Archive for the ‘坂達也からの今月のメッセージ’ Category:
17 01月
ニューヨークの私たちの家の証
坂 達 也
先週末に待ちに待った引越し荷物が着きました。私たちの新居には運送会社の人たちによって二日掛かりで、それぞれの部屋に荷物が運び込まれました。特に前より狭いスペースの私の書斎兼マスターベッドルームは足の置き場も無い程荷物が溢れ、その整理に追われて数日間は何も手に着かず、ついに、皆様への毎週のメッセージを日本の火曜日までにお届けすることができませんでした。
問題の一つは、ばらばらに分解されて来た本棚を元通りに組み立てるのに丸三日も掛ったことです。この本箱は北欧の Ikea 製で、釘類は一切使わず実に巧妙に設計された do it yourself の製品です。分かり易い説明書がついており、器用な人なら恐らく3時間以内に完成しているでしょう。ところが私は前に一度経験しているからという安易で増長した心構えがわざわいして、忠実に説明書通りにやったつもりが二三の手抜きをしていることが判明したのです。それは二日目の夜になって、見るに見かねた家内が説明書と照らし合わせた結果、私が大きな間違いをしていたことを発見しました。そこで翌日もう一度最初から見直し、一、二カ所にねじ釘を使いましたが、やっと何とか使い物になる程度に出来上がりました。
実はここに至る迄、私は何度も主におうかがいし、主が正しいやり方を示して下さることを期待したのですが、主は何もおっしゃらないのです。それが分かるのは、そのお願いをした直ぐ後にまた別の間違いを起こしているからです。そこで改めて主を見上げてみますと、確かに主は私の側におられ、微笑みをもって私を優しく眺めておられるのが分かるのです。私はなぜ主は何もされずに見ておられるのですかと聞きましたが、主は無言でした。しかし私には平安がありました。
そうしている間に私は、年の所為で自分の頭がこれ程迄に著しく融通が利かなくなり、若い頃と比べれば比べものにならない程「激しい能力低下」に陥っていることに嘆くと言うより、むしろ大きな驚きを覚えました。そして実際に何もなさらない主を見上げて、その「何もされない」ことこそが主の御心であり、私のためであることが分かり始めました。
それで主が私に分からせて下さったことは、私が自分の「年相応に衰えていく」ことを主は許しておられる。それも霊的成熟に貢献するためのプロセスであるということでした。確かに人間は年とともに生まれ持った能力は衰えて行きます。しかし、そのようにすべてが衰えるように造られたのは主です。
しかしながら私たちはクリスチャンとして往々に、万能な主は私たちを若返らせて下さったり、スーパー能力とか奇跡を起こして下さると期待しがちです。確かに主はすべてが可能なお方で、時に必要な際にそのような奇跡を起こさせて下さいます。しかし年を取って衰える過程での私たちには、若い時にはできない、より重要な「霊的成熟の完成」に向かっての「老成した者の若い世代への配慮・注意深さ」とか「円熟さとその知恵」を学ばせるという、より重要な成熟のご計画を持っておられることがよく分かりました。それは人間に「父の愛」を真に学ばせ、私たちが神の家族となる大きな目的があるからであると思います。
従って今回神が「私たちの書籍を入れる本棚」に3日も掛けさせたことは、実際に私に対して「衰えた自分」こそが現実の姿であり、この際それを先ずリアリティーとして甘受すべきであること、その上でそこから必要な知恵をへりくだって学び、周りの人々(特に家族)への対応と見方を年老いた者にふさわしい「老いては子に従いつつ、教えるべきことを行動で示して行く」ことこそ「霊的成熟」に最も必要な「心構え」であることを学ばせるのが主のご計画であったと悟った次第です。
就いては次のみ言葉を今回学ぶことができました。それは2コリント4:15−17「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで、感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。ですから私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は私たちの内に働いて、計り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」
ところで私たち夫婦は、当初、こちらでは「息子家族の近くで別々の家に住む」予定でした。そして私たちがこちらに到着後そのようなコープ Co-OP/コンドを探し始めると、直ちに息子夫婦の買った家の近くに、とてもよい物件が見つかったのです。しかし主のご計画は違っておりました。主は私たちが今回カリフォルニアの家を売った入金を含む財産のほぼ全額を息子夫婦の家のホームローンに投入し、その息子夫婦の家を全額借金なしで買い取らせたばかりでなく、余剰のお金をその古い家の改良資金として息子夫婦に持たせて下さったのです。
そこで、実はこのことで主は私たちへの約束を守って下さったことをお分ちします。その約束とは、私たちがまだハワイに住んでいた頃ですが、私たちは「これからの一生を借金なしで、すべての必要を主にお委ねする」ことを願い出ました。主に全面的に委ねた者が他人から借金して買い物をする訳にはゆきません。その申し出を主は受け入れて下さり、それ以来私たちは家も車も、すべてローン無し、クレジットカードも毎月全額返済できる経済的祝福を主からいただいており、すべてを主に頼る生活を続けて参りました。
従って将来ではなく今から息子夫婦の家族と同居する形を取らせ、その家も無借金で手に入るようにさせて下さったのです。気が付いてみますと、私たちへの約束を、主は今回も忠実に果たされ守られる結果となったことに対し、私たちは唯唯主を畏れ敬い、「全面的に主に頼ることのすばらしさと尊さ」を証しする機会を与えられて、主への信仰が益々深まったのでした。
加えて申し上げれば、勿論私たち老夫婦は、将来いずれ、二人の孫もいる息子夫婦の世話になることが密かな願いでありましたので、主は私たち家族三代がこの地で共に住むことを喜んでおられることを確信し、それを実現させるのは家内と共に、老いた私自身が、息子家族に対しクリスチャンとしての愛を示す大きな責任があることを今回の本箱組み立てを通してのメッセージであるとを改めて感じた次第です。
