Archive for the ‘アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ’ Category:
10 02月
イエスは私の恋人
グラハム・クック
「イエスは恋人」というと、最初は少し奇異な感じがするとは思います。しかし2月はバレンタイン・デイがあり、それは私たちの人生で大切な人々に感謝を表す日です。でも私たちは、イエス様がその大切な人々の中のお一人であることを忘れてしまいがちです。 バレンタイン・デイに、もし私が大切に思っている誰かにカードを書いたり、詩を書いたり、何か意味のあることを小さな形で表そうとするのであれば、私はイエス様にこそ先ず、それと同じ喜びと感謝を表すべきではないかと思うのです。
そこで私は、今年はイエス様を「私の恋人」として詩を書くことにしました。皆さんもイエス様をこそあなたが愛する方として何かの方法でそれを表されるようにチャレンジしたいと思います。
もし何をしたらよいのかわからないと思われる方のために、ここにいくつかのアイデアを書きます。このままお使いになってもいいですし、また何かを加えたりしてどのように変えてくださってもかまいません。
- 簡単にできることは、その日に祈りと黙想のために意識的にいつもより時間をかけることです。毎日の生活が忙しくなると、主との関係が希薄になってしまいがちです。ですから少しゆっくり時間をとって主との関係を回復してください。主に耳を傾け、今あなたが主のあなたに対する意図を感じていない部分の中にも主の御こころを見つけてください。
- イエス様に手紙か詩を書いてください! 次の文はあなたが書き始める助けになると思います。
- 1.次の文章を完成してください。「私は ーー の故に主が私を愛してくださっていることがわかります。」
- 2.「私は主に愛されている」と特に強く感じた時のことを書いてください。
- 3.FRIEND とかSAVIORの文字を縦に書いて、それぞれの文字を頭とした文を横に書いてみてください。
「イエス様のこういうところが一番好き」ということで、自分もそうなりたいと願うことを書き出してください。そして手作りのカードに書いてください。 その中で一番あなたにとって難しいことを一日中念頭において実践し、それによって神の愛があなたから輝き出るのを人々が見て、バレンタイン・デイがそれらの人々にとってもすばらしいものになるようにしてください!(終り)
03 02月
詩篇23:繁栄への新しい道
チャック・ピヤース
神の義の道を歩む人たちへ
今週の日曜礼拝は、ワーシップ、ミニストリー、啓示のすべてにおいて多様で、大変すばらしいものとなりました。
主が次のように言われるのを私はききました。「あなた方のうちのある人たちは、ある事柄に関してわたしが『そのドアを閉めなさい』と告げたにもかかわらず、それを閉める力がありませんでした。ですから、そのドアは未だ開いたままの状態になっており、それが理由であなたは自分を将来に導くために開けるべきドアを見つけることが出来ないのです。わたしから新しい力を受け、その力で前のシーズンの閉じるべき一つのドアをしっかりと閉めなさい。なぜならば、そのドアから嘆きがまだ入ってきています。混乱が入ってきています。別のところに追いやるべきだった何かを捨てきれない思いもまだ入ってきています。
ですから、今日そのドアを閉めなさい。前のシーズンのものであるそのドアを閉める力を受け取りなさい。そうすればわたしはあなたの力を幾倍にも強くするので、あなたは新しいシーズンへと招きいれる新しい一つの新鮮なドアを開けることができるようになるでしょう。あなたが今受けている試練の只中でわたしが招く場所に上ってくるならば、わたしはあなたが見ることのできるひとつの音 sound を解き放ちます。今日は音があなたの目を開くときであり、あなたが試練の只中で見えなかったものをわたしが見えるようにする日だからです。そしてその時から、わたしはあなたがどこで何をしなければならないかを解き放ちあなたに知らせます。」
主は続けて言われました。「今シーズン、わたしは羊を見つける『羊狩り』に出かけます!」これは「主は必ず私たちの居場所を見つけ、私たちをそこから私たちの行くべき未来へと導かれる」という意味だと私は受け取ります。
