Archive for the ‘アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ’ Category:
10 03月
主は言われる「間違った祈りを止めなさい。」
ジョン・バートン(John Burton Ministries)
私はミニストリー始めてからずっと「ジョンさん、どうしたら神の奇蹟や不思議な業を経験できるのですか?」と数えきれないほど人々から訊ねられました。人々は神との出会いを切望し必死なのです!この世の誘惑の罠を逃れて神の栄光の中に飛び込みたいという激しい情熱を持っているのですが、多くの者はそのようなライフスタイルを手に入れることができないでいます。彼らは天を見上げて、「神よ、あなたは一体どこにおられるのですか?」と嘆き叫ぶのです。このように情熱的な方たちに対する私の答えは難しいものではありません。実際のところ、これ以上シンプルなものはないと言ってもいいでしょう。それは即ち、聖い生活を送り、聖霊によって祈る(非常に沢山)ことです。
目標は神を聞くこと
ローマ10:17「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについての(キリストの)みことばによるのです。So faith
comes from hearing, and hearing through the Word of Christ.」
今日の最大の悲劇の一つは、人々は神の深みと神が働かれる超自然の領域へと招かれているにもかかわらず、それを自ら拒否し断っていることです。多くの者は「目に見える領域での神の顕れ」を叫び求めていますが、神は「超自然的な領域での神の顕れ」へと私たちを招いておられるのです!
聖別された人生を送り、昼夜熱く祈る者に見える御わざがたくさん起こっているのです!よく聞いてください。 雛を孵す雌鳥のように聖霊が覆っている領域へと、今あなたは歩き始めることができるのです!
聖霊との歩みを妨げるすべてのものを生活から取り去り、熱く、激しく、そして又心楽しいとりなしのライフスタイルを送り始めるならば、自分一人で祈る時や
兄弟姉妹と祈る時、天が私たちの人生の上に大きく開かれるでしょう。その時私たちは神を聞くことが出来るようになるのです。
常に神の声を聞くための唯一の道は、私たちが聖い人生を送り、聖霊によって歩み、聖霊によって祈ることであると私は確信しています。神を聞くことはそれほど価値があるのです。神が語り始められると、私たちの人生のすべてが劇的にシフトします!
預言的力が内から輝き溢れでます。常に夢やヴィジョンを与えられます。神の栄光の新しい啓示によって芯まで衝撃を受け揺り動かされるので、私たちは呆然とするでしょう!
そうです、神を聞くようになるとすべてが変リます。私が超自然的な祈りの毎日を送り始めたとき神から受け取った重要な真理をお話します。
「止めなさい!祈りが間違っている!」
「止めなさい! 祈りが間違っている!」これはある日
深い祈りをしているとき神が言われたことです。私は当時、コールセンタ−でパートタイムの仕事をしていました。コロラドのマニトウ・スプリングという街で教会を始めていたので、そのためにフルタイムでミニストリーをしたいと思っていました。ですからパートの仕事を早く止めたいと思っていましたが、経済的な理由で止めることができず、かなりいらつきを覚えていました。
その日、私はいらつきながら祈っていました。「神よ、ああ神よ、どうか教会を成長させてください!どうか収入を増やしてください!
どうか神様!」と祈りました。その時、ベルが鳴るようにはっきりと神が言われるのを聞いたのです。「止めなさい!あなたの祈りは間違っている!」
えっ! どうしてですか!私は一生懸命祈っていたのです。リボリューション・チャーチをスタートしたばかりのとき、私はその狭い会堂の中を歩き回りながら、「自分は熱心に良い祈りをしている」と心から信じていたのです。神は教会が大きくなるのを望んでおられないのですか?
そして次に神は、私が決して忘れられない言葉を言われました。「あなたは、まるでわたしがあなたを拒み抵抗しているかのように祈っています。あなたの心にそのような願いを入れたのはわたしであることが分からないのですか?わたしが起こした願いをなぜわたしに懇願するのですか?
そもそもわたしがその願いをあなたに与えたのですよ!」
これは「祈りとは何であるか」という私の考えを全く打ち砕く言葉でした! 私は考え方を変える必要がありました。
次に神が言われました。「しかし、あなたに抵抗しているものが確かに一人います。敵は、わたしがあなたの心に与えたこれらの願いを実現させたくないのです。あなたが戦うべきなのは敵なのです。」
そこで、私は信仰に満ちた激しい祈りの新しい 領域に踏み込んだのです!
