言を受けたときにどのようにそれを解釈し人に伝えていくかについてお話したいと思います。お分かりだと思いますが、それには二つの目的があります。第一の目的は預言に関する原則を話すためですが、それと同時に、この預言が出来るだけ多くの人の耳に入り、とりなしと悔い改めが起こり、それによって災害が大幅に縮小されることを願っているからです。
「私はすべてのことを完璧に間違わないで正しく出来る」と言っているのでは決してないことをどうか頭に入れておいてください。 自分が言ったことを後で考えるとき「あまり巧く伝えられなかった」と私自身度々 思いますし、多分そうだと思います。ですから、私は「このようにしないように」という良いお手本になっているのかもしれません。けれども、違う見解や論争が起こることは、何か間違ったことをしたからだとは必ずしも言えません。その反対に何か正しいことをしているからかもしれないのです。この世のどの分野においても、何かを達成しようとすれば、論争を全く避けて通ることはあり得ないと私は思います。反対意見や物議をかもすことは、無料で最高に宣伝効果のあるものかもしれません。しかし、私はあえて 物議をかもそうとしているわけでは決してなく、ただ私のような仕事にはそれがつきものだということなのです。
私たち一人ひとりは、ただほんの一部を見、 ほんの一部を預言するだけなのです。ですから答えを全部持っているわけではありません。それだけは絶対確かです。私が「近いうちにアメリカ西海岸に 地震が起こる、また、ニューマドリッド断層(アメリカ中西部)に沿った地域でそれよりもっと早く起こる可能性がある」という預言を発表してからというもの、他の人々からこの地震に関して見た夢やヴィジョンや預言が私のところに本当に沢山送られてきました。実のところ私自身も発表したものよりもっと多くのものを主から受け取っています。私は人々の間に悔い改めが起こり、神がそれを聞いてくださり、起ころうとしていることを縮小してくださることによって、これ以上私が受け取った預言をお話しなくて済むようにと祈っています。
私はこの預言で示された地域の教会のリーダーたちが、預言を正しい態度で受け止めるという期待をあまりしなかったというのが正直なところですが、それでもそれを願っていました。そして私の期待は望んでいた以上に答えられました。そして更に私が予想もしなかったことが起こり、とても励まされました。それは教会関係以外のリーダーたちや影響力のある人々が預言を真剣に受け止めて、心から悔い改めて神に哀願しはじめたことです。
私が見たこれから起ころうとしている災害は、主が西海岸に対してされるというよりは、そこに自然災害が起こるのを実に主は半世紀にもわたって抑えておられたということなのです。ただ警告として時々断層のずれが起こるのを許されたのでしたが、その警告は多くの人たちによって無視されました。断層を押さえている天使たちがいますが、彼らがその役目から解かれようとしています。彼らが解かれると、今まで断層に蓄積していた力が解き放たれます。「神が私たちにそのようなことをされるのか?」という質問に答えるのは大変難しいことです。でも少なくとも神は確かにそれが起こるのを許されているのです。
私がクリスチャンになってから40年経ちますが、その間に「ハリウッドに行って影響を与えるように主から召しを受けている」というクリスチャンに数えきれないくらい出会いました。「実際ハリウッドは世界に福音を伝える使命がある」と信じている人たちもいました。この人たちの召しは真実だと私は信じますが、彼らは「あなたの召されたことと選ばれたことを確かなものとする(第2ペテロ1:10)」必要があったのです。つまり、召しに正しく応答しそれを達成するためには、はっきりとした目標と準備が必要なのです。40年間人々がハリウッドに送られていきましたが、それによってハリウッドが良くなったとは思えません。むしろ非常に悪くなったことは驚くべき事実です。また、ハリウッドを変えるために送られたはずの人々が、ハリウッドによって変えられてしまうのも私は見てきました。
