Archive for the ‘アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ’ Category:
20 05月
超自然の中を歩む
ジェラーム ネルソン
今日は、私が経験した中でも、かなり変わった神体験についてお話ししたいと思います。幻や瞬間移動などが私の人生に起こり始めたのは、私がボビー•コナーというすごい友人と知り合うようになってからです。
ボビーとあるカンファレンスで出会ったのは、私がミニストリーを始めたばかりの頃でした。集会が終わったとき、彼は私の前に真っすぐに歩いてきて、彼がこれからミニストリーをするいろいろな都市に一緒に来る気はないかと私に訊ねたのです。私は「Yes, Sir はい。」と答えたのですが、まさにその時点から彼の私への霊の分与が始まったのでした。
彼と私が一緒に旅をするとき、彼は何十年にも渉る預言のミニストリーで経験した逸話をよく話してくれました。彼とオランダでミニストリーをするために旅行をしていたとき、彼の経験した神との超自然的な出会いを全部と言っていいほど話してくれました。瞬間移動や天使の訪れを何回も受けた時のこと、更にはサタンが現れたときのことなどを彼はずっと話続けてくれました。本当にすごいことでした!
オランダでの集会の後、帰りの飛行機に乗り込む直前、ボビーは自分の多くの霊的経験をどうして私に話し続けたのか、という理由を明かしてくれました。
「ジェラーム、私がこの一週間ずっと何をしていたか知りたいですか?」と彼は訊きました。
「何ですか?」と私は言いました。
「私はあなたにずっと分与していたのです。『イエスのあかしは預言の霊です。(黙示録19:10)』」
そして彼は私への授業を続けました。「ジェラーム、君に理解して欲しいことがある。君は超自然の中を歩みたいかい?」
「ええ。」と私は答えました。
彼は言いました。「神のことを話しなさい。コロサイ人への手紙の中に、もしあなたが神について話すならば、もしあなたの心が常に上のものに目を留めているならば(そこはイエスが神の右座についておられる場所です)、あなたは天の心を持つ者になるのです。(コロサイ3:1−2参照)その時に天の門、扉、入り口が開かれて、あなたはそこを通って天に入っていけるのです。」
ボビーは、超自然の中に入っていくための啓示の門を開ける鍵を私に手渡してくれたのです。その鍵とはこれです:「イエスの証を語りなさい。そうすれば、あなたはもっと霊的体験をするようになります。」
私たちへのチャレンジ
私はこのレッスンの贈り物を受け取って家に帰りました。次の週末、私はクレイグという親しい友人と一緒にミニストリーのためにニュージャージー州に行きました。私は彼にボビーから教わったことを話しました。「クレイグ、私は先週ボビーから教えてもらったことがあるんだ。もし僕たちが神について話すならば、もし御国の業に従事しているならば、もし天のことをいつも考えているならば、私たちは霊の扉の中に入って行って超自然的なことを経験することができるんだよ。」
それで、私たち二人の間では神に関する話だけをすることに決めました。「家に着くまで神のことを話そう。今までに自分たちが見たすべての奇跡、神の訪れのこと、スミス•ウイグルワース(Smith Wigglesworth)やトッドベントリー(Todd Bentley)のことを全部話してみようよ。僕たちが知っている超自然的な中を歩んだ人たちのことを全部話して見よう。そして何が起こるか見てみよう。」私たちはニュージャージー州からカナダの西海岸にあるアボッツフォードまでの飛行機に乗っていたので、話す時間はたっぷりありました。
ニュージャージーからトロントまでの間、私たちは神のことを話し始めました。それからトロントで飛行機を乗り換えてアボットフォードに一番近いヴァンクーバーまで行きました。その間もずっと神に関することを話しました。突然、私たちの目の前に明るい閃光がパッ、パッと輝きはじめました。それを見たとき、天の領域が飛行機の中に入り込んで来たことを私は悟りました。そしてこの閃光は神から遣わされた天使だとわかりました。飛行機の中を動き回っている天使たちを見ていると、金粉が私たちの上に降っているのに気がつきました。
