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28 10月

モーニングスター・ハーベスト・コンファレンスに於ける リック・ジョイナー師のメッセージの要約(先週よりの続き)    2012年10月28日


モーニングスター・ハーベスト・コンファレンスに於ける

リック・ジョイナー師のメッセージの要約(先週よりの続き)

 

 

リック師は続けて語ります。「間も無く岸に近づき始める津波が大きな波を立ち上げようとしております。しかし、今私に聞こえて来る主からのメッセージは、私たちの準備が整っていないと言う警告です。

 

次の波はアメリカにも西ヨーロッパにも来ますが、史上最大のリバイバルがロシヤにやって来ます。一番純粋な形で来るのがキューバです。私は夢の中で見ました。キューバ中の一人残らずすべての人がイエスを愛し、一日中皆イエスのことしか話をしていないのです。そのキューバからロシヤに火が飛んで歴史上未曾有のリバイバルとなります。主はこれらの(共産)国を見捨てられたのではない、これからです。中国に火が付きます。主は本当に中国人を愛しているので、一番多く造られた(笑い)主はアジアの国々を本当に愛しています。韓国もそうです。私が世界を旅してどこに行っても韓国人に出会います。彼らはとにかく祈って欲しい、油注ぎの按手を望みます。彼らは世界で最も熱烈な人たちでしょう、地球中に主の力をふりまいています。

そして中東の国々―全く信じられないようなリバイバルが今起りつつあります。具体的なことは言うことを差し控えますが、既に神による最も偉大なムーブメントが今イスラム圏の中で起っているのです。過激派と言われる人たちの中にも主を熱心に愛する人たちが出て来て、彼らほど主に飢え渇き、主を知りたいと願い、主に従うことを欲する人たちを見たことがありません。神は彼らの前にご自身をお顕しになられるでしょう。最も偉大な使徒たちがイスラムから出てくると信じます。それからイスラエルからも。終りの日に、イスラエルにもリバイバルが起こることが聖書に書かれています。イザヤ19:19-25が未だ成就していません。」(ご参照下さい。)

 

 

愛・信仰・真理

 

リック師はここでクリスチャンがどのように霊的に準備されなければならないかと言う、今回のコンファレンスの重要なテーマに触れます。

リック師「先程から強調して来た、クリスチャンが『さらに大きなわざを行なう』ためには三つの鍵があります。それは私たちが、『愛』と『信仰』と『真理』に深く根ざし、しっかりと地下に大きな根を張ることです。しかもこの三つが一つに合わさって働く時に一番強いのです。信仰は愛によって働くと言いませんか?私たちは真理を愛さねばならないとも言われます。どんなに大きな信仰があっても愛がなければ何の値打ちもないと1コリント13章に書いてあります。しかも私たちの愛は毎日増して行かねばやがて失うのです。信仰が成長し増して行かねば失うのです。真理も同じ、私たちの真理への愛が増してゆかねばやはり失うと思います。聖書で樫の木は義の木です。その樫の木は地上で巨大に成長しますが、同じ大きさだけ地下に根を張ると言われます。私たちの愛と信仰と真理への根はどれだけ深いでしょうか。

 

私たちクリスチャンは皆、この世のことに捕らわれ、人によっては何十年も、この霊的成長を置き去りにして漂流して来ました。しかし哀れみ深い主がやって来られるのです。主にとっては一日は千年、千年は一日です。私たちが無駄に漂流して来た長い年月を主が短期間に取り返して下さるのです。主にお任せすれば主がすばやく取り戻して下さいます。しかしそれには心からの悔い改めが必要です。CSルイスが言いましたが、一旦道を間違えたらその道は正しい道に代わることはない。従って必ず曲がり間違えた所まで戻ってそこからやり直さねばならない。それが悔い改めです。私たちが正しい道を進むなら、その道は明るい光に照らされ、その輝きが増して行きます。

 

 

主は単なる改心者ではなく弟子をつくれと命令された

 

私たちは多くのクリスチャンを、真の救いに導く代わりに霊的に未熟で自己中心のままで放置して来ました。そのような教会指導を今ストップする時です。私たちは福音を曲げてしまいました。主の宣教命令は『すべての民を弟子にしなさい。そしてあなたがたに命じたすべてを守るように教えなさい。』です。クリスチャンは皆自分の十字架を負ってイエスだけを追う人のことです。

私はこのことを言い過ぎるほど言って来ましたが、アメリカのボーンアゲイン・クリスチャンを自称する人の僅か6%の人だけが聖書に書かれた生き方をしています。すなわち真のキリストの弟子と呼ばれるに値する人です。その人たちは主イエスのようになることを目標として生きる人です。

本当にアメリカで今クリスチャンが何を信じているかを知って驚きました。アメリカのエバンジェリカル・クリスチャンは世界で最も強固なクリスチャンであると信じていたら、最近の調査結果で分ったことは、彼らは非常に弱いクリスチャンであることです。一例ですが、今の若いアメリカのクリスチャンのほとんどが結婚前の性交が悪いとは思っていません。そのように教えられていないのです。他のことも押して知るべしですが、その他のこととはロマ書6:19に書かれているような不法の中で生きることです。不法がはびこると愛が冷たくなることは既に述べた通りです。身体の欲望のままに生きること、不純さが不法を招きます。私たちクリスチャンにとって最悪の状態は『愛が冷えること』です。これだけは我慢することが出来ません。

主は勿論『なまぬるいこと』すら好まれません。それに劣らず悪いのは『無関心であること』―これほど人間関係において相手を侮辱することはないでしょう。この二つになる位なら人と大喧嘩したり、明らかに冷たい態度を取る方がまだましです。主はそのような生ぬるい人を口から吐き出すと言われます。(黙示3:16)クリスチャンにとっての最悪の惑わし(あるいは思い違い)はこの『生ぬるさ』においてです。全知全能で、すべてを焼き尽くす火である神に対して、クリスチャンが生ぬるい、あるいは無関心な態度を取ることが一体あり得るでしょうか。私には考えられません。冷たくなるには、生ぬるい状態を通ってなります。愛が冷えるのは『貪欲』からと言われますが、それは色欲だけでなく名誉、権力、お金等様々な貪欲を含みます。私たちは生ぬるさに対して徹底的に悔い改めねばなりません。

今の時代はかなり有名な説教者の中にも、イエスが十字架にかかったのだから、私たちは何をしてもその罪は既に赦されている、と言うようなことを平気で言う人がおります。それは新約聖書に対する究極の欺瞞であり、イエスの流された血を足で踏みにじることになるのです。罪を犯せばどんなことであってもそれは罪です。私たちは罪を全く犯さない訳ではありません。しかしその度に心から悔い改めれば七度転んでも又立ち直れる、それが義です。主は私に、『わたしは、あなたが罪を犯して転ぶことを悲しむ以上に、あなたが悔い改めて起き上がることを喜ぶ』とおっしゃいました。主は私たちが罪を犯して言い訳することは赦されませんが、私たちがそれを心から悔い改めればその罪を赦して下さるのです。人々が罪を犯すことをOKするようになることがその国を(滅びへと)堕落させます。