それでも私はハリウッドに神からの使命はあると 信じますし、ハリウッドのために召しを受けたという人たちは本当にそうだったのかもしれません。しかし、今のところ私は、誰かがハリウッドに行って神の言葉を伝えなくても、ただクリスチャンであり続けてさえいてくれれば励まされることでしょう。長い間、善良な人たちが良い意図をもってハリウッドに行くのを見る度に心が沈みましたが、出来るだけあきらめないようにしました。ハリウッドが地上から取り去られる時まではまだ希望があります。そこに遣わされているメッセンジャーやクリスチャンが誰でもいいですから、自分たちの目的を阻む「妥協」を投げ捨てて、ハリウッドが救われる唯一の道である「悔い改め」をもたらすことができるようにと祈ります。
これから起ころうとしていることは、アメリカ史上最悪の災害であり、世界史上でも最悪の災害の一つです。しかしこれはまだ、祈り、とりなし、悔い改めによって軽減することができるのです。神の民が完全に守られるゴシェンのような場所もいくつか備えられるでしょう。神は災害と共に魂の収穫のための偉大な御業や、災害時に必要とされるミニストリーも備えておられるのです。
又、ある人々はこの神の御業に参与するために招集されるでしょう。これに関して私は疑いをもちません。すでに数年の間、私たちのミニストリーはそこにベースを置くであろうことを私は感じてきました。何が起ころうとも、それが起こったときは大いなる収穫の時となるのです。しかし今のところ、恐ろしい悲劇、避けようとすれば避けられるはずのものは、起ころうとしています。
私が主から見せられたことに関しては、これからはもっとはっきりとオープンにお話するつもりです。なぜならば時が迫っていると感じるからです。そうであっても、私はそれが起こるタイミングを知らされてはいませんし、私が信頼する人の中でその時をはっきりと知っている人はありません。多くの言葉は間違って解釈されます。またある人たちは災害が起こるタイミングを知っていると主張します。しかしそれが起こるまでは、真摯な悔い改めをもって主に嘆願する時間がまだあると私は思います。私が見た唯一のかすかな希望は、このような悔い改めが教会の外部で起こり始めているかもしれないということです。それが何を意味するかよく考えてみてください。(ジョイナー師の文章の終わり)
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下記のコメントを補足させていただきます。 坂 達也
上記のメッセージはジョイナー師の預言に関する教えのシリーズの一つですが、ここで私たちが学ばなければならないことは、預言を受ける人もそうですが、それを聞く/読む人が、その預言をどうすればよいかと言うことです。
多くの人は「貴重な情報をありがとう」と言って受取っても、それを祈る(良いことであれば、それが実現するように、悪い場合は、実現しないか、あるいは被害が最小限であるように祈る)ことを二の次としてしまうことです。
加えて、悪いことが起こる預言の場合に、最も効果的に神に懇願する方法は、(預言に接する人が皆)「悔い改めること」であるとジョイナー師は教えていることです。これがなかなか出来ないのではないでしょうか。
ジョイナー師は20数年前に主よりの預言があって、それは大きな地震が日本に先ず起こる、そして、その後にアメリカ西海岸に更に大きい地震が起こるというものでした。(前にご紹介しました。)
日本の東北に大きい地震が起こった今としては、それがいつかは分かりませんが、次はいよいよアメリカの西海岸に大地震が起こる深刻な可能性が、現実のものとなりました。そこでアメリカでは多くの人が真剣に今祈っているのですが、日本も東北大震災で終わったわけではありません。
