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Walk With God Ministries


12 12月

天国と復活の希望     マイク・ビクル                2016年12月12日


天国と復活の希望

 

マイク・ビクル

 

 

第一コリント15:1−4、20、49

「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで、信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかり保っていれば、この福音によって救われるのです。わたしがあなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、、しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。」

 

この復活の章といわれる箇所は、私たちクリスチャンの信仰生活の錨となるものであり、常に心に留めるべきものです。私たちが自分はどのような者であって最終的にはどこに行くのかを知らないならば、その時々の人生のドラマに翻弄されるだけで、神がご自分の民を召されているキリストにある栄光ある偉大な目的という大切なシナリオを見失ってしまいます。

ルカ20:36でイエスは私たちに「復活の子」というアイデンティティーを与えておられます。私たちはリアルな肉体の復活をするのです。私たちはその事実をふまえて人生を歩んでいくのです。

 

2週間ほど前に、私は死を真近にしている一人の女性と話す機会があったのですが、それはすばらしい希望を与える話でした。それはマーサ・スティーブンという方ですが、彼女はこの話を是非人々に伝えてほしいと言われました。彼女は私が32年前に牧会をしていた時からの友人で、非常に忠実な信徒でしたが、今は85歳を過ぎて死の床についておられます。私は彼女に電話をして「マーサ、いかがですか?」と訊きました。勿論、彼女は自分が死を迎えていることを知っていましたし、私もそれを知っていました。彼女の答えは「マイク、私はびっくりしているんですよ。本当にショックです。」と言うのです。私は次に悲しいことを聞かされるのかと身構えました。でも彼女は「死を迎えるプロセスは本当にすばらしいわ!」と言ったのです。そして次のように続けました。

「私は死んだら天国に行くのは信じていました。それはうれしいことです。でも私はずっと死ぬのがとても怖かったのです。でも私はびっくりしました。死ぬって、とてもすばらしいのです!」私は少しとまどって「そうですか、それはすばらしいことですね。ちょっとくわしく話してくれませんか?」とお願いしました。

私は30年ほど前に、私の大好きなトピックについて彼女と話したことがありました。私は死に関する本を沢山読んでいました。その全部を信じたわけではありませんが、何百という話を長年の間に読んだり聞いたりしていました。まあ、趣味を兼ねた研究のようなものでした。1970年代や80年代、私は他所の町に行くと必ずキリスト教書店に行き、死ぬときに人々が経験することに関する本があるかと捜しました。私たちが死ぬ日は人生で最も重要な日です。その日は必ず来るのですが、人々はあまりその事を考えません。私がその研究を通してわかったことは、多くの人が死ぬ少し前、30分とか1時間、又ある場合は数日前に、生と死の境のベールがわずかに開かれて天国を垣間見る経験をしていることであり、まわりに居合わせた家族がそれを証ししています。また、中には死んでから又生きかえって、その経験を話している人もいます。彼らの話には多くの共通点があり、殆どのものは聖書の言葉が正しいことを証明するものです。

 

マーサはそのことを憶えていました。そして「マイク、あなたの言ったことは本当だったわよ。生と死の間のベールが本当にちょっとだけ上げられる時があって、死の向こうがチラッと見えるの。2日前にはイエス様を見ました。1、2分だけだったけれど、私はそれが夢ではないことがわかったわ。主は何も言われなかったけれど部屋の隅に立って私に微笑まれました。イエス様が去ったあと、主の臨在の感覚の波が私に押し寄せてきました。2、3時間もの間、私は主に愛されているのを感じ、主への愛を感じたの。こんなに強烈な感覚を持ったのは今までなかったわ。恐れなど少しもなく、ただ喜びだけがあって、最高に平安で穏やかな気持だった。」私は「わー、すごいですね。」と言いました。

彼女は続けました。「それから私は眠ったのですが、夢を見ました。夢の中に天使が現れ、何も言わなかったけれど、又あのすばらしい愛と喜びの感覚の波が押し寄せてきて1、2時間も続いたのよ。とにかく本当にすばらしかったわ。私は死のプロセスがこんなにすばらしいものとは知らなかった。それから又数日してから、私は天使のクワイヤーが歌っているのも聞いたの。お見舞いに来た人にその話をするとみんな『マーサ、ちょっとおかしくなっているのね。』といいましたが、違うのよ。私は『いえいえ、そうではないんです。私は正気です。』と言いました。実際、私はこのすばらしい経験をすべて受けたいので、身体の痛みはあったのだけれど頭がボーっとしないように痛み止めも飲んでいなのよ。このすばらしい時を一瞬も逃したくないから。」

「2、3日毎に私はチラッとベールの向こう側が見えるのだけど、そのあと何時間も平安と喜びの至福の時をすごすのよ。マイク、本当に驚きです。死のプロセスはまったくすばらしいわ。確かに天国はもっとすばらしいと思うけれど、死がこのようなものとは知りませんでした。若い人たちにこのことを教えてくださいね。主は私をこのように生かしておられるのは、みんなにこのことを知らせるためだと思いますから。」