イザヤ書5章にあるように、今のアメリカは悪を善と呼び善を悪と言い、不名誉な人間を名誉と崇め、名誉な人たちを不名誉と蔑む国になってしまいました。ホモ・セクシャルをはっきり罪であると言い切り、しかし、その人たちを神が愛するように愛し、はっきりと罪であると説いて分らせ、その人たちを罪から開放するのが私たちの彼らに対する愛ではありませんか。私たちは神に同意するのか、それともヒューマニズム・人間に迎合するのか、この際はっきりしなければなりません。私たちは、パウロが言うように、自分に属する者ではなく神に属する者、四六時中神に忠実に仕えるしもべbond servantであるはずです。クリスチャンは本来、主の弟子であり、その数は非常に少ないと言いましたが、真の忠実なしもべとして生きている人はもっと少ないでしょう。それは過激的に違うライフ・スタイルを生きる人たちのことです。真の忠実な主のしもべだけが、終りの時代に獣の名の刻印を受けない人です。キリストの弟子は自分の十字架を担いでひたすら主に従う人たち―それがクリスチャンの基本であるはずです。

これは主から言われたことですが、ほとんどのクリスチャンは自分の考えとか都合で、例えば良い仕事があるからと言う理由で自分の住むところを勝手に決めているが、その結果、ほとんどの人は主の御心の地理的な場所に住んでいないのです。主は、先ず第一に神の国とその義を求めよと言われるように、私たちはどこに住むかについても第一に主の御心を聞くべきです。私はこの20年の間に、多くの人が、私の近くに自分に合う良い教会がないとこぼすのを聞いて来ました。それは主の御心の場所に住んでいないからです。

 

 

神の国がやって来る

 

王がやって来ます。私たちは主を迎える準備をしなければなりません。そのために私たちは今生かされているのです。これからの数年間に多くのことをしなければなりません。私は前に救いの福音が曲げられて語られていることに触れましたが、この『王国の福音』については第一世紀以来語られていないと私は信じます。神の国の福音とは良い知らせです。世が終わるのではなく、世のすべてのものが新しく生まれ変わるのです。

パウロは使徒行伝14:22で『私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。』と言いましたが、主に感謝します。艱難な時がいよいよやって来るのです。霊的に成熟した人は艱難が来ることに興奮します。ヤコブは艱難・試練を『この上もない喜びと思いなさい。』と言います。信仰が試されることは金や銀より尊いのです。しかし人々はそれに耳を貸す代わりにもっと耳あたりのよいことだけを聞こうとします。

成熟した人は期待が膨らみます。困難と試練が来る度にそれが王国への門戸となるからです。史上最大の艱難が来る時に地球全体が神の王国に入るのです。完全なる勝利で終結します。主が来られて王国があるべき姿に回復されます。苦しみも飢えも、争いも悲しみも、宗教もユートピアのような哲学もなくなります。それは良い知らせであり、悪い知らせではありません。

 

良い知らせと言えば、主は裁くために来られることです。主は正しく裁く方です。もしクリスチャンが裁きは欲しくない、代わりにあわれみを欲しいと言えば、その人は未だ成熟していないベイビーです。なぜなら神のあわれみは、正当な裁き(正義)に基ずくものであるからです。イエス・キリストは私たちが犯した罪を誹謗するサタンに対して、天の法廷で、自らがその罪の代価を払ったのでその人は無罪であると主張し、私たちを弁護してくれる方です。私たちがしなければならないことは罪を犯したことに対して悔い改めることです。このステップを省略することは出来ません。そうすればすべての罪が赦されます。それが正当に裁かれる裁きjusticeです。

 

多くの教師は間違った教義で、クリスチャンの『古い人』を何とかよくしようとしていますが、神はそうではありません。神は、古い人をよくしようとするのではなく、殺そうとしています。私たちは既にこの世に死んだ者であって主に生きている者です。私たちは自らの十字架に着いて死んだのです。死んだ人間が自分に問題があるからと言ってぶつぶつ不平を言うでしょうか。

旧約の時代のイスラエルの祭司たちは、癒されていない傷を持つことは出来ませんでした。クリスチャンは祭司に相当するはずですが、ほとんどのクリスチャンは失格です。なぜなら癒されていない傷―すなわち人を赦さない、裁いている、苦々しく思い、心のどこかに遺恨が残っている―と言う『未だ癒されてない傷』を持っているからです。

クリスチャンの基本は『人を赦す』ことにあります。たとえ人に傷つけられても、それにくよくよせず、相手をはやく赦して忘れ、相手を恨んではなりません。イエス・キリストはご自分を苦しめ十字架にかけた人々に対して『父よ、彼らをお赦し下さい。』と乞い願ったのです。考えてみて下さい。その方に私たちは似なければならないはずなのです。(コロサイ1:9-11をお読み下さい。)

 

キリストのからだは今年一つになり始めます。今までにはなかったことが始まるのです。それも私たちとは非常に違う信仰とか教義を持つ人たちと一つになるのです。と言っても勿論、私たちは基本を正しく持たねばなりません。しかし、主はそのような人たちをも愛しておられます。

ですから、丁度主をお迎えして歓待するように、その人たちをも愛をもって暖かく迎え入れねばならない、そのような時が来ます。皆さん、信じられないかもしれませんが、今年からキリストの弟子たちは愛で知られるようになります。クリスチャンが本当に愛し合うことが始まるのです。それを現実に見た世の中の人がショックを受け、イエス・キリストは本当だと驚くのです。このようなことは王の王だけが出来ることです。

 

私は(幻で)百人位の教会が、毎週千人の新しい信者を増し加えて行くのを見ました。このことは昨年のハーベスト・コンファレンスでもお分かちしましたが、私たちは今こそ準備が出来ていなければなりません。

主はアメリカに50万人のリーダーを必要とすると言われました。彼らが基本的なハーベスターになります。その人たちのほとんどがホームグループの指導者になり、彼らがエペソの4:12『それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるため・・・』を成就するのです。主は神の『ホーム』をアメリカ中に立ち上げます。小さな教会、家の教会がこれからの教会の顔になるのです。私は一方でメガ・チャーチが週に百人の信者を加えるのを見ました。そこで私は主に、小さな教会が週に千人加えるのにどうして大きな教会が僅か百人なのかと聞きました。主はその理由を、大きな教会はプログラムを設定するが、小さな教会はプログラムの替わりに人を投入するので、彼らの方がより多くの人に対応出来るようになるからであると答えられました。勿論神は大きな教会も用いられます。しかし小さなホーム教会の方がもっと多くの人をもっと速く刈り取ると言われたのです。となれば私たちには、しなければならない多くの仕事が待っています。第一、魚をとって来たらその魚をきれいに洗わなければなりません。主は主の弟子にしなさいと言われ、単にキャッチして来るだけではいけない。主のすべての命令を彼らに教えて実行させねばならないのです。

 

これをするためにアメリカで50万人のリーダーを立て上げ整えなければなりません。そして救われてくる人たちに正しい教義を教え、すべてのしばりと捕らわれから開放し、病を癒し、その上で、彼ら自身が主によって用いるために必要な教育と準備を整えます。こうして救われて来た人たちが、僅か1-2年の訓練の後に、全く信じられないようなクリスチャンに整えられるのです。そうでなければ毎週救われる千人の新しい信者に充分な対応は出来ません。

