WWGM

Walk With God Ministries


08 04月

世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー     今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その2)                坂  達 也


世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー

    今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その2
                  坂  達 也
 今回訪ねたニューヨークのヒルソング教会の礼拝の雰囲気と第一印象をご報告します。先ず、そこに来ている人たちからは、教会員とか信徒が集まっているという感じがしない、むしろ、町を歩いている普段着のままの人たちが気軽に入って来て、礼拝賛美を楽しんでいる、そこには「自由」があること、それでいて、生きたイエス個人と聖霊の臨在が感じられるのでした。確かに若者が多い、しかし子供から老人まで、あらゆる人種と階級の人たちが渾然と混じり合っていました。敢えて言うとすれば、いないのは宗教的パリサイ人ではないかという印象でした。(但し多くの訪問客は別として)
1日5回の礼拝をするのですから、一人の牧師と一組の賛美チームではやりきれません。といってもネットで見た記事によれば、今年40歳になった主任牧師のカール・レンツ師は、9年前の設立当初から聖日礼拝は何回であっても一人でやり続けた、その情熱とスタミナは凄いものがあったと言われます。ところが私が参加した日はカール牧師は他教会を訪ねていて留守でした。しかしその方がかえってスタッフとかリーダーたちの資質が分かって良かったと思いました。主任牧師がいないのを全く感じさせない、喜びに満ち溢れた賛美と、それを縫うようにして確かな福音のメッセージが情熱的にしっかり語られたのです。そこには形式的、宗教的なものは全く感じられませんでした。よく教育されている、よく祈るスタッフとリーダーたちの霊的な質と厚みを感じました。
 その日のメッセージを担当した若い女性のリーダーの一人が語ったメッセージは、ルカ7章36−50節に出てくる、パリサイ人に招かれた席で罪深い女に語るイエスの話でした。その他に賛美の合間に司会者が、マタイ7章の「『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく・・・わたしは彼らにこう宣言します。『わたしはあなた方を全然知らない。・・わたしから離れて行け。』」と言う話とか、有名なベタニアのマリヤとマルタとの対比の話が触れられていました。
気が付いたことは、この教会のメッセージはすべてイエスが語られたことに焦点がおかれ、それにパリサイ人的クリスチャンが対比されていることでした。そして集会の終わりには、「救いの招き」がなされました。すると私のすぐ前に座っていた10歳前後の少女と、少し離れたところにいた背の高い黒人の老人を含む、少なくとも一階だけで20名ぐらいの人が手を挙げていました。正直なところ、この集会を通して私自身が強く感じたことは、自分が、未だにどれ程「自分に死んでいない」=「イエスと共に生きていない」パリサイ人的クリスチャンであるかでした。私はそれを聞いて改めてぐさりと胸を突き刺され、悔い改めさせられました。
ヒルソング・ミニストリーから学べる終末の教会のあり方
 4月号のカリスマ誌によれば、ヒルソングの創始者であるブライアン・ヒューストン師夫妻は1983年にオーストラリアのシドニー市で45名の小さな教会から牧会を始め、4年以内に900人に成長、その後、年一回のヒルソング・カンファレンスを開始してダーリン・チェックとかジェフ・ブロックという歌手を生み出し、ご存知のように、その独特なゴスペル・ミュージックで世界を風靡しました。そして1999年には正式に「ヒルソング教会」に改名、今では前述のように、世界に13万人の会員を持つまでに急速な発展を遂げたと言います
最初彼らはAssemblies  of God 教団の傘下にいたのを、昨年9月に独立、自からの教派を設立しましたが、その理由をヒューストン師は、今は「教団・教派主義」の時代ではない、イエスと本来持つべき「リレーションシップ」に帰る時であって、その上で、この世の未信者に対してイエスが取った態度と同じ深い愛と哀れみをもって、相手がどれ程リベラルな考えであっても、むしろそうであればある程、相手に大手を広げて真に「ウェルカム・ホーム」といってその人を個人的に親しい家族のように迎い入れるーそれが「イエスの御国」にふさわしいミニストリーだとして, 自らを ”One house, many rooms”と呼んでいます。
彼らは、主が本来なぜ彼らにここまで大きく広がる世界的なミュージック・ミニストリーを与えたかというその主のご計画に気付き、目覚めたのです。そしてこの世界的ムーブメントを継続させるためには、主を心から礼拝するミュージックに併せて、徹底したオーソドックスな「主ご自身が語った御言葉を中心に本来の福音を伝える」ことこそが主から受けた彼らの本来の使命であることに目覚めた(アウェイクニング)と私は見ました。そのために彼らは徹底して世界的なリーダーとスタッフを教育することを始めたようです。
 しかし一方で、これだけ急速に大きくなったヒルソングに対する批判も厳しく、悪い噂は絶えないようです。特に若者のライフスタイルが全くのリベラルなニューヨークの場合、彼らのやり方は誤解されます。街に氾濫する堕胎賛成者や同性愛者や、金持ち、有名人、そして浮浪者など、どんな人でも喜んで受け入れますから、多くの識者、パリサイ人的クリスチャンとかメデイヤは教会がそのような教義を受け入れていると誤解し、一方的に批判し叩くからです。
 しかしヒルソング創始者もニューヨーク教会の主任牧師も明言します。彼らはどんな考えを持った大悪人でも喜んで受け入れる。しかし、そのような人たちから訊かれれば、教義的に聖書に書かれたことを優しく伝え、決して罪と妥協はしないが裁くこともしない。そして、メッセージで罪人に対して取ったイエスの態度を伝えるならば、イエスご自身が彼らに直接語ってくださる。後はその人次第であると言います。