 

マーサは人生を信仰深く歩んで来て、沢山の友人がおりましたので、みんなに自分の体験を話しました。早く天国に行きたいと主に申し上げるのですが、主は目的をもってこの期間を伸ばしておられるのでした。

彼女の結婚生活はすばらしいものでした。ご主人はもう亡くなったのですが、40年以上の結婚生活でした。マーサは「私たちの結婚は最高だったわ。」といつも言っていました。ところが私が昨夜又電話したとき、彼女は次のように言いました。「マイク、あなたに話したいことがあります。死ぬことは結婚よりいいわよ。」私は「えっ、何ですって?」と言いましたが、彼女は、「世界中で一番すばらしい結婚をしていた私が言うのだから間違いありません。死の経験は本当に結婚よりすばらしいのです。みんなにそのことを知らせたいの。どうか今日私が天国に行けるように祈ってちょうだい。」私は「マーサ、いやいや、もう少しこちら側に留まって私に情報を沢山ください。この情報が私には必要です。」と言いました。(笑)

 

私たちはこのリアリティーをいつも思い出す必要があります。第一コリント15章にある私たちが持つ復活の希望は人生の錨であり、毎日思い起こすべきものです。

先ずパウロは「キリストは私たちの罪のために死んだ」と言っています。罪のないお方が私たちの罪の代価を支払ってくださったのです。神の法廷で私たちに罪が無いことを宣言されました。私たちの罪が処理され、負債が支払われました。

次に「キリストは三日目によみがえられました。」です。肉体を持った人が死に、よみがえりの肉体をもってよみがえられたのです。歴史上の出来事です。旧約で預言者エリアが人をよみがえらせたことがありますが、その人は何年か後にはまた死ぬのです。ですから「息を吹き返した」と言ったほうが適切でしょう。しかしイエスは完全な超自然的な肉体をもってよみがえられました。そのようなことはイエスが初めてでした。20節でパウロは「キリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」と言っています。キリストの復活はあなたにも関係が大有りです。「初穂」という言葉は、これからも多くの者がキリストと同じようによみがえることを示唆しています。信者が死んだときには瞬時にして彼の霊は主と共にあります。一瞬でもどこか途中でさまようということはありません。肉体は地面や海など、それぞれの場所で朽ちていきます。神はイエスが再臨される終りの時に、それらの朽ちた肉体が墓から再生されて出てくるように命じられるのです。

すべての信者は自分のDNAのよみがえりの身体を与えられます。それぞれが自分のDNAを持っていることは大切なポイントです。あなたは自分というアイデンティティーをもってよみがえるからです。同じ人種、性格、特徴、能力、姿などは全くあなたであり、それが完全になっているのです。ですから私たちが互いを見た時に、誰かがわかりますし、以前のことも憶えていますから、問題なく関係を続けられます。イエスが初穂となり、私たちイエスを信じる者は救いを受け,主と同じようによみがえるというすばらしい約束が与えられたのです。

 

私が読んだ数えきれないほどの死の体験談や直接本人に聞いたことで共通していることがあります。(私はすべてを信じるのではなく、聖書と一致していることだけを取り上げています。)ある人は交通事故で死んだのですが、自分が死んだことが全くわかりませんでした。「ああ、危ないところだった。」と言って起き上がり、あたりを眺めると自分の身体が地面に横たわっています。「へえー、これはどう言うことだ?私はちゃんと生きている。あそこに横たわっているのは誰だろう?僕に似てるなあ..」と彼は思ったというのです。それほど死んだ後も「自分は生きている」という感覚はリアルなのです。彼は救急隊員に助けられて息を吹き返したのですが、私たちは死んだ瞬間にキリストと同じよみがえりの身体を頂けるのです。

 

ピリピ3:21「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じすがたに変えてくださるのです。」

 

第一ヨハネ3:2、3「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。キリストに対する望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。」

 

これが私たちの持つ望みであり、私たちが人生の様々な風に揺り動かされないようにする錨です。様々な偽りの教義の風が吹き起こってくる時、あるクリスチャンたちはその風に吹かれてしまいます。又波も起こってきます。それは困難な状況、あなたをあきらめさせ断念させようとする問題の波です。しかしそのような風や波に襲われたとき、それに負ける必要はありません。あなたには錨があるからです。少しぐらついたり揺れたりはするでしょう。しかし決して動かされないための錨があるのです。それこそが私たちが持つよみがえりの望みです。教えの風や困難の波が襲ってくるときに、「私は吹き飛ばされない、あきらめない。私はよみがえりの息子、娘であって、行くべき目的地を知っているのだから。誰に仕えているか、誰を愛しているか、誰を信頼しているか、私は知っている。私は主を知っている!」と言えるのです。ヨハネはこの望みを持つ者は自分を清めると言っています。キリストが清くあられるように、主に従う私たちも復活の望みを持ちつつ自分を清めて生きていくのです。(終り)