マルコム・グラドウエルの『ティッピング・ポイント』と言う本に書いてありましたが、ほんの僅かな人間、例えば100人の過激的な影響力のある人たちによって百万人のカルチャーを変えることが出来るそうです。イエス・キリストは12人の弟子を選んでこの世を変えられるのですから、リバイバルの大変革を起こすのにそんなに多くの人が必要ではないのです。

 

これから来るリバイバルでは人をキャッチする大網を必要とします。会場の後ろの壁にかけてあるのはペテロの網です。ボブ・ジョーンズ師がある夜、ペテロの網に大きな石が引っかかった夢を見ました。私は彼と一緒にボートに乗っていて、ボブの助けによって私がその石を取り除きました。ある夜の集会でボブと私がステージの上でその話をしていた時に、ある男性が一つの網を持ってステージに近づき、これがその(主からの)網だと言ってくれたのです。彼は主から示されて、フロリダからその大網を買い、主がこうこう、こう言う人に渡せと言われた通りにここに持って来たと言うのです。それは広げると円形になる網としては一番大きな投げ網です。これから来るリバイバルでは多くの人たちがこのような大網を使って多くの魚をキャッチしなさいと言う主からのメッセージです。

いよいよそのハーベストの時です。その網にはよい魚以外の色々なものが今まで引っかかって妨げていましたが、それを今取り除き、魚を捕る大きな網の用意も出来ました。

 

南アフリカのアンガス・バッキングのことをお聞きになったかと思いますが、彼は南アフリカで史上最大と言われる旱魃に襲われた時、主に示されて、からからに渇いている畑にポテトを植えました。しかし神は雨を降らされたのではありませんでした。ポテトが育つには大量の水が必要です。ですからこれは全くクレイジーな話です。しかし、収穫する時が来て、彼が掘ってみると地の中にはものすごい数の見事に育った大きなポテトが実っていたのです。

同じようなことがスイスでも起りました。私たちに親しい人がスイスでミニストリーをしているのですが、その人の息子のアンドレヤがある時農夫中心のコンファレンスを持ちました。二百人も来れば良いと思っていた集会に千五百から千八百人人もの人が集まり、ほとんどの人が未信者でしたが救われたのです。それがきっかけとなって神のムーブメントが始まりました。アンドレヤは彼らに地を祝福することを教え、その結果、彼らが植えたポテトは30cmもあるような巨大なポテトに育ち、それがニュースで報道されました。しかしそんな大きなポテトをパッケージにして売ることを中間業者が拒否したので、やむなく農夫たちは自ら直売方式で販売し、思わぬ多くの利益を上げました。その後、その地方に大きな嵐が来て、農産物に多大の被害が及びましたが、地を祝福することを知った農夫たちの中には、その嵐に向かって叱責する者がおり、その祈りの結果、そこの人たちの農地だけは嵐が避けて襲わず、作物は無事でした。

神は偉大な奇跡をされる方です。今神はめざましい奇跡をなさって人々の注目を集めています。農地を耕すことは、神の人間に対する第一の命令でした。神は人間が地を耕し、信仰を耕すことを教えています。畑は単に種を蒔けばことが済むものではありません。耕したり、水をまいたり、雑草を取ったり、常に手入れが必要です。私たちの信仰も、そして愛も、同じように耕す必要があります。ハーベストすなわち収穫は農業を物語っています。麦の刈入れの大収穫の時が迫っています。これからの数年、誰も経験したことのないような収穫が始まるのです。

 

私は今までに聖書に出てくる使徒たちに夢の中で出会いましたが、パウロとも話をしたことがあります。そんな人たちに会って話が出来るのですから私は興奮しました。しかし、相手の人たちも私に会って、私以上に興奮したのです。それは私が偉いからではなく、私が終りの時代に生きている人間であるからです。彼らは種を蒔きましたが、それが大きく成熟して最後の刈り入れの時を見てはいません。ですから彼らは私たちに会うことに、私たちが彼らに会いたい以上に大きな興味を持っているのです。

皆さんは、私たちが今の終りの時代に生かされていて、考えられないような機会を与えられていることがどれほどの特権であり、名誉なことであるかに気がついておられないと思います。

その時が今来ています。この地球上で神の最大のムーブメントがなされる時が近づいています。私たちはそのためにいるのです。すべての試練と苦難が、私たちが最後の時を迎える用意をしてくれました。今こそ私たちは王国に入り、王国を必要としている人たちに、そのよい知らせを説く時です。」(終り)

訳者あとがき

リック・ジョイナー師のメッセージは以上ですが、その内容はとても深く、又現在のクリスチャンにとって最も必要でかつ厳しいメッセージであると思います。私の拙い翻訳文のせいで、実際に語られたリック師の上に溢れるように注がれた主からの油注ぎを充分にお伝え出来なくて残念です。訳者としての私の願いは、皆様、このような長い文章ではありますが、どうぞ通り一遍に通読されるだけでなく、必要なだけ内容を丁寧に噛みしめて、霊的に充分把握された上で、得るものを得ていただきたいことです。日本にも主の大きなリバイバルが間も無くやって来ることを信じます。皆様がそれぞれ主から委ねられた地で主によって大きく用いられますよう、心からお祈り致します。主に感謝します。― 坂 達也


23 10月

モーニングスター・ハーベスト・コンファレンスに於けるリック・ジョイナー師のメッセージの要約 2012年10月23日


モーニングスター・ハーベスト・コンファレンスに於ける

リック・ジョイナー師のメッセージの要約

 

例年秋に行なわれるこのハーベスト・コンファレンスは、モーニングスター・ミニストリー(以下略してMSM)の中で最も重要なミニストリーの一つと言えますが、今年は特別の意味を持つ記念すべきコンファレンスとなりました。

1987年にリック・ジョイナー師は、主から受けたビジョンを著書にした「ハーベスト」を発表しましたが、これは終末のリバイバルに関する大変重要な預言の本です。リバイバルを語る者にとって、この本は必読の書であると申し上げてはばかりません。その本が出版されてから今年で25年になりますので、師はその後に受けた重要な新しいビジョン等を書き加えて、今回のコンフェレンスに際して「25周年記念」としての改訂版が出版されました。

 

そして、今回のコンファレンスの初日(10月4日)朝の開会にあたって、リック・ジョイナー師は大会のキー・ノート・スピーチとして約100分という長いメッセージを熱烈に語られました。テーマは「これからの終末に何が起こるか」そして「クリスチャンがそれにどのように備えられねばならないか」という二点に焦点を当てた画期的なメッセージでした。以降、インターネットで同時中継されたメッセージの速記メモから要点をまとめてご報告させていただきます。(坂 達也)

 

 

主から受けた二つのビジョン/夢と、その前に経験したそれぞれ7年の荒野の試練

 

師は最初にこの本を書くに至った経緯を次のように説明します。「私がこの本を書く前の7年間は、主からほとんど何も預言的啓示がない主の沈黙の時期(預言的荒野)を過ごしました。私は、主は最早一生私に何も語られないかとすら思いました。しかしその7年が終わったその日に、主は過去7年分を一度にまとめて語られたかのように、二日半にわたって、パノラマのような、めざましい(預言的な)幻を私に見せて下さいました。それを私は6ページほどの手紙に書いて、約二百人の親しい人たちに送ったのですが、それからの30日間に、その内容がその人たちによって世界中に伝えられ、一気に世界に広まったと多くの人が言います。それは未だインターネットのない時代でした。」その後に、MSMから「ハーベスト」が出版されました。