 

彼らの目標は、キリストの再臨を間近に控えた今、キリスト・イエスを王とする「天の御国体制」をこの地上に1日も早く造ることであり、彼らはそのことに目覚めていると私は受け取りました。特に彼らの礼拝に参加して、彼らが従来の教団教派を超えたより高い「ビジョン」を持っていること、そして、それを実現する使命感に燃えている「情熱」を痛いほど感じたのです。言ってみれば、主の花嫁である教会は、今まさに「マルタからマリア」に変革される時であることを主が望んでおられるのです。
黙示録17章に出てくる「偽の教会
 ここで思い出されるのは黙示録16−18章に出てくるすべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」です。この大バビロンこそは、終末に現れる「偽の教会」であると私は信じています。そして、これに打ち勝つのが主の主、王の王である小羊」であり「また彼(小羊イエス)とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実なものだからです。」(黙示録17:14)と言われている者たちです。
「偽の教会」とは、多くの人が歴史的にローマ法王を頭とするカトリック教団を指すと言いますが、必ずしもカトリック教徒全部が偽のクリスチャンではなく(霊的な素晴らしいクリスチャンもカトリックには多くいることを私たち夫婦も日本で体験しました。)むしろプロテスタント教派教団でも多くのクリスチャンが、小羊イエスを個人的に知らないパリサイ人的・宗教的・人間的・もっぱら頭だけの霊的でない人間的クリスチャンが多く、その人たちは、厳しい言い方をすれば、本物のクリスチャンではないと思います。だからこそイエスは昇天する直前に「大宣教命令」を弟子たちの言い残したのではないでしょうか。
従って今までにその「偽の教会」は、カトリック以外でも、その頭になる牧師がプライベート・ジェット機を乗り回し、何億もする贅沢な家に住むメガチャーチを生み出しました。(勿論メガチャーチの全部がそうではありません。)神は何事においても悪魔に先ずやらせた後で最後に主のなさる本物を顕されます。どうも「メガ・チャーチ」においても同じやり方をされておられるように思います。
レデイングのベテル教会の台頭
 さて、ここで最初にご紹介したキム・クレメント師の預言の一部がカリフォルニア州レディングでなされたことを思い出して下さい。彼が預言したのは多分ビル・ジョンソン師のベテル教会においてではなかったと思いますが、最近私はこのベテル教会でジョンソン師が発表した第二の教会新建物、それは新たに1200名収容できる第二礼拝堂+多くのミニストリー用教室等の増設計画とその資金調達推移の報告を聞いて実は大変驚きました。既にご存知の方も多いと思いますが、彼らは昨年この計画を発表しました。それによれば:

 

