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Walk With God Ministries


25 07月

リバイバルは始まったばかりです リック・ジョイナー 7月25日


リバイバルは始まったばかりです

リック・ジョイナー

先日の日曜礼拝で、出席者に対して次の質問のアンケートをとりました。
1.リバイバルを通してイエスを信じた人は?
2.クルセードや伝道集会を通してイエスを信じた人は?
3.クリスチャン・テレビを通してイエスを信じた人は?
4.友達や親戚の証を通してイエスを信じた人は?

その時の礼拝には千名ほどがおりましたが、結果は次のようなものでした。
1.3人
2.7,8人
3.4,5人
4.その他の全員

私はこれまでも同じ質問を多くのクリスチャンの集会、教会、カンファレンスでしてきたのですが、結果は基本的にこれと同じでした。
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この結果からまず初めに引き出せる結論は、一番効果的な伝道の力は活気のある教会が持っているということです。教会が励まされ元気になると、みんなが自分の信仰を友人や親戚に証しするようになります。そして、これこそすべての伝道方法の中でも飛びぬけて効果的なものなのです。


「新しく人が救われてこないならば、それは真のリバイバルとは呼べない」と多くのクリスチャンが言っているのを私は知っています。また社会に影響を与えてトランスフォーメーションを起こさないならば、それは真のリバイバルではないとも言われます。私もこの意見に同意するものです。しかし、真のリバイバルかどうかを本当に正しく判断するためには、長期間に亘っての成果を見てゆく必要があるのです。

もしリバイバルが教会をリバイブするだけだとしても、それはすばらしいことです。リバイバルを伝道集会にするよりも、教会がリバイブされたほうが多くの魂が救われることになるでしょう。同じように、第二次霊的大覚醒のときのようにリバイバルを政治的な働きにするよりも(第二時霊的大覚醒のときはそれが南北戦争へと進展していきました)塩気をとりもどした塩によって社会はもっと大きな影響を受け変革されるでしょう。


リバイバルに本来の役目を果たさせることによって、政治的にも社会的にも大きな影響を与えることができるのです。勿論、民主主義社会の中で私たちは機会を与えられているのですから、政治的にも参加するべきです。これはクリスチャンの権利というよりはむしろ義務です。しかしながら、リバイバルは直接的な政治行動のために与えられているのではなく、間接的に都市、州、あるいは国を神の義へと正していくものです。


「リバイバル 」という言葉は「リバイブ」から来ていますが、それは教会に再びいのちを与えるとか、あるいは、死んでいる教会を甦らせることを意味します。これはいろいろなレベルで起こります。眠っている教会の目を覚まさせることや、全くいのちが無いけれど霊的ライフサポートによってかろうじて生かされている教会を甦らせることまであります。一つの教会で起こるかもしれませんし、その地区の教会全体、しいては世界的なキリストのからだに影響を及ぼすこともあります。


リバイバルが来るときはそれが本当に必要とされていたのであり、それは私たちの必要を満たすために神が与えてくださる恵みです。私たちはそれを大喜びで受け取り、その波にうまく乗ってできるだけ遠くまで行くべきです。しかしながら、それが神のムーブメントの最終的なものではなく、むしろ始まりであることを、常に心に留めておかねばなりません。教会がリバイブされたならば、それからすべき仕事が沢山あるのです。そして教会が果たすべき仕事をキチンとするならば、もう再びリバイブされる必要はないはずです。
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リバイバルが送られる目的が教会をリバイブするという性質上、それは人生で最も私たちをわくわくさせる、エクサイティングなものの一つです。この理由で、多くの者がリバイバルの雰囲気の虜になって、そこから離れたくなくなってしまいます。それは理解できることではありますが、私たちが本当に成熟するためには、ある時点でそこから離れることが、普通、必要とされます。

私たちが求めるべきことはリバイバルの雰囲気ではなく、神に近づくことです。リバイバルの雰囲気とは、主の臨在に加えて大勢の人から出る偉大なエネルギーです。これはリバイバルにとって正当なことですが、人間的な興奮も伝染するものだということを認識していなければなりません。クリスチャンたちが再びエキサイトするのを見るのは大変すばらしいのですが、このエキサイトメントはそれで終わるのではなく、生活の中で神の御心に従うという実を結んでいかねばなりません。

歴史上最も偉大な神のムーブメントで永続的な実を残したものの中には、リバイバルを出発点としていず、今のリバイバルの定義にはあてはまらない経過をたどったものがあることを、私たちは忘れてはなりません。その一つはモラビアンでしょう。彼らはおそらく教会史上のどのムーブメントより永続的な実を残し、キリストのからだと社会全体に最も広く影響を与えました。

確かに彼らは「モラビアン・ペンテコステ」と呼ばれるものを経験し、聖霊が「ペンテコステの日」のように彼らの上に降りました。しかし、彼らは世界で最も困難な場所で骨を折って常に働き、その実は当時の他のムーブメントと比べればほんのわずかなものでしたが、それを蒔いたのです。そして、彼らが蒔いた種は、過去数百年にわたり、第一と第二の大覚醒、近代のいくつかのミッション、偉大な祈りのムーブメント、そして現在に至るまで様々なものを生み出してきたのです。全く多くの実ではありませんか!