この新しい啓示で示されたことを練習するようにと神が望んでおられると、私は感じました。神は「もっと祈る時間を増やし、この街のリバイバルを起こすように」と言われました。又、コールセンタ−の仕事を止めるように言われました。
私は神の御こころがわかったので、コールセンタ−の仕事を止めることにしました。神の御心を知り、私がそれを実行に移す時だと分かったからです。敵は退かねばなりません!
私は次の宣言をしました。
「イエス・キリストの力ある御名により、サタンよ、手を離すように命令する! 私のスケジュールから去れ!
神の御こころは、私が仕事を止め、フルタイムでマニトウ・スプリングに御国を前進させることであると宣言する!神の計画に手を出すな!」
第一ヨハネ5:14−15「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」
私は神の御こころにそって祈りました。神は私がフルタイムでミニストリーをすることを願われたのです。一週間後、35名の教会の日曜の献金で5万ドル(500万円)の小切手が与えられ、次の日曜には2万5千ドル(250万円)が与えられました。2週間後に私はフルタイムでミニストリーをすることができたのです。
経済は「必要を越えて」与えられました。お金は更に広い会堂に移るためにも用いられました。神は私たちにそうなることをずっと望んでおられたのです。でも敵は違いました。私は間違った祈りをしていました。まるで「それをどうにかして神からもぎり取らねば」というような祈りをしていたのです。実際は、神はすでにそれを解き放っておられ、私は、途中敵の抵抗を打ち破りながら、それを受け取りにいけばよいだけだったのです。
あなたの祈りはあなたを阻んでいるか?
もう一つの話も同じように私の人生に大きな影響を与えました。私は又もや「いらいらして祈る」状態になっていました。必要が満たされるようにと叫び求めていました。私は経済や他の必要のために情熱的に天の扉を打ち叩いていました。すると再び、私は神の声を霊の深みで聞きました。「あなたの祈りが妨げになっています。」えっ、何ですって? 私の聞き間違い? 神はその時の私の祈りは善ではなくかえって害になっていると言われたのです。もしそうならば、祈りを止めるべきです。
神は次に「信仰がなくてはわたしを喜ばせることはできません。」と言われ、「祈りの中に疑いが入るならば、その祈りは絶対に答えられません。」とつけ加えられました。神よ、分かりました。私は深く思い巡らし、自分に与えられたこの課題に取り組みました。
私は神を疑いたくはありませんでしたし、何よりも信仰の人になりたいと思っていました。ですから、私はどうにかして神の言われる意味を見出して結論を出したいと思いました。神は私に祈りをするなと言われたのです! しかし、まだ
奇蹟を必要とする解決すべきいろいろな問題があったのです。私は非常に孤独を感じました!
すると答えが来ました。神は、「わたしのことばの中ですでに約束されていることをどうして祈るのか?」と訊かれたのです。神はキリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたの必要をすべて満たしてくださるのです。(ピリピ4:19)「必要が満たされるように神に願う」という行為そのものが、「それはすでに答えられている」と信頼する信仰に欠けていることを表していたのです!
神がすでに解決してくださっていることを、「してください!」と神を説得しようとしていたのです!私の祈りは私が疑いを持っていたことの証明であり、それが祈りが聞かれない結果を生んでいたのです。
箴言23:7に「 心で考えることこそが、その人である。As a man thinks in his heart, so ishe.」とあります。私の心には疑いがありました。また、マタイ12:34には「心に満ちていることを口が話すのです。」とあります。私は不信仰を口に出していました。そして箴言18:21には「死と生は舌に支配される。」とあります。私の心の中の不信仰が、私の経済に死の宣言をするものとして現われていたのです!それならば全然祈らないほうが良かったのです。
マルコ11:24「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」
祈りの中では、神への懇願、強要、説得、疑いはあってはならないのです!
ヤコブ1:5−8「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。」
私たちは神を聞き、そして今の状況が神の御心にどのように一致すれば良いかを宣言するのです。それは私たちを敗北的、消極的な姿勢から、勝利と霊的猛烈さとパワフルな信仰の姿勢へと変えていきます!