本当にすごかったです。ですから私たちはずっと話し続けました。霊的に生きることの素晴らしさ、神の臨在と力との出会い、そして御国が地に侵入してくることを話し続けたのです。
神が見せてくださるもので世界が変わる
私たちがバンクーバーに着いたとき、私の弟のジョシュが空港に迎えに来てくれました。車に乗るとすぐに、私は「君はきっと信じられないと思うけど、ボビー•コナー先生を通して語られた主の御ことばに従って、僕たちは神様に関する話だけをし始めたんだよ。そしたら何が起こったと思う? 天使たちが現れて金粉が飛行機の中に降り始めたんだ。メチャクチャすごかったよ。」と言いました。
ジョシュに話しているうちに車はバンクーバーの高速道路に入っていました。後ろの座席にいるクレイグをちらっと見た時、彼が驚いたような声を出しました。
「何だい?」と私は聞きました。すると彼が「今僕たちはミシシッピー州を走っているぞ! 何が起こってるんだ?!」と言うではありませんか。
私も窓の外を見ました。すると驚いたことには私も彼が見ているのと同じ景色を見たのです。私たちはもはやバンクーバーを走ってはいませんでした。どこか別の場所にいたのです。運転していた弟もまったく自分に馴染みのない道を走っていることに気がつきました。私たちは瞬時にして2700マイル離れた場所にいたのです。クレイグが窓の外を見ると、男の人が芝生を刈っているのが見えました。そしてそれはクレイグがかつてこの町で住んでいた時の幼なじみだということがわかったのです。私はまわりを見回して「これは全く奇妙な場所だ。」と思いました。
次の瞬間、私がクレイグの方に振り向いた途端、私たちはバンクーバーの高速道路に戻っていました。クレイグは家に帰って数日後にミシシッピー州の友達に電話をして聞きました。「この前、君は芝生を刈っていただろう?」するとその友達は「そうだよ。」と言うので、クレイグはその友達にその庭の様子などを正確に言ってみせたのです。
このような経験に目的があるのでしょうか? この経験は何のためだったのでしょう? 神は今、「超自然を自然で当たり前のこと naturally supernatural」として生きる世代を建て上げておられるのだと私は信じます。それは神との親密さと御声に聞き従うことから生じる生き方であり、まさに天の霊的領域に入っていく鍵となるものです。
ヘブル13:8に神は昨日も今日も永遠に変わらないと書かれています。神は決して変わることがないのです。神が聖書に書かれている昔に、エリヤやピリポ、そしてイエスまでも瞬間移動されたとするならば、今日もそれと同じことをされるのではないでしょうか? 神はご自分の友とされる人々にお見せになることを、私たちにも見せて下さったのだと私は信じます。又、神は今から天を開き始められ神の民を訪れてくださると信じます。
神はあなたが神のみ心をさらに知り、次にそのみ心を人々に解き放つことを望んでおられる故に、神との出会いをあなたに経験させたいと願っておられます。神はあなたを訪れたいのです。神はあなたに天使との出会いを与えたいのです。神はあなたに夢やヴィジョンを与えたいのです。あなたが神と親密になり、神に従順であり、神について語り、神が今までにして下さったこと、今しておられることの証をいつも考えているならば、あなたは更なる神との出会いを体験するようになるでしょう。(終わり)
Jerame Nelson
Living At His Feet Ministries
Email: admin@livingathisfeet.org
Website: livingathisfeet.org
15 05月
おばあちゃんたちの出番 (Grandmas Are Coming)
ジュリア・ローレン