 その設計図面の完成とコストの見直し     2019年中に終わらせる
 支払い済みの土地の整地と全ての建築許可取得 2020年中に終わらせる
 建設着工                  2021年5月
 完成                    2023年4月
 総予算1億4千880万ドル(約140億円)、その内の30%ー約3千6百20万ドルが既に調達済(約束コミット分も含む)で、残額は約9千8百万ドル(約1千億円)、但し工事の進行より前に資金調達が常に先行することを見込んでいると言います。資金調達にはクレメント師はビル・ゲイツ氏の名前を掲げていましたが、ゲイツ氏かどうかはともかく、今までに世界40カ国の6千人から資金献金があり、
現在土地代金支払い後1200万ドルが手元にあるといいますから、今後もそのような大口提供者が既にいることは確かなようです。
これからはこのような超大型のメガチャーチが世界中に多く出てくると予期されます。先述のヒルソング教会についての説明の際、今はもはやメガチャーチの時代ではない、むしろ、これは世界的ムーブメントであると申し上げましたが、ベテル教会の増築においても全く同じことが当てはまると思います。すなわち、すべて主がなさっておられる「御国の時代」が遂にやって来たのです。
加えて、このベテル教会の計画そのもの以上に私が驚いたのは、この経緯が進行するに当たって、過去10年間教会が一団となって祈って来たこと、それにも増して、初めから神が、ジョンソン師と教会内部の関係者に確かな具体的なビジョンを与えただけでなく、関係者以外の多くの信頼できる預言者からと共に一般の見知らぬクリスチャンからも「主からのメッセージとしてジョンソン師に伝えなさいと指示されたので知らせます」というケースが何度もあり、すべての面で、時事進行に先だって全く疑いを持たせないように、確かな主よりの約束と知恵の預言が与えられたと、ジョンソン師が熱烈に証するのを私はネットで聞きました。従ってこれも「御国が来た確かなしるし」であり、本物も本物の主のやり方であることに驚きご報告する次第です。
ジョンソン師は、「今回のことは丁度エルサレムに城壁を建てるために多くの王とリーダーたちが資材と費用をネヘミヤに渡した時のようだ」(ネヘミヤ記参照)といっていました。紙面がないのでこれ以上は申し上げませんが、神のなさることは何と偉大でしょうか。今ベテル教会では内と外でリバイバルが起きております。
最後に申し上げます。主の祈り「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」が今確実に聞かれていることを心から感謝します。そして、バプテズマのヨハネが言った「天の御国が近づいたから。・・・『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」がいよいよ成就する時が来たのです。(終わり)

02 04月

世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー   今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その1)              坂  達 也


世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー

    今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その1)

 

                    坂  達 也

 

 

 最初に、今年2019年1月号に載ったカリスマ誌の記事をご紹介します。その記事によれば、キム・クレメントという預言者が「アメリカに一人の大統領が選ばれる。その大統領は自分のホワイトハウスの事務室で祈る人でありー選ばれた後の最初のうちはそうではないがーその大統領は『防御の壁』を建設し、二期目も当選する。」と2007年に預言しました。

 

ここでいう「『防御の壁』の建設」とは現在アメリカで政治的に大問題となっている、トランプ大統領がメキシコ国境に建てることを強硬に主張している国境の壁のことを指しています。

 同時にこの「防御の壁」とは、世界中、特にEUで移民に関して深刻な問題になっている国境を取り除く政策ーこれこそは明らかに悪魔の狙う世界統一政府〈ワン・ワールド・オーダーの画策〉に対する防御をも意味しています。アメリカでは民主党がこのようなグローバリズムの旗振り役をしています。それは民主党が選挙で共和党に勝つためには、多くのビサなしの中南米人を違法に移民させ、彼らに金をばらまいてまでも民主党候補に票を入れさせるという企みがあるからです。(日本では全く考えられないような選挙法違反ですが今のアメリカでは、これが大ぴらにまかり通るという時代になっています)。実のところ民主党はそうでもしなければ共和党に勝てないという事情があるのです。

 

 さてそこで、少々このアメリカの預言者クレメント師のことをご説明します。彼は必ずしも一般的に広く知られた預言者ではありませんでしたが、私たち夫婦も含め、多くの人が注目した「知る人ぞ知る」特異な預言者でした。彼は多くの場合、バンドを引き連れ、彼自身が賛美のピアノを弾きながら神の御声を聞く預言者でした。その彼は一年間の闘病生活のあと2016年の11月に亡くなりましたが、彼のこの2007年の預言は、トランプ氏が大統領選挙に出ることも分からなかったときにされたものです。

 