(終り)
03 03月
遅延の霊を縛る
シンディー·ジェコブス
主が言われます。「わたしの子よ、あなたの夢を死なせてはいけないとわたしは言いませんでしたか?あなたがたの中には『ああ、あの夢はもう消えて無くなってしまった。』と言って立ち止まっている人達がいます。
わたしは『幾つかの夢がひとつになる』と言いませんでしたか?『あなたが祈った多くの祈りが合わさって一つになる』とわたしは言いませんでしたか?」
「多くの者がわたしの言葉を聞いたにもかかわらず、それを本当には信じなかった」という主からの訓戒を私は感じました。
今キリストのからだの中に意気消沈し心を病んでいる者が多くいることを主が教えてくださいました。あなたの心は不信仰で一杯です。いまや不信仰の霊があなたを押しつぶしてしまっているのです。イエスの御名によって私たちは不信仰の霊を縛り打ち破ります!
主が言われます。「わたしにとって難しすぎることは一つもありません。もしあなたが行き詰まっているとしたら、それはわたしの法則を用いなかったからです。」
遅延の霊を縛る
私は遅延の霊を縛る宣言をしたことがあります。先日クレジットカードの会社に電話をしていたのですが、電話口で向こうの返事をずっと待たされました。私は長く待たされていらいらしていました。すると聖霊が私の肩に触れて「あなたはこの状況に対して権威を持っているんですよ。」と言われたように感じました。そこで私は遅延の霊を縛りました。するとどうでしょう、相手がすぐ電話口に出たのです。
又ある時私の飛行機が定刻から遅れたときに同じようなことが起りました。私たちを乗せた飛行機は滑走路で一時間も待たされていました。その時も主は「
天候に問題がありますね。でも、それはあなたが解決できることです。今飛行機の遅延によって問題が起こっていますね。それならば、あなたの目的地の天候の上にあなたの権威を行使して、遅延の霊を縛ったらどうですか?」
神が与えてくださっている道具を私は用いました。するとどうなったと思いますか?
パイロットが「天候のパターンが変わりました。すぐに出発します。遅れは取り戻せると思います。」と言ったのです。
光の王国と共に前進しなさい
皆さんに申し上げたいのですが、遅延の霊というものがあるのです。その霊があなたの夢を止めているのです。あなたの幾つかの夢が一つになって実現するのを阻止しているのです。主が言われます。「わたしはあなたが霊的に機敏であってほしいのです。
人生がただ通り過ぎて行くままにまかせて『それが2つの王国(暗闇の王国と光の王国)に住む者にとっては当たり前のことだ』などと思わないでほしいのです。暗闇の王国はあなたの夢を止め、あなたが前進するのを阻止したいのです。しかし光の王国はあなたが前に進むことを望んでいます。神の力はあなたが前進するのを願っています。」
御父よ、感謝いたします。主よ、私たちはあなたに不可能はないことを認め信じます。今、夢が一つに統合されています。回復が今なされています。主のフェイバーが今起こっています。主よ、それらを受け取ります。そして霊的知性、即ち私たちに必要な霊的分け前(神からの知恵)を受け取ります。
主が言われます。「あなたは持つべき感情の分前を持っています。あなたは品性の分前も持っています。しかし、わたしはあなたがもっと霊の領域で高く上げられ、あなたの周りで何が本当に起こっているのかを理解できるようになって欲しいのです。」
もしあなたがそうするならば、神のいろいろな約束が何度も成就するのを見るようになるでしょう!神の祝福があなたにありますように!(終り)
18 02月
希望と信仰を高く掲げよ!
ラナ・ヴァウサー(Lana Vawser Ministries)
最近、主がびっくりするような方法で私に語ってくださいました。先日私がお皿を洗っている時、突然ある歌が私の心に響いてきたのです。それは私がサビの部分2行だけ知っていた歌で、ずっと以前私が結婚する前、まだ実家に住んでいたときに母がよく聞いていた歌でした。
私の心の中でその2行が繰り返し大きく響きました。「奇蹟を迎える用意はできているか? もちろん十分に! Are you ready for a miracle? As ready as I can
be!」というもので、私の霊に何度も大きく響きました。私はすぐにこれは主が語っておられるのだと悟りました。それで私は早速この歌の歌詞を捜したのですが、本当にびっくりしました。
イエスは井戸に行って 水をぶどう酒に変えた
ラザロをよみがえらせた 盲人の目を開けた
ガリラヤ人 イエス 水の上を歩いた
「あなたはこれより偉大なことをする」と言われて
あなたと私に力を与えてくださった
奇蹟を迎える用意はできているか?もちろん!