ヴァンス・ハヴナー師(1901-1986)はリバイバルをデパートの大セールにたとえました。大セールは広く宣伝され興奮を呼びますが、これがデパートの通常の商売ではありません。通常の商売は毎日の忠実な商品の商いです。それと同じように、リバイバルは教会の中で最も報道されエクサイティングなことであり必要なことですが、それは教会の働きの中の小さな部分でしかありません。大セールはやがて終わりますが、デパートがなくなるわけではありません。リバイバルが過ぎていくとき、リバイバルによって生まれたモーメンタムは失わないで、私たちも同じように日常の仕事に戻らねばならないのです。


それはともかく現在私たちはリバイバルを迎えていて、しかもそれは始まったばかりですし、このリバイバルのピークを見るのはずっと先のことになるでしょう。私が信頼している預言者たちの言葉によると、このリバイバルは三年続くといいます。それはリバイバルとしては長い期間と言えます。しかし、リバイバルが終息 しても、すべてが終了するわけではありません。もし私たちがその次の段階にうまく移行できれば、神の御業は止まらずにもっと高くもっと深く変化しながら進んでいきます。絶えず変化していくのは、幼児が成熟した大人になるまで絶えず変わっていかねばならないのとちょうど同じです。


高い軌道にのる

この移行が知恵と戦略をもって遂行されるならば、私たちはリバイバルが終息するときに後ろ髪を引かれるような思いはなく、むしろ新しい何かにむかって進むという期待感を持つと思います。この移行の過渡期を知恵と戦略を持って進むためには、まずリバイバルを中途半端に終わらせてしまうのではなく、リバイバルがそのすべての任務を成し終えるのを許さねばなりません。

何年も前のことですが、夢やヴィジョンや御ことばを通して、私たちのミニストリーは発射されたロケットに喩えられてきました。この喩えは正確なもので、ミニストリーが辿ってきた各段階を通じて非常に私たちの役に立ったことが証明されました。そしてこの喩えが今キリストのからだ全体に訪れていることにも適応すると思います。

ロケットの発射直後と同じように、ロケットが次の段階に切り替わる所に到達するためには「ブースター」の燃料はすべて燃やされねばなりません。リバイバルは単に最初の段階かもしれませんが、私たちが召されている軌道に乗るためにはその段階が途中で止められたり、次の段階に時期尚早に火がつけられたりしてはいけないのです。


もし最初の段階、即ち教会を生き返らせ励ます段階がその目標を達成するならば、次の段階、即ち失われた魂の救いは、今その第二段階を早急に始めてしまうよりもずっと大きな成果があるでしょう。現在、多分そしてこれから 2,3年の間は、この教会を励ますことが私たちにできる最も重要な仕事でしょう。もう一度申しますが、世界で一番効果的で力ある伝道は、勇気づけられた元気な教会なのですから。

私たちはサタンからの圧迫を受けて悩みがあったり病気だったりすると、力を奮い立たせることは困難です。ですから今日教会のために癒しや奇跡、開放が強調されるのは大変重要なことなのです。やがて時が来れば教会は癒され、私たちは次の段階に進むことができるでしょう。そして癒された者たちが今度は失われた魂の癒し手になるでしょう。

それと同じように、ロケットの第二段階は、私たちが召されている軌道に届くための第三段階に移行する前に、完全に燃やされねばなりません。第三段階とは社会のトランスフォーメーションです。この段階に正確な速度と高度で入ることは大変重要です。これが今起こっていることの最大の目的だからです。

黙示録にある終わりのラッパ、あるいは神のメッセージは「われわれの神は王となられ、すべ治められる。」(黙示録19:6参照)、即ち、御国の福音です。この福音は一世紀以来語られていませんが、主が再臨されるまでに世界中で語られねばならないことです。教会はこの福音を語り、しかも御国の力を持って実際に生活している立場から語るために、いま調えられているのです。つまり主の道を備えるために備えられているのです。

主は来られます。主は地上に主の御国を建てられ、御心が天で行われるように地でも行われることを実現されるのです。イザヤ40章にあるように、主の道を整えるとは、大路、ハイウェイを作ることです。神のハイウェイは「higher way より高い道」であり、主に到達する道です。このハイウェイや御国の福音のついてはいずれ詳しく述べたいと思いますが、今は神がしておられることを理解し、その恩恵を十分に受けることが大切です。