ここで再びカリスマ誌の記事の引用にもどります。

 

「クレメントは2007年2月10日にアリゾナ州スコッツデイルで次のような預言が与えられた。

『宗教的ではない、祈る大統領が現れる。』と主がいわれる。『わたしは国民を(いっとき)騙す。そうである。わたしは確かにそうする。』

そして神が言われる。『(わたしが)選んだ者は(ホワイトハウスに)入る。人々は「彼は血の気の多い短気者だ。」というであろう。』しかし神の御霊は言う。『そうだ、彼は短気かもしれない。しかし彼はすぐれた「防御の壁」をこの国にもたらす。そしてこの国の経済は急速に変って行く。』と万軍の主は言われる。

『主の言葉を聞きなさい』と神は言われる。『わたしはあなたがたのリーダーとして「祈る大統領」を2期(8年)据える。彼が大統領になった当初は祈る者ではないであろう。しかしわたしは彼を大統領にし、次に聖霊のバプテスマとわたしの力のバプテスマを彼に授ける。』」

 

 その後、2007年4月4日にカリフォルニア州レディングにおいて、クレメントは 「『わたしはトランプをトランペット(ラッパ吹き)とし、ビル・ゲイツを教会の経済の領域の扉を開く者とする。』と主は言われる。『わたしが国家の最高の地位に置く者は、初めはわたしの名を小声でささやくが、大統領になると聖霊の力によってわたしの名を大声で叫ぶであろう。それは彼が大統領になったとき、わたしが彼をわたしの霊で満たすからである。そしてこの国の最高の座には、祈る者が就くであろう。』と神は言われる。」と預言しました。(これにて引用を終ります)

 

 以上がカリズマ誌の記事の要約です。ここで申し上げられることは、トランプ大統領が二期目も当選するという預言はリック・ジョイナー師を含む多くの預言者が既に預言している事であり、その中で特にリック師が、2期目再選直後の2021年にアメリカにおいて第二の革命的市民戦争が勃発することを真剣に危惧している事実をお伝えしたいと思います。その理由は、去年から乱立し始めた民主党(デモクラット)の過激派(その多くが憲法無視、反キリスト教、あまりにも無責任、非常識でナイーブな社会主義的主張をしている)大統領候補たちが、これから一人に絞られて行き、その選ばれた最終候補者が2020の選挙でトランプ大頭領と対決することになるのです。その結果が現実に「憎むべきトランプが再選される」となれば、既に、今ですら国が真っ二つに割れている危機的状態にあるアメリカですから、憤懣やるかたないメデイヤや過激的社会主義者に煽られたリベラルの民衆がついに付和雷同し反乱を起こす、という非常に深刻な情勢にあることを強調させていただきます。

すなわち、サタンの悪あがきも遂に来るところまで来ているのです。

 

以上、現行のアメリカの政治情勢をバックグラウンドとしてご紹介しました。それと共に、今まで私たちはトランプ大統領への数々の預言をご紹介して来ましたが、預言というものには信用できないものも多くある中で、これ程までに正確な預言もあることに、私自身も驚きましたが、このトランプ氏への多くの預言が真に神からのものであることへの確証になるのではないかと思いご紹介させていただいた次第です。

さてこれからが、いよいよ終末に起きると期待されている大リバイバルあるいはアウェイクニングが、もう既に現実に起こり始めていることの実例のご紹介に入りたいと思います。

 

世界に広がるヒル・ソング教会

 

 私は今回、同じカリスマ誌の4月号のテーマとして載ったヒルソング教会の記事に促されて、実は昨日3月31日に、私たちの住むニューヨーク市内にあるヒルソング教会を急遽訪ねて見ました。そのことをこれから書かせていただきます。

 

 私たちは2012年の夏から約2年間このニューヨークのマンハッタンに移住して住みましたが、確かその年か翌年に一度だけ未だ設立されて間もない頃のヒルソング直営のニューヨーク教会を訪ねたことがあります。その場所はナイトクラブを日曜だけ借りていて、外からの光が全くない真っ暗な場所に広いステージだけが上からの照明で照らし出されており、その照明が空中を舞う濃厚な埃を鮮やかに浮き彫りにして見せている、まるで映画館か、劇場か、ナイトクラブにいるような、とても教会とは思えない異様な雰囲気でした。その場所は一階のステージの前が広く空いていて、そこに人が集まって自由に歌い踊っていました。その後ろに客席があって、そのステージの両袖の上から張り出した形で2階のバルコニー席がUの字に巡らす2階の客席があり、その欄干には多くの若者が立ったまま鈴なりに寄り掛かかって階下のステージを見下ろしながら、折から奏でるバンドと歌手が喜び歌うヒルソング特有の礼拝奏楽に合わせて歌っているのでした。場所としてはそれ程大きくなく人数としては当時せいぜい200人ぐらいだったかと思いました。