私が目を覚ましかけでまだ半分寝ぼけているとき、天使が耳もとで「おばあちゃんたちがやってくる。」とささやいたように思いました。見ていた夢はもう終ると思ったので無視しようとしたのですが、次の朝もまた同じことばを聞いたのです。そして次の朝も。そこで私はやっとちゃんとベッドに起き上がり、主が語っておられることばを全部聞くことにしました。そして一週間前に主の御ことば全部をはっきりと知ることができました。次のように主が言われていると信じます。
「おばあちゃんたちがやってきます。今、霊で物事を見はじめた若いおばあちゃんや、ずっと霊で見て来た年取ったおばあちゃん達です。彼女たちの啓示的な洞察が前面に表されてきます。人生の様々な煩雑さがなくなってきたからです。
瞬時にして敵の抑圧の重い天井が砕かれ、おばあちゃんたちは天の領域に上っていき、今まで以上にはっきりと見えるようになります。あなたの霊を高く舞い上がらせなさい! もう以前のようではないのです。長年の艱難や労苦により、あなたの祈りや養い育てる手は今や新しい香りを放ち、これからのあなたの人生に喜びを与えます。
あなたは『アンナの油注ぎ』を受け取る年齢になりました。この油注ぎは、 受け取りたいと願うすべての人のために、もうすでに注がれ始めています。これは、赤ちゃん、子供、ティ-ンエイジャー、若者の中にある、目には見えない可能性を見て、それを呼んで引き出す油注ぎであり、それを願う人は誰でも受け取れるのです。それは神殿に来た幼子イエスの中に世の光を見たアンナのようです。あなたの年齢の故に、あなたは人々から受け入れられます。そしてあなたの油注ぎの故に、あなたの言うことに人々は耳を傾けます。
それはやさしい油注ぎです。それは幼児の心(或いは子供のミニストリー)に命を吹き込み、優しく育てる油注ぎであり、背後で祝福しとりなしの祈りをするものです。幼子にある可能性をあなたが見たとき、前に出て直接指図をしたり面倒を見たりするのではありません。これはおばあちゃんに与えられた自由であり、他の人の子供(或いは子供のミニストリー)に食べさせたりお世話をする責任を負うことなく、祝福することができるのです。子供の中に何があるのかを見て、それを生み出すのはおばあちゃんたちの喜びです。」
ルカ2:36-38に祈りをもって神に仕えていたアンナのことが書かれています。「ちょうどこのとき、彼女はそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。」
アンナはこの幼子の真のアイデンティティーをどうして悟ることができたのでしょうか? それは彼女が祈りを通して神の臨在を常に感じとることができるようになっていたからです。祈りはアンナと神との間の親密な会話でした。神は彼女と常に共にいてくださり、彼女との親しい関係の故に祈りの中で神の奥義を語ってくださっていたのです。(ルカ8:10参照)
ですから、もしあなたがおばあちゃんならば、今はあなたの回りにいる子供や若者の中にある、目には見えないものを見て、それを引き出す時なのです。この世はあなたを必要としています。子供の中にあるものは、あなたの祈りによって呼び出され、解き放たれるのを待っているのです。(終)
Julia Loren
Julia Loren Ministries / Blue Moth Media
Email: bluemothmedia@yahoo.com
Website: julialoren.net / bluemothmedia.com
Julia Loren is a prophetic author of several books including Shifting Shadows of Supernatural Power, Claim Your Anointing and The Future of Us: Your Guide to Prayer, Prophecy and the Coming Days. She lives on an island in the Pacific NW.