 

処でその「預言的沈黙の7年間」に関してリック師は「私は全然それで悩むことはありませんでした。この期間は主を求め、根を深く掘り下げて学び、主をよりよく知るために(主が与えて下さった)とても大切な時となった。」と言います。主を真剣に求める人は誰しも、荒野を歩む経験をさせられます。それはその人の霊的成熟にとって欠くべからざる貴重な機会であり、主に用いられるための準備の時でもあります。リック師は「荒野の経験」の大切さをこのように語りました。

 

預言を受けたのは1987年、そして二年後ぐらいから始まった世界的なリバイバルは、それから25年経ちましたが、この間「ハーベスト」に書かれていることの2/3から3/4は既に成就し、残りの部分は今成就しつつあると師は言います。そして「このところ二度目の7年間の預言的荒野の期間に入っていたのですが、実は昨夜預言的夢を受けたので、この預言のない二回目の7年の期間は終わった。」と宣言されました。

師はこう語ります。「主は『最初の7年の後にあなたにハーベスト(収穫)のビジョンを見せたが、今回の7年間が終った後に、あなた自身がハーベストそのものを実際に見るようになる。そのしるしを2012年に見る。』と言われたのです。従って私たちは、今までに起ったことのない、又これからも起らないほどの歴史上最大のリバイバルの時にいよいよこれから入ろうとしているのです。私は主に大変励まされました。」

 

「ハーベスト」には大きなリバイバルの波が二度やって来ることが書かれています。リック師は言います。「最初の大波は既にやって来ました。それが始まってから(1989年頃)の16年間に救われた人数は、1世紀最初のペンテコストの時からこの第一の大波が始まるまでの間に救われた人の数を上回る。この間ピーク時には1日平均475,000人が救われました。その多くの救いの業はアメリカとか西部ヨーロッパではなく、主に中南米、アジア、アフリカと東ヨーロッパで起りました。しかしその後少しスローな時に入り、この期間は一日275,000人程度でした。それでもクリスチャニテイーは世界でどの宗教よりも救われる人数の伸び率が一番早いのです。

そして次に来る津波のような大波、それは第一の波よりはるかに大きいのですが、それが来る時は、アメリカと西ヨーロッパを含む全世界にそのリバイバルの最後の大波が押し寄せます。

言ってみれば、第一の波ではこの第二の大波のためのハーベスターとなる人たちが救われ、第二の大波に向かって準備される時期となります。それは丁度津波が来る前兆は海の水が引き始めるのに似ています。その時は潮の引いた海の地に留まるのではなく、高いところに避難しなければならないように、今私たちは高台で時を過ごす時に入っているのです。なぜかと言えば、クリスチャンは第二の大波を迎え受ける準備が出来てないからです。

私たちは既に天のキリストの傍に座しているはずです。しかしほとんどのクリスチャンは、そのことを教義doctrine(頭の知識)としては信じていても、実際に信仰でそのように生きてはいません。真にキリストと共に行動する経験的な信仰の準備が出来ていなければ、津波が来ても大波に流されてしまうだけです。今こそクリスチャンは高いところに退いて、主とのより深い交わりを通して、霊的成長を果たす時です。」と強調されました。

 

 

二つの預言的な夢

 

 主は夢の中でリック師に、最後の時代にはヨハネ14:12「・・・わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。・・・」と言われたことが文字通り実現すると語られました。

 師は、それに関する最初の夢を1990年にオーストラリヤのパースで見ました。主は夢の中で「ペテロは水の上を歩いたのではない。わたしの言葉の上を歩いたのである。わたしの言葉には水よりも大きな実質(硬さ)がある。わたしはペテロに『来なさい』と命令し、ペテロはわたしの言葉に従って歩いた。」と言われました。そして、主はリック師を叱責して「あなたは人に、あなたたちは山に命令して少しずつシャベルで土を動かして山を移すこともできる、と教えたが、それは間違いである。最後の時代には多くの人が言葉で命令して、聖書に書かれているように山を文字通り海まで動かす時が来る。それは、わたしの言葉が真実であることをあなたたちが実証するためである。」と言われたそうです。

 

更にリック師は、今年の7月にもう一つの夢を主から与えられました。その中で主は「この世のすべての自然法則を超越出来る権威と、すべての病を癒す権威をあなたに与えるので、そのような王国の権威と力によって真の神の国の福音を説きなさい」と言われたそうです。

リック師は語ります。「福音は世界中で説かねばなりません。しかし使徒たちが説いた1世紀以来、真の福音は語られて来なかったというのが私の意見です。救いの福音ですら、本来の純粋さがなく混ぜものになっています。『キリストが私たちを罪から救ってくれる』という本来の福音ではなく、今の時代は『キリストが私たちを人生の問題、トラブルから救い出してくれる』というようにイージーゴーイングに曲解して説きます。本当は『キリストは私たちにトラブルを与えに来られた』のです。ある(正直な)説教者は『キリストの元に来なさい。キリストはあなたの人生を難破させるでしょう。』と言いましたが、この厳しい言葉の方が、現在の多くの説教者たちがしている、人の耳をくすぐるような堕落した説教より余程真実をついていると思います。パウロがテモテの手紙で厳しく言うように、終末の時代のクリスチャン・メッセージは堕落し人をまどわすものとなり、それが平然と通るような世代と成りつつあります。今の多くのクリスチャンは、主イエスとかパウロが語る厳しい福音の説教とか、ネガティブなメッセージを聞けなくなっています。それは新約聖書を明らかに否定するものです。まさに私が何度も引用するイザヤ書60の最初に書かれているような『やみが地をおおう』状態になっています。主は終末の時代にはほとんどの人(クリスチャンを含め)の愛が冷たくなると言われ、その理由は不法がはびこるからであると言われました。(マタイ24:12)その不法の中には、クリスチャンが勝手に自分たちの教義が正しいとして都合の良い人間的な教義を作り出すことも含まれます。既に多くの人の愛が冷えています。多くの人は真に神をワーシップする替わりに、自分のワーシップをワーシップし、自分のミニストリーをワーシップしています。

 

パウロは神のいつくしみときびしさを常に一緒に見なければならないと説きますが、私たちはそうは見ないで、いつくしみだけか、きびしさだけを見てしまいます。私たちはもっと成長、成熟し、常に主と歩み、主にとどまる必要があります。主は私たちの親しい父であり、私たちすべてを愛しておられ、誰一人として敵はいません。私たちは肉に対して戦っているのではありません。主はすべての人が束縛から解放されることを望んでおられます。多くの人が一時は惑わされて堕ちても、そこから回復する人が多いのですから、私は誰一人としてその人の救いを諦めません。

 

クリスチャンはパワーを求めますが、神はむしろ私たちがどれだけの実を実らせるかに注目します。あなたは偉大な奇跡を起こすかもしれませんが、一方でひどい惑わしと堕落の中にいることも出来るのです。その証拠にイエスは「『主よ、主よ、あなたの名によって預言をし、・・・悪霊を追い出し、・・・奇跡をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時わたしは彼らに・・・『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」(マタイ7:22-23)と言われました。