05 12月

キム・クレメント師から学んだこと     ランス・ウオルナウ    2016年12月5日


キム・クレメント師から学んだこと

 

                 ランス・ウオルナウ

 

訳者注:ご存知ない方も多いと思いますが、キム・クレメント師は現代の少々異色な、しかし、すばらしい預言者でした。この方が最近亡くなられたのですが、クレメント師はかなり正確な預言をされる方で、トランプ氏が大統領になることを確か10年近く前に預言しておりました。リック・ジョイナー師もこの預言者を高く評価しております。ウオルナウ師は、このクレメント師と非常に親しい関係にあり、故人のことを、下記の通り、詳しく興味深く紹介してくれておりますのでご高覧ください。実はこのウオルナウ師もトランプ氏が大統領になることを預言しており、別文で主人がそのことを書かせていただいておりますのでそれもぜひご高覧いただければ幸いです。   坂 柚実子

 

 

 

異次元に行ったキム・クレメント

 

ある夜、私とキムがデトロイトで集会を開いていた時、キムがピアノの前に座って弾き始めました。キムは「クラシック・ピアニスト」であると共に、正確な知識の言葉を語る「預言的な声」を併せ持つ稀な存在でした。その夜、彼の演奏は非常に激しく、時として鍵盤の上に血がつくほどでした。それはショパンが映画の中の戦闘シーンに合わせて即興で弾いているようかに聞こえました。その時私は全く知らなかったのですが、この演奏中のある部分で、彼の身体はピアノをずっと弾いていたにもかかわらず、彼の霊は上に昇って悪霊の領域に達し、彼らから罵倒され激しい抵抗を受けていたのです。悪霊は贖われた聖徒の一人が彼らの次元の壁をつき破って侵入してくるのに恐怖を憶えたようです。

キムは悪霊の領域を抜け出て、 別の次元へと入っていきました。それは天の領域であり、天使たちが話しているような様々な異なる言語が聞こえてきたのです。パウロが「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても」と言って、天使の言葉があることを示唆していることを思い出してください。キムの霊が自分の身体に戻ってきたとき、彼は預言的コンサートを素早く終えて、集会を閉じるようにと指示しました。

 

霊で見る

 

次に起こったことは非常に異常なことでした。彼は霊である地点まで昇って行ったので、地上に戻ったときに人の霊的状態がその人の肉の身体に重ね合わせで見えるようになったのです。彼が人を見ると、その人の霊の中で何が起こっているかがはっきりと立体的に見えるのです。

例えば、キムはある人を見たとき、大きな目を見ました。それはその人が偉大な知覚力があることを示していました。またある人には修道僧の格好が見えましたが、それはその人が霊的に深い資質を持つ事を示していました。また、ある人にはいばらの冠が見えましたが、それはその人が人々から拒絶されたために「偽りの殉教の霊」にやられていることを示していました。(いばらの冠はイエスがすでに受けてくださったので、私たちがそれをかぶる必要はないことを忘れないでください。)

 

集会の後、キムは誰とも話をしたくなかったので、私たちはすぐ車に乗り込みホテルに向かいました。新しい雪が降ったので、タイヤは白い雪のブランケットの上を非常に静かに走って行きました。突然、キムが「何だ!?何かが車にぶつかった!」と叫びました。私たちは「絶対何も起こってはいない」と彼に保証し安心させました。道路には他の車はほとんど走ってなかったのです。「一体キムに何が起こっているのだろうか」と私ともう一人のチームメンバーはこの時初めて心配になり、互いに顔を見合わせました。それから10分くらい走ってホテルに近づいたときに見たものは、私たちに衝撃を与えました。

散乱したガラスを警察のライトが照らしだし、救急隊員が事故現場で忙しそうに働いていました。その事故はキムが私たちの車に何かがぶつかったと言った丁度10分前に起こったのです!

 

その夜のキムは私たちの知る通常の彼とは全く異なる状態だったので、いつもホテルで夜遅くしていた「集会後のミーティング」には遅れてもいいからと彼に告げました。やがて彼が階下に降りてきた時、彼は自分が霊的な旅をしていたと思われる間もピアノを弾き続けていられたという驚くべき経験について話してくれました。(パウロは「肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存知です。(2コリント12:2)」と言っています。)

 

私はキムに「あなた自身に関して何か神に示されたことがありますか。」と訊きました。すると彼は「ええ。私は何かが起こるとは期待していなかったのですが、洗面所で顔を洗ったとき、鏡の中で自分の顔が変わるのを見ました。あごがとても大きくなっていて驚いてもう一度見直したくらいです。」と話してくれました。私はその解釈として、彼が今主の声を表す者であり、ヨエルが「あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは超自然的な夢を見る」と語った終末の預言的集団の見本として用いられているからではないかと彼に言いました。