06 05月
わたしのものを返しなさい
グラハム・クック(Growing Up in Godセミナーより抜粋)
私はドリーマーで、毎晩のように夢を見ます。夢の中で私は神に会うのです。神は夢や幻を通して私たちに語ってくださる方ですね。時として私は夢の中で変えられていき、夢から覚めたときには変革されていることさえあります。そしてそれは私にとってすばらしい祝福となります。
私はある夢をシリーズとして毎晩のように見ました。その夢は私が天国の丘の上のテントの中で布地をはった木の洒落た椅子に座っているところからいつも始まります。私の前にはすばらしい食卓が用意されていて、椅子は座り心地がよく、暖かく気持よいそよ風が吹いているすばらしい場所でした。私はそこでイエスと会っていろいろな話をするのです。主はいつも私に会いに丘を登ってこられるのですが、必ず数百人もの大勢の人たちを連れてこられます。子供からおばあさんまでのいろんな人たちが主の回りを踊りながら一緒に登ってくるのです。そしてこれは主にしか出来ないことですが、主は何十人という人と同時に会話をしながら来られます。主は本当にうれしそうな様子でした。人々も主を喜び主と共にいることを楽しんでいました。やがて主は私を見あげ、「直ぐ行くからね。」という合図をされます。そして私のそばに来て座られるのです。主と私は話し始めるのですが、あるときは一日中、あるときは数日に話すのです。私は夢の途中で目を覚ますと、それを何時間もかかって書きとめます。私が集会でお話しすることの多くはそのノートから来ているのです。神はそのような出会いを愛しておられます。神のなさることは何によっても制約されることはないのです。どのような方法でもお用いになれるのです。
ある時のこと、夢の中で私はいつものように丘の上に座って主を待っていました。主が登って来られるのが見えましたが、不思議なことにお一人でした。微笑んでもおられません。行進するようにどんどん登ってこられます。その様子を見て私は、「私は何か悪いことをしたのだろうか?」と思いました。主は私のいるテントの中に入ってこられ、ぐっと私を睨みつけられました。
「グラハム、わたしのものを返してくれ!」と主は言われました。
「すみません、主よ、何のことかわかりません。どういう意味ですか?」と私は困惑して訊ねました。
「グラハム、わたしのものを返してくれ!」
「何のことでしょうか。私が持っているものは全部主がくださったものです。」
「わたしはあなたにそれを上げてはいない。わたしのものだ、返してくれ!」
「主よ、おっしゃることがわかりません...」
「ぐずぐずしないで早くしてくれ、わたしのものを返しなさい!」
私は殆ど泣きそうになって言いました。「主よ、何のことでしょうか?」
主は言われました。「その悩み、その恐れ、その心配、その苦々しさ、その怒りのことだ。わたしはそのために死んだのだ。わたしはその代価を払った。だからそれはわたしのものだ。わたしのものを返してくれ!!」
私は泣きながらくずおれて、「ああ、主よ、何ということでしょう。何ということでしょう。」と何度もつぶやきました。 心配したり、怒ったり、恐れたりしたときのことを私は全部思い出しました。目の前に見ることができました。「主よ、赦してください、ごめんなさい、本当にごめんなさい。わかりました。わかりました。それはみんなあなたのものですね。私のものではありませんでした。私が持つべきものではありませんでした。」
主を見上げると、主はにっこり笑われました。改めて今一度救いを得たような感じでした。主は笑って私を抱き上げ、私の両頬にキスをしてくださいました。そして私の目をじっと見て「息子よ、もしあなたがこれらの物を又わたしから取り返し続けるならば、あなたはわたしが望むような人には決してなれないのです。『わたしの前に置かれた喜び』とはこれなのです。わたしが十字架につくことによって、あなたを痛めつけているすべてのものを拭い去ることができる、あなたの人生のすべての負の部分を取り去ることができる、あなたが心配したり、あせったりする 可能性をすべて取り去ることができる、という喜びを知っていたということなのです。