御霊があなたを自由にされる
私は奇蹟の用意ができている!できている!
大きな興奮が私を包みました。神がご自分の民の人生にすばらしくパワフルに働かれようとしておられ、奇蹟が頻繁に起こるようになるのです。物事が好転していくのです。神の超自然的な力が御民の人生に、今までなかったほどにパワフルに顕われるのです。
耳を傾けて主の御こころを知ろうとしたとき、私は「あなたの希望を堅く持ち続けなさい! 信仰を高く掲げなさい!わたしはもうすぐ行きます!」という主の言葉を何度も聞いたのです。
天が地に下ってくるような激しさをもって、神はご自分の民の人生に今まさに来られようとしています。神の力が御民の上に再び大きく導入されようとしているのです。人生の筋書きが変ってきます。新しいページが開かれ、神はキリストのからだの中にご自分を非常に強く顕されようとしておられます。
ユダの獅子が吼えるのを私は霊のうちに聞いています。主は御民のところに、御民を助けるために来られます。主の御名が吼え叫ばれるところに反抗するものは何もなく、神が来られる時に人々の間にシフト(転換)とアラインメント(神との一致、整列)が起ります。その時キリストのからだは、主の誠実さの響きを聞いて震えます。主の誠実さが大きく鳴り響こうとしています!
完全なる変革
主は「わたしはユダの獅子として来る」と告げました。やがて大きな吼え声が多くの民の上に解き放たれ、彼らの人生で最もパワフルな主との一致がもたらされます。彼らの人生の「ある部分」だけが変革されるのではなく、すべての部分が完全に変革されるのです。
イエスは多くの人々にこれまで無かったほどに御力をもってご自分を顕されます。肉体が突然癒されるばかりでなく、状況が突然転換し、鎖や巨人が突然くずれ去り、敵が占領していた地は突然奪回されます。イエスの御名に逆らうものは何一つなくなります。クリスチャンの人生の中でイエスの御名に服従することを拒んでいたものが、イエスの御名により神の力で引き抜かれ除かれようとしているのです。
第二コリント1:20が大きく鳴り響きます!
「神の約束はことごとく、この方において、『しかり。』となりました。それで私たちは、この方によって『アーメン。』と言い、神に栄光を帰するのです。」
今まさに起ころうとしているいくつかの奇蹟の中に、神の約束の大きな成就があります。あなたの生活の中に信仰が高められる環境を造り出し、今まさに起ころうとしている大いなる約束の成就と奇蹟を見るようにとお勧めします。あなたは主の御ことばの約束をずっと信じてきましたが、あまりにも多くの困難や戦いがあったので、落胆し希望を失ったのです。
暗闇の中での戦いは例を見ないほど烈しかったのですが、しかし今、あなたは人生で最大の奇蹟へと導かれようとしています。それはあなたの手とか力によるものではなく、神の御霊によってなされるのです。
イエスの御名によりあなたに今預言いたします。今年、あなたは神の御力を見るでしょう。そして今まで見た事がないような奇蹟があなたの人生に爆発的に起こるでしょう。あなたが「神がなされたことを見てください!」と叫ぶ声が大きく響き渡ります。
詩編70:4「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、『神をあがめよう。』と、いつも言いますように。」
奇蹟の場所で新しいマントルが与えられる
敵の攻撃が多くのクリスチャンを烈しく襲い、2019年に入ってもそれが続いていることを、主が私に教えてくださいました。主が言われるのを私は聞きました。「敵は今まであなたを砕こうとしてきました。しかしわたしはあなたに『新しいこと』への打ち破りを与えようとしています。」
敵の攻撃がそのように烈しかったのは、「人々が攻撃されていたまさにその領域にユダの獅子が力を帯びて来られ、大いなる奇蹟が解き放たれ、その領域での新しいマントルが与えられるからである」と主が教えてくださいました。敵が必死で戦っていたのは、主が今解き放たれようとしている奇蹟を神の民が受け取るのを阻むためだったのです。
神が解き放たれている奇蹟の中で多くの新しいマントルが与えられます。そして私は見たのですが、キリストのからだの多くの者の上に落ちたマントルの一つは、癒しのマントルでした。
間もなくキリストのからだに 神の癒しの大波が打ち寄せてきます。多くの者が
パワフルな癒しのミニストリーのためにこのマントルを受け取りますが、特に、長い間容赦なく身体を痛めつけられていた者たちがそれを受け取ります。主は人々の身体に超自然的な癒しと健全さをもたらそうとしています。それによって人生が変えられるブレイクスルーが起こるのです。
敵は掴んでいた手を離し、病気の霊はユダの獅子の吼え声によって追い出されるでしょう。デリバランスと癒しが起ります。肉体や精神の大きな
癒しが起り、癒された人たちの上に主は大きな癒しのマントルを与えます。彼らの人生を通して癒しのミニストリーは爆発的に発展するでしょう。彼らは、敵がなぜこれまで自分に病気を与え引き止めていたのかを悟ります。