 

ワーシップで悪霊の領域を侵略する

 

この出来事はキムがワーシップで主に仕えていた時に起きましたが、それは私にとって非常に興味深いことでした。「音楽とワーシップが預言的とりなしの中につつまれる」ことこそ、心が清い者たちが進むべき次の段階だと私は信じます。あなたは神の領域を見るようになり、他の人々を今までとは違った「神の目」で見るようになるでしょう。今は新しい能力を備えた予見者が現れる時です。これはあなたの仕事、キャリアによい影響を与えます。神はご自分の民を新しい領域に連れて行こうとされていて、私たちが国々にある権力の構造の内部に入り込み、第二の天での悪霊からの攻撃や抵抗の中を切り裂いて進んでいくことができるようになるからです。

 

キムが第二の天の領域のことを話してくれたので、私たちは霊的反抗や悪魔の領域に関して更に深く考えてみました。悪霊は自分たちの領地に侵入してくる者に対して怒鳴り金切り声をあげていたように見えます。彼らは誰にも気付かれずに地上に侵入するのを好みますが、自分の陣地を他人が通って行くのは大嫌いなのです。

 

勇士たちへのメッセージ

 

あなたが主の山を上に登れば登るほど、あなたが地上で果たすべき任務にもっと近づくことができます。そして自分の任務に近づけば近づくほど、悪霊の妨害が大きい第二の天の領域に更に深く入り込むことになります。あなたがするべきことは、あなたが召されている分野の「影響力のある門Gate of Influence」に到達することです。地上にあるこれらの門においてあなたが知られていないことは問題ではありません。肝心なのはあなたが天においてよく知られるようになることであり、そうすればあなたはそれらの門において尊敬されるでしょう。(12の門—ビジネス、教育、エンターテイメント、家庭、政府、医学、法律、報道、政治、宗教、科学的研究、スポーツ)

 

権威のない魔除け祈祷師に悪霊が言ったことばを思い出してください。「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。(使徒19:18)」

キムが天に召された今、人々が「キムはどうして死んでしまったのか?」と聞くのはもっともです。私は3つのことを申し上げたいと思います。

 

1.キムは彼の60年の人生から、平均的なクリスチャンが90年の人生で経験するよりもっと多くのものを吸収し、もっと豊かに多くの人との交わりの中で暮らしたのです。私は文字通りそのように考えています。

2.イエスは「あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。(ヨハネ17:4)」と言われました。主はご自分の任務を3年半のミニストリーで成し遂げられ、完全なタイミングで33歳でこの世を去られたのです。平均的クリスチャンは神から長寿を約束されていますが、神は特別な人には特殊な計画を持っておられるのです。殉教者がそのよい例です。又、すべての人は「人生は霧にすぎないこと(ヤコブ4:14)」と「自分の日を正しく数えること(詩編90:12)」を忘れないようにすべきです。

3.地上を去るとき、私たちは次のレベルの天の任務につくことになります。イエスの統治、主権は終ることはありません。「その主権は増し加わり、その平和は限りなく・・(イザヤ9:7)」とあります。私たちは皆、永遠に拡大する建築計画の一部です。多くの人生には2つの段階があります。地上での人生とその後の人生です。イエスの昇天後聖霊が注がれ、イエスが増殖しました。エリヤが天に昇ったとき、二倍の霊がエリシャに下りました。殉教者と教会の拡大とにある不思議な関係は、これによって説明ができます。

「まことに、まことにあなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12:24)

ステパノが殉教死したとき、神はあたかもサタンに「この死はお前にとって高くつくぞ。」と告げたかのようです。次に起こったことは、サウロの回心であり、彼はステパノの代わりにサタンの領域を10倍も破壊したのです。癒しの賜物を持つジョン・オスティーン師が死んだときも同じことが起りました。父に代わって息子のジョエル・オスティーン師が牧師となり、彼は予期せぬ収穫物となりました。

同じように、キム・クレメントはサムソンやエリヤのようになったのです。サムソンと同じようにキムも「彼が死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。」(士師期16:30)と言われることでしょう。私がキムとの経験を記録しているのはこの理由によります。それはやがて一冊の本になり、神の終末の軍隊にキムの油注ぎの分与が増大するための伝達手段として用いられるでしょう。(終り)


28 11月

荒野からの脱出      リック・ジョイナー      2016年11月28日


荒野からの脱出

 

リック・ジョイナー

 

数年前のことですが、私はミニストリーの進展を阻んでいる幾つかの障碍に対する不平不満を心の内でつぶやいていました。どうすればそれらの障碍を取り除いてミニストリーを前進させられるかと椅子に座って思い巡らしていた時、預言者の友人であるボブ・ジョーンズ師から電話が掛かってきました。彼はまるで私の思いを聞いていたかのように話し始めました。