すでに述べたように、早まって第一段階を放棄して、ロケットが必要なスピードと高度に達する前に第二段階を点火しようとすると、目指す目標に達することは不可能になります。これは第二段階から第三段階への移行に関しても同じことが言えます。多くの人が第二と第三段階のために調えられていますから、彼らが早く自分の仕事をしたいと思うのは無理もありません。しかし、彼らも、そしてまた教会も、そのときが来るまでは本当にはまだ整えられてはいないのです。

現在神の第一段階の働きの火が燃え続けていますから、このロケットはより速くより高く飛んでいくことが期待できます。より高いとはもっと偉大な奇跡という意味であり、より速くとは奇跡がもっと速く起こるということです。私たちが横に逸れずに進んで行き目指す軌道に到達するならば、これからの教会はこのような奇跡が起こるのが普通のこととなるでしょう。

揺り動かし

私は宇宙飛行士を何人か知っていますが、皆がロケット発射のときのすさまじい揺れについて話してくれます。初めての人はひどい振動でロケットがばらばらになってしまうと感じるかもしれません。現在起こっていることは、ある大いなることが打ち上げられたのであり、全教会が揺り動かされることが予測されます。それは教会がばらばらになってしまうのではないかと多くが疑念するほどです。そんなことにはなりませんが、私たちにはこの揺り動かしが必要なのです。ヘブル12章で言われているように、すべて揺り動かされるものは揺り動かされて、神からのものだけが残るのです。神からのものは揺り動かされた後にも必ず残ることは確かです。

発射されたロケットの喩えを使えば、現在の神の動きは発射台を離れたか離れないかというところで、第一段階が終了するまでにはまだ長い道のりがあります。揺り動かしは更に激しくなり、第一段階の期間中続くでしょう。第一ブースターが燃え尽きるころには、揺れは少し納まるでしょうが、私たちが目指す軌道についに到達するまではなくならないでしょう。


多くの揺り動かしは迫害の故ですが、そのほとんどは宗教的な人々からのものです。歴史を見ると、新しく始まった神のムーブメントに対する迫害は、その一つ前に起こったムーブメントのリーダーたちから起こされます。この大いなる悲劇は過去のリーダーによって達成された多くの実(それは彼らが迫害する新しいムーブメントに備える助けもしたのですが)を疑いもなく帳消しにしてしまいます。この悲劇は往々にして避けることができません。それは堕落の前にプライドが来るからであり、神に大きく用いられた器がプライドという最も恐ろしい罠を逃れることはほとんど不可能なのです。プライドは容易に嫉妬心を抱くものです。イエスが十字架につけられたのは嫉妬心故だと書かれています。(マルコ15:10)一番小さな者にするのは主
18 07月

神によらないとりなしを悔い改める祈り  ポール・コックス  7月18日


神によらないとりなしを悔い改める祈り

ポール・コックス

この祈りが生まれたいきさつ

私がノース・キャロライナのアッシュヴィルでミニストリーをしていた時のことですが、一人の婦人が膝の痛みを訴えてきました。彼女のために祈ったところ、この婦人はとりなし手であることを自分のアイデンティティーにしていたことが明瞭になりました。彼女もその通りであることを認めました。彼女は自分の放埓な息子のために祈るとき平安がありませんでした。絶えず祈り断食せねばならないように感じていました。
 
彼女のために皆で祈っていると、彼女が傷を受けた幼いころの記憶を主が思いおこさせ、その時点にまで彼女を連れていきました。4歳の彼女は男の人たちを恐れて隠れていました。そしてイエス様にも会いたいとは思っていませんでしたが、しだいにイエス様は安全な方であり、自分の隠れ場所にお招きしても大丈夫な事がわかりました。そこで彼女はイエス様を招き入れ、イエス様は彼女を癒し清めてくださいました。

そして、女の子とイエス様が遊んでいたときに大きな転機が訪れました。それは彼女がイエス様に自分の人形を抱くことを許したことでした。そして、彼女は人形の世話をイエス様に任せても大丈夫なのだから、自分の息子の世話もイエス様に任せることができるのだとわかったのです。自分が息子を愛するよりも、イエス様はもっと息子を愛していてくださることがわかったのです。今までずっと自分で背負ってきた息子やその他の重荷を、彼女はイエス様に渡しました。
彼女は今までは、自分の力でがんばる、努力の業に基礎をおいた、神によらないとりなしをしてきたのです。そのようなとりなしによって膝に付着してしまった彼女の不従順を取り去ってくださいと、私たちは主に祈りました。彼女がとりなしの重荷を主に明け渡し安息に入り、自分の心配事を完全に主に委ねたときに、彼女の膝の痛みは去りました。この経験から「神によらないとりなしの祈りを悔い改める祈り」は生まれました。