今週は詩篇23篇をもう一度読み、深く思い巡らすべき週であると信じます。23篇は苦悩と苦難の中にある時に慰めを与える詩篇であると多くの人は解釈していますが、ヘブル語をよく理解すれば、それ以上の意味、すなわち繁栄への道を示しているのです! ヘブル語で「(義の)道 path」 は ‘agol’ であり、それは「回り巡る」とか「サイクル」を意味します。であれば、この詩篇は、主が私たちを「義のサイクル」に導き入れられることを言っているのです。それは毎年やって来る主の祝日(Feast of Yahweh)と関連 しています。祝日というヘブル語’Chag’ はサイクルを作ることを意味します。もし私たちがイスラエルの祝日を理解するならば、サイクルをも理解することになり、繁栄へと正しく導き入れられ、何も乏しいことがない状態になるのです。(終り)
19 01月
2014年への預言のことば -天に新しい門が開かれる-
ダグ・アディソン
2014年、神は天の領域へと導く新しい門を開かれます。それはより深い啓示とより大きな力に入ることの出来る門です。今年は新しいシーズンに入る最初の年で、今までの数年間神の御国が経験してきた霊的に渇ききった季節が終わります。あなたの霊的賜物、夢、ビジョン、スーパーナチュナルな遭遇が増すことが期待されます。今年はあなたが新しいレベルに引き上げられる機会が開かれ、あなたが今までにやって来たことの成果が見え始めるでしょう。
以上の幻の後に私がよく見ると、目の前に一つのドアーが開かれていました。そして、最初に聞いた声がラッパのような声で「ここに上がって来なさい。この後必ず起る事をあなたに示そう。」と言うのが聞こえました。(黙示4:1参照)
神の三つの動き
これからの数年にわたって神は段階的に事を起こされますが、最初の段階である新しい神の動きを私たちは見始めるでしょう。今年、神は2008年から始まった霊的旱魃を終らせます。私は夢を見ました。その中で、御使いが私に現われ「(霊的)湿度計は今8を指しており、8と言う数字は新しい始まりを意味する。」と言いました。
「わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。」イザヤ44:3
新しい神の動きの第一段階は、疲れた者の元気を回復させる時を用意することです。この時期にあなたは幾つかの小さな霊的刷新mini-renewals を経験するでしょう。それは主の臨在とあなたが与えられている賜物においてです。期待が長びき心が病んだ状態にある多くの人々は回復のエネルギーを充電される必要があるからです。
神の動きの第二段階は、神を求めている人々に神が用意されたすべてのものを、その人々の上に聖霊の新しい雨として降らすことです。この動きによって起ることは非常に奇異に見えます。それはあらゆるタイプの人たちが神に引き寄せられ始めるからです。その動きの最中に一つの新しい世代が生まれ、その人たちは神の愛と力、包容力に目覚めていきます。
更に次の段階では、私たちが今までに経験したことのないような神の力がもたらされます。新しいレベルの神の炎のような臨在と癒しがあらわれます。これは新たな癒しのムーブメントの出発で、奇跡、しるしと不思議、深い啓示が伴います。
2009年に対する預言のことば
神が2009年に私に与えられた預言の多くは、翌年2010年に成就されるはずのものでしたが、実際には今まで延期されていたことを神は示されました。そこで私は自分の日記を調べてみると、確かにその通りであり、それらの多くの預言が今実現されていることを知りました。ですからあなたも、私が2009年当時に受けた預言を調べて見て、今これからそれらの預言が、あなたの上により大きなレベルで成就することを期待し受け取って下さい。
人を非難する代わりに和解しなさい
過去数年間、人を責める悪霊が教会を支配して来たために、教会は霊的に不健康な状態になっています。ある問題が起きた時、私たちがそれを解決することを求めるよりも相手を非難してしまうとすれば、神がその人に持っておられる計画と目的を理解せずにその人が悪い人であることを(悪霊に同意するかのように)決め付け、認めてしまうことになるのです。サタンに付けられた名前の一つは黙示録12:10にある「信者の告発者」です。私たちは他人を非難するのではなくてその人を建て上げるように充分注意する必要があります。神は否定的な鋭い非難とか告発を相殺して余りある豊かな和解の霊を解き放っておられるのです。聖書は多くの箇所で、人々を呪うよりも祝福するように語っています。(ロマ書12:14)