 

彼は「あなたは椅子に座って、物事を進めるためには何をすればいいのかといらいらしながら考えていますね。でもあなたの歩みを遅くしたのは主なのです。」と言いました。そしてすべてはスケジュール通りにちゃんと進んでいて、 私たちは主から与えられている召しを必ず成し遂げることができると励ましてくれました。 又、私たちはまだ完全な計画やすべての事に関する神のタイミングをキチンと掴んでいないので、更に主を求め続ける必要があることも語ってくれました。

 

 私たちは10年ほど前に、ミニストリーの拠点であるノースカロライナ州のシャーロットに主が示されただけの人数を集合させるようにという預言をボブを通して与えられていました。そしてその人数が集められたならば、主はその数のうしろに「0」をつけて10倍にして下さると言われていました。ボブはこの預言で鍵となるのは「集合させる assemble」という言葉だと言いました。それはただ人数を集めるというのではなく、ジグソウバズルの一片一片を完全に組み合わせて一枚の絵にするように人々が組み合わされるということであったのです。

 

現在、シャーロットには最初に主から告げられた人数の数倍の人々が集まっていますが、そのうちで自分がこのキリストのからだの中での働き場所を心得ている人は多分半数に満たないでしょうし、その場所で実際に機能し始めた人は更に少ないと思います。たしかにミニストリーは前進していますが、本当に「一つに組み合わされた」人の数はまだ主が求められた数には達していないのです。

 

続けてボブは、主が私たちの歩みを遅らせているもう一つの理由は、人々の中に愚痴と不平不満があるからだと言いました。ショックだったのは私もその内の一人であり、ボブが電話をしてきた時、私は心に中で実際愚痴をこぼしていたのです。ヘブル書は初代イスラエル人が約束の地に入れなかったのは愚痴と不平が一番の理由だったと述べています。不平不満は私たちを神の約束に入らせません。又、 自分の召しへと解き放たれない人が沢山いる理由の一つでもあります。

 

不平不満の対象がたとえ何であっても、それは実際には主に対して不平を言っていることなのです。仕事場の上司に不満があるとすれば、それは即ち自分の人生を司っておられる主に対して不満を抱いているのです。なぜならばその上司をそこに置いたのは間違いなく主だからです。(ローマ13章参照)もし夫や妻、親や子ども、そして他のすべての状況に対して不平を言うとすれば、主が自分の人生を導いておられる方法に不平を言っていることになります。信仰がなくては神を喜ばせることはできず、又主に働いていただくこともできません。そして不平をいうことは信仰に対して正反対の働きをします。愚痴によって物事を動かすことはできません。かえって物事を止めてしまいます。不平不満は、私たちが主から与えられた人生の目的の中に生きるのを阻む最も力ある敵になりえるのです。

 

更に、主が前進を停止しておられる時、私は落胆し鬱状態に陥るという試煉を通るであろうとボブは言いました。私のような性格の者は、「待つ」というのは最も憂鬱なことの一つです。又、教会員の多くがすでに何年も神の動きを待ち望んでいたので、今から更に又待たねばならないと聞くのはとても辛いであろうこともよくわかりした。しかし、もし私たちが気落ちしたり疑ったりしたならば、更に長く荒野に留まることになるのです。気落ちし鬱になることは罪です。なぜならば、信仰によらないものはすべて罪であり、気落ちし鬱になることは信仰に堅く立つことではないからです。神の約束を受け継ぐには信仰が必要です。

 

確かに科学的生物学的な理由で鬱状態になることもありますが、多くの鬱は霊的な根を持っています。すべての霊的要塞に対する勝利は十字架によってすでに私たちのために勝ち取られました。鬱から完全な勝利するまでは決して満足してはなりません。そしてすべての状況を疑いではなく信仰の目で見ることを決意せねばなりません。もし荒野にいるのに倦み疲れたのならば、神の約束をもう一度確かめ、神の忠実さ、誠実さに励まされねばならないのです。

 

基本的に鬱状態は私たちの状況を悲観的に見ることから起こります。これは私たちが状況を信仰の目を通して見なくなる時にはいつも起こることです。約束の地に遣わされた12人の斥候のうち10人が「悪い報告(民数記13:32)」をしたのは「気落ち、鬱」の結果でした。彼らの報告は正しいものであり、信仰のある2人の斥候の報告と基本的に同じであったことは興味深いことです。しかし10人は障碍が彼らには克服できないほどのあまりにも大きいものであると認識したのに対し、ヨシュアとカレブは神が味方であるなら必ず克服できると信じたのです。 彼らは違う状況を見たのではなく、どのように見たのかに違いがあったのです。

 