どうぞ私たちの家族のー上に息子夫婦の家族、下の階(半地下)に私たち夫婦が住むーというこれからの生活が、名実共に子どもたちがそれを喜び望むようになり、主の御名をたたえるクリスチャンの名に恥じない神の家族となれますようお祈りください。よろしくお願い申し上げます。(終り)
26 12月
主が私たちに期待される2018年
坂 達 也
皆様にとって2017年はどんな年でしたでしょうか。多くの人が厳しいところを通された「戦いの年」であったといわれます。私にとっては一にも二にも「待つ」ことを学ばされた忍耐の年でした。丁度一年前、私たちの息子家族がニューヨークに移ることが決定し、そうであれば私たち夫婦もその後を追うことが主の御心であることと確信し、息子家族が一月末に引っ越したので、早ければこの春には移動と思い立ったのですが、その実現が遅れに遅れ、とうとう一年後の年末になってしまいました。そしてこの十二月八日に、三年半ぶりにニューヨークに戻って参りました。そして今新しい住まいへの入居準備に追われておりますが、やっと「忍耐と信仰に立って待つ」年を終えて、主が具えられた新しい道を主と共に、より一層の信仰で歩む期待に胸を膨らませつつ新年を迎えようとしております。
新しい年とは新しい出発 new beginning です。皆様は新年の門出に当り、どのような期待と決意をもってこの新しい門をくぐられようとしておられるのでしょうか。
ユダヤ暦では,去る9月20日夕刻より既に、ロシュ・ハシャーナ5778年という新しい年に入っております。この新しい年は「新しい門」(あるいはドアー)をくぐる年であると、テキサス州にあるGlory of Zion International 教会のチャック・ピアース師は言われました。
師は、昨年5777年(2017年)は剣の年であり、その年を通じて(あるいは始まりとして)主は古い組織を切り捨て、新年には私たちに新たなアイデンティテーを解き放つゆえ、今こそ強さと力を象徴する剣を手に、身に武具をまとって約束の地に出て行きなさい、5778年はその新しいドアー(門)に大胆に入って行く年である、と言われました。
その後しばらく経った昨年11月末に、私はたまたま敬愛するポール・キース・デイビス師のビデオメッセージを聞いたのですが、師が昨夏に見た幻ー幼虫がさなぎとなり、時が来るとその殻を破って空中に舞い上がる姿ーの話をされました。彼は幻の中で一つの殻が破れて中から複数の人間が空中に舞い上がる幻を見たのです。彼はその幻を見た時、今こそクリスチャンが霊的に「トランスフォーメーション」されて天に舞い上がる時が来たことをはっきりと主から示されたそうです。そして天に向かって舞い上がったのは「神の息子・娘たち Huios 」であるとデイビス師は宣言しました。
私はその話を聞いたとたんに、黙示録12章5節に書かれている次のくだりを思い浮かべました。「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖を持って、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。」
私はこの5節に出て来る「男の子 a man child」とは誰かという疑問を、実は、30年前から持っていました。ですからデイビス師の見た幻は、もしかして、黙示録に出て来る「男の子」が神のみもとである天の御座に引き上げられることを指すのではないかととっさに気が付き、はっとしたのです。
ここでご参考迄に下記に黙示録一12章の最初の12節をご紹介します。
「巨大なしるしが天に現れた。一人の女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。
また、別のしるしが天に現れた。みよ。大きな赤い竜である。・・・・その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。
(5節)女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖を持って、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。女は荒野に逃げた。・・・さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
こうして、この巨大な竜、すなわち悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は(地上に)投げ落とされた。・・・そのとき私は天で大きな声が、こう言うのを聞いた。『今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。(11節)兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。それゆえ、天とその中に住む者たち、喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」(黙示録一二:一から一二)
5節の初めに出て来る「女」とは、「十二の星(部族)の冠をかぶる」イスラエルを指すといわれていますが、私はその解釈でよいと思います。但し私たちクリスチャンは「霊のイスラエル」ともいわれるので、ここの場合は、全クリスチャンを指す「主の教会」と私は解釈しています。そして「男の子 a man child」は通常イエス・キリストを指すといわれ、これも問題ないと思います。但し、この場合私は、イエスご自身よりも、主と共に世界の国々を牧する真にキリストに似た者となった神の子(息子・娘)と解釈したいのです。
そして「その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。」ですが、その神の子(息子・娘)たちは、今は天の右座におられる主に属する者として、たとえ肉的には天に「携挙」されなくても、既に心と霊は完全に主とつながった人たちです。(霊と幻で天に行き来するクリスチャンは既に大勢いることもご考慮下さい。)聖書によれば、私たちクリスチャンとは主(聖霊)が私たちの内に住み、私たちは「霊的に」天の父の右座に主と共に既に住んでいるはずです。そのことはヨハネ17:14ー26に書かれています。また、ロマ書8章をもご参照ください。