メディアが奇蹟を報道する
私は主が言われるのを聞きました。「この新しい時代に、メディアは奇蹟が起こったことを報道する。」
主はキリストのからだの中や世界中で、ものすごい力で働かれるので、説明がつかない出来事(すなわち超自然的な奇蹟)が起こったことをメディアは報道し、イエスの御名は高く揚げられ全世界で証されます。
主はご自分を教会に再び顕し知らせてくださるばかりでなく、世界中に力と栄光をもって再び知らせてくださいます。それによって多くの者をご自分に引き寄せられます。国々は震え、神は私たちが見た事もない方法で地上に来られるのです。(詩編27:7−9参照)
地上のものすべてはうめいています。栄光の王が来ること、そして顕された神の息子、娘たちが立ち上がることをうめきながら待っているのです。今は定められたカイロスの時です!今がその時です! 今まで見なかったように、多くの出来事が連鎖し始める時が来たのです。
ハバクク2:14「まことに、水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる。」
私は主の布告を聞きました。「わたしが来る時、それはただ『いくつかの事』が変るだけではない。わたしが大いなる力をもって来るので、『すべての事』が変る!もとのままで留まるものは何もない! わたしの民よ、奇蹟の準備はできているか? わたしは来る!」(終り)
12 02月
自分のはかりごとをとりこにする
フランシス・フランジペイン
クリスチャンであることで私たちは安心していますが、だからといって私たちが完全な者になったわけではありません。私たちのうちにはまだ多くの霊的要塞があるのです。
それらはどのような要塞であるのかを調べてみましょう。
要塞を一つも持たないクリスチャンはまれです。多くのクリスチャンは、次のような霊的要塞を持っています。ー 不信仰、冷めた愛、恐れ、プライド、不寛容、情欲、欲望等々です。
私たちは自分に対しては非常に寛容で、人生を圧迫している自分の中の要塞をはっきり見極め認めるのが非常に難しいのです。つまるところ、これらの要塞とは、かたくなな自分の思い、考え、態度、物の見方であり、私たちは自分を正当化し自己防衛するのと同じ烈しさで、この要塞を正当化し防衛しようとします。
箴言23:7を意訳すれば「人がその心で思うことこそ、その人の本質である。」という意味です。つまり、私たちがどのような人間であるかという本質は、私たちの思考の中にあるのです。
ですからどのような要塞であれ、真にそこから解放されるためには、まず正直に「自分は解放される必要がある」ことを認め、それを告白せねばなりません。「万事巧くいっています、大丈夫です」というふりはやめねばなりません。
へりくだって助けを求めてください。実際のところ、神があなたからまず取り除かねばならないのは「プライド」という要塞です。自分はデリバランス(解放)が必要であることをすすんで認めるまでは、あなたが解放されることは決してありません。
私たちのどこが悪いのかをはっきり認識するためには、まず「神が意図された人間のあるべき姿」を知る必要があります。ダビデが有頂天の高みから、或いはヨブが苦しみのどん底から、そして私たちがこの二人の間のあらゆる地点で発した問いは「人とは一体何者か?」という昔から言い古された質問でした。ヘブル書の著者も同じ問いをしましたが、御霊の助けにより次のように答えています。
ーーイエス・キリストこそ、 新しく造られた人間に対して神が望まれる姿のモデルです。イエスは単に私たちの救い主であるばかりか、私たちのうちに住まわれて、私たち、栄光ある多くの子たちを長子であるご自分と同じ姿に形造ってくださるのです。
「神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者イエスキリストを、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。」(ヘブル2:10)
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神はあらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」(ローマ8:28−29)
「またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造りだされた、新しい人を身に着るべきことでした。」(エペソ4:23)
しかしそれと同時に、「イエスのようになれるのは、イエスだけである」ことを私たちはしっかり認識する必要があります。そうなるためには、私たちがますます主に服従し、主の内に住まい、主のことばが私たちの内に住まうならば、主は私たちのうちに単に「主のいのちに似たいのち」を現してくださるのではなく、「主のいのちそのもの」を現してくださるのです!