神によらないとりなしを悔い改める祈り

自分と自分の家系のために、今まで口にした神によらないすべての邪悪な祈り、人をコントロールする魔術の祈り、信仰からではなく恐れから生まれた祈りを悔い改め断ち切ります。主よ、どうか私の人生から、私のDNAから、そのすべての悪を取り除いて、あなたの臨在と聖霊の力を私の人生に取り戻してください。

私と私の家系が、あなたの言葉を待って仕えずに、自分の持ち場を離れて見張りを怠ったことを、悔い改め断ち切ります。私は今城壁で見張り役になり、主を待ち望み、主が私に語られるのを聞くことを選び取ります。主よ、これからの世代がそれを持って走れるように、まぼろしを書き記すことを選び取ります。私はまぼろしが遅れることのないように、主のタイミングを選び取ります。(ハバクク1:17-2:3)

主にではなく自分の悟りにより頼んだことを、そして主よ、あなたの御心ではなく自分の思いを祈ったことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。あなたの生ける御ことばにより頼まず、あなたが豊かに与えてくださるいのちの代わりに死を私の愛する者たちの上に語っていたことを、悔い改め断ち切ります。

あなたの御心と望みを祈り求めるのではなく、私たちの思いと願いを祈り求めていたことを、私と家系のために悔い改め断ち切ります。神よ、全能のあなたをみくびり、あなたを通してなら総てが可能であることを信じて来なかったことを悔い改めます。

あなたからの夢があまりにも大きいので、それを受け取らず祈りもしなかったことを、悔い改め断ち切ります。どうか私のうちに信仰と期待という賜物を与え、あなたには私が考えたり想像するよりもっとすばらしいことが可能なことが理解できるようにしてください。あなたが私に与えてくださった夢や願いを受け取り、あなたにはすべてが可能であることを信じることを私は選びます。

自分に与えられた権威の領域から出てしまい、あなたが戦えと命じなかった戦いを戦ってしまったことを、悔い改め断ち切ります。

自分の周りで起こっている状況を見て、肉的で世俗的な立場からのみ祈ったことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。主よ、主との交わりや真実を土台としていないものに誤ってより頼み、その結果失望させられた私をお赦しください。あなたは私の罪の代価をすでに支払ってくださいました。

疑い、不信仰、自己義認、プライド、嫉妬、ねたみ、恐れ、かたくなさ、競争心、利己的野心、裁き、欺きから祈った祈りを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。主よ、私の中にある苦々しい裁きの根を、どうか取り去ってください。罪を土台にしたすべての邪悪なとりなしの祈りを取り去ってください。ブレイクスルーの天使を遣わしてくださり、すべての神によらないとりなし、祈り、自己義認の祈り、すべての肉的な祈り、健全でない祈りをうち破り、打ちこわし、消し去り、破壊するようにお願いします。私は力と愛と慎みの中を歩くことを選び取ります。

自分の利益のために利己的な動機で祈った人をコントロールし操縦する祈りを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。(イザヤ54:17)父よ、すべての肉的な祈り、神からではないとりなし、預言、宣言によって私や家族に降りかかったのろいを取り去り、無効にしてください。それと共に、私や私の家族のために祈った人が、主の御心でなく彼らの思いで祈ったゆえに、それを知ってしたか知らずにしたかにかかわらず、私と私の家族にのろいをもたらしたことを赦します。

あなたと共に天の御座に座して安息して祈るのではなく、不安と心配で苦しみながら切迫感をもって祈ったことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。主よ、あなたが私のために用意していてくださる勝利にだけ目を留めることを私は選び取ります。(ピリピ4:6)

あなたからのとりなしの重荷ではなく、宗教的、組織的そして人間が作り出したとりなしのくびきを負っていたことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。どうか私と私の家系から、邪悪なくびきと偽りのとりなしの重荷を取り去ってください。私が神からではない宗教的、組織的権威と交わしたすべての合意を破棄します。

すべての邪悪な呪文、儀式的な繰り言の祈りを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。どうかこのような不義の祈りによって力を得た邪悪な霊的勢力と、活性化されたのろいを取り去ってください。人間が作りあげた儀
11 07月

何故イスラエルを気にかけるのか? サンドラ・テプリンスキー 7月11日


何故イスラエルを気にかけるのか?