そこで私は早速デイビス師にメールで、主が今こそ Huios を熱望しておられるという師のメッセージに感謝の意を伝えると共に、黙示録一二章への私の疑問をお分ちし、その疑問に師が答えを下さったことを感謝しました。すると師は数日後にそれに対する確認と励ましの返事を下さいました。
私は思ったのです。今年5778/2018年は、剣、すなわち「鉄の杖」を持ち「Huios 神の息子・娘」という新たなアイデンテイテー をいただいて「霊的に成熟した真のクリスチャン」になる、すなわち、その人たちとは主が帰って来られる前に地上で整えられ、真に御国の王に仕える「すべての国々の民を牧するはずの者」以外の何ものでもないのではないか。ーーそれは黙示録14:4に書かれている「女に汚されたことの無い童貞ー彼らは小羊行く所にはどこにでもついて行く、神および小羊にささげられるべく、人々の中から購われた初穂」であり、又、真の「キリストの弟子たち」であるーということに気が付いたのです。この「男の子」こそ主と共に世界の国々を牧する「主に選ばれた人たち」であり、このことがマタイ書の最後に書かれている「大宣教命令」の意味であるのですから、そのことをもう一度皆様ご自身でお確かめください。(マタイ28:18ー20)
尚、一節に出て来る「巨大なしるしが天に現れた。一人の女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」 とは、千年に一度現れるか現れないかと言う、天空に現れる星座/惑星/太陽/月の配列現象であるといわれます。そしてこの現象が、たまたま2017年9月23日、すなわち五七七八年ロシュハシャナ新年を迎える時期に起こったと言うのですから実に驚きです。
ここでお断りしておきますが、私は上記のような聖書箇所を持ち出しましたが、それによって世の終わりの神学をこの紙面で論じるつもりでは全くないことです。なぜなら聖書を含む霊の世界では、この世的「時間と空間」の観念とは違い、時が前後交錯して書かれていたり、又、聖書のことばの解釈は二通りにも三通りにもできる、あるいは当てはめられるとしても問題ないと信じるからです。従って別の解釈とかお考えを持たれる方はどうぞ私のいうことをお聞き流しくださるようお願い致します。
「Huios 神の息子・娘」とは永久に仕える「主の奴隷」
数年前に天に召されたウエード・テーラー師は、ある時、自分は「永久に主に仕える奴隷 bond servant になるコミットメントをしたいと決意し、教会の講壇の端を「戸口の柱」として自分の耳をあて主に突き刺してくださるように願ったそうです。(出エジプト記21:5−6参照ください)ご存知の通り、市場で売買されるイスラエル人の奴隷たちは、六年働いた後、七年目のヨベルの年には解放されました。しかし、もしその家の奴隷であることを自らが選ぶならば、彼らは耳を戸口の柱につけてきりで刺して通され穴をあけられました。それは彼らが永久にその家の主人に仕える奴隷となる儀式でした。これはクリスチャンが「主なる神に永久に仕える」という型を示したものです。そして、耳に穴を開けられることの意味は「主の御声を聞く」ことが、永遠に主にだけ仕える絶対の前提条件であることを示しています。
「Huios 神の息子・娘」とは、自ら進んで自分の人生に対する一切の権利を無条件で主に明け渡し、自分の人生を全て主に委ねる「愛で仕える主の奴隷」になる決意をしたクリスチャンです。キリストともに死に、キリストと共によみがえり、神と一体となって「主と共に歩む永遠の命」を生きるクリスチャンです。そのような「神の子」になりきった者は、主が必要なもの一切をその人のために用意されるだけでなく、永遠に最高の人生を生きさせて下さるのです。残念ながら、今の時代のクリスチャンはそのことを知識として知ってはいても、それこそが神からのこの上ない福音であると心から信じ、その決意で生きてはいません。第一、奴隷などという言葉は古い観念で禁句であるとおしかりを受けることを覚悟でこれを書いております。
しかし聖書で神は、すべてのクリスチャンがそうなることを望んでおられると私は信じます。残念なことに、それを実行する人はほとんどいませんし、それを考えること自体が古いといわれるでしょう。その生き方を選んだ人は、むしろ、「主に選ばれた人」の生き方ではないかとさえ私は思います。
主がこの世に再臨される前の最後の「御国建設」の時代に絶対に必要な「器」「忠実な主のしもべ」「真のキリストの弟子」として用いられる人のことを指すのではないでしょうか。これこそマタイによる福音書の最後に書かれている、普通「大宣教命令」といわれるクリスチャンであると信じます。
主のシェカイナの栄光が真昼の太陽のように輝き出る迄、主は試煉を与えてそのような「神の子たち」を訓練し、私たちの中の不純物を取り去られます。今がまさにそのときではないでしょうか。
今、私たちは主の栄光が現れる終末の時に入ろうとしています。皆さん、新しい年の門出の門で、耳にキリで穴をあけられ、殻を破って天に舞い上がる蝶となる決意をしようではありませんか。
世界は激しく揺すぶられている
世界は今大変な混乱・混迷の状態にあることを否む人はいないと思います。一言でいえば、それはヘブル人の手紙12:26ー27に「・・・『わたしは、もう一度地だけではなく、天をも揺り動かす。』このもう一度という言葉は、決して揺り動かされることがない(霊的な)ものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。」と書かれているように、すべての被造物が激しく震われています。先ず、世界中の天と地が揺り動かされています。前代未聞の猛烈な嵐とか、干害、地震、火山噴火、それによる飢饉、風水害による天災のみならず、人災も戦争とテロ、民族は民族に、国は国に敵対し、迫害、その他の破壊行為は激しさを増す一方です。
これはまさに、すべての隠れた罪を神は今一気に明るみに震い出す御計画であるように見えます。それはあたかも創造者の神が、人間の犯して来た罪がどれ程多大で、深いものとなったかを示し、特にクリスチャンがいかに頽廃堕落しているかに目覚めさせるのが真の目的であるように思えます。