エジプトを出た初代イスラエル人と同じように、多くのクリスチャンは自分が召されている神の約束のうちを決して歩くことがありません。それは愚痴や不平不満に陥るからです。悲しいことに多くの者はまさに荒野から解放されようとする直前に不平不満へと陥ってしまいます。それはあまりにも長く荒野にいたので「本当にここから脱け出せるのだろうか」と疑う誘惑を一番強く受ける時だからです。荒野を抜け出す最速の道は、感謝をすることであり、それは「荒野」に対してさえも感謝の心を持つ事です。私たちは感謝をもって主の門に、賛美をもって主の庭に入るのです。私たちの人生のすべての領域において主の内に留まることを決意しようではありませんか。それはすべてに感謝をすることによって可能になるのです。

 

ボブを通して与えられた神の言葉により、私たちのミニストリーは私たちの疑いと不平の故に一年間停滞させられたことがわかりました。これは数年前のことでしたが、現在はすべてのことが速いスピードで進んでいるように見えます。停滞していた期間はのんびりしていて良かったなーと思ってしまうほどです!使徒パウロは貧しいときも富むときも満ち足りる秘訣を学んだと言っています。私たちもそのようにならねばなりません。疑いではなく信仰において成長することを決意しようではありませんか。信仰の表れは忠実さです。誰に対しても何に対しても不平不満を抱きやすい傾向に対して戦いを挑み、すべてのことに感謝をしようではありませんか。感謝をもって主の門に、賛美をもって主の庭に入り、そこに留まりましょう。(終り)


21 11月

受けた預言を産み出す     パトリシア・キング        2016年11月21日


受けた預言を産み出す

 

パトリシア・キング

 

 皆さんのクリスチャンとしての人生において、個人的な預言とか、あるいは神からの約束が与えられている方は多いと思います。皆さんはそれに対してどう対応して来られたでしょうか。

その預言とが約束の中にまだ成就していないものがあるならば、私たちがそれを真剣に祈って来なかったから 実現していない可能性も十分あると思います。

 

私たちは受け取った預言を誕生させるためには、祈らねばなりません。預言的な言葉を受けたからといって、それが自動的に成就するということではありません。

一つの例は1列王記18:41節の記事です。エリヤは預言的に大雨の音を聞きました。空には一片の雲もなく何年も雨が降っていなかったのに大雨の音を聞いたのですから、これは預言的に聞いた音でした。その預言を受けたとき、エリヤは何をしたでしょうか。

彼は地にひざまずいて自分の顔を膝にうずめました。これは預言者が祈るときの姿勢であり、預言されたものを産み出すための姿勢です。彼は頭を両膝の中にうめて神を求め、御ことばが成就するようにうめいて産みの苦しみをしたのです。彼は若いしもべに雲があるかどうかを見るように指図します。雨が降るときにはまず雲が必ず出るからです。若者の答えは「何もありません。」でした。エリヤは続けて同じ姿勢でうめき続けました。そして若者に七たび繰り返して空を見るようにと告げます。

 

七度目に若者は「人の手のひらほどの小さな雲が海から上ってきます。」と報告します。エリヤは歓喜しました。ブレークスルーが起こったからです。私たちもブレークスルーが起こるまで祈り通さねばならないのです。

 

昔リバイバルが起こったときのオルターコールは、誰かに祈ってもらうために出て来なさいという招きではなく、「一人ひとりが神の御前に出て祈り通しなさい」という招きでした。「神があなたを祝福されます。前に出て来てそれを受けるために祈り通しなさい。」という意味だったのです。今はあまりそういうことをしませんね。

 

もう一人祈り通した人がいます。それはルカ2章に出てくる女預言者のアンナです。彼女は預言者だったので、昔の預言を学んでいました。それと共にイエスがメシアとしてこの世にこられることも知っていましたので、やもめになってから何十年ものあいだ、この預言の成就のために祈ったのです。昼も夜も宮を離れずに断食と祈りをもって、預言のことばが成就するために産みの苦しみをしていたのです。メシアが来るという約束は人間に何百年も与えられていたものですが、アンナはその成就が近いことを預言的に知り、それを産み出すために人生を捧げたのです。

 

また、使徒行伝一章で、イエスは弟子たちに「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」と言われました。 この「待ちなさい wait 、tarry」という言葉の意味は、「祈りながら待つ」という事を弟子たちは知っていました。彼らはイエスと生活を共にしていたので、「待つ」とは「祈りながら待つ」ことだと把握していたのです。そこで彼らはエルサレムに集り、祈りに専念し、「父からの約束」を産み出すまで祈り続けたのです。

 

ですから、もしあなたの人生に神からの預言と約束が与えられていて、それがまだ表れていないとすれば、今こそそれを再び真剣に祈り始めて、それを産み出してください。今こそその時、実現のシーズンである可能性が充分あるかもしれないのです。(終り)


31 10月

召しと選び        パトリシア・キング          2016年10月31日


召しと選び

パトリシア・キング(XP Ministries)

 