サンドラ・テプリンスキー


ヘブル語の聖書を詳しく調べると、「祝福」という言葉が意味する中心的概念がわかってきます。 言うまでもないことでしょうが、現在私たちが持っている祝福という言葉の概念と、ヘブル語のもともとの意味とは劇的に異なることが明らかになりました。創世記12:3で、ヤーウェはアブラハムに「あなたを祝福するものをわたしは祝福する」と言われました。この箇所では祝福するbless にはbarekhという語が使われており、それはヘブル語の語幹であるbarakhから派生しています。驚いたことにはbarakhは「膝まづくto kneel」という意味を持つのです。

ですから誰かを「祝福する」ためには、身体の姿勢ではないとしても、私たちのこころの姿勢が問われるのです。祝福することは、その土台として、まず膝まづくことが暗示・内包されています。人の前で膝まづくことは、敬意、好意、服従、奉仕を表しています。それは人のために自分の命を投げ出す姿勢です。これは今私たちが祝福という言葉を使うときに考えることでしょうか?答えは明らかです。
 
しかしもう少し詳しく調べてみますと、語根であるbarakhは膝まづくという意味ですが、一方barekh(bless祝福する)という言葉は,霊的、物質的に豊かにすることを意味します。Barakhとbarekhを一緒にすると、神が私たちを祝福されるとき、神はいわば膝まづいて私たちを豊かにしてくださるのだということがわかりました。それは私たちの心を震えさせへりくだらせる驚くべき組み合わせです!

まことにイエシュア(イエス)は、神に似せて造られたちりにすぎない私たちの間に住むために、栄光をすべて捨てて無となられました。主のミニストリーが頂点に達しようとする直前に、主は膝まづいて12人の弟子の汚れた足を洗われました。そして十字架にかけられ、血と汗にまみれて苦しみ死なれました。主の私たちへの「祝福」には限りがありません。

聖く偉大な父なる神が、あなたを豊かにするために膝まづいている姿を想像してください。それはあたかも愛情深い父親が、小さな子供と顔と顔を合わせて話すために膝まづいているようです。私たちの二人の娘がまだ小さかったとき、夫のケリーは彼らと顔と顔を合わせて遊んだり祈ったり、またときには叱ったりするために、床に膝まづいたものです。夫は子供たちを豊かにするために膝まづいたのです。子供たちがその時必要としていることや欲しいものを与えるために、彼らのレベルにまで身を低くしたのです。創造主なる神もそれと同じことをあなたや私のためにしてくださいます。 詩篇18:35でユダヤ人の詩人が「あなたは、自ら降り/わたしを強い者としてくださる。」(新共同訳)と高らかに謳っている通りです。

祝福のへりくだり

聖書の中では主を祝福する(Bless the Lord)という言葉が多く出てきます。しかし今日私たちが「Bless God!」と言うのは、「すばらしい!」というような軽い意味で使っているのではないでしょうか。本当に私たちは誠実に主を祝福しようとしているのでしょうか? しかし宇宙の王は、私たちを豊かにするために膝まづいてくださるのです。

「あなたを祝福するものをわたしは祝福する。」という神の約束が、どれほど恵み深いものであるかがお分かりになったでしょうか? アブラハムと彼の契約の子供たちを豊かにするために膝まづくすべての人のために、ヤーウェは膝まづいて彼らを豊かにしてくださるというのです。ユダヤ人と、私たちが彼らを祝福することを通して、神は聖霊の新しいアウトポアリングの水門を開いてくださろうとしているのです。

アブラハム、あるいはユダヤの人々の前に膝まづく、というのは、彼らを崇拝するということではありません。それはキリストのようなへりくだりの心から流れ出る敬意・好意・服従・奉仕の姿勢です。このへりくだりを私たちの中に見るとき、主は私たちを祝福したいという思いを強く持たれるのです。イスラエルに祝福を与えるために神が回復したいと思っておられるのは、まさにこの私たちのへりくだりであり、一番大切なポイントであるのにも拘らず、往々にして欠落しているものなのです。

イスラエルは祝福を失ったのか?

皆さんは質問されるでしょうか。「イスラエルは神の律法を完全に守ることができなかった。そしてイエスをメシアとして拒絶した。そのイスラエルがどうしてアブラハムの祝福を受けることができるのか?」と。これに対する神の答えは、私たちにへりくだりの思いを起こさせます。
 
確かに、他の国々と同じようにイスラエルは罪を犯しました。しかし、イスラエルが祝福を決して失うことはない主な理由が二つあります。第一の理由は、もし民の中に数人でも義人がいるならば、神は民全体を滅ぼさないで救うことがあることです。歴史を通して神はご自分のために忠実なるユダヤ人のレムナントを残しておかれました。新しい契約の後には、神はイェシュアをメシアとして信じ従うレムナントを生き残らせてきました。これらメシアニック・ジューのレムナントはイスラエル全体の救いを祈っています。

第二に、そしてこれが最も重要なことですが、イスラエルが罪を犯しても、神がイスラエルに約束された祝福は、取り消されるとか無効になることは絶対にないという事実です。なぜならば、祝福は契約の基本に由来するものだからです。聖書の契約は法律と同じで、条件がある場合と無条件な場合があります。もし条件つきの契約ならば、それが成就するためにはある必要条件が満たされなければなりません。もし神が条件付き契約を結ばれるならば、神がご自分の契約を果たし成就される前に、契約相手はその条件を満たさねばなりません。しかし、もしその契約が無条件であるならば、神は相手が何かをするのを待つ必要はないのです。神が無条件契約を成就されるのは、人間側の応答に関係もなく、また左右もされません。言い換えれば、人間の罪は神の無条件契約を取り消すことも無効にすることもできないのです。驚くべき恵みではありませんか!