これもご報告したように、ボブ・ジョーンズ師の預言では、もう一つ大きな地震がいつか東京を襲うと言う預言を受けていることを、いよいよ真剣に祈らねばならないと思います。
私たち日本人は、今年、既にアメリカに先駆けて地震と津波の大被災を経験したばかりで、今その復旧の最中にあります。そこで、私たちクリスチャンが今回経験したことにおいて悔い改めるべきこと、そしてクリスチャンでなくても、日本全体が今反省し悔い改めねばならないことが山ほどあると思うのです。
それに加えて、次に預言されている東京(あるい他の地域)の大地震がやって来るのです。
今こそクリスチャンが、先ず国を挙げて大いに反省し、東北の震災でして来たこと(しなかったこと)を悔い改めることは、今もっとも差し迫った重要な課題であると信じます。日本のリバイバルはこれにかかっていると言って過言ではないと言う気がします。お祈りしております。
又、アメリカに来る地震に対してもぜひお祈り下さいますようお願い申し上げます。(終わり)
14 08月
岩から蜜を飲む
ボビー・コナー
神の御霊は私たちに、岩から蜜を飲む、即ち主イエス・キリストの臨在を飲む方法を教えています。この真理は申命記32:10—13に明らかです。
「主は荒野で、獣の吼える荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せていくように。ただ主だけでこれを導き、主とともに外国の神は、いなかった。主はこれを、地の高い所に上らせ、野の産物を食べさせた。主は岩からの蜜と、堅い岩からの蜜と、堅い岩からの油で、これを養い、、、、」
最後にある「主は岩からの蜜で養われた He made him suck honey out of the rock(主は彼に岩から蜜を吸わせた)」という箇所を考えてみましょう。「suck(吸う)」という言葉は、ヘブル語では「yanaq」ですが、赤ちゃんが乳を吸うことを表す言葉です。神が「彼に岩から蜜を吸わせた」という聖書の言葉は、赤ちゃんに乳を飲ませる行為を表しています。この子は何を飲んでいるのでしょうか? 神の子は主の臨在の蜜を飲んでいるのです!
何という栄光の神に私たちは仕えていることでしょう!全能なる神が私たちに乳を飲むようにと招いておられるのです。主の臨在ほど重要な食べ物は他にありません。主との親密な交わりほど栄光ある経験はありません。そして神の顕現の栄光をどのように飲むかを学ぶことほど急を要することは、私たちにとってないのです。
主の臨在を私たちはどのようにして飲むのでしょうか?赤ちゃんが乳房から乳を吸うのを習得せねばならないように(最初は奇異に思えても生存本能によって習得 します)私たちも、岩なるキリスト・イエスから蜜を吸う方法を習得せねばなりません。
まず、ただ幼子のようになって信頼と敬慕の心で主を賛美し始めます。そうすると蜜が流れ始めるのです。キリストというすばらしいお方を愛し礼拝してください。主がしてくださったことを感謝してください。カルバリで注ぎ出された主の恵みを覚えてください。復活の主の栄光を喜んでください。あなたの心に浮かぶ賛美をすべて主に申し上げてください。あなたの感謝、畏敬、驚嘆の念を言い表してください。主の臨在の栄光ある流れを流れ始めさせるためには、賛美は絶対に不可欠です。
「私は主の蜜をうまく吸えるだろうか」と心配してはいけません!神の御霊ご自身が、 岩(イエスというお方)から飲む方法を私たち一人ひとりに教えてくださいます。そして吸い始める方法だけではなく、飲み続ける方法も、一瞬一瞬、その時その時に教えてくださいます。それによって私たちは神の聖なる臨在の中に留まり続ける方法(よい時も悪い時も、大きな祝福の中でも、悪い知らせを受けた時でも)を学ぶのです。愛する皆さん、私たちは主の蜜を飲む方法をどれだけ学んだかによって、主の顕れの臨在をどれほど経験するかが決まるのであり、主の臨在の中にこそ私たちの喜びは満ちるのです(詩編16:11)!