とは言っても確かに私たちはパワーが必要です。しかしその大きな奇跡が起こす、より大きな力が間も無くやって来ます。私たちの神は偉大で無限の力を持っておられる神です。昔の偉大な預言者たちが行なった奇跡、例えば紅海が開くような奇跡を私たちも出来るのです。いや、それ以上の奇跡を行なうようになると主は言われます。私たち天に国籍を持つ者、霊の領域に住む者にとって、そのような奇跡を行なうのがノーマルで標準的クリスチャンであることを忘れてはなりません。なぜなら私たちはより優れた契約を持っているからです。(2コリント3:6-18を参照下さい。)

 

そして、主は終りの日に私たちすべての人に主の霊を注ぐと言われます。(使徒2:17-21)ここで注意していただきたいことは『すべての人』とは、真に主のからだとなったクリスチャンを指していることです。この人たちは主のしもべであると18節に書かれていますから、明らかに主に最も忠実に仕える人たちばかりです。そのような人たちに主が霊を注ぐのですから、みな預言とか幻、夢を見るのは当然です。終りの時においては、それはノーマルな形のクリスチャニティーを表しているに過ぎないと言えます。それに誤解しないでいただきたいのは、ここに書かれているような夢、幻とかの預言は、クリスチャンなら誰にでも自動的に与えられるものではないと言うことです。パウロが言うように、熱心に賜物を求める人に与えられるのです。私は主から特別に大きな預言を与えられるようになりましたが、そうなる前に25年間、熱心にそれを求め続け、その結果として与えられたのです。本当に神を信じ崇めるなら、私たちは心から主に飢え渇き、熱心に主の御ことばを聞くことを求めるはずです。今そうでない人がおられるなら、今からでも遅くありません。熱心に主を求め、欲しい賜物を執拗に願ってください。勿論誰でも25年掛かると言っているのではありません。いずれにせよ終りの時は預言が増えるでしょう。それが終末のしるしであることは確かです。

 

又、そのような人は、約束の賜物を受け取る前に試練の荒野を通されます。しかし、その荒野であなたは最も大きな楽しさが味わえるのです。荒野では神の幕屋が建てられ、民の真ん中に主が一緒に住まわれるからです。そこでこそ主をよく知ることが出来ます。主からすべての必要なものをいただくこととか、主の道を学びます。主が与える荒野を歩むという試練の時を無駄にしないで下さい。そして最後の時は天にしるしが現れ、太陽が暗くなり、月が血に変わるような激しいことが起り、その中を通って主の名を呼び叫ぶ者が救われ、主の大いなる輝きの日が来ます。(使徒2:20)ハーベスト・収穫の時とは、よい実と悪い実―良い麦と毒麦、のどちらもフルに成熟し、そのすべてが刈り取られる、光と闇の究極的な決戦の時です。真実だけが勝利を得、私たちは敗北の状態で終わるのではありません。」

 

以上を語った後に、リック師はボブ・ジョーンズ師が見たベーブルース・キャンデイーの預言に触れます。これに就いて詳しくは先週の私たちの報告をご覧下さい。ここでリック師は、これからの終末に向かって、このMSMからも使徒のチームが世界に派遣され、彼らによってヨハネ14:12の「・・・わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。」が実現することを信じていると言っておりました。

 

 

今、史上最大の津波のようなリバイバルがやって来ようとしている

 

リック師はここで津波のことに触れます。津波は海洋の沖にいれば、それが通ってもほとんど何も感じられないが、陸に接近する時に巨大な波となって押し寄せること。そして既に最大のリバイバルの津波は、今静かに海の中を時速800キロの速さで走り、陸に近づいていると説明しました。しかし、その兆候は顕れていること、その一つの例として昨年アメリカのプロフットボールで最大の話題をさらったティム・テボーのことに触れました。彼はクウォーター・バックですが、何かにつけて賛美すべきことが起こると、片膝ついて天に神を仰ぎ称えました。彼は目の下にヨハネ3:16を書きたいと願い出ましたが、NFL連盟はそれを許可しませんでした。そこで主は、プレイ・オフで彼が投げた距離の合計が316フィートにしたり、その他あまりにも多くのことで316の数字が彼によって示されたので、多くの知らない人がヨハネ3:16とは何のことなのかといぶかったのです。そしてプレイ・オフの試合が終わった後の三日間で、何と、グーグル・サーチに七千万回、「ヨハネ3:16とは何か」がヒットされたそうです。これは確認された事実ですが、7千万人の人が僅か三日間の間にヨハネの3:16の意味を知ったのです。リック師はこれこそ前代未聞、史上最大の福音宣教の業であると、それをされた主を褒め称えました。師は、これこそ静かにすばやく行なわれたリバイバルの津波の業の一つであると言います。そして師は会場に向かって「皆さん、用意してください。いよいよやって来ます。」と呼びかけました。(続く)


15 10月

新しい年に対する主からの預言 ー ボブ&ボニー・ジョーンズ夫妻とリック・ジョイナー師が座談形式で語る       2012年10月15日


新しい年に対する主からの預言

ボブ&ボニー・ジョーンズ夫妻とリック・ジョイナー師が座談形式で語る

過去数十年に渡り、ボブ・ジョーンズ師はその年の「贖罪の日」(今年は9月25/26日)にその年(ユダヤ暦で始まる新年:すなわち今年は2012年9月16日夕刻から始まる一年間)に関する預言を主から聞いて、それを「シェパード・ロッド」(牧者の杖)という小冊子にまとめて出版して来ました。その本は来月出版されますが、今回、モーニグ・スター・ミニストリーのハーベスト・フェスト・コンファレンス(10月6-8日)で、今年への預言の内容を座談形式で語られましたので、その主な内容を取り急ぎ翻訳してお知らせします。

 

ボブ・ジョーンズ師「過去に二度、主は私に、アメリカのMLB大リーグ野球で誰がワールドシリーズで優勝するかを、前以て預言されました。最初は1985年のカンサス・シティーのチーム、次は95年のアトランタ・ブレーブスが優勝した際で、その時主は、点数まで明確に語られ、その通りに勝ちました。そして今年の優勝者は、チャーチ「教会」であると主は言われました。

教会と言えば、主は私には、めったに地方教会を名指しで語られたことはなく、今までにカンサスシティーのIHOPとレデイング・カリフォルニアのべテル教会の二つだけです。しかし今年、主から幻で見せられたのはモーニング・スター・ミニストリーでした。

 

野球ではベーブ・ルースのような大打者が出て活躍しますが、今年はこのモーニング・スター・ミニストリーから多くの大打者(ヘビー・ヒッター)が出ることを示されたのです。

その幻について詳しく言えば、天ではそれぞれの人のために主が用意された賜物を単に待っていてはいけない、自ら取りに行かねば与えられません。これは大事なことです。幻の中で、私は自分のために用意されている賜物を取りに行ったのですが、私の前にリック(ジョイナー師)が列に並んでいて、彼の受け取った賜物を私は見ました。それは12個のベーブ・ルースのキャンディー・バーでした。12と言う数字はガバーメントを表します。この幻の意味(解釈)は、リックが、モーニング・スター・ミニストリーから今年12人のホームラン・ヒッターをこの世に出すということです。

ベーブ・ルースは廃れかけたアメリカのプロ野球を再興した人で偉大なホームラン打者です。そのルースと同じように、主からの重要な御言葉を取り次いで預言的にホームランを打つヘビーバッターである『使徒』がこの教会から12人出るということです。