ヤーウェがアブラハムと結んだ契約、即ち祝福とのろいに関する約束ですが、それは無条件でした。契約の中で、神はご自分にだけ責任を課したのであり、アブラハムや彼の子孫には何も課しませんでした。これは創世記15:1-21に鮮明に描かれています。神はアブラハムにいろいろな動物を生贄とすることを指図し、神が火として生贄の中を通られました。この儀式はアブラハムの時代に使われていた方法で、二者間で契約を結ぶときに用いられま
06 07月

6月23日にレイクランドで行われた記念すべき式典の報告  ピーター・ワグナー 7月6日


タッド・ベントリー師に関する記念すべき式典の報告

ピーター・ワグナー 2008年6月24日


皆様ご存知のように、今まで三週間に起こった様々な状況によって(すべては神の御手によって計画され実行されたことだと信じます)、私はレイクランド・アウトポアリングとそれに関する論争の只中に深く関わることになりました。

私は今フロリダ州レイクランドでこの文章を書いています。6月22日の夜、妻のドリスと私はテントで行われている集会に出席しました。一万人が集まっていましたが、それはテントで集会を始めてからの最大の人数でした。その日はアウトポアリングが始まってから82日目でした。

タッド・ベントリーは、メッセージの時間を使って、彼が2005年から2007年にかけての18ヶ月間に経験した「魂の暗い夜」について、これまでより詳細に語りました。ミニストリーを始めてからの10年間、彼がいかに高慢になっていたか、そして彼のプライドを砕くために神が彼を追いやった荒野の詳しい説明がされましたが、それは非常に正直な心打つ証でした。彼は自分の自制心が欠如していること、感情のコントロールができないこと、神を拒絶したこと、聖書を読むことが嫌いなこと、公衆の面前で泣き崩れること、また、子供のときに愛されずに拒絶されたこと、孤独、性的虐待を受けたこと、離婚寸前のような状態であったこと等々を、隠さずに話しました。彼は当時完全にバーンアウトしていて、21日間毎日4時間泣き続けたといいます。

その期間が終わったとき、神はタッドにすべてを回復してくださいました。スタッフ、結婚、ミニストリー、そして彼の性格も新しくされたのです。それは非常に人々の心を打つ証でした。被害者意識や自己憐憫は少しもありませんでした。それは自分の罪と、自分が不従順であった故に支払った代価の告白でした。ドリスと私はそれを聞いて大変感動し、思いがけずタッドの性格を深く知る機会が与えれたことを神に感謝しました。

神の働きの新しいシーズンの扉を開く

ドリスと私は、今までこれと同じようなアウトポアリング、特に70年代後期と80年代に起こったジョン・ウインバーのしるしと不思議の現象や、80年代、90年代のアルゼンチン・リバイバルに、非常に深く関与してきました。ですから、本物と偽者を見分ける能力を身につけるための経験、苦労は十分してきたと思いますし、この二つのムーブメントをサポートする判断をしたゆえに、厳しく手痛い批判も受けてきたのです。

テントでの集会に参加して観察していると、ウィンバーとアルゼンチンのリバイバルが大変懐かしく思い出されました。タッドとウィンバーとの身体の特徴が似ていることまで気がつきました。タッドの知識の言葉が正確なことは、昔の人としてはジョン・ウィンバーを、現在ではロバート・ヘンダーソンを思い起こさせました。ワーシップは、私たちがコロラドスプリングのフリーダム・チャーチでしているのと同じようでしたが、スケールがもっと大きく生き生きとしたものでした。そして私たちが今まで経験してきた大きなリバイバルの線を逸脱するようなものは何も見ませんでしたし、感じたりもしませんでした。神が起こされるリバイバルは、往々にして混乱があり、人々を宗教的安全圏から追い出す傾向がありますが、同時に神の働きの新しいシーズンへの門戸を開くものだということを、私たちは学んできました。

今まで私たちが通ってきた経験は、すべて昨夜、即ち6月23日のための準備でした。私たちはタッド・ベントレーのための使徒的アラインメント(一致協調することに同意する)の式をしたのです。その文面を下に添付しますが、要旨は、リバイバル・アライアンスを代表するチェ・アン師、ビル・ジョンソン師、ジョン・アーノット師にタッドがアラインされると同時に、彼らはタッドをレイクランド・アルトポアリングを導く伝道者として任命する、というものです。