アメリカは、つい10年位前迄は70%近い国民がクリスチャンといわれ、世界一のクリスチャン国であることを私は誇りに思って来ました。しかし、今では何とクリスチャンと名乗れば身の危険を感じ、肩身の狭い思いをしなければらなくなるという、世界一のクリスチャン国が一変してクリスチャンが迫害される国と変わり果てたのです。それでは70%のクリスチャンはどこに行ってしまったのか?どこにも行きません、その人たちのほとんどは名ばかりのクリスチャンであることを主が暴露しておられるのです。
今アメリカでは御存知のように、すべての公共団体と政治組織にたずさわる人だけでなく、民間企業・教育文化・メディア関係を含むあらゆる社会組織においてのあらゆる不法と不道徳行為による罪ーそれは、殺人、暴行、詐欺、人種差別・メディアのうそ・腐敗と癒着行為・不正が問われています。特に最近では、著名な政治家からメディア関係幹部・ハリウッドの有名人等に、過去現在の道徳的不品行、特に性的暴行、嫌がらせ行為が明るみに出た結果、国会議員には退任を、民間人には組織から解雇されるケースが続々と出て来て、まるで蜂の巣を突いた様相を呈しており、しかもそれが急速に世界に波及しつつあります。どう考えても今は通常の時代ではないように思え、そのすべての世界情勢は、いよいよ神が地における御国の体制を整えるのを急いでおられる兆候であるように思えます。
ひっ迫する北朝鮮問題とイランの核兵器開発
最近の軍事専門家による分析では、北朝鮮の核爆弾がアメリカ全土に実質とどくようになる迄には後一年足らずといわれ、ハワイをはじめ本土の国民は特に EMP 爆弾を真剣に危惧し始めております。過去三代のアメリカ大統領が、北朝鮮の核開発を口では警告しても実質野放しにして来たのと違って、トランプ大統領は真剣に先制軍事行動に出ることを検討していることはまぎれもない事実です。アメリカは、中国が北朝鮮に完全な経済封鎖(特に石油)を実行することを期待して圧力をかけて来ましたが、案の定中国はそこまでは踏み切りません。
端的に言って、私は、中国とロシヤは北朝鮮とイランに少しばかりの核を持たせ、彼らを先ず矢面に立たせてアメリカの出方を見る、そして、最終的には中国とロシアがアメリカを打つ構図ー少なくともこの四国によってアメリカを共通の敵として包囲する構えーが見えて来たように思います。
一方トランプ大統領はそれを見越して、北朝鮮だけでなくイランとシリヤの化学兵器問題にも厳しい手を打つ強い姿勢を見せています。併せて、エルサレムに大使館を移すという選挙公約を今実行に踏み切ることを発表し、世界は騒然としています。これは明らかに、アメリカとイスラエルが上記の四国だけでなくアラブ諸国に対しても全面的な宣戦布告を宣言したかのように見えます。世界はいよいよ二分化しつつあり、既に事態がアメリカ対北朝鮮だけの問題を超えていることを示しています。これこそマタイ二四:六の「戦争と戦争のうわさ」という終末の徴が整いつつあるように思えてなりません。そのような中で日本はどうなるのでしょうか。
トランプ大統領への祈りのお願い
反トランプの動きは益々激しさを増しており、アメリカは孤立し、世界は不穏な空気が高まる一方です。まさしく「この巨大な竜、すなわち悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は(地上に)投げ落とされた。・・・地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」の様相です。しかしそれは神のご計画の一部であって恐れる必要はありません。トランプ大統領は選挙公約以上に、クリスチャンとして正しいことは正しいと、たとえ世界中を敵に回しても恐れず、神をこそ畏れる姿勢を明確に示し始めていることに私は拍手を送ります。今は私たち世界中のクリスチャンが正しいことを正しいといい、黒白をはっきりさせ、恐れず、それを堂々と表明する時が来たと思います。それが私たちへの「踏み絵」であると信じます。
特に申し上げられることは、トランプ大統領は信頼できるクリスチャンリーダーたち、特に預言者の意向に耳を傾けており、クリスチャン・コミュニティーとの連絡が密にとられていることは、日本の一般の皆さんには知られてないと思います。この時期に敢てイスラエル支援への決断が表明されたことはその証拠の一つでありましょう。しかし今こそアメリカとトランプ大統領は、世界のクリスチャンからの祈りを必要としています。
この緊急時、年末年始に当たって、ぜひともイスラエルとアメリカへの一層の祈りの支援をお願い申し上げます。最後にまた、この一年間、皆様から大変なご支援とお祈りの励ましを頂戴しましたことを末筆ながら心から御礼申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。(終り)
31 10月
緊迫する北朝鮮情勢
坂 達 也
トランプ大統領のアジア訪問を間近に控えたアメリカでは、北朝鮮に対する軍事行動に踏み切る場合の戦闘態勢への準備が着々と進められているニュースがこのところ連日のように報道されています。ついては、日本での新聞テレビ情報は、アメリカのリベラルなニュースソースがほとんどではないかと思われますので、今回はフォックス・ニュースを中心とした概してトランプ政権を支持するニュースメデイアからの情報をご報告させていただきます。
昨日のニュースでは、アメリカの最新鋭スチルス核爆撃機 B−2をトランプ大統領の日韓中訪問に先行して、太平洋から極東三国近海に向けた地区(場所は明らかにせず)を巡回(警戒待機)することが発表されました。又、北朝鮮では、アメリカ軍の襲撃に備えて灯火管制とか避難訓練が大都市ではない地方の核武器製造場所とか発射基地に近い小都市で行われたという情報も入っています。
これによって、北朝鮮側もアメリカの軍事態勢が急速に強化されていることを十分把握していることがうかがわれます。その証拠でしょうか、この6週間程は北からの弾道ミサイル発射が鳴りをひそめています。
そこで、一つだけ確かなこととして今トランプ政権が一致して強調していることは、北朝鮮を核武器保有国にすることだけは断じて許さないと言う決意です。これによってトランプ政権が前オバマ政権が執って来た政策と完全に決別したことが明白にうかがわれます。