 ところが今回私が訪ねた場所は、エンパイヤー・ステート・ビルが近くにある同じ34番街 の目ぬき通りで、前よりかなり大きな場所でした。礼拝は午前10時、 12時 , 午後2時, 6時, 8時と1日5回、出席人数は推定ですが1回が500−600人として計約3千人ぐらいでした。

カリスマ誌によれば、このオーストラリアから来たヒル・ソング教会は、今では、世界24カ国に広がり、総計で約13万人が毎週の日曜礼拝に参加し、2017年1年間で救われた人は3万3千人に達したといいます。加えてヒルソング・チャネリングというネット放送を通じて、世界の183カ国で何と1億4千600万家庭に日夜配信しているそうです。(続く)


04 02月

最近のヘンリーグルーバー師についてのご報告            坂  達 也  2019年2月4日


最近のヘンリーグルーバー師についてのご報告

 

                   坂  達 也

 

 

 ヘンリー師は、10日ほど前の、1月23日にサンフランシスコから韓国に向かって飛び立たちました。今頃は韓国から沖縄に向かい、沖縄でミニストリーをされているかと思います。韓国に真っ先に行かれたのは、昨年に続き医師(団)によるその後の状態の診察を受けるのが主目的ということでした。

 

 私が最後に師とお話ししたのは、出発の数日前の1月18日頃でしたが、その前に話した時(多分昨年の年末ごろでした)とはうって変わって、師は喜びに満ちた溌剌とした声で、再びアジア各地にミニストリーに出ることを大変喜んでおられました。昨年韓国で手術を強く勧められたのを断り、今は日本のキノコの粉末とエキスを飲んでいて、値段は非常に高いが効果はあると言っておられ、私が驚いたのは、痛みが全くないことでした。ハレルヤ!通常であれば周りに転移状態の末期ガンは背骨等を冒し、かなりの痛みがあるはずと聞いていたからです。今回は沖縄の後、台湾に行き、確かその後に日本本土に戻ってくるとのことでした。ぜひお祈りください。

尚、昨年私たちが来日時に師への献金をお預かりして帰国しましたが、その分は師に郵送させていただきました。もしヘンリー師に献金をご希望される方は、ぜひ私たちのWWGMの方へその旨を書かれて御送金ください。それをまとめて、私たちの方から師にお送りさせていただきます。それではよろしくお願いします。

 

 以下は英文の手紙で、ヘンリー師の家族が出したお礼を込めたニュースレターを訳したものですが、少々遅れて私たちのところにも送られて来たものです。どうぞご覧ください。あるいは既に森先生等から聞かれた方もおられるかと思います。

 

 

感謝のことば         ヘンリー・グルーバー

 

 主に愛されている皆様に、麗しく尊い主イエス・キリストの御名によってご挨拶申し上げます。

 

私と妻、そして家族にとって去年は非常に厳しい時でしたが、皆様が共に堅く立ち共に戦ってくださったことをまず心から感謝いたします。私の愛する妻が生死の戦いをしているときに、私自身も同じ戦いをすることになるとは思ってもいませんでした。私も妻もその戦いは非常に烈しいものでした。そして私の愛する妻ジュディスは、8月に天の家に召されて行きました。私の嘆願を主は受け入れてくださり、私はその時妻の傍らにいることができました。妻は私の腕の中で、2018年8月14日午前12時10分に、本当にやすらかに天に召されました。

 

皆様のお祈りととりなしは、私たちを高く引き揚げ、まるで天の翼に乗っているかのようであり、私たちはこよない平安と安らぎと愛で満たされましたことをお伝えいたします。その喜びと感謝は愛する者を失った痛みを凌駕し、毎日を勝利で進んで行く力を与えてくれています。皆様お一人お一人に心から感謝を申し上げます。

 

私たちの経済的必要にも豊かに答えてくださったことも感謝いたします。ジュディスの医療費、ホスピス代、葬儀のための費用と共に、私の医療費も多くかかりました。

病気のために私は4月から12月まで集会は2回しか持つことができなかったのですが、すべての必要は十二分に満たされました。皆様が喜んで愛をもって尊い献金や励ましの言葉を送ってくださり、私たちの心は感謝で一杯です。皆様に祝福がありますように!