多くのクリスチャンが「私が神から召されているかどうか、どうすればわかりますか?」とか「召しとは何でしょうか?」「何が私の召しなのかを、どうやって知ることができますか?」という質問をします。

 

マタイ22:14に「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。 For many are called, but few are chosen.」とあります。私は救われた当初、この意味がよくわかりませんでしたが、あるとき聖霊が教えてくださいました。それは「あなたがたすべてはそれぞれの働きへと召されているのです。しかしその召しを受け取ってそこに踏み出して行く者だけが選ばれるのです。」というものでした。

 

イエスから私たちへの最初の召しは、主ご自身への召しでした。十字架の上で私たちの罪を負ってくださったとき、イエスを救い主として信じて神の子となるようにと私たちを召してくださったのです。すべての者が神の子となるようにと招待されました。その招待に応答した者が神の子となったのです。ですからそれがあなたが受けた第一の召しであり、それを受け取ったあなたは「選ばれた息子、娘」となりました。

 

私がミニストリーに召されていると思い始めたのは、私の心に「主に仕えたい」という切なる願望が起こったからです。まず神は私をご自分の娘としてくださいましたが、私は主への愛に満たされて、ただただ主に仕えたいという思いで一杯になりました。私はそれが主からの「召し」かどうか知りませんでしたし、召しがどのようなものかも知りませんでしたが、ただ 主に仕えたいという思いで一杯になっていたのです。私は祈り、賛美し、人々に福音を語りました。教会ではどんな事でも、例えば椅子を並べたり、トイレ掃除などをしました。とにかく主のために働きたかったのです。振り返ってみると、それは神の愛が私に呼びかけていたのです。それはサムエルのように神の声を耳で聞いたわけではありませんでしたが、私の内に神の呼びかけを感じたのです。又、 クリスチャンに成り立ての頃ですが、「主の栄光がこの地に満ちるよう祈りなさい」という強い促しを感じたのを思い出しました。「主よ、私は出て行って、世界の国々にあなたの御ことばを告げ知らせる者になりたいです」と祈り、そのような歌を作ったこともありました。神の声を聞いたり、預言を受けたわけではありませんでしたが、私の心の奥底から涌き上がってくる切なる願望がありました。人々に神を知ってもらいといという熱烈な思いでした。あなたが自分の召しを分別する一つの方法は、あなたの心が何を願っているか、何を求めているかを知ることです。神があなたに何を望んでおられるかをそれによって知ることができます。

 

私はいろいろな召しを受けました。ある時「とりなしの祈り」についての教えを受け、神の御心を知ってその通りに祈ることについて学びました。その教えを聞いていたとき、私は心の底から「家に早く帰ってとりなしをしなくては! 友達と一緒に祈らねばならない!」という強い思いが沸いてきました。それは私の霊がこの招きに応答していたのです。そして私がその中に一歩足を入れたとき、私は「とりなしのために選ばれた者」となったのです。私はとりなし手になったばかりか、それを教える者となりました。それは「他の人にもとりなしについて教えたい」という願望が私のうちに沸き起こったからです。それは即ち「教える者となる召し」であったことを私は後になって知りました。

 

又、私は聖霊の賜物や預言についてのクラスを受けました。毎週火曜日でしたが、教えのあとは実際にその賜物を活性化する訓練を受けました。預言や知識の言葉、癒しのミニストリー等です。私の内に「預言をしたい」という非常に激しい願いが沸き起こり、家に帰ると何時間も異言で祈りました。誰と会っても預言をしたいという願望を強く感じました。お茶を飲みにきた人にも私は預言をしました。内なる願望がそうさせたのです。そして私はどんどんと預言をするようになり、細かいことも預言できるようになりました。私は主から預言のミニストリーへと召されたのですが、主の御声をはっきりと聞いたわけではありません。それに関して夢を見たこともありません。後になって私が預言者として召されているという預言を受けました。それ以前に私はすでに預言者として召されていたのですが、その預言によって召しが確認できました。

 

時として、自分ではまったく考えてもいなかった召しに関する預言を受けることがあるかもしれません。でも預言を受けたとき、あなたの内で何かが呼応するならば、その預言によってあなたの召しが活性化したのです。

ある時、テレビでよい番組はないかと捜していたのですが、どのチャネルも占いの番組だったことがありました。私の内に「主よ、どうかテレビで本当の預言をする人を起こしてください。」といううめきのような祈りが起りました。私は主の声を聞いたのでもなく、稲妻が走ったり、花火が上がったわけではありませんが、主が私の心に「あなたではどうですか?」と語ってくださったのです。私は「主よ、勿論私は無理ですよ。」と沢山の理由を主に申し上げましたが、また主は私の思いの中に「あなたではどうですか?」と語られました。「あなたが新しい預言的な番組をハリウッドで作ったらどうでしょう。」と。私はそれを日記に書き留めて祈りはじめました。「神よ、何をすればよいのか、どこから手をつければよいのか、全くわかりません。ですから、私に助け人を送ってください。」と祈りました。一週間半経ったとき、あるカンファレンスで、私を助けるように主から言われたという人が現れたのです。そこから私の放送関係のミニストリーが始まりました。