「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちを御自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(2コリント5:18)
ハッピー・バースディー
今年は誰もが自分の誕生日に神から新しい贈り物を受けます。これは既に受けている賜物が更に大きく増し加えられるか、又は新しい賜物、例えば、癒し、預言、仕える等を受けるかです。ですから、神からのあなたへの誕生日の贈り物を、より大きな神の臨在と共に受け取る用意をして下さい。あなたは神の臨在が新たに増し加えられるというプレゼントを期待できるのです。
賜物と召しが配分し直される Rearranged
贈り物を与えることの一環として、神は今年、今まで他の人々に与えられていた賜物と召しで用いられてなかったもの、或いは天に召された人たちの賜物と召しの多くを解き放ち、他の人たち-それは自分を高く上げることをせず、プライドのない、へりくだって神を求めている人たち-に与えられるでしょう。神は(神の前で)へりくだって来た人たちを引き上げられるでしょう。その中には自分が引き上げられるなどとは全く予期していなかった人たちがいます。そのような賜物と召しを与えられる人たちは、人生とミニストリーとビジネスにおいて突然、急速に進展します。その反対に、自分の生活やミニストリーにおいて他人を利用して自分が得をして来たような人たちは衰退を経験するでしょう。神の愛はそのような人たちの上にも注がれ続けられるでしょうが、以前に持っていたような優位さは失うでしょう。
イゼベルの霊が明るみに出される
2014年には教会、政府機関、ビジネス全般を通じてイゼベルの霊が明るみに出されます。人々の間に不和分裂を起こし分派させることを常套手段としている人たちがあらわにされます。今まで神の動きに何度も抵抗し阻んで来た人たち、即ち、イゼベルの霊特有の粘着的蝕手を使って組織を操って来た人たちが神によってあらわにされます。
神の新しい今年の課題
神は今年、クリスチャンによって傷付けられ、拒否されて来た人たちに癒しと和解をもたらすと言うことを課題としておられます。残念なことですが、キリスト教によって傷付けられた人たちはかなり多くの数にのぼります。神の愛はすべての人に対して注がれており、私たちはそれを最も必要とする人たちに示さねばなりません。神は霊的に見捨てられた人たちを今御自分に引き寄せようと、あらゆる階層・分野の人たちを地引網で底から救い上げようとしておられるのです。
この神の課題に参加するためには、今まで他人から否定され傷ついた人たちを私たちが無条件で愛し、その人たちと一緒に喜んで歩まねばなりません。霊的に見捨てられた人たちに救いの手を差し出すという神のこの新しい提案に本気で参加する気持ちがあるならば、私たちにはそのための多大な愛とあわれみが要求されます。そうです、刺青のある人、鼻や唇にピヤースしている人、ゾンビや吸血鬼 にはまっている人、ゲイ、レスビアン、ニューエイジに走る人、又クリスチャンの多くが受け入れていない様々な政治政党活動にかかわる人、このような人々の中に入って行くクリスチャンを今神は用意しておられるのです。神は又、女性が社会に出て行ってパワフルに用いられるよう、彼女らに新しい権威のあるポジションを与えつつあります。
金融・財政破たん Financial Ruin から解かれる
5年前にアメリカや世界中の多くの国々が大きな経済的落ち込みを経験しました。2008年の9月はアメリカ史上、破産する会社の数が最も多かった月の一つに達しました。そのどん低から私たちは今、5年間の回復を見ようとしています。この間に損害を蒙った人々に対して神は回復の機会を与え、失ったすべての損失を取り戻すようにされます。又、御国の経済作戦が天から解き放たれ、その戦術に聞き従う人たちは劇的な回復を経験するでしょう。
非常に重要なことは、アメリカの経済破綻は避けられないとか、アメリカはもう駄目になるというような否定的な意見を私たちが信じ込まないことです。今こそアクションを起こす時です。それはイサクが創世記26章で経験したことに似ております。地が大飢饉に襲われた時、イサクは神の言われることに耳を傾け、その当時ほとんどの人が取った行動とは違う道を選んだのです。その結果彼は飢饉であるにもかかわらず100倍の収穫を得たことが12節に書かれています。「イサクはその地に種を蒔き、その年に100倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。」