 

モーニング・スター・ミニストリーは、今までの7年間、悪魔の攻撃による大変な試練を通って来ました。その主による大剪定を受けた結果『辱められたshame時」が終わり、一度死んで新しい出発の途に就きます。ぶどうの枝は思い切って剪定される時よい実が実るように、恥に代えて二倍の実りを受け取ります。(イザヤ61:7)」

今年は実りの年year of fruit です。それは神への忠実さが実ることを意味します。すなわち、神に忠実な者が実を結ぶ年となります。

 

ベーブ・ルースが出現するまではホームランを打つ人はそれ程多くなく、彼が野球を変えました。彼は英語で言うゲーム・チェンジャーです。ホームランを打つことは自分が得点するだけでなく、塁に出ているすべての者を連れて一緒にホームインします。これは使徒的な働きであり、過去40年間、私は主からそのことを示されて来ましたが、今そのような時が来たのであると信じます。」

 

ジョーンズ夫人「ベーブ・ルースは自分がホームランをこの方向に打つと指差して、その通りに打ったと聞きます。同じようにこれからは、私たちも主からの預言を聞いてそれを公に宣言し、実行するようになるでしょう。ベーブ・ルースがヤンキースタジアムを建てたと同じように、リックがこのモーニング・スター・ミニストリーで、特にこれから女性のミニストリーを建て挙げるでしょう。今年はルツ記の年です。(ベーブ・ルースはルツ記のルツ(ルース)と同じ名前であるのでそれにかけて)ルツは自分のよく知る土地を去って、義母ナオミに付いて行き、そこで近親者の身請人(救世主の型)に出会い、すべて失ったものが復元されました。過去のことを捨てて将来のビジョンで生きる、そのような預言的な女性の働き人が今年からここに集まると信じます。リックはここでの近親身請け人となると思います。」

 

ボブ・ジョーンズ師「幻の中で見た野球の話にもどりますが、主のチームが打つ、確か6回の裏が来て、第一バッターの『愛』が先ず、敵チームの投手サタンが投げる球をヒットして一塁に出て、次のバッターの『信仰』もヒットを打って塁に出ます。今年主は、愛と信仰を特に重視するように言われます。愛に満ちた信仰で自分のすべきことをすべて主から聞き、今年主が私たちにリリース(解き放たれる)ことを私たちが信仰で実行することが大切です。それには義によって自分をコントロールすることが問われます。

三番目のバッターは『神の知恵』で、彼はサタンの投げる球を注意深く選びフォアボールとなって一塁に出て満塁になります。そこでピンチヒッターとして出てくるのが『めぐみ』graceです。サタンは一見何でもなく見える『めぐみ』に気をゆるしたのか好球を投げ、打った球は満塁ホームランとなって全員がホームインします。

神のめぐみの力がなければ私たちはホームインすることは出来ません。今年はめぐみが神の御言葉・預言を成就する年となります。

 

2009年は主の声がよく聞こえず、結局『牧者の杖』を出すことができませんでした。その理由は、私たちが心に怒りを持つ時に主のみ声が聞こえないからです。オバマ大統領になってからの4年間は、教会は敗北と落胆に打ちのめされて来ましたが、私はオバマ大統領就任以来、特に2009年に彼に対して怒りを持ったのです。怒りを持つ時は悔い改め、自らその霊肉のけがれきよめなければなりません。(2コリント7:1)

〔この後、師は冗談として、「私はこの間どこかに隠れようと思いましたがどこにも隠れるところがなく、やむなくここに皆さんと一緒にいました。」(笑い)と言います。〕

 

しかしこの敗北・落胆の時は今終わろうとしています。アメリカは最早引き裂き取り壊す時が終り、これからは建て直され、植え直す時が来ます。(エレミヤ24:6)そして新しいスターが教会の上に昇ります。それはイエス・キリストです。キリストが教会の上にふさわしく立て上げられる時がやって来ます。

 

今年は詩篇51の時でもあります。その悔い改めの祈りをする時、私たちには新たな主への熱烈な飢え渇きが起きます。その義への飢え渇きで泣き叫ぶ人々に先程言ったヘビー・ヒッターである使徒たちが必要な霊的な糧と水を与えます。そして、その飢え渇く人たちには火が付き燃え始め、その火を他の人たちに燃え移らせる火付け役となる―今年はそのようなハーベスターの年です。ハーベスターがハーベスターを呼び、召されたハーベスターが扱えるだけの収穫が与えられるのです。そして来年はもっとハーベストが大きくなって行きます。これからの18年間は未だかってない大収穫の時が続き、終りを見ることはないでしょう。少なくとも私の生きている間は続きます。私はこれを40年待ち望んで来ました。それを私は見るでしょう。

 

今年は神の栄光が教会に戻って来る年です。しかし、次の選挙が終わった後は、又デプレッションに入ると信じますが、その後でレベル・オフしますから落胆しないで下さい。私は11月の選挙(アメリカ)の後に、正しい政府が立てられると思います。但しその政権がデモクラットであるとしても私は驚きません。なぜなら父なる神がいよいよ動かれるからです。(筆者注―師は、どちらの党が政権を取ってもよいという意味で言われたと思います。)

ところで、今年の1月16日、恒例の預言者たちが集まるラウンド・テーブルの会で、主が私に、もしモルモン教徒の大統領が選ばれたらどう思うかと聞かれました。私は会ではそのことを黙っていましたが、主は又、副大統領に誰がなるかを祈ることも、大統領と同じ位大事なことであると言われました。私はその意味が長い間分りませんでした。

私は25年前に主からモルモン教にもリバイバルが起こることを言われたのですが、〔ボブ師はここでリック師に『あなたも同じことを聞いたのではないか』と確かめると、リック師はそうだとうなずく〕今モルモン教徒の間では、創始者ジョセフ・スミスのことよりもイスラエルの星(主)のことにより関心があると聞いています。今そのリバイバルの時が近づいています。

 

私は、多くの人に義が増し加わり、主と新しい関係を結ぶのを見ました。モラルの回復を見たのです。しかし一方で敵がそれに対抗して罪の闇が街中に広がるのも見ました。悪は増大し、闇は深まる。しかし、一方で主の輝く栄光が現れます。(イザヤ60:2)

主は過去の4年間、世界の国々を震わす目的で、アメリカを用いて、アメリカ人の(人間的)頑固さとプライド(クリスチャンも含め)を暴露し取り扱われました。それが今は世界中に広がっています。

 

今年はパウロの言うことを重要視しなければならない年です。特にエペソ2:10が与えられています。又、1ヨハネ3:1-3に注目して下さい。特に3節の「キリストに望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。」が実行されなければなりません。自分を清める人はクリエイテイブになります。そう言う人がたくさん出てきます。(リック師うなずく。)又、本当に清くなりたいと思う人は朝早く起きて5時からの早天祈祷会に出て下さい。私も昔そうしました。朝早く祈る人は主に捧げる人、飢え渇いて充たされる人たちです。今年は朝早く主の前に出て30分でも1時間でも祈って下さい。

 