「主は決して私たちを離れることはない(ヘブル13:5)」というものすごい真理を、どうか誤解しないようにしてください。確かに主の臨在は常に私たちと共にあります。それは、神の御国が私たちのただ中にあるからです(ルカ17:21)。私たちはこの真理を知り信仰によって歩んでいます。しかし私たちが更に深く主を賛美し主の栄光を飲めば飲むほど、 主の顕れの臨在をも体験することができるのです。神の約束は決して無効になることはありません! 神は決して御民を見捨てることはありません! 主は私たちの必要を満たし 守ってくださいます!キリスト・イエスは私たちの高きやぐらであり、 私たちの岩です。
敵からの避け所
「rock 岩」と訳されているヘブル語は「cela」ですが、これは「ごつごつした岩かど」とか「がけ」を意味し、私たちがその下で安全に守られる避け所を指しています。それは守ってくれる岩であって、私たちを打ち砕く岩ではありません。この岩は私たちを覆い保護してくれるのです。この言葉のヘブル語の語幹に「そびえ立つ」という意味があることは興味深いことです。「cela」という言葉の中にはキリストという「高いやぐら」が隠されているのです。主はへりくだった岩であり、又高い避け所です。即ち主はへりくだった子羊であると同時に、高いところにおられる栄光の主でもあられます。
主はここで何を教えておられるのでしょうか? それは試煉がどんなに激しくてもキリストの内に避け所を見つけなさいということです! 激しい試煉に会う時、あなたは更にイエスに近づき主の岩から蜜を吸うことによって、荒野にいても守られ、養われ、元気づけられてください。人生の逆風は、あなたを疑い、恐れ、不信で一杯にし、苦々しい思いにさせることも出来ます。しかしその反対に、あなたを主の御胸近くに引き寄せ、主の守り、安全、愛という岩壁の下に住まわせることもできるのです。
愛する皆様、どうか「いのち」 を選びとってください。岩から蜜を吸うことを選びとってください。 「激しい試煉の中でも言いようもない主の顕在の喜びを私たちは体験することができる。」という真理を、霊の内に深く思い巡らしてください。 すべてが枯れ果てた荒野で何の希望もないように思えるとき、私たちは主の愛の蜜を飲むことができるのです。変化の風が 吹き荒れて自分の力ではもう立っていられないと感じるとき、私たちはキリストの岩の下でゆったりと主に安息することができるのです。
神に委ね、明け渡し、そして飲んでください。主の御ことばを信じて吸ってください。主の約束に安息して、恐れ、疑い、不信を解き放つことを学ぶならば、主はすべての悲劇を勝利へと変えてくださるでしょう。これは岩のように堅い真理です。
愛する皆さん、天においても地においても、神が知らないうちに起こってしまうことなどありません!神は常に愛と情熱をもって私たちの人生に関与しておられます。私たちがそのことに気がつかない時でもです。すべての希望が消え失せたと思えるときでもです。神の栄光が最も明るく輝き出るのは真っ暗な真夜中なのです。(終わり)
07 08月
年齢、性別とは関係ない
2011年7月19日、コロラド・スプリングでの聖霊による預言訓練学校での集まりにおいて与えられた預言
アイリーン・フィッシャー
主は言われます。「わたしは人々を高みに挙げようとしています。わたしはリーダーたちに新鮮な風を吹き込もうとしています。それは、わたしにぴったりと着いて離れないリーダー、わたしをはっきり宣言するリーダー、わたしに従うリーダー、わたしの御霊の働きをよりすばらしいものにするリーダー、わたしの栄光を歌い踊りながら現わすリーダーたちです。あなたは『ヨシュアの時』が現れるのを見ることができます。それは年齢や性別と何の関係もありません。それは御霊によって大胆に勇敢に神の栄光をあらわす者たちなのです。
わたしは今夜、あなたの手に新しい槍をもたせます。真理の槍、悟りの槍です。わたしはあなたを、わたしの言葉を知りその力を実質的に使えるようにします。それによって、わたしがあなたの霊の中にダウンロードしたものをあなたは実際に用いるのです。戦いはあちこちに、そして内と外にあります。わたしは言います。今はわたしのリーダーたちがわたしの声を見分けてしっかりと聞く場所に落ち着かせる時です。わたしは彼らが霊的な静まりの中でわたしの力を引き出すことを学んでほしいのです。