キリストご自身が私たちの内に住まわれるということこそ神の永遠の目的の成就であり、それは即ち、「人をキリストの姿に創造する」ということです。この「主イエスの臨在が私たちの内に現われ出る」ことが、要塞を打ち砕く私たちの宣言に権威を与え、戦いを力強いものとするのです。
ですから、あなたの内に「イエスの姿に見習わず、イエスの教えに従わない考え、思い、態度」があるならば、それらを客観的に考察することを学ばねばなりません。あなたはそのような思考をとりこにし、間違った態度を十字架につけねばなりません。
私たちは、自分の内に主の来られる道を備えねばなりません。 あなたはただ「主を信じる believe in Him」だけではなく、「主が信じるように信じる believe like Him」まで主の御霊の中に入り一つにならねばなりません。そのためにあなたの上に主の統治、主の主権が増し加わることを願ってください。拒んではなりません。 その時、主の愛、思い、考え、願いがあなたの内から流れ出るようになるのです。
あなたがサタンの要塞を明確に見分けてそれを打ち砕こうとするときに、まず壊滅すべき二つ目の要塞 は「不信仰」 です。
I
「キリストと同じ姿になるなんて、私には絶対不可能だ」という偽りの思いを吹き込むのが敵の策略であり、それによってあなたのすべての霊的成長がとりこにされてしまいます。サタンの嘘や心を縛り付ける鎖を、私たちは自分の人生から除き去らねばなりません。
ですから、今この時にあなたの霊のうちに祈り始めてください。 あなたの心に聖霊を立ち上がらせあふれさせてください。もしあなたが「おまえは絶対にキリストのようにはなれない」と告げる要塞に苦しめられているならば、今それは打ち壊され始めます。
祈りましょう。
主イエスよ、あなたに服従いたします。「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力あるものです。」(第2コリント10:3−4)
「私はイエスのようには絶対なれない」という偽りを、自分の罪の言い訳にし、又、自分の信念を妥協させるために用いたことを悔い改めます。
私は自分の弱く罪深い古い性質を、イエスの御名によって断ち切ります。そして神の恵みと御霊の力により、私の思いの中に存在している不信仰の要塞を打ち砕きます。
イエス・キリストの完全な生け贄の故に、私は新しく創造された者です。そして私は栄光から栄光へと進むことを信じます。神と共に歩くとき、私はキリストの姿へとますます変えられていきます。(終り)
28 01月
神のフェイバー(特別な厚意)
グラハム・クック
今回は「神のフェイバーは、私が今置かれる状況の中で、私の益のためにどのように働くのか」を考えてみたいと思います。
まず「神からフェイバーを受けている」とは、「神にお願いすることが許されていて、神に求めることができ、ドアが開かれるように叩くことができる」ということです。そして、キリストにあって神の約束はすべて「YesでありAmen」である故に、あなたの求めに対する神の答えは、必ず「Yes」であると確信することができます。これを忘れないでください。
又、「神からフェイバーを受けている」とは、「神は あなたの人生に深く介入することをとても喜んでおられる」ということです。
なぜならば私たちがもっと大きな夢を抱くように神は教えたくてたまらないからです。
神があなたに抱く願望を、あなたの霊がキャッチするならば、あなたの心は大きく広がるのです。
ですから 「神は私の味方であり、私と共におられ、すばらしい結末をすでに計画されておられ、その計画を見出すのは私たちにとってとてもうれしく喜ばしいことである。」というのが私たちの出発点です。確かに色々な問題、困難は起きてくるでしょう。しかし、神とあなたによって対処できないことなど一つもないのです。
神と私たちの関係は、神がまずあなたの心の中に働きかけてくださり、次にそこで起こることをあなたの思考の内に引き入れてくださるのです。