2014年は神が私たちをあわれまれる年です。他人をないがしろにし彼らを更なる暗闇へと追いやることをせず、他人を愛しその人にあわれみを示す人を神は引き上げあわれんで下さるのです。今は生きているのがうれしくてわくわくするようなすばらしい時です。なぜなら、もしあなたが今までに苦しんで損害を蒙ったのならば、それらの損害や敵の度重なる攻撃に対して今、神がそれを充分に償って下さる時であるからです。あなたがしなくてはならないことは、すべて神に聞き、それに応え従うことです。あなたの前に開かれる新しい黄金の門(複数)を通って歩いて下さい。
今年はブレーク・スルーの年であり、回復に向かって方向転換する年です。どうぞ神の豊かな祝福を受け、あらゆる必要な賜物をいただいて、今年を主にある成功の年として下さい。(終り)
13 01月
「2014年は詩篇67の年」と主は言われる
ボブ・ハートレー (記述者: マイケル・サリバン)
この数週間にわたって私は一連の「主の訪れ」を経験しました。それを通して神が示して下さったことは、第一にまず神は私たちに対して熱烈な愛と期待(希望)を持っておられることでした。そして、その神の情熱を具体的に実現する御計画を実行する時がいよいよ来たことを示されました。その御計画は、イザヤ42:13に次のように書かれています。
「 主は、勇士のように出で立ち/戦士のように熱情を奮い起こし/叫びをあげ、鬨の声をあげ、敵を圧倒される。」【新共同訳】
それは過去において私たち神の子どもたちが経験して来た「みじめなクリスチャニテイー」を「希望に満ちたクリスチャニティー」に置き換えることを実践することです。そのために神はこれから5千万人の「希望の変革者”Hope Reformers”」を立て上げて、世界中の国と都市のあらゆる生活環境に送り込み、大いなる神の御国の祝福を実際に具現化して行くとおっしゃるのです。
すなわち具体的に、主はこう言われました。「あなたたちは今までのクリスチャンとしての歩みと考え方を捨てなさい。そしてもう一度よくわたしを見上げなさい。」
「今まであなたたちが経験して来た『敗北する、みじめなクリスチャン信仰 a retreating, misery Christianity 』から『主の熱烈な愛と希望に満たされ、あなたが主によって根本的に造りかえられるクリスチャン信仰 reforming Christianity』に変わる時が来たのです。」
そう言われた後で、主は「今年2014年は詩篇67の年である。」と言われました。
そこで先ず詩篇67を見てみます。
「1 どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。 セラ 2 それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。3 神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。4 国民が喜び、また、喜び歌いますように。それはあなたが公正をもって国々の民をさばかれ、地の国民を導かれるからです。 セラ 5 神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。6 地はその産物を出しました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。7 神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。」
それに続いて主は「詩篇67とは五番目の状景である」と言われました。その意味を私が思い巡らしていると、すかさず聖霊が私を昔体験した時の状況の場面につれて行かれました。それは1982年の一月に、救われたばかりの私が初めて天に挙げられると言うドラマティックな体験をした時のことです。その時私が見せられたのは地上で起っている四つの違った状景のビジョンでした。それは嘆き、悲劇、絶望、死と言う四つが、それぞれに満ちている状景でした。私は神によって見せられたこの四つのシーンによって心が引き裂かれ、それが大きな悩みとなって来ました。しかし、今回私は、それに加えるべき五つ目の状景を見たのです。