あなたは最早、恐れたり、怒ったり、心配したりする必要は一つもありません。わたしはこれらすべてのことをあなたから取り去ることができるのです。あなたは二度とそのようなことを経験しなくてもいいのです。わたしはそのようなものの考え方、見方、話し方、生き方から完全にあなたを解放します。わたしはそれを可能にすることを本当に喜んだのです。それ故にわたしは十字架について死ぬことを心から喜んだのです。十字架の上で考えていたのはそのことです。わたしは御父と切り離されることほどの恐ろしいことは経験したことはありませんでした。しかしあなたが御父から切り離されることは今後絶対にないことを知っていたので、わたしは十字架についたのです。そしてわたしはあなたから、心配、焦り、恐れ、すべての否定的思いを抱く力を取り去ったのです。グラハム、わたしのものを返してください。あなたの持ち物ではないのです。あなたは持つことができないのです。わたしのものです。返しなさい。もしわたしに返すならば、そしてそのライフスタイルを止めるならば、わたしはあなたが成長する度合いを加速させます。」と主は言われました。
平安があなたの成長を加速させるのを知っていますか? 喜びもそうです。だから、あなたはすべてのことに喜びを見出すべきなのです。そうすればあなたはもっと早く成長するからです。愛も成長を加速させるものです。あなたが受け入れられ愛されていることを知ると、あなたの中の何かが変ります。その時、あなたはもしかして生まれてはじめてリラックスできるのです。あなたは自分に価値があることを証明する必要がないからです。あまりうまくやれていないと思うときも、価値がない者のように生きる必要はないのです。あなたは自分が受け入れられていて、愛されていることを知っているからです。
もしこれが真理ならば、あなたが一番愚かでまぬけな日にも真理でなければなりません。その日のために用意された真理だからです。主の慈しみはあなたの最悪の日のために用意されているのです。あなたの最高の日のためではありません。神はあなたのすべての必要を、それがどんなことであっても、キリストにあって満たしてくださる方なのです。恵みとは、あなたに力を与える神の臨在です。それによってあなたは、神があなたを見たときにあなたの中に見てくださる人物へと成長できるのです。神があなたをご覧になるまなざしは、あなたに自分自身を好もしい、愛しい、と思わせるものなのです。(終)
16 04月
鳩のような聖霊
ビル・ジョンソン
イエスがヨルダン川で洗礼を受けたときのことを、マルコ福音書は「そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。そして、天から声がした。『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ』」と記していますが、そこには私たちが目を留めるべきことが表されています。
私たちはしばしば、天が開くようにと祈ります。それはよい祈りです。イザヤ64:1にあるように「天を引き裂いて降りて来てください」と祈ります。私たちは主に餓え渇いているからです。私たちは町や国の上の天が開かれるように祈ります。それは大切な祈りです。
私たちは往々にして、何を自分はすでに持っているのか、何をすでに与えられているのかを知らずに暮らしていて、どうかそれを下さいと神に祈ります。しかし、すでに持っているものを祈り求めるとき、その祈りが答えられるときの喜びを私たちは得ることができません。なぜならばその祈りはすでに答えられているからです。
私たちの祈りは、それが答えられてブレークスルーが起こることによって、クリスチャン生活がいつも喜びにあふれるようにと、 神がデザインされたものです。イエスは「あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。...求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」と言われました。
もしブレークスルーがなくて喜びが得られないとき、私たちは祈りを一生懸命することから喜びを得なければならなくなります。祈りから喜びを得ようとし始めるとき、私たちは実体ではなく形、形式を尊ぶことになります。ここから「宗教」が形成され始めるのです。ここでいう宗教とは、力のない形式のことです。私たちは 満足感、充足感を様々な宗教的活動を長時間することから得ようとし、それによって自分は主を愛し主に仕えていると思い込むのです。