私たちの中の数人が礼拝が始まる前にタッドと個人的に会見しましたが、彼がすばらしい人物だということがわかりました。ドリスと私は彼と会ったことは今までありませんでした。私は式がどのようなものかを彼に説明し、彼はそれに同意しました。彼が一つだけ変更したいことがあると言い出したときに、私はこれはおもしろいと思いました。というのは、彼がどれほど謙虚であるか、権威に従うことができるか、というテストをこっそりできると思ったからです。これはあくまでもタッドのミニストリーであり、タッドの集会であることを忘れないでください。それにもかかわらず、彼は私を式を執り行うリーダーに指名したのです。私は彼の提案は賢明なものではないと思うと述べ、彼は私の判断をすぐに受け入れました。私たちは一致したのです。実際、私たちはお互いを好ましく感じるようにまでなったのです!

レイクランド・アウトポアリングにおけるタッド・ベントリー師の任命

式のシナリオは:私がまず講壇に立ち、タッド・ベントリー師、チェ・アン師、ビル・ジョンソン師、並びにジョン・アーノット師を回りに呼び寄せる。次に幾人かのサポートをしてくれる使徒たちを壇上に呼ぶ。フロリダ州レイクランドのスティーブン・ストレイダー及びカール・ストレイダー、オーストラリア・シドニーのジェフ・ビーチャム、サウスキャロライナ州フォートミルのリック・ジョイナー、コロラド州コロラドスプリングのドリス・ワーグナー、イギリス・バートンのシャロン・ストーン、スペイン・チクラナのパコ・ガーシア、ルイジアナ州モンローのクラリス・フルット、アリゾナ州スコットデイルのリチャード・メイデン、アリゾナ州フィニックスのマイケル・メイデン、フロリダ州オーランドのジョシュア・フォウラー、カナダ・オッタワのバリー・ボウチャー、カナダ・ブリティッシュコロンビア・ケローナのウェスレー・キャンベル。残念ながら、ビショップ・ビル・ハモン師は旅行の問題でキャンセルされました。次に私が下に添付したものを読み上げ、私が冗談をいうのを望んだ人もあったようですが、それはぐっと思いとどまりました。式を終えて私はチェ・アン師にマイクを渡し、彼がその後を引き継ぎました。

チェ・アン師、ビル・ジョンソン師、ジョン・アーノット師の三人が、タッド・ベントリーの上に手を置き、チャック・ピアス師(彼はアフリカにいました)からこの日のために送られてきた特別の新しい「リバイブされよ」というオイルを注ぎました。タッドは聖霊の力をうけて倒れ、三人は彼に預言し、彼をレイク
28 06月

カルメル山で主の御霊が言われたこと キム・クレメント 6月28日


5月12日にカルメル山で主の御霊が言われたこと

キム・クレメント 


「音(サウンド、声)がする:宗教や人間の考え出した教義から出ているのではない音が聞こえる。キリストの音(声)が以前にはなかったほど大きく響いてくる。」と主が言われる。

「音がする。キリストの音(声)であるので、屋上の部屋(アッパー・ルーム)から聞こえる。そしてキリストの音は、バールを信じる政治家たちを再び打ち倒す。キリストの音はバールの政治家たちを打ち倒す。そしてわたしの民は火でバプテスマを受けるであろう。火のバプテスマを。」と主は言われる!

「再び音(声)が起こる。勝利の音だ。:今まで宗教の力がわたしの民を支配してきた。しかし、宗教の力を消滅させ無効にするものが、まもなく地上にやって来る。わたしは多くのダニエル、ダビデ、ルツ、エスターを興す。」と主は言われる。

わたしはイスラエルを除外しない

神は言われた。「かつてこの場所に集まったイスラエルの民が、二つの神の間でふらついていたこの聖なる場所から、わたしは事を始める。預言者エリヤは『あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか?』と言った。」主こそ神である! 主こそ神である!主こそ神である!