最初の四つの状景もリアルでしたが、五つ目の状景はより一層の現実感がありました。私はイザヤが見たように―と言ってもその時の私はイザヤ書を読んでいなかったのですが―高く上げられた主を見たのです。万能の主は天より高く、その栄光の輝きは見ている私を形容できないような圧倒的臨在感で満たしました。主は本当に喜びに満たされ、心から祝い、そうです、腹の底から笑っておられました。
私はこの五つ目の状景と最初に見た四つの状景があまりにも対照的なのでひどく困惑し、主に「あなたが見せて下さったあのひどい悪に満ちた人間の苦しみの状景は一体何なのですか。」と訊ねました。すると、小さな黒い点が私の見ていたビジョンの左下のコーナーから現れました。その点は右上に浮き上がるかのように移動してやがて急に消えてしまいました。すると主は権威をもって「あの黒点は今までに存在して来たすべての悪の存在evil being とその活動の歴史のすべてを代表するものである。しかし『わたし Who I Am 』の圧倒的な存在に比べれば、それは全く一時的に浮遊して通り過ぎるに過ぎないちっぽけな黒点でしかないのです。」と言われました。
主は今年から、私たちそれぞれ個人の霊的成熟の目標に合わせた主の御計画に沿って、段階的に主の御性質の色々な面を見せて下さり、私たちをそれぞれ個人的に教え導き、助けて下さるとおっしゃいます。そして詩篇121:1-8を示されました。
「1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。2 私の助けは、天地を造られた主から来る。
3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」
主は言われました。「あなたがたが希望と愛をもってどのように戦えばよいかを教えましょう。」「わたしに聞きなさい。『もしわたしに仕える者が、唯シンプルに最後まで希望と愛にだけ焦点を合わせて生きるとすればこの世の中がどのようになるでしょうか。』と。」「喜びと愛と、希望とわたしと共に冒険する心を持ってわたしに着いて来なさい。」(終り)
訳者注:上記の文章はボブ・ハートレイ師が主から与えられた預言の一部を要約したものです。ハートレイ師はアメリカのミズーリ州カンサスシティーにある Hartley Institute/Deeper Waters Ministry の代表者で、過去にマイク・ビクル師の Metro Christian Fellowship で牧師の一人として働き、後に独自のマーケットプレイス・ミニストリーを設立して、その分野で現在広く活躍しておられます。
08 01月
2014年 明けましておめでとうございます
いつも御愛読いただいている皆様へ、先ずは遅ればせながら、私たちWalk With God Ministries 一同より、謹んで新年の御挨拶を申し上げます。
私たちは今年と来年の二年間を教会が霊的に成熟・完成する途上で、未だかって無かったほど重要な年になると言う認識を持っております。その二年間の年頭に当たって、今まで以上に私たちのインターネット・ミニストリーをより充実した内容にするべく努力させていただくつもりでおりますので、どうぞよろしく御指導・御支援賜りますようお願い致します。
さて、昨年秋からこの年始にかけて、アメリカにおいては、例年に比べてより多くの霊的指導者が続々と新しい年に対する預言と抱負を語っておられるように見受けますが、本年度最初の預言としてモーニングスター・ミニストリー主幹であるリック・ジョイナー師のメッセージを下記のようにお伝え致します。どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。
坂 達 也・柚実子
2014年はローラーコースターのような年
リック・ジョイナー
今年はどんな年になるかを祈り求めた時に示されたのはローラーコースター(ジェット・コースター)のビジョンでした。その意味は、今年は上昇する時と下降する時があると言うことです。それなら預言者でなくても誰にでも予想のつくことであることは明らかです。しかし、励まされたことは、そのローラーコースターに乗った私たちが年の終りに最も高い地点に到達して終わったことでした。すなわち、今年は高い地点に上げられる年であると言うことです。ですから急降下の時が何回か来ても、決してそれに失望しないで下さい。たとえ急速な下降線をたどる時でも、しっかりとつかまっていて下さい。必ず上昇しますから。