わたしは彼らをあの宴会の食卓に着かせました。あの食卓は敵(あなたとわたしの敵)の前にずっと備えられてきました。しかしわたしが備えたのはあなたが滋養分をとる所です。この食卓の上にあるのはわたしの言葉です。わたしの言葉のマナです。わたしはあなたがわたしの言葉のマナをむさぼり食べるようにあなたを招くのです。敵が来たときは、ただ敵にそのマナをほどこしなさい。敵はそのマナにぞっとするでしょう。それは天から送られてきたもので、天国の香りを放つでしょう。シャロンのバラの香りです。
あなたは自由を知るようになる
あなたがたのうち多くの者は、今まで荒野にいたことをわたしは知っています。多くの者は谷間にいましたが、それは自分が選択して決めた場所ではありませんでした。 様々な状況、人々、又地位ポジションに、敵が無理矢理あなたを追いやったような低い場所でした。そこは御馳走を食べる高い場所ではなく、自分の傷を見つめ痛むところに触れ、傷ついたことを思い出させて、その傷の痛みを再び感じさせるような低い場所でした。わたしは癒し、更に癒し、又癒し、何度も癒して来ました。今わたしはあなたのやって来たことを変えたいのです。わたしはあなたの傷ついた痕跡をすべて、わたしの血潮の中に飲み込んで何もないようにしたいのです。
あなたの傷を完全に取り払う過程において、わたしはあなたを訓練し、効果的に、ずっと効果的に戦う方法を教えます。それは気球がホット・エアーで満たされ、膨れ上がった時に出すような(肉的なさまざまの)声ではありません。それは権威ある声、宣言する声であり、わたしの霊、わたしの父、そしてわたしと共にマナを食べた者が聞く声なのです。わたしの声がするとき、それらの声は天から送られて来ます。わたしがそうであったように、あなたも父から遣わされる者となるでしょう。なぜならばあなたはぶどう園を監督するシーズンに入っているからです。ぶどう園とは、わたしが来て新しい種をまくぶどう園であり、新しい種とは露で湿らされた新鮮な種であり、露とはわたしの霊の油注ぎによって生まれるものです。
あなたは蒔かなかったところから刈り取る準備をしなさい。あなたの知らないところへ遣わされる備えをしなさい。まさに走りだそうとかかとを上げて勢いこんでいる時に、じっと立ち止まる備えをしなさい。わたしの霊のささやきと吐息を聞く備えをしなさい。わたしを知ることができるように祈りなさい。わたしのこころ、わたしの霊、そしてわたしの計画を知るために。わたし自らあなたに誓います。これよりも偉大なことはないのです。あなたは解放され、自由、真の自由を知るようになります。なぜならば、わたしは監督する者、世話をし助ける者を立て上げようとしているのです。そしてなによりもわたしの御国のために戦い、しかもわたしの臨在の中、わたしの前では、常に霊的自由を持っている、そのような自由のために戦う戦士をわたしは立て上げようとしているのです。」と主なる神は言われる。イエスの名によって。アーメン
Eileen Fisher
Eileen Fisher Ministries
Email: eileen@eileenfisher.org
29 07月
2011年6月28日にフロリダ州ロングウッドの集会で与えられた預言
マーク・チロンナ
「戦車の前を走っていた者にわたしは再び力を与える」
主の御ことば「今は移行と変化の時です。わたしはわたしの臨在とわたしの霊を送り、わたしの民を再びその息吹に触れさせることによって、彼らを新鮮で生き生きと活気に満ちた次元へと伴います。今の日々をわたしは何にたとえましょうか? エリヤが疲労困憊した時に彼がした旅のことを思い出してください。それは彼がバールとアシュラの勢力を打ち破り、天から火を呼び、わたしの命令によって天を開き、雨を降らせ、大いなる勝利を勝ち取った直後のことでした。
戦車より早く走った後に、彼はイザベルとその悪霊どもから脅かされ、一人になり意気消沈してしまいました。わたしには今まで立派に走っていた沢山の息子、娘たちがいます。彼らは、暗闇の勢力が自分に襲ってきて「これ以上お前が前進するならば、ただではおかないぞ」と脅かされることなど予想もしていませんでした。