それが如実に顕われているのが、つい最近迄は武力を使わない平和裏の交渉を強調して来たペンス副大統領が、数日前に厳しい表情で、トランプ大統領と完全に一致して、武力行使を辞さないことを明確に表明したことです。それをマチス国防省長官も韓国の板門店訪問時に(韓国駐在の3萬5千人のアメリカ兵士を対象に)同じ内容を表明したのです。そればかりか、マチス長官は技術的に見て、北朝鮮の核ミサイルがアメリカ本土にまで到達できるようになるのは時間の問題であり、そうなれば今や北朝鮮のアメリカ本土攻撃の可能性が現実問題として大きな脅威となって来たと述べ、従ってアメリカは、今これ以上待つ時間の余裕は全くない緊急事態の中にいることを指摘しております。
上記の緊迫した情勢を裏付けるかのように、アメリカの前国連大使ボルトン氏は、トランプ大統領が、再三警告して来た北朝鮮に対するやむを得ない場合の「軍事行使」の可能性が今急激に高まって来ていることを次のように説明しています。それは、第二次世界大戦勃発寸前に、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領がナチの艦隊に対して「先制攻撃」をすべきであると主張した「暖炉前での会話
Fireside chat」ーこれは未だに語り継がれている有名な話であるようで、ネットにも載っていますーを引き合いに出し、今や北を先制攻撃する可能性は単なる脅しではないことを強調しています。(御存知のように第二次大戦では実際には日本とドイツが先制攻撃をしました。)
ということは今回、北朝鮮が先に攻撃するのを許したら大変なことになりかねない、この際は絶対にアメリカが先制攻撃すべきという考え方があるということです。特に、北が EMP爆弾をアメリカ本土に落とす計画があることはアメリカではかなり知られており、下手をすればその一発の爆弾がアメリカの命取りとなるとさえいわれています。(それについて私はWWGMの紙面で数ヶ月前にご報告しました。)
それをいえば、リック・ジョイナー師も北朝鮮に対しそのような先制攻撃を早期にしなければ、考えられない程多大な被害を与えることになると、最近も改めて警告を発しています。
それゆえに、最近の北朝鮮に対するアメリカの対応は本当に目を見張るものがあります。例えば、最近のアメリカ軍と韓国軍隊の合同演習の際、アメリカは何と、未だかってない3艘の航空母艦をそろえて北に向かって対峙させました。加えて、76機のアメリカ核爆弾攻撃用爆撃機B−52を24時間以内に戦闘態勢に入れる準備体制が整いつつあることを、大統領自らが表明しています。これはまさに挙国一致の体制といっても大げさではありません。
その一方で、このところ約6週間の間、北朝鮮が核ミサイル実験で鳴りをひそめていることにお気付きでしょうか。この間、アメリカ側は軍事面の強化という大きなプレッシャーを与えるだけでなく、北朝鮮との間で、公にはされてはいませんが、密かに話し合いが行われていることを私は感じております。
そのことは既にアメリカが、北に対する経済的圧力を掛ける目的で、北朝鮮と取引する国とは取引を停止することを宣言し、事実それが効力を発揮し始めているといわれます。現実に、北の経済的困窮は益々顕著になって来たといわれています。ですから、私たちが祈らねばならないことは、何としても平和裏のうちに北朝鮮から核軍備を完全放棄する約束を取り付けることにあります。そして最終的には北(朝鮮)と南(韓国)が統合することを祈るべきではないでしょうか。
そのためにも、特に今回の旅行でトランプ大統領の最後の訪問地中国で予定されている習近平主席との会合が、今後の世界の力関係を大きく左右する非常に重要な会談になるといわれます。特に習主席は、つい先週、毛沢東以来の膨大な権力を手中に収めたばかりで、独裁者として地位を高めつつある彼とトランプ大統領が今回どのように渡り合うかが注目されております。ひいてはこの会談の結果が、北朝鮮の独裁者金正恩代表の今後の出方に大きく影響を与えることはいうまでもありません。
最後にもう一つ注目すべきことを申し上げるとすれは、アメリカはトランプ大統領に代わって以来、オバマ大統領時代に比べると、軍事行動力においてその対応のスピードが格段に速くかつ効果的になって来たことを、ボルトン氏等が指摘していることです。
そのよい例が、アメリカの強力な支援によってイラクにおける ISIS の首都といわれるラカ Raqqa が最近奪回されたことに見られます。これはアメリカ側にとって大変大きな勝利であり、今やシリヤとイラクにおける ISIS の支配地域は、僅かそれぞれ5%と3%しかないといわれます。そして、中東に置ける次の課題はイランが支援するイラクのアサド政権を倒すことにあるといわれ、ひいては中国とロシヤの急激な接近と、北朝鮮、イランの核兵器問題をトランプ大統領の率いるアメリカが今後どう扱って行くかが注目されるところです。
いずれにせよトランプ大統領になって以来、オバマ時代に低下したアメリカ軍の戦闘能力と軍紀の乱れが回復途上にあることだけは確かです。それと共に、最近アメリカでも大きくではありませんが多少話題にのぼることは、今回の衆議院選挙で大勝した日本の現政権が自国防衛という建前で今後どのような形でアメリカに協力するかです。但しはっきり言えることは、日本の軍隊の台頭についての根強い懸念はアジアにおける隣国だけでなく世界的に見ても未だに消えていないということです。
これは全く私個人の印象ですが、今回の選挙で安倍首相は北朝鮮への脅威に対して自分がアメリカの大統領と電話会談をしたりして北朝鮮問題の解決に一役買っているかのように国民に見せたことです。私はそれが気になりました。そしてどうも日本の国民はそれを信じたようであることです。
私は前にも書きましたが、安倍首相が福島災害の復興に力を入れるより、むしろ自分のアベノミクスの売り込みにより大きな関心を持ち、自国の深刻な原子炉汚染問題を満足に解決できていないことを忘れて、海外で日本の原子力発電技術を売り込もうとして来たことに大きな疑問を持ちます。これはモラルと見識の問題であるからです。彼は世界で唯一の原爆被災国の首相として、北朝鮮の原爆製造に絶対反対するという立場で強行に北朝鮮に抗議することが正しいのではないでしょうか。(終り)
11 10月
ロバート・ダニエルズ夫妻の車と大型トラックとの衝突
坂 達 也
今回の日本旅行でお分ちした一つの奇跡のお話をご紹介します。