 

ですから神が私たちを召されるのは、いろんなやり方があるのです。あるときは非常に鮮明であり、またあるときはかすかな方法です。でもあなたがどのような方法で召しを受け取るかは問題ではありません。

 

神からの一番目の召しは神の息子、娘になるという召しです。すでにそれを受けいれた人に対する次の召しはなんでしょうか。それは母親や父親になることかもしれません。妻になること、夫になることかもしれません。あなたの中にそうなりたいという強い促し、願いがあるならば、それは主があなたの内に入れてくださったものなのです。又あなたは説教者や祈り手、子どものミニストリー、社会で働く事、政府で働くことなどに召されているかもしれません。多くの場合、あなたの召しはあなたの心の中に涌き上がる願いでわかるのです。又あなたは夢を見るかもしれません。主の声を聞くかもしれませんし、祈りの中であなたの思いの中に細い小さな声で語ってくださるかもしれません。どのような方法であれ、それを書き留めてください。

 

私は妻として召されています。私たちは結婚して43年になりますが、私は夫の妻であるように召されています。私はまた母親として召されています。二人の息子の母親です。3人の孫のおばあさんとしても召されています。キリストのからだの中のリーダーとしても召されています。ミニストリー、ビジネス、プロジェクト、メディア、説教者、預言者、伝道者として召されています。これらは私の内で涌き上がってきたものです。

 

このように多くの召しを私は受けています。それは自分のいのち、願いを主のためにすべてお捧げするという「主のしもべの人生」を私が選んだからです。「その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下には地にしるしを示す。」とあります。それは主のために選び分たれたあなたを通して主が偉大な業をなさるからです。

 

あなたが主のものとなり主に仕えることを選びとったとき、あなたのいのち、あなたのすべて、あなたの持ち物すべては主のものとなります。私が妻として或いは母親としてすること、そしてその他すべてにおいて私がすることは、主のためにするのです。私の人生が主のために聖め分たれるとき、私の業、私の持つものはすべて主のものとなりますが、それと同時に主の業、主が持っておられるものは私のものになるのです。

 

イエスの母マリアは、救い主の母となるように召されました。マリアがその召しに「はい」と答えたとき、彼女は「選ばれた者」となったのです。ですからあなたも召しに「はい」と応答するならば、「選ばれた者」になるのです。ヨシュア3:5に 「あなたがたの身をきよめなさい。(sanctify, consecrate 聖別する 神の御用に捧げる)あす、主が、あなたがたのうちで不思議をおこなわれるから。」とあります。

今自分への神の召しは何であるかと考えておられる方も多いと思います。私たちのミニストリーの中には、とりなし手、ワーシップリーダー、人を助ける人等々いますが、彼らはすべてのことを主のためにし、主に仕えるのをこの上ない特権であると思っています。

 

皆さんはどうでしょうか。今までにすでに「はい」と応答した召しを紙に書き出してみてください。そして次に神からの召しを聞いたけれども、まだ「はい」と応答していないものを書き出してください。そのリストはあなたが成長する助けとなるでしょう。そして主に「私はあなたに自分をお捧げします。私の時間はあなたの時間です。私のお金はあなたのお金です。私の能力はあなたの能力です。すべて私が持つものはあなたのものです。私はあなたのものだからです。あなたにお仕えしたいのです。あなたが下さった召しにお答えしたいのです。そして私の生きる限りあなたに喜ばれる者となりたいのです。」と申し上げてください。

 

そしてその召しに踏み込んでください。「召されているのはわかっているんだけど、、、」と言うだけではなく行動するのです。たとえば癒し手として召されているならば、その訓練を受けられるところに行き、人々のために癒しの祈りを始めてください。そしてイエスの癒しの力があなたを通して表れるようにするのです。また、とりなし手や助け手として召されているかもしれません。何であれその召しに対して「はい」と応答してください。その時、召しに必要な「恵み」があなたに与えられます。召しを活性化するときに実が実り始めます。

 

ヨハネ15:16でイエスは「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、、」とあります。あなたが召しの中に踏み込むとき、主は実を結ばせてくださり、その実は残るのです。イエスに仕えることほどすばらしいことはありません。イエスに用いられることほどすばらしことはありません。それは地上の人生ばかりでなく永遠に影響を与えるものです。

 

今主は多くの働き手を召し、立ち上がらせておられます。世の中が揺れ動き混乱する中で、神は御国に仕えるために聖め分たれた人を求めておられます。その召しはあなたにも届いていると思います。神はあなたの召しを成長させ、油を注がれ実を結ぶようにされるのです。(終り)


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