 

2019年について主が私に語ってくださっていることを少しお分ちさせてください。私の家族がいろいろな困難に直面したように、皆様の多くもいろいろな試煉にあわれたことを私は知っております。

 

第一ペテロ5:9b−11「ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人人は同じ苦しみを通って来たのです。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその栄光の中に招き入れてくださる神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。」

 

今年も又、 予断を許さない混沌とした世界状勢に私たちは面しています。キリストのからだの中では、繁栄の預言や

地上で神の力ある御業が解き放たれるという多くの預言が

語られています。(そして私もまたそれを叫び求めていることを主はご存知です!)しかしながら、私はこのところ神の御ことば、特にエペソ人への手紙で使徒パウロが繰り返し言っている言葉を黙想するときに感動させられています。

 

エペソ1:5−6、8−9

「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。...神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって...」

 

ここに「ただみこころのままに according to His good pleasure ( 主のよき喜びに従って)」とあります。

どうかこの言葉に目を留めてください。今年はこの言葉を毎日黙想し、私たちの心と魂が再びはっきりとこの真理を理解するようにと祈ります。

 

今私たちはあまりにもメディアによって「自分に心地よいこと」を求めるようにと洗脳されてしまっています。

私たちは「自分が喜び楽しむために何を一番求めているだろうか? 私は日常生活や思いの中の何から喜びを得ているだろうか?何が私の気持を満足させるだろうか?」と自分に問うてみる必要があるのではないでしょうか。私たちはこのようなことから魂の糧と平安を得て、自分の価値を見出だすからです。

 

そして、私たちは今一度、父なる神のこころから流れる親しい交わりについて考えてみようではありませんか。御父の御こころが望まれ喜ばれることは何でしょうか。

次の箇所にそれが書かれていると思います。

 

第一ヨハネ4:16「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」

 

雅歌8:6「私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強いからです。」

 

私の「天国の六時間」というあかしの中で、天国がどのようなところかを表した言葉を覚えておられるでしょうか。それは「天国では、すべてのものは仕えることを愛し、愛する故に仕えている。」です。神が最も喜ばれることは何でしょうか。それは「御こころが天で行われるように、地でも行われますように」です!

 

すべての国のクリスチャンはこの祈りを祈っています!

今年はこのことをしっかりと捉えましょう。それによって、神の御国が到来し、御心が天で行われるように地でも行われるようになるのです。

愛はすべてを覆うのです。

 

2019年が、 尊い救い主と天の御父に最大の喜びをもたらすことができますようにと祈ります。

 