これは私たちの教会があるオークランドの街で起こった話です。私たちの教会の牧師ベンジャミン・ロビンソン師の霊の父母といわれるロバート・ダニエルズ夫妻は非常に霊的なご夫婦ですが、その夫婦が約10年前のある日、ロバート師が運転し、その隣に奥様が座り、後ろの席には二人の友人を乗せて街の中を走っていました。四人を乗せた車がある交差点に差し掛かった時、横合いから一台の大型トレーラー・トラックが信号無視で猛烈なスピードで走って来るのに師は気が付かず、あっという間にトラックの横腹に衝突してしまいました。ところが驚いたことに、一瞬にしてロバート師の車はそのトラックを突き抜け、交差点を過ぎたところの安全な道路脇に停車していました。両方の車も人間も全く無傷で無事であったのです。
彼にその時の様子を聞いてみたのですが、そのとき四人はしばらくの間呆然とし、黙ったまま瞬時のうちに何が起きたのかよく理解できない状態で過ごしたそうです。トラックは何事もなかったかのようにそのまま走り去りました。
これは量子論現象の一つである「瞬間移動」に違いありません。聖書に書かれた例としては使徒8:39があります。ピリポが宦官にバプテズマを授けた後、主の霊が突然ピリポを取り去り、彼は隣町のアゾトに現れました。また、イエスが弟子たちと小舟で一瞬のうちに対岸に移動した話しも同じ瞬間移動の例です。それと、ブルース・アレン師の本で読んだのですが、広大なシベリヤ大陸で4つの教会を牧会していたある牧師は、毎週の聖日礼拝で、それぞれ500キロ以上も離れた場所にある4つの教会を一日で廻ったというお話です。なぜそんなことができるのでしょうか。
霊の世界と量子論
この世に存在するあらゆる物質は、すべてその最小の構成物質である原子とか素粒子レベル(ミクロの領域)ではその大きさは無限に小さく、その量子の間隔は驚くほどすけすけで、全く空っぽといってよい程の空洞であるといわれます。原子の直径は10のマイナス10乗メートルといわれますが、その原子が更に小さな原子核とその周りを回る数個の電子で構成されています。その原子核は更に中性子、陽子、クオーク等の素粒子で構成されています。それらの素粒子の大きさは、物理学上で意味をなす最も小さな長さと言われるプランク長10のマイナス35乗メートル、あるいはそれ以下で、実質「大きさも質量もゼロ」として計算されます。しかもニュートリノと言う極微粒子に至っては、宇宙から大量に降り注いでいて、一秒間に何十兆個も人間の身体をするすると通り抜け、他の物質とはほとんど衝突しないそうです。
この極小物質がどれ程小さくまばらに存在しているかを例えてみれば、原子一個の大きさが地球の大きさと仮定すると、その芯にある原子核の大きさは一つの野球場位の大きさに相当し、その原子核を構成する数個の素粒子の大きさは、野球のボール位と言われます。また、原子核の周りを廻っている何個かの電子もボールサイズであるといい、それ等が地球の表面を飛び廻っているーと形容される程、物質を構成する素粒子間の距離は全くのスケスケであると言うのです。
一方人間一人を構成する原子の数は28桁の数字ー凡そ1兆X1,000兆になると言われ、そのミクロ的に見て天文学的に巨大な人間の身体を、一秒に何十兆個の野球のボール大のニュートリノ粒子が通り抜けるとしても、交通整理のための信号など全く必要ない程透け透けの隙間だらけの空間ということになります。
ここで最初によみがえりの身体を持つイエス・キリストがすーっと壁を通り抜けて家の中に入って来られたことを思い出して下さい。実際にどんなに厚い壁であっても量子レベルでは全くのすけすけで、人間の身体が通り抜けるにしても、量子ベースではお互いに触れ合わずにすいすいと通り抜けられるのです。
それではどうして壁とか大理石の表面は堅くて通常では抜けられないのでしょうか。それは物質を構成する原子のほぼ空洞である内部空間は、実は強力な電磁場になっていて、その力が物質に固体性を与えているからであるというのです。(フランク・クロース著「なんにもない無の物理学 P.50」白楊社)
しかし、よみがえりのイエスのように霊的な人間の場合は電磁場間の力を解除することは主の御心によって自由にできると思われます。従ってダニエルズ師たちが乗った車の場合でも、それがピリポの例と同じく主のご計画であったのでしょう、車とトラックの衝突に際しては、主の霊が働いて、素粒子間のスペースに張り詰めている電磁場の力が一時的に解除された。それは壁を通り抜けようとするイエスの身体が、瞬間的にミクロベースのすべての量子がばらばらの状態となり「すり抜け」が可能になったのと同じであったと考えられます。
しかしすべての物質が非常にすけすけな空洞でできているという理由だけでは「なぜ瞬間移動が起きるか」という疑問に対する完全な説明にはなりません。なぜなら「瞬間」と言えば「時間の速さ」が問題となるからです。
この宇宙の外側には時間と空間がないのでは
これに対する答えとして、私は最近松原隆彦理学博士が書かれた著書「宇宙はどうして始ったのか」(光文社新書)を読んで、博士が「時間と空間は一体のものであり、時間というのは空間と同じように宇宙の中でしか意味を持っていない・・・宇宙の始まりとともに時間が出現したのであれば、宇宙が始る前に何があったのかを問うことは無意味になる。・・・宇宙の始まりに原因があるとすれば、それは時間や空間を超越したところにある。・・」といわれるのです。(P.178ー181)
また、郡(こおり) 和範 博士は著書「宇宙はどのような時空でできているのか」(ベレ出版)の中で「宇宙の始まりの前には時間も空間もないといえるかもしれない」といっています。確かにこの質問に対して、物理学者は、今のところ実験による証明ができないゆえに、はっきりとは答えてはいないようです。しかし多くの人たちが肯定的で、その可能性を認めているように見受けます。そこで私自身の考えを申し上げたいと思います。
霊の世界が一方に流れる時間と三次元空間とその距離に
とらわれない自由な空間であるとすれば
私は霊の世界/領域においては、まるで無いに等しい自由な「時間」と「空間」が存在すると信じます。といいますのは、私たちが日常する思考とか夢、意識、想像を考えてみてください。その中では、まるで自由自在の長さと方向性にとらわれのない時間、それに距離のない空間の中で、あっちに飛んだりこっちに飛んで物語が繰広げられることを経験しないでしょうか。それに、私たちが見る夢はどんなに長い夢であっても、それは一瞬でしかないということを聞いたことがないでしょうか。
私たち人間は、永遠に霊と魂で生きているのであって、肉体はこの世にいる間だけの仮の住まいです。従って霊と魂は時と空間で縛られていないと思います。