しかし、イエスが意図されたのは、「わたしたちが父にお願いすれば 、それによってあなたの喜びが満ち満ちるように、父はそれをかなえてくださる」ということです。喜びは途方もなく偉大な天の宝であり、そのすばらしさは私たちには到底理解できないほどです。父がその喜びをイエスが十字架の苦しみに耐えることへの報酬として取っておかれたように、極めて貴重で希少価値のあるものです。「イエスはご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び...」とあります。喜びは苦しみに対する 報酬で、イエスの従順に対して父が与えたものであり、極めて高い価値のあるものです。聖書には、あなたが祈りの結果として得るブレークスルーこそが、あなたに満ち満ちた喜びを与える絶えざる源であると言っているのです。
問題は、私たちがすでに持っているものを祈り求め続けていることです。 すでに得ていることを知らずに、そのことを祈り続けるならば、私たちは決してブレークスルーを経験することが出来ず、魂の高揚も喜びも経験できないのです。これは些細な問題ではありません。「主よ、今日私たちとどうか共にいてください。」という祈りを私たちは何回するでしょうか。主は「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを見捨てない」と言われたではありませんか。ですから、主はこの私たちの祈りに答えることはできないのです。実際、私たちがしているのは、主の約束に対して挑戦していることになるのです。これは問題です。私たちの心と思いが、神が宣言されたことに対して戦いを挑んでいるのです。主は「わたしは決してあなたを離れず、見捨てない」と言っておられるからです。
主がバプテスマを受けて水からあがられたとき、天が裂けたと書かれています。これは原語では神が天をバリバリと切り裂いたという意味です。そして聖霊が降りてこられました。イザヤ64は「天を裂いて降りてきてください!」と言っています。イエスのバプテスマの時起こったことは、天が切り裂かれて聖霊が降りて来て、そこに開かれた天が造られたのです。ほとんどのクリスチャンにとって「閉ざされた天」は、その人の耳と耳との間にあるのです。人が自分の思考パターンで信じる通りに物事を起こすことを、神は暗やみの権力に許可しているのです。聖霊はあなたの中に住んでおられますね。聖書には「父は私たちの内にいる聖霊を妬むほど愛しておられる」とあります。父は天を切り裂いてくださいました。天の父とあなたの内なる聖霊との交わりを阻止するのは一体何でしょうか。どのような領域の悪魔の力もその交わりを切り離すほどの力はありません。ですからあなたはすでに開かれた天の下で生きているのです。
私たちは都市の上の天が開かれるのを願っています。しかし私たちが忠実に私たちの上に開かれた天の下で信仰を実践し権威をもって歩むならば、私の上に開かれた天は広がり続けるのです。あなたが部屋に入っていくならば、部屋全体の霊的空気が変るのです。私は「自分は神の息子だ、娘だ」と言って自分の事ばかり考えている信者を作りたいのではありません。聖霊はすべて信じる者の内におられます。しかしながら聖霊はすべての信者の上にとどまっているのではありません。ヨハネ福音者ではイエスがバプテスマを受けられた時「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私はみました。」と書かれています。
これは非常に意味深い記述です。鳩というのはとても繊細であり、少しでも驚かせると飛び立っていきます。もし私の肩に鳩がとまっていたとして、それが飛び立たないようにしたいならば、私は階段を降りるときどのようにするでしょうか。つねに鳩のことを考えながら細心の注意を払って降ります。聖霊はすべての信者の中に永遠におられますが、すべての信者の上にいつもとどまってはおられません。信者の目標は、つねに聖霊の臨在をもてなし、自分の上にとどまっていただくことであり、行くところすべての霊的空気を変えていくことを学ぶことです。私たちの上に聖霊がとどまられる場所を設けることは可能です。それによってあなたが入っていくだけでその場所の霊的空気をシフトさせることができるのです。私はこれをもう何年間も試しています。あなたが「自分はそれを持っている」とはっきる自覚し認識するならば、あなたは現実にそれを顕していくことが可能となるのです。(続く)
01 04月
クリスチャンの生き方
リック・ジョイナー(礼拝説教からの抜粋)