「分裂があり様々な意見(教義)があるが、わたしはその壁を打ち破りはじめる。わたしは壁を取り壊す。わたしは再びそれをしてもいいか? 分裂の壁、抑圧の壁。この山に集まっている今も、あの時と同じ火をわたしは送る。何千年も前に送ったのと同じ雨をわたしは送る。」

「そして、わたしはイスラエルを除外しない。わたしの民を除外しない。わたしはイスラエルにも地上の国々にも、火と雨をもたらす。キリストの音(声)はすべての家の中に入っていき、若者や子供が谷間の干からびた骨に向かって「これらの骨は生き返る。」と預言するであろう。

「わたしは今の時代に多くのエゼキエルを興す。預言の油注ぎ、大いなる預言の霊が来ようとしている。エリヤも民全体に「イスラエルよ、私のそばに近寄れ。」と言ったように、今も一致をもたらすのは祭司ではない。国々に一致をもたらすのは預言者たちだ。」と主の御霊が言われる。「なぜならば、崩されたわたしの祭壇は、祭司ではなく預言者たちによって立て直されるのだ。」と万軍の主は言われる。

「イスラエルや諸国の山々にわたしの預言者たちが立ち、『道を備えよ』というとき、神は『わたしが道を備える』と言われる。預言者エリヤが『私のそばに近寄れ。』と言ったとき、建て直さねばならない祭壇がある。その祭壇は人の手で建てられるものではない。」

バールの前に立つ者はいるか?

神は言われた。「エリヤは12の石を取って山頂に置き、『集まれ。これはイスラエルの12部族である』と民に言った。しかし、わたしは12の偉大なキリストの言われること(エキスプレッション)を取る。それは12のキリストのサウンド(音、響き、音声)である。キリストにあるルーベンは見るため。キリストにあるシメオンは聞くため。キリストにあるレビは一つとなり契約を結ぶため。キリストにあるユダは賛美するため。賛美するため。賛美するため。」手を上げて主を賛美せよ!

神が言われた。「わたしはまさにこの場所からわたしの火を送る。わたしは豊かな雨を送る。
わたしは祝福を与える。それは、彼らが終りのとき、終末の艱難と破壊を非常に多く語ってきたからだ。」私の神は雲のように取り巻く証人のいるところで私にこう言われる。「今夜、主の業のあかしを得る者たちがいる。」

じっと見なさい。エリヤは「バールの前に立ち天から火を下せるものがあるか?」と叫んでいる。ダニエルは見つめ、そして言う。「バビロンの王の前に立ち、王の夢を言い当てる者はいるか?」と。ダビデは戦場で「一つの石で主権を倒せる者がいるか?」と立って叫んでいる。その石はキリスト・イエスだ!

モーセは雲のような多くの証人と共に立ち、今も人々に聖霊を通して語っている。彼の言葉はこうだ。「パロの前に立ち『民を去らせよ!』と宣告できる者がいるか?岩を打って水を出せる者はいるか?」
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴも「火の中に四番目の人を見つけられる人がいるか?」といって見ている。


わたしは旗印を上げる


神の御霊が言われる。「この場所から、地上全域にわたって、わたしはダニエル、ダビデ、エスターの世代を起す。」
あなたに子供があるか? 孫がいるか? その子を主に捧げよ。あなたの家にサムエルはいるか? 神は言われる。「この場所から、地上の国々を通して、今夜わたしは石(stones)を取り、わたしの教会(My Church)を取る。そして、ダビデ、ダニエル、ルツ、エスター、マリヤ、モーセの旗印を上げる。わたしは上げる。」


彼らは再びキリストにあって巨人を倒すであろう。キリストにあって彼らは国々を勝利に導くであろう。「わたしはヨセフを興して東方の王たちに預言を与える。
中東よ、あなたたちにはもう選択の余地がない。わたしはあなたたちをわたしの火、わたしの声としてすでに選んだのだから。」と主が言われる!

神の御霊が言われる。「今夜あなたたちが祈れば、わたしはこの領域に誉れを与える。わたしはこの全領域に誉れを与え、かつて祭壇に下した火を全地に送る。滅ぼすものを滅ぼし、あなたたちの家族にいのちをもたらすために必要な火を、わたしは再び送る。

神が言われる。「あなたたちが祈ると、今まであなたたちの子供をとどめ、ビジネスをとどめ、ミニストリーをとどめていた敵の上に焼き尽くす火が下るであろう。」
神の御霊が言われる。「あなたたちが祈るとき、わたしは回復をもたらす。希望のリバイバル、期待のリバイバル、御霊の息吹きのリバイバルが起こる。
「あなたたちの子供は言うであろう。『生ける神の家に私たちは行きたい。生ける神の家に行きたい。行きたい。』と。」

主の御霊が言われる。「今夜、あなたたちの預言者の言うことを聞け。わたしは地上の国々の家庭に希望と期待を回復させる。これから除外される者はいない。子供たちはわたしの臨在の中に来たいと願うであろう。なぜならば、わたしの家、あなたたちの家庭、子供、家族の中にわたしの聖なる臨在が回復されるからだ。」

死人を甦らせる御霊の啓示をわたしは回復する

「今まで隔離されていたものをわたしは再び送りこむ。御霊の啓示が隔離されていた。しかし今、死人を甦らせる(ような)啓示をわたしは回復する。」と神の御霊
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