そうであればロバート・ダニエルズ師たちが経験した時間感覚を超越した(ゼロ時間の)「瞬間移動」という奇跡は、神が私たちに備えられ、必要に応じて私たちがこの世で利用できる「便利な手段」の一つであると思います。私は冗談ではなく、いつか、ミニストリーで日米往復を瞬間移動で旅行することを願っております。
さて最後に、前述の松原博士は、著書「目に見える世界は幻想か?」(光文社)の中で、「なぜこの世は存在するのだろう。・・・だが、なぜ世界が「ない」のではなくて「ある」のか。こんな複雑な世界があるよりも、何もない方がよほど自然な気もするが、なぜかこの世界は存在している。そこに必然性があったのか、それとも偶然そうなったのか。」という問いを発しています。皆さんはどう思われますか。
私はこの質問はとても深い、むしろ哲学的とさえいえるよい質問であるという気がします。「目に見える世界は幻想か?」ー クリスチャンの私たちにとっては特に「永遠のいのちで生きる霊の世界」こそが実の世界で、この世は一時的に「主のようになるための霊的訓練」という目的で送られて来ている「仮の人生」を今過ごしているのではないでしょうか。
尚、目に見えるこの世のすべては、あたかも天で制作された物語を、天から光を投影してこの世と言う三次元世界のスクリーンに描き出される映画である、あるいはホログラフィーと形容する科学者もいます。なるほど、この世の物質の99%近くが光でできているといわれますから、私たちはまさに上から光として投影される影として動きまわっているのかもしれません。(終り)
26 09月
裸のアダムとエバよ、今こそ輝く衣を着る時が来た
坂 達 也
三週間にわたる今回の日本旅行を終えた感想をご報告します。一言で申し上げれば、今はイザヤ書60:1−3の時代に入っているという実感でした。
「起きよ。光を放て。あなた(クリスチャン)の光が来て、主の
栄光があなたの上に輝いているからだ。
見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。
しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。
国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。・・・」
2節に「見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。」とありますが、それはアメリカだけではなく、日本もそうなって来たことを今回強く感じました。そして世界中にそのやみが急速にひろがりつつあります。
先ず異例な天災が世界を襲っていること。局地的豪雨をともなう未曾有の大型台風とかハリケーン、加えて、多発する地震と火山活動によって世界は膨大な被害を被りつつあります。
一方そのような天災とともに、世界を深いやみの真中に陥しこんだのはテロと言う人災であり、それによる破壊活動も益々激しさを増しています。それは特にアメリカにおける政治の頽廃と、超リベラルなメディヤの挑発による民衆や学生の暴動というテロ行為を引き起こしているだけではありません。北朝鮮による核兵器実験と言う深刻な挑発行為も、世界中の人心を脅かす大きなテロの一つと言えないでしょうか。
なぜ神はそれらが一挙に起こることを許しておられるのでしょうか。
その理由を挙げるとすれば、神は敢てこの世をとことん暗くすることによって「クリスチャンが輝き出す」ことを、この世の人々に見せようとされているーということに気が付き、私は今回そのことを旅の後半で強調しました。これからの終末の時代には真にキリストにつながったクリスチャンが台頭して、その人たちがそれぞれ個人的に輝き出すのを見て、神を知らない人々が神の存在に目覚めないでしょうか。それだけではありません。その輝きを増す「力あるクリスチャン」が、その国の政治と経済、社会も変えるのです。その人たちが最終的に終末最後の大リバイバルへの引き金となるでしょう。
日本の国を御国として立て直すのも、最後のリバイバルを起こすのも、主は日本のクリスチャンに期待しておられます。そのために今最も必要なことは「人間的・宗教的になり下がったクリスチャンとその教会」を抜本的に変革することであると私は痛切に感じたのです。
私は今回、従来のように教会を訪ねること以上に、個人的に二人三人のクリスチャンの集まりとか、ホーム・チャーチで親密なお交わりをさせていただくことに重きを置きました。なぜなら真のクリスチャンとは、最終的に個人としての主と交わることによってのみ育まれるものであって、マスプロダクションではないからです。(但し、大きな教会では小グループによる弟子訓練が可能です。これには大変な指導力が必要です。)
私たち夫婦は今回日本で20名近くの新しい「主を真に求める」人たちにお会いすることができ、相互に大変恵まれ励まされました。これからも、個人的にイエスの御声を聞き、聖霊と共に歩むことにご興味のある方はぜひご一報ください。喜んでお会いさせていただきます。
ところで今回日本で、私は初めて「団体としての教会」を離れた、あるいは「離れたいと願っている人々」に対して「クリスチャンの難民」という形容語があるのを知りました。今世界中に難民が溢れているように、日本ではクリスチャンの難民が問題になって久しいことを以前から私は憂いておりました。それは幕末末期に、侍の多くが「浪人」として溢れていたことと似ているような気がします。
この問題への対策として今回、私は「クリスチャン個人が光り輝く」ことの重要さを改めて認識しました。幾人かでもクリスチャンが輝き出すことによって、逆に輝かないクリスチャンが明るみに出されます。それが刺激となり、やがてクリスチャン全体の霊性の向上を期待したいと思うのです。
罪を犯す前のアダムとエバの身体は神の栄光で輝いていた
最初のクリスチャンであった彼らは、裸であったにもかかわらず、身体全体が輝いていて着物を着る必要はありませんでした。しかし、罪を犯すとともに彼らを包む栄光の衣は消え、彼らは自分が裸である事に気付いたのです。そこで神が近づくと彼らは慌てて園の木の茂みに身を隠したことが創世記3:8−10に書かれています。