あなたはまず、 神のあなたへの愛情に自分自身を繋げるのです。神は意図的にあなたをすごく贔屓(ひいき)していることをいつも心に留めておいてください。
あなたは神の大のお気に入りであり、神があなたに与えようとしている有利な立場を今まさに受け取ろうとしているのです。
ですから、今 神のフィエバーの中にゆっくりと安息し、リラックスすることが大切です。それは必ず起こります。
そして神のフェイバーを得ているという確信は、あなたを安息、平安、喜びへと導きます。
ですから今、深く息を吸ってください。もしも心配していたり、パニックになっていたり、自分に否定的な思いを抱いているならば、あなたは学ぶことも受け取ることも出来ません。神は常にあなたの味方であり、決してあなたに敵対する方ではありません。
ですから、大事なポイントは「今、ここで、神はあなたのためにどのような方となり、何をしてくださるのか」ということであり、これが即ち、あなたへの神のフェイバーです。今の状況の中で神が目的とされるのは、あなたを神との更に深い関係、深い交わりへと導き入れることです。
神の「目的」に神との「関係」が合わさったとき、新しいあなたの領地が開かれます。領地とは、 あなたの職場、グループ、家族、友人等のなかで、それが何であれ、今起こっている状況のことです。
もしあなたが今外国にいるならば、特別な神のフェイバーを必要としているかもしれませんし、又は家の近所で何かが起こっているかもしれません。あなたの領地とは、神のフェイバーを受け取る訓練をする場所なのです。
私たちはフェイバーを受けるための訓練を受けています。
即ち、自分の領地の中でフェイバーを見つけ出す訓練を受けているのです。そこに必ず神のフェイバーが注がれていることを、常に意識し確信するためです。
新約の私たちに与えられている課題は、「あなたを決して離れず、すでにいつも共いてくださる神を、どのように捜し求めればいいのか」いうことです。
その意味は、あなたはいかなる状況の中でも、意識して神を捜し求めれば、必ずそこで「神を見る」ことができるようになるという事に他なりません。
疑いがあってはなりません。初めはなかなかそうならないかもしれませんが、やがてそれは必ず起こります。そのような経験を通して、私たちは主を信頼することを学び、主への信仰が強められるのです。
神のフェイバーを受けることは、一瞬にして分与されるというものではありません。それは神の愛をいつも喜びをもって意識することであり、そうすることによって、神は私たちと共におられるという平安に満ちた期待をいつも私たちの心に与えてくださるのです。
そして私たちが神のフェイバーを期待しつつ 神と共に歩く時に、私たちの心は喜びと楽しみに満たされるのです。
「喜びを持つこと」は又、 私たちが主と共に歩くことを学ぶための素晴らしい道具の一つとなります。
なぜなら、人生のどのような状況の中にあっても喜ぶことを学ぶならば、その喜びが生み出す神のフェイバーは、私たちが人生で経験するいかなる否定的な思いや感情によっても、侵害されることは絶対にないからです。
その時、私たちの状況の中で問題だったものは、神が造りだす可能性へと変えられていきます。
私の心が神の心によって治められることを神に委ねるプロセスを、私は非常に愛しています。そのプロセスによって、無邪気な幼子が持つような単純な信頼感が私の内に涌き上がるのです。
神はいつもまず「信頼」から事を始められます。なぜならば、信頼は信じる喜びと平安を作り出すからです。
そして信頼が確立されたときに信仰が生まれます。信頼と信仰は一つのコインの両面のようなものです。
信頼によって私たちは神が善いお方であることを信じ期待します。「神は私の味方である」と信頼し期待するとき、私たちは神の心を知り、神が私たちに与えてくださる約束を受け取る用意ができるのです。
そして、そのような神の約束を受け取る能力が与えられるのも、神からのフェイバーなのです。(終り)
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