1ヨハネ3:1-3では、神の息子と娘が『望みhope』 です。それは世界の望みです。そうであるならイスラエルの神は戦車と騎兵隊の父なる神ですから、私は今年イスラエルが戦争に出て行く準備が整うと信じます。戦争が起これば経済に多大な犠牲が出ます。テロリストはイスラエルだけでなく次にアメリカを襲うでしょう。ですから、私たちは今エルサレムの平和を祈ると共に、主がアメリカを守ってくれるように祈る必要があると信じます。(筆者注:私はイスラエルが戦争に入ることは、直接ボブ師が主からはっきりと預言として受けたものとは思えませんでしたが、ボブ師はそうなる可能性が充分あると受け取り、それを信じていると解釈しました。)

 

今年は、ガラテヤの5:22-23にある愛、喜び、平安等の9つの御霊の実を特に大切にして実らせる年です。あなたが神に喜ばれるものとして差し出すことができるのは御霊の実だけです。今年はこの御霊の実をあなた方が実らせる年です。特に最初の三つの実を失わないようにして下さい。そうすることによって新しい油注ぎが来て、あなた方は新しい場所に引き上げられますが、この世では揺り震かしは続くでしょう。しかし心配するには及びません。なぜならあなた方は既に震はれるだけ震われて震えるものが残っていないからです。」        (終り)


14 10月

ワーシップと天使 パトリシア・キング       2012年10月14日


ワーシップと天使

パトリシア・キング

 

今日はジュリー・マイヤーさんに 私たちの賛美が天使にどのような影響を与えるかという彼女の考えをお話していただきます。天使のことに話すに際して、次のことを強調したいと思います。それは主イエスだけが礼拝されるべきお方であるということです。主イエスだけが私たちの人生の礼拝と奉仕の中心であるのです。私たちは天使の学びをするときに、バランスを失ってはなりません。それはあくまでもイエスが中心でなければならないからです。往々にして人々は天使のことを話すのを恐れています。なぜならば天使のことを話すと、イエスから目を離してしまうのではないか、と危惧するからです。

 

でも聞いてください。もし神が私たちに天使のことを学ぶことを望んでおられないならば、何故御ことばの中にこれほど多くの天使に関する記事があるのでしょうか。神は天使がどのように働くのかを私たちに知ってほしいのです。何故でしょうか? それは、天使も 目に見えない神の御国の一員だからです。その御国に私たちも住んでいるのです。あなたはボーン・アゲインした途端、神の御国の一員になったのです。あなたは今その御国の中に存在しています。あなたの住んでいる目に見えない神の御国の次元、領域には、天使や他の天の生き物が存在しているのです。勿論、神も目に見えませんが、そこに住んでおられます。

 

コロサイ3:1に「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。(set your mind on the things above)」とあります。天使は神に創られた被造物であり、創られたいのちです。ですから私たちは 見えない上にあるものの一つである天使にも思いを馳せるのですが、それは決して彼らを礼拝するのではありません。ここにバランスが必要となってきます。

 

でも 今は天使が私たちを訪れるシーズンであり、神はそのことを私たちが知ることを望んでおられます。あなたがワーシップする時、天使の軍勢も共にワーシップしているのです。あなたはそれに気がつかないかもしれませんが、最近私たちは天使の声を聞く体験をするようになっています。私は最近ハワイに行ったのですが、そこで私たちがワーシップをしていた時、私は天使たちが私たちと一緒に歌っているのを聞きました。それは違う次元、領域で起こっていたことなのですが、私の肉の耳が開かれてそれを聞くことが出来ました。

 

私たちが主イエスに目を注いでワーシップする時はいつでも、天のワーシップと一つになり、天のワーシップに力を添えることになります。それは永遠にイエスを誉め称えるワーシップとなるのです。何とすばらしいことではありませんか。あなたがイエスをワーシップする時は天使が御座の前で共にワーシップしていることを忘れないでください。御ことばの中に彼らが「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。Holy, holy, holy」と歌っていることが書かれています。彼らは次々にイエスの偉大さ、素晴らしさを見出して賛美し礼拝せずにはおられないのです。主イエスがあまりにも大いなる方であり賛美されるべきお方であるからです。そして あなたのワーシップは天使たちを感動させ彼らの動きを活発にさせるのだと私は思います。ジュリー・マイヤーさんに彼女の経験を話していただきましょう。

 

ジュリー・マイヤーさん (International House of Prayer )の話

 

私たちがワーシップするときに天使がそれに合わせて歌うということに関して、私の経験をお話します。私たちはどこかですばらしいワーシップが行われているとそれに心を奪われ惹き付けられる事があります。

ある時、私はある教会で行われたワークショップに参加していて、そこに座っていたのですが、どこかからか人々がイエスを心から賛美しているワーシップが聞こえてきました。そのワーシップが私の心を捕らえ、私はじっと聞き入っていたのですが、とうとうそこに座っていることができず、ワークショップを抜け出して歌声の聞こえる方に行ったということがありました。そんな風にワーシップには人を惹き付ける力があるのです。天使ももしかしてそのようにワーシップに惹き付けられてやってくることがあるのではないかと、私は思うのです。

 

またある時、私たちワーシップチームが集まって練習をしていました。ハーモニーなどを話し合ってから歌い始めました。それは「練習」というよりは、本当に主を心から賛美するワーシップになって行きました。みんなが心から主イエスを愛していたからです。

すると窓のすぐ外にあった木に小鳥がなんと100羽くらい集まって来て、 一斉にさえずり始めました。あまりの騒がしさに、私たちは驚いて歌うのをやめ、小鳥たちの歌を聞いていました。私たちがすべてを忘れ委ねきって心から賛美をするとき、何かを得るためとか、何かを知るためとかではなく、ただただ賛美を受けるにふさわしい主にむかって賛美をするとき、その賛美の流れにすべてのものが惹き付けられてくるのではないでしょうか。

人間を除いてすべての被造物は創り主を知っています。私たちがただ主だけを見上げて何も求めないでワーシップするとき、小鳥たちが私たちのワーシップに引き寄せられたように、すべての被造物が引寄せられるのではないかと私は思うのです。

そして天においても同じことが起り、天使たちも私たちのワーシップに引き寄せられるのではないかと、私は思います。(終)


07 10月

七つの聖書的賛美     ラミー・ウェレム         2012年10月7日


七つの聖書的賛美

ラミー・ウェレム

(2010年モーニングスター・ワーシップ・カンファレンスより)

 

主を賛美することは聖書の中で私たちに命令されていることです。「賛美してもいいし、しなくてもよい」という選択肢があるとか、「賛美したらどうですか」という提案ではありません。何度も「主を賛美せよ、主を賛美せよ」と命令されているのです。更に聖書の中で「praise(賛美する)」と英語に訳されている言葉をヘブル語で見てみると、主に7つの単語が使われているのです。

 

霊において又知性において賛美する時、この賛美と訳されている7つの言葉の意味を知ることにより、私の賛美は全く別のレベルへと高められ引き上げられました。7つのヘブル語はそれぞれ違う意味を持っています。そして7つとも身体の動作、動きを伴う意味があるのです。身体を巻き込む賛美ということですね。神がこのように身体を使って賛美せよと命じられたのは、私たちの霊、魂、身体が一致して一つの「からだ」として主に賛美を捧げる時、主の臨在が堰を切って流れてこむ扉を大きく開けることになるのです。

 

