21 06月
あなたが証しをする時、あなたは世界にむかって預言する ビル・ヨント 6月21日
あなたが証しをする時、あなたは世界にむかって預言をしているのだ
ビル・ヨント
「イエスのあかしは預言の霊です。」 黙示録19:10
あかしは私たちの持つもっとも力ある武器の一つであり、今暗闇の力をすべての国々から追放しはじめている!
主の大いなる愛と力に触れられたものはみな、立ち上がって屋上から主がなしてくださったことを叫べと、今天の父はすべての者にむかって要求されています。私は今はその時「カイロス」だと感じています。
自分では小さな何でもないあかしに過ぎないとおもうことでも、世界に伝染していって火をつけることができるのです。それゆえに神はあなたにあかしをせよと言われるのです!あなたのあかしのDNA(遺伝子)は預言の霊を含んでいます。なぜならばそれはあなたのあかしではなく、イエスのご自身のあかしであり、世界にむかって主の途方もない伝染力のある恵みと憐れみの業を、あなたを通してあかししているからです!
あなたのあかしには預言の霊も含まれている!
あかしとは、神があなたの人生で何をしてくださったかを公に宣言することです。あかし(testimony)という言葉は、「再び行う」という意味を持つ語根から派生しています。あかしの持つ伝染力は、神が一度されたことはあなたのために、また全世界のために、もう一度してくださるということです!
あなたが自分の人生で神がしてくださったことをあかしするとき、それは実際、神はあなたのためにこれからもずっと続けてしてくださることを預言しているのです。
例えば、神があなたのあることを癒してくださったというあかしをするとき、あなたは実際あなたのほかの部分―霊、魂、身体―も癒し続けてくださることを預言しているのです。 主は始められたことは完成させられるからです。
山を流れるなだれに「何がきっかけで流れ始めましたか?」と聞いてごらんなさい。一片の雪だというでしょう!
今世界中に広がっていて、もうすぐあなたの戸口まで来ようとしているフロリダ州レイクランドの聖霊の傾注は、ただ一人のひと、タッド・ベントリーのただ一つのあかしから始まったかもしれないのです。何年も前のことですが、彼は主が自分の人生で何をしてくださったかという体験を人々に話はじめました。この「あかし」は世界規模のリバイバルの「預言」だったようです。勿論、沢山の人々の沢山のあかしが、地上から立ち上ってきたので、多くの天使がレイクランドになだれのようにやってきたのです。そしてそれによって天が開け、大勢の天使たちが世界中に今おりてくるようになっています。
過去神がしてくださったことをあかしするとき、あなたの未来の勝利をあなたは預言していることをご存知でしょうか?
1サムエル17:37 「ついで、ダビデは言った。『獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。』 サウルはダビデに言った。『行きなさい。主があなたとともにおられるように。』 」
ダビデがあかししているときに預言の霊が働き始め、ダビデはゴリアテが敗北すること、又その後でダビデによって一万人が殺され、その他の敵も殺されることを預言をしたのです。
兄弟たちは小羊の血と自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った!
5年前私が心臓発作に襲われましたが、主は私が少しづつ癒されることを示してくださいました。その日から私はどこへ行っても、私は癒しによって襲われているとあかししています。
私は5年もの間、ちょうど妊婦のように、私の中に癒しという赤ちゃんを孕んでいたのです。正直なところ、心臓が癒されているようには感じられないときもありましたが、「我が家(神の家族)は癒しの起こる家系だ!」というのが真理だったのです。
5年間、定期的なコレステロールと血液の検査を続けて来た結果は、徐々に良くなり、丁度先週、ついにコレステロールや心臓のための薬が必要ではなくなったのです!
どんな小さなことでもあなたの健康が少しでも改善されたときは、感謝の心で屋上から大声で叫んでください。そうすればあなたは、癒しの満ち溢れる主の門の中に入っていくのです。そして癒し主なる主ご自身があなたの中に入ってくださるまで感謝しつづけてください!癒しや奇跡があなたのところにまだ届いていなくても、それが今やってくることをあかしし、今あなたのところに来る途中であると預言できるのです!
神がしてくださったことをあかししなくなった人が大勢いる
最近あまり自分にはあかしすることがないと思うならば、あなたの人生で神が何かをしてくださったところまで戻って、それを繰り返して言ってみてください。そうすれば、聖霊が再びあなたの今の人生の中で活発に働いてくださるのを見るようになるでしょう。
ある私の知っている牧師は、自分の教会の人たちの中で何も奇跡が起こっていないときは、他の場所で神が働いておられるあかしを探して、それを自分の教会で話すようにしています。
すると人々の信仰が高められ、彼らも自分たちの生活の中で神が働いてくださった経験を話し出すのです。私はこの教会に年に一回くらい行きますが、その牧師が「誰かあかしがありますか?」と尋ねると、人々は走るようにして前に出てきて、今まで聞いたこともないようなすごくユニークで力強い神のみ業のあかしをするのです。たまたま来ている訪問者さえ、自分の癒しや奇跡のあかしをすることもあります!
誰かが作った話なのですが、イエスのもとに体の不自由な男を連れていこうとした4人の男の話があります。 その話はこうです。・・・・・・4人の男のうちの一人が言った。「私は盲目だったが、イエスが目に触れてくださって見えるようになった。だから、疑いたくはないんだけど、それにしてもこの男の状態は私よりもっとひどいからなぁ。」 2人目の男は言った。「確かにイエスは私の萎えた手に触れて癒してくださったけど、こんなに重症な男は治せるとは思えない。連れていくのは無駄だ。」 三人目の男は言った。「イエスはらい病人だった私を癒して清めてくださったから、疑いたくはないのだけれど、しかし、やっぱりこの男はもう長くはないと思うよ。」
この3人は、最後の4人目の男がどのようにイエスの能力に疑問をもち批判をするかを聞くために、彼に注目した。だが、彼が自分の名前を大声で言うのを聞いて驚いてしまった。彼はこう言った。「私の名はラザロだ。あかししてもいいかい。生きているって いいね! 私が死の鎖につながれていたとき、イエスが呼び出してくださった!この男の問題がイエスには大きすぎると思っているならば、神の偉大なる声を聞いた者から学んでくれ!私の名はラザロだ!」
「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」使徒行伝4:20
さあ、あかしをしに出かけようではありませんか!(終わり)
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