数ヶ月前にボブ・ジョーンズ師が、この冬は非常に厳しいハードな冬になるだろうと言っていましたが、現に今そうなっています。この文章を書いている私の住む南カロライナ州の自宅の屋外の気温が今摂氏零下13度です。未だかってこんなに寒くなった時は私の記憶にはありません。しかし、すばらしいことはどんなに厳寒な冬であっても必ず春が来ることです。
私が見たローラーコースターは、次の山と谷を越えるのはとても無理だと思われるほど激しく脱線寸前のような揺れ方で激動していました。しかし、乗客を乗せた乗り物はばらばらに分解することなく終着駅に無事到着しました。私はローラーコースターに乗るのは好きですが、こんな激しく揺れるコースターには乗りたいとは思いませんでした。
しかし乗っている私たちには乗らないで済むと言う選択の余地はないのです。この世で今最も強固なシステムを持っていると誇る組織でも、後一日持ち堪えられるかどうかが分からないほど揺れ動いている状態です。それが持ち堪えているのは、ひとえに、神が今の世界を私たちのために支えていて下さっているからです。その意味で本当に私たちは今祈りを止める訳にはいかない状態にあるのです。
私の見たビジョンでは、ローラーコースターの終点に一つのプラットホームがありました。それは一見揺れ動くコースターと変わりないほど不安定に思えましたが、私たちがコースターからそのプラットホームに降りて歩いて行けば行くほど強く安定したものになって行きました。ホームの反対側には一連の美しく輝いた列車が停まっていて、私たちはそれに乗り込みました。それは私が今まで見た中で最も美しく、又最もよく整備された列車でした。
しかしながら、私たちを乗せて動き出したその列車がプラットホームを離れると間も無く、長くて暗いトンネルに入りました。そのトンネルは長くて出口が見えませんでしたが、登り坂になっており、この列車は非常に力のある山岳を登る列車であることが分かりました。私たちは暗いトンネルをどんどん登っており、最初しばらく慣れるまでは少しびくびくするような気持ちでした。これが私が見たビジョンの終りでした。
夢とかビジョンでは、列車(トレーン)はしばしばトレーニング(訓練)を意味します。私たちは、今は未だ古くて激しく揺れるローラーコースターに乗っている状態であるかもしれませんが、私たちを乗せて走っている乗り物は、私たちが到達すべきところに連れて行くためのトレーニングをする列車であるのです。それはエペソ4章-「聖徒たちを整えて奉仕のための働きをさせる」(4:12)と言うみ言葉を物語っています。私たちが長くて暗いトンネルを通って行く間どこに連れて行かれているのか見えませんが、とにかく登っているのです。この列車が私たちが到達しなければならないところに運んで行ってくれるのです。
それは、あなたはどこをどう歩くかは分からなくても、あなたの求めているものは知っていると言う「信仰の歩み」に似ています。それは、信仰の歩みを歩き始めたアブラハムと同じです。彼はどこに行くのかは分からなくても、人間ではなく「神が建設している都市」を目指していました。
人間が建たてた都市でも感銘させるようなよい印象を与えるものもあるかもしれません。しかし、一度神が建てている都市のすばらしさを見たなら、人間が建てている都市は全く比較にもならないのです。神が建てているものを見るには神の啓示、黙示が必要です。ヨハネは高い山の頂に連れて行かれるまではバビロンを見ていました。しかし山の頂で新しいエルサレムNew Jerusalemを見たのです。それはアブラハムが見た都市でした。その都市は未だに建設中です。その建設途上にあるものに属することが私たちにとって最も高い召し(calling)なのです。 あなたはそれが見えているでしょうか。
聖書の黙示録で分かるように。新しいエルサレム New Jerusalem とはキリストの花嫁です。ダン・ポッター師が最近話していましたが、婚礼の式が始まる数分前までは、キリストの花嫁ともあろう人たちが信じられないほど取り乱していることがあり得るのです。しかし、その最後の数分の間に、花嫁としてのすべてが整い、瞬く間に全く美しくて完全な姿に変えられる、それはまるで大変な奇跡を見ることであるかもしれないのです。私たちは今は最後の最後まで、無様な姿でしかないかもしれませんが、最後の瞬間には奇跡的に「しみもしわもない」姿に整うように神がして下さるかもしれないのです。ですから決して諦めないで下さい。(終り)
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