神からの知恵を受ける必要
私たちは「これが問題だ」「これが障碍だ」「もっと資金がいる」「もっと教会全体の協力がなければ…」とかいうのではなく、神の御前に出て何かすばらしいアイディアをいただこうではありませんか。そして、もっと創造的な工夫ができるようになろうではありませんか。
これから来ようとしている時代には、それが必要となると思います。「Small is next big.=小さいことは次に大きいことになる。」ということばがありますが、私はそれを信じます。
私は1987年に大収穫のヴィジョンを見ましたが、その中で75人の小さな教会に一週間に千人の新メンバーが加えられていました。しかし何千人ものメガチャーチには一週間に100人の新メンバーしか加えられていませんでした。私は「収穫の時にはメガチャーチには何万人、何十万人もが加えられると思っていました。」と主に申し上げました。
主は「メガチャーチは収穫の準備が出来ていなくて、小さい教会の方がずっと収穫のための準備が出来ていたのです。」と言われました。それは彼らが時間や資源をいろいろな行事やプログラムにではなく、人々を育て上げるために用いて来たからです。神の建てるものは、人々を土台にするのであって、プログラムを土台にするのではないのです。良いプログラムはいろいろあり、勿論それも大切ですが、私たちは人々を育て調えることを忘れてはなりません。
私たちは常に柔軟性を持ち、今神が言われることに従って動かなければなりません。ともすると私たちは直ぐに「古い皮袋」になってしまいます。「神はこの前はこのように動かれた。今回もそうだろう。」というように考えて、柔軟性を失い、新しいぶどう酒を無駄にしてしまうのです。
終末に用いられる「力のメッセンジャー」
敵は、予測できる動きしか出来ない者を容易に打負かすことができます。創造的な思考能力がある人はとても少なくなってしまいました。私はクリスチャンになってすぐにヴィジョンを見せられたのですが、終末になると「力のメッセンジャー」が起こされるのです。主はこれがどのような人たちかを教えてくださいました。驚いたことに、彼らはすべて問題だらけで社会から外れたような人でした。彼らがどうやってこの世の中で生き延び来られたのか私にはわかりません。しかし、聖書の父祖たちもそのような人でした。彼らは天の故郷をあこがれていましたが、この世では旅人であり寄留者でした。今からの時代に「力のメッセンジャー」となる人たちは非常に変人で、すごく問題のある人たちでしょう。彼らは多く赦されたので、多く愛すのです。ですからそのような人たちが皆さんの前に現れた時に驚かないでください。
私はヴィジョンで見たのですが、本当にひどい人たちでした。ヤコブは天使と格闘をして変えられる前は、人を騙す策略化であり、嫌われ者でした。神は私に「あなたが受け入れられるだけ、どんどんそのような人をあなたのミニストリーに送りこみます。」と言われました。私は「O.K.」と答えました。(笑)
あなたはその様な人たちを受け入れる用意ができていますか。私たちの中には、ヤコブではなくエサウを選んでしまう人が多いのではないでしょうか。エサウは人と巧くやっていける好感のもてる人物でした。私たちはともすると神のご計画を見逃してしまいます。一番問題のある人や、全く適合していない感じの人が力を発揮するようになるのです。
シンプルライフの勧め
私たちはシンプルに生きるのがよいと思います。数年前のリサーチの結果では、私たちの物質的豊かさが私たちの幸せに占める度合いは、驚いたことに「ゼロ」でした。「少なくとも1パーセントか5パーセントくらいは物質的豊かさが幸せにしている」と思いますよね。しかし実際のところ財産の豊かさは、ほとんどの場合人々を不幸にするのです。
世界で一番幸せな人たちというのは、往々にして一番貧しい人たちです。彼らはシンプルな生活をしています。真の幸福は、物ではなく、人間関係の上に築かれるのです。私たちは足に絡み付く余分なものを捨てて身軽にならねばなりません。必要以上の荷物を捨てねばなりません。必要ではないものを捨ててください。これからの時代はシンプルに生きる人が生き残れるのです。自分の持ち物を管理するのにエネルギーを使うのは愚かです。神の指示が出たときに余分な荷物があると素早く動くことができません。