又、シナイ山で神と40日間向き合った後のモーセの顔があまりにも輝いていたので、民は眩しくてモーセを見られなかったことを思い出して下さい。その後モーセは主に向かって叫んだのです。「私にあなたの栄光を見せて下さい!」(出エジプト 33:1) そしてモーセは神の後ろ姿を見て、さらに霊的に変えられました。これは新約の時代に生きるクリスチャンが最終的になるべき姿の型を示されたのであると信じます。
又、ルカ9:28、マタイ17:1にこう書かれています。イエスがペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登った時に、祈っておられるイエスの御顔が突然変わり、御衣が白く輝き出しました。そこにモーセとエリヤも現れたのです。
一体何がイエスの身体とかモーセの身体を変えたのでしょうか。
聖霊が私たちの細胞を変える
2コリント5:17に「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と書かれています。
私たちがイエスを信じて霊的に生まれ変わると、その人は主の十字架の御業により霊的に新しく造られた者となり、その結果として、聖霊が私たちの中に住むようになります。これが抜本的な「新しい創造」の始まりです。これによって先ずその人の心が霊的に変えられるだけでなく、すべての細胞にその人格的変化が記録されるので、例えば、超自然の霊的特質の一つである「神の平安」が身体中の細胞とか臓器にその影響を記録されることが最近の科学によって証明されています。人間の身体のすべての細胞には, その表面に identity receptor 又は Human leukocyte antigens (HLA) ヒト白血球型抗原が存在し、人間が神を信じて霊的感化を受けるとそれがその人の細胞に影響を与え、その人のアイデンテイテイー(人格証明)が変わるのです。
クリスチャンになり霊的感化を受け始めると、それが細胞に生物学的に記録されるのであれば、その人の一生の「伝記」そのものが、その人の「クリスチャンとしての証し」となり、その人の「永遠の身分証明」となるといえないでしょうか。昔、グルーバー師が天国のお黄金の道で知らない人と出会った時に、話さなくてもお互いに相手の人の全貌が分かったと言われた意味がよく分かります。
ここで重要なことは、「聖霊が私たちの中に住む」といっても、それが本当にあなたの中に住み始めた聖霊が生きて自由にあなたと共に活動していればの話であって、そうでなければ輝き出ないと思います。これがクリスチャンの最大の問題であると思います。本当にあなたが常に聖霊と共に歩いていれば、あなたは聖霊の衣をいつも纏っているので、あなたの身体は光り輝き、奇跡がどんどん起こり始めるでしょう。すなわち、私たちの身体は「新しい創造」によって聖霊の臨在が常に活発に活動するとき、私たちは罪のないオリジナルの人間にリバイブされ、身体が輝き出る元々のキャパシティーを持つているのです。
ルカ11:36に「もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます。」とあります。この御ことばは「聖さ」が完全になったときの姿を明瞭に示しています。即ち、神の栄光 GLORY とは「神のすべて」の現れであり、それがフルに顕われるとき、神のいのち、愛と力、神の神聖さと公正さ、慈悲、知恵によって、もの凄い輝きが出る。これは途方もなくすばらしい希望ではありませんか。私たちのからだ全体が神の臨在によって輝き、暗い部分が全くなくなるというのですから。
そのためには、いつも申し上げますが、2コリント3:16−18の祈りが非常に重要であると私は信じます。「人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」この祈りをすればする程、私たちは新しい創造により「主に似たもの」に変革されて行きます。
ここで先日、8月7日のWWGMでご紹介したキャシー・ウオールターズ師の言葉を思い出してください。
「聖霊は、ご自分のために、あなたに働いてほしいとは望んでおられるのではなく、私たちが神の御霊に自分を明け渡し『どうか私を通してお働きください』とお委ねすることを望んでおられるのです。私たちはただ自分を聖霊に明け渡せば、すべて主が事をされるのです。それがピリピ2:13に書かれている「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」の意味です。・・・
イエスが地上のミニストリーとしてエルサレムやベタニヤ、ガリラヤの町を走り回ったのは、人びとの必要を満たすためではなかったのです。実際のところイエスは次の3つのことをしただけです。
1.御父が「せよ」と言われたことをした
2.御父が「言え」と言われたことを言った
3.御父が「行け」という所に行った 」(以上ウオールターズ師引用)
これはまさにヨハネ5:19に書かれていることそのものではありませんか。「・・・子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。」
イエスは、聖霊を通して、父がいわれることを耳で聞き、目で見て行うことに徹せられたことが上記の御ことばからよく分かります。本当に主がされたことはそれだけであり、それがポイントではないでしょうか。私は最近リッチ・ベラという牧師のお話しをビデオで聞きましたが、彼は驚いたことに「主の御声が聞こえると同時に、それが目で見えるようになった。」というのです。私はそれを聞いて本当にうらやましく思いました。でも私たちが聖霊と忠実に歩むようになるとき、そうなれると信じます。
最後に、もう一度申し上げます。ほとんどのクリスチャンが、ボーンアゲインした自分の内には「聖霊が内住している」ことを頭では理解していていても、現実にはその聖霊と共に生きていないという事実です。
私も長い間、その聖霊の臨在の実感がなく、なるほど、聖霊は私たちを助けてくれる「ヘルパーさん」と考え、有り難いと思いつつも結局はほとんどの場合、自分で「聖書的に良いこと」を「自分で」選び、それを「自分の方法とタイミング」で行っていたに過ぎないことに気が付かされました。
ヘブル4:10に「神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。」とあります。私たちも自分のわざではなく、信仰によって神の平安に入ろうではありませんか。(終り)
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