しかし、わたしは戦車の前を走っていた者たちに、わたしのメッセンジャーであるエリヤに与えたのと同じように新しい力を与えようとしています。エリヤが疲れ果てたときにわたしが天使を遣わしパン菓子を与えました。それによって、彼が 最初にわたしと出会った場所に着くまでの40日間、旅を続ける体力を彼は得ることができました。そして以前わたしがわたしの栄光を表したホレブ山にわたしは彼を連れ戻しました。それは、わたしがわたしのしもべモーセにしたと同じように、エリヤが土台とすべき啓示によって生きる人生へと彼を連れ戻そうとしたのです。
進め、上に前に
今は移行のシーズンであり、わたしは新しい次元、わたしの御霊による新しい啓示的次元をもたらします。あなたは今、天使のパンを食べ、それによってわたしはあなたを支え励まします。なぜならば、次のレベルの啓示的場所に到達するための旅があなたを待っているからです。そのレベルとは次の世代を建て上げるためのものです。
ですからわたしの民であるあなたは、わたしの言うことよく聞きなさい。今、あなたは分岐点に立ち、倦み疲れたと感じていますが、わたしは尚も前進するようにとあなたを召しています。わたしは尚も追い求めよとあなたを召しています。しかしあなたはまず一つのことをせねばなりません。あなたの旅の荷物をほどいて、 あなたの旅には最早必要でないものを捨てなさい。そしてもう一度少しの物で旅支度をしなさい。あなたの荷物が軽ければ軽いほど、あなたの足は早くなり、荷物を少なくすると、あなたのかかとに風が吹いてきて、地上の勢力やあなたを引きずりおろそうとする力の領域を越えて、風があなたを高く持ち上げるのを感じるでしょう。
あなたは足取りも軽く、 あたかも天空を駆けるように 天使の栄光の素早さをもって走るでしょう。なぜならば、わたしは次の世代へのわたしの 約束を新しくする準備をしていて、そのためにわたしの力を十分に知り味わった世代を必要としているからです。 わたしの力がこれからの時、次世代のために完全に現わされるためです。わたしの栄光とわたしの恵みが具体的に現されることは、 彼らが今まで立派に走って来た者たちと一緒に、 これからのレースを走り抜くために不可欠だからです。
あなたがゴールに到達するのを暗闇の力にくじけさせてはいけません。あなたの進むべき方向はただ一つです。それは上へ前へと進み続けることです。すぐそこに必要なものの備えがあります。あなたが荷物を作り直すならば、速度が増し加わり、わたしの力と栄光の顕れに対する新鮮な飢え渇きが又起こるでしょう。」
聖霊の新しい風が来ようとしている
神がキリストのからだに何かを言われるのを私は聞きました。それは私たち民全体に言っておられました。 「キリストの栄光と力が地上で新たに顕されるように」と必死で願う叫びが天で起こっています。主はこの街がキリストの栄光と力を見る必要があることを知っておられます。もし今まで懸命に走っていたならば、 あなたの身体は疲れを覚えているでしょうが、それでも止まらないで頑張って走り続けねばなりません。確かに神は私たちをある場所まで連れて行きたいのです。ですから、今夜全員がここに集まってはいませんが、全員のために神の御言葉をしっかり受け取って「父よ、私たちは荷物を作り直して、少ない荷物で旅をします」と申し上げましょう。
なぜならば、これからは私たちが今までやってきたことに基ずくのではなく、これから向かって行く場所に標準を定め直した新しい方向性(と目標)を持った家(教会)になることによって、今までよりももっとすばらしいことが起こるからです。
必ず聖霊の新しい風が吹いて来ると確信してください。それは間もなくです。なぜならば私たちは新しいペンテコステに突入したのであり、神はご自分の風を強く吹かせようとしておられ、その風であなたをくじけさせようとする敵を、籾殻が麦から吹き飛ばされるように吹き飛ばします。あなたが置かれているのがマーケットプレイスであれミーティングプレイスであれ、元気を出してください。あなたの召しにふさわしい油注ぎが与えられ、新しい風が来ようとしているのですから。
今は止めてしまう時ではありません! 神の目的に必要でないものを荷物から取り出し、必要なものだけを入れ直す時です。なぜならば今からあなたが行く場所では、ここまで来るのに必要であった多くのものは最早必要ではないからです。あなたに必要なことは、神の山に登って岩の裂け目を見つけることであり、そこで神の栄光があなたの前を通り過ぎ、次の任務のための計画や指示が与えられるのです。(終わり)
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