主はイスラエルの賛美の中に住まわれます。私たちが御ことばに心から従って主が命じられているように賛美するならば、主の臨在をとどめるものは何もなく、そのレベルは限りなく高められるのです。その臨在はあなたのおかれている状況、家庭、健康、経済、過去、未来の中に流れていきます。

 

それでは今から神の御ことばに従った賛美をご一緒にしてみたいと思います。

自分がしたいように賛美するのもよいことですが、主が私たちに望んでおられるように賛美するとき、それは本当にすばらしいものとなるのです。

 

1.バラク

この言葉は神に敬礼をし、又ひれ伏して、主が最高の司令官であることを表し、主にふさわしい場所、王座について頂くことです。みんなの前で挙手をして敬礼するのはちょっと奇妙な感じかもしれません。でも目をつぶれば不思議なことに誰もあなたを見ることはできませんからね。(笑)

「主よ、今私たちは御ことばに従順に従い、あなたの御前に出てあなたに敬礼いたします。姿勢を正して敬礼し、あなたを人生の主人、指揮官として拝します。あなたは天にあるもの、地にあるものすべての上にある最高の権威を持つお方です。私たちの過去、未来、すべての状況、あらゆる場面においてあなたを最高の権威者として認め宣言します。私たちはあなたに降伏し服従します。主よ、あなたの命令は何でしょうか? どうかお語りください。私たちは従います。私たちはあなたのもの、あなたのしもべです。すべての権威をあなたに捧げます。あなたの他に神はありません。あなたのお考え以上のものはありません。私たちの人生の最終決定権はあなたが持っておられます。それに疑いを持ちません。主イエスよ、あなたを信頼いたします。」

 

皆さん、主の権威の重さを感じられますか?

 

「(ひれ伏して)主よ、今あなたの前にひれ伏します。王でありすべての創られたものの支配者であるあなたの御座の前に出ます。あなたの権威の下に私たちをささげます。あなたの御国に服従します。御国の市民としてあなたの御前に私たちは出ています。私たちの王、すばらしい主、指導者であるあなたに服従します。御国の守り、保険、健康、資源に服従します。私たちはあなたの御前にひれ伏し、私たちの人生の王座、心の王座にあなたをお迎えします。どうか今そこにお座りください。私たちはあなたを『バラク』します。」

 

2.次の言葉はヤダです。これは手を挙げて主を賛美し、主がしてくださったこと、主のすばらしさを称えるのです。さあ、手を挙げ声をあげてて私たちの人生に主がして下さったことを感謝し、賛美しましょう。

「イエス様、あなたを称えます。あなたの憐れみを感謝します。あなたが約束を守る方であることを感謝します。私たちを救い出してくださったことを感謝します。ここにいるすべての人がもっている御業のあかしを感謝します。暗闇から光へと導いてくださったことを感謝します。いやしを、あなたの約束を感謝します。主イエスの血潮を誉め称えます。父よ、あなたの一人子を送ってくださったことを感謝します。聖霊を送ってくださったことを感謝します。」

 

3.次はトダです。これは手を挙げて、主がこれからしてくださることを誉めた称え感謝することです。将来のことですが、すでにそれが成されたと信じる信仰をもってそれを 主に感謝するのです。賛美をしてあなたのその信仰を宣言するのです。ですからこれは預言的賛美です。賛美で信仰を告白するのです。すでにその御業が成されたものとして主に感謝し賛美してください。

「主よ、家族の救いを感謝します。身体の癒しを感謝します。あなたは私たちの前を行かれ道を備えてくださいます。あなたの約束はすべて成就されますから感謝します。成就されない約束は一つもありません。成就されない預言は一つもありません。あなたは御ことばを守られる神であられ、偽りを言われず、約束を果たしてくださる方です。あなたの御ことばは地に落ちることはありません。」

 

4.4番目はシャバクでこれは主を賛美し叫ぶということです。

力ある主に向かい叫びましょう。

「神の約束と私たちのあいだにある壁はもはや崩れ去ります!私たちが神の目的にむかって歩むときに、それを阻むものはありません!主よ、私たちはあなたを賛美します!」(全員が大きく叫ぶ)

私たちは霊的領域にむかって叫ぶのです。

 

5.5番目はハラオで、これは賛美の中で最もパワフルなものであり、ダビデが契約の箱の前で力の限り踊った賛美です。ダビデは置いてある主の箱の前で踊ったのではありません。ダビデが踊るその後ろから契約の箱、即ち主の臨在がついてきたのです。ハラオという意味は「あたかも気違いのように振る舞う、愚かもののように行動する、輝く(あなたの中の光を輝き出す) 」という意味です。主がそのように賛美せよと命じられたのですよ。私たちのように激しく賛美をする者にとってはうれしい命令ですね。(笑)大事なことですが、ダビデの妻であるミカルはそれを見て軽蔑しましたね。その時から彼女は不妊になってしまいました。ですから今からみんなでハラオする時に、周りの人がどのような表現で賛美をしていてもそれを軽蔑しないでください。これはとても重要です。

霊的不妊とはなんでしょうか。それは自分の中の命の流れを断ち切ってしまうものです。又、自分の中から湧き出てくるものをさげすんだり、止めたりしないでください。ダビデは主の前で裸で踊りました。当時征服された国の王は行進の先頭で裸で踊らされたのです。即ち、ダビデは「私のあとに来る方に私は降伏しました。私はその方に捕われました。私はその方の奴隷です。」と宣言しながら踊り賛美したのです。さあ、格好をつけないで、思う存分に身体を動かして主を賛美しましょう。(全員激しく身体を動かし主にむかって賛美の声をあげる)

 

6.6番目はゼマーです。これは楽器を弾きながらそれにあわせて歌い賛美するということです。今晩も沢山これをしましたね。

 

7.最後はテヒラです。これはスポンテニアス(即興的な)な主への歌であり、霊が吹き込まれるものです。私たちが霊で主にむかって歌うとき、聖霊が私たちのその歌に来てくださり、一緒に歌い始められます。私たちの歌が聖霊の歌となり、聖霊の歌が私たちの歌となるのです。ダビデはいつもこのような賛美をしていました。彼は自分の心にある思いをいつも歌っていましたね。彼の歌を見てみると、いつも不平を言っています。それは彼の心にあることを歌っているからです。あなたが主に今思っていることをそのまま差し出してもいいのです。ダビデは「主よ、すべての者が私を憎んでいます。敵は私を殺そうと企んでいます。」と始めます。しかし、そのあとセラ(休み)が来て、調子が変わります。「しかし主よ、あなたは私のつよき砦、私の歌、私のいのちの力、あなたの恵みはすばらしい...」というような言葉となります。ダビデが自分の思いを主に歌うとき、主がそこに来てくださり、真理を彼の中から引き出してくださるのです。

 

詩編22に「神はイスラエルの賛美を住まいとされている」という言葉がありますが、ここで使われている言葉はテヒラです。即ち、このテヒラの賛美の中に主が住まわれるのです。主が来られ、主はその賛美の中に座し、私たちと交わられるのです。それでは主にむかってテヒラしましょう。感謝、祈り、不平、御ことば、異言、なんでもいいですから、みなさんの心にあることを主にむかってスポンテニアスに歌ってください。(全員がテヒラをするのが続く) (終り)

(この様子はhttp://www.morningstartv.com/featured-video-week/biblical-worshipで見ることができます。)

 


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