私もそのようにしています。私の夢は一文無しで死ぬことです。すべてを神のために、福音の為に、魂の救いのために使い果たして死にたいのです。私たちは今まで最大の神のムーブメントを迎えようとしています。この機会を見逃してはなりません。
エリヤとエノク
私はこのところエリヤによく会います。預言的経験の中ですから、実際のエリヤに会ったのか、霊的な経験だったのかはわかりません。エリヤはもうすぐ来ます。それはエリヤの霊がキリストのからだに来るということです。
しかし、エリヤが私に「あなたはエノクに会うべきだ」と何回も言うのです。エリヤは又、「私とエノクは死を経験しませんでした。それは、終末の時の最後の神のムーブメントのときにキリストのからだに大きな霊的分与をするためです。あなたはエノクに会わねばなりません。」と言いました。
私も会いたいと思っていました。それは私がまだクリスチャンになったばかりの時、主がエノクの預言を教えてくれたからです。「アダムから七代目のエノクも、彼らについて預言してこう言っています。『見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。(ユダ14)』」
エノクはアダム以来はじめて主と共に歩いた人です。彼がこの終末の力ある者たちについて預言しているのです。そして私はついにエノクに会うことができました。彼は私が想像していた人物とは全く違いました! エノクは私が今まで会った人の中で比べ物にならないくらい最もハッピーな人だったのです。いつも一緒にいたいと思うような人でした。彼が持っている喜びは信じられないほどでした。彼は地上に暗やみが広がっていた時代に生きていました。ネフィルムもいたし、人の悪が増大した時代であったにも拘わらず、エノクは最高にハッピーで喜びに満ちていたのです。
エノクと会ったすぐ後で私はまたエリヤに出くわしました。彼は私に「エノクと会ってどう思いましたか?」と聞きました。「彼は私が会った中で一番ハッピーな人でした。驚きました。」と私が答えると、エリヤは「何か質問がありますか?」というので、「ええ。あります。どうしてあなたはエリヤのようにハッピーじゃないのですか?あなたはずっと天国にいたのに、どうしてもっとハッピーじゃないのですか?」とぶしつけな質問をしてしまいました。どうしても聞きたかったのです。
エリヤは答えてくれました。その答えは私に非常な衝撃を与えました。「どうしてか話しましょう。あなたが地上で生活する間に、天国に行ってからあなたが永遠にどのような人になるかが決められるのです。天国に行けば、あなたの苦しみ、悲しみ、嘆きはすべて取り去られます。私もエノクのようにハッピーになることは可能でした。でも私は地上にいる時、暗やみの方にばかり焦点を当てていました。『私だけが残って他は誰も主を信じるものはいない』というように悲観的になった事が多かったのです。私はもっとエノクのようになることもできたのです。そしてあなたもそうなれるのですよ。
エノクはどんなに地上が暗くても神と共に歩き、神に焦点を当てていました。彼の中で神はどんどん大きくなって、まわりの様々な問題や状況はどんどん小さくなりました。主の臨在の中では喜びが満ちるのです。」
エノクは主の臨在の喜びの頂点に達したのだと思います。だから天に上げられたのではないでしょうか。そして今も喜びに満ちているのです。
勿論、私たちは天国に行けば皆ハッピーです。天国で一番ハッピーでない人でも、地上で一番ハッピーな人よりもっとハッピーです。それは確かです。でも私たちは今、自分の永遠の性格を決めているのです。エリヤは言いました。「あなたの信仰を増し加えるために一日も無駄にしてはいけません。神の喜び、神の平安へと成長できる時を無駄にしないでください。聖霊の実は育てられてだんだんに大きくなるものです。私は多くの日を無駄にしました。」
私も今のチャンスを逃したくありません.主の喜びが、これまでよりはるかに大きくやって来ようとしています。私たちには考えられないような喜びに満たされハッピーになるのです。主を間もなくお迎えしようとしているのですから当然ではありませんか。主の臨在の中で私たちはハッピーになるのです。いいえ、ハッピー以上のものー喜びです。ですからあなたの試煉を無駄にしないで下さい。 一日も無駄にしないでください。私たちは今、永遠に自分がどのような者になるかを決めているからです。(終)
Page 56 of 131 « First ... « 54 55 56 57 58 » ... Last »