イエスの御名において  ヘンリー・グルーバー


24 12月

Merry Christmas イエスさまのお誕生日を心よりお祝い申し上げます            WWGM 坂 達也  柚実子


Merry   Christmas 
イエスさまのお誕生日を心よりお祝い申し上げます
           WWGM       坂 達也  柚実子
   クリスマスといえば「光の祭典」と言えないでしょうか。特にアメリカでは、都会でも田舎でも、飾り付けたクリスマス・ツリーをはじめとして、家の前庭とか屋根・窓の輪郭を電球と種々の飾り物で美しく飾り、夜でもその飾り付けで辺り一面がこうこうと光り輝いている今は、一年を通して街が最も美しく輝いているシーズンです。
 イエスさまがお生まれになったときは、色々な超自然の奇跡が起きましたね。イエスご誕生のストーリーを聖書で何度読んでも、その奇跡の情景に圧倒されます。中でも預言者イザヤはやみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」(イザヤ9:と言い、イエスを「大きな光」と称しました。イエスはご自身が創造者として、被造物を肉の光を必要とするものとして造られただけでなく、霊的な光をも必要とするように造られたと信じます。特に創造主として主イエスは、この目に見える全宇宙とその中に住む生き物を人間のために造られたのですが、その人間こそ最も霊の光を必要とします。また、イエスご自身も「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」ヨハネ 8:12)と言われましたが、まさにイエス・キリストとはすべての人を照らすそのまことの光」(ヨハネ 1:9)としてお生まれになったのです。すなわち、神は真の霊の光が輝く光そのものです。ですから聖書には「神の栄光 glory of God」と言う言葉が数多く出て来ます。それと同時に、その神の輝く光を「見よ behold、 see 」という意味の言葉が旧・新約聖書を通じて、それこそ数えられない程、何千という回数使われています。これを知っただけでも、人間が光を見上げること、しかも「心の目がはっきり見えるようになる」(エペソ1:18)ことがいかに大切であるかがわかります。
 その良い例の一つが2コリント3:18です。そこにはわたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すようにつつ (beholding 栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは(聖)なる主の働きによるのである。」【口語訳】と書かれています。ここで書かれている「栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」の「変えられる」とは英語のトランスフォーム「変革される」という意味です。そして後に続く2コリント4:6では「『光が、やみの中から輝き出よ。』と言われた神は、私たちの(暗い)心を照らし、キリストの御顔にある(輝く)神の栄光を知る知識を輝かせて(与えて)くださったのです。」とあります。
 ここで私は、ルカ9:28で「・・イエスはペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために、山に登られた。祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた。」と書かれているのを思い出します。いわゆる山上の変貌と言われるところです。イエスが祈られるとイエスの御顔が変わり、ものすごく輝き出しました。ここでの「変わる」という言葉は英語ではトランスフィギュアですが、原語では3:18のトランスフォームと同じmetamorphoo ですから同じ意味です。これは何を意味しているのでしょうか。
 そこでもう一つ思い出していただきたいことがあります。それは罪を犯す前のアダムとエバは裸であったにも関わらず、その身体は光り輝く光の衣を着ていたのが、罪を犯すと同時に彼らが裸であることに気が付いて神から隠れたことが創世記3:7−11に書かれています。ということは、山上で祈った時にイエスの御衣が光り輝き出したことと、罪を犯す前の裸のアダムとエバが着ていた「輝く光りの衣」と同じ状態であったことを、神は山上で祈るイエスの変貌(トランスフィギュア)を通して私たちに見せてくれたのであると思います。
 イエスは神でありながら、私たち人間と同じ人間としてこの世に生まれて来られ、人間として生きられ、しかも罪を犯さなかった。そして、私たちの罪を背負って十字架に付いて死なれ、甦って、永遠の命を持つ霊の身体に変わられるという模範を示されただけでなく、私たちがキリストを信じ、キリストと共に十字架につき、キリストと共に死に、キリスト共に蘇り、キリストと共に永遠の命で生きる、いや、キリストが私たちの中に生きていて、私たちは神の神殿であり、同時に私たちも天の神の右座にキリストと共に座して生きることを願っておられるのです。私たちはキリストのからだであり、一心同体となる花嫁です。
 ですから私たちが天を見上げて祈る時、キリストを心の目で見上げつつ、じっとキリストを見つめて時を過ごす時に、私たちはキリストの栄光から栄光へと変革され、私たちの内面がキリストに似た者へと変えられて行くのであると信じます。それはキリストが多くの時を父なる神を見上げ、見つめて時を過ごされたからであり、弟子たちは主にそのような父との親密な祈り方をどのようにすればよいのかを教えてもらいたいと願ったのです。
 ここで私は、私の著作「主を見つめて待つー霊に目覚め・神の声を聞く方法ー」で触れた「コンテンプレイテイブな祈り」の重要性 を改めて強調したいと思います。私は最近改めてこの祈りの必要なことを感じ、毎日実行していますが、この祈りによって私たちのうちにおられる聖霊の臨在をより身近に感じ、主と共に歩む助けとなっています。それと同時にこの祈りによって私たちの心・魂が栄光から栄光へと変えられ、私たちの内面が真にキリストに似た者に変えられることと共に、私たちが主からいただいたデステニーを正しく歩むための導きと力をいただけることへの確信を覚える次第です。
 最後に量子論と量子力学が、その基盤において、人間の見ることによって(科学者は観測と言いますが)、元来波長として流れる光子とか電子、その他の量子自体が個々に持つ「意識」に作用し、その量子の流れを見つめる人の心・思いに沿ってこの世のものに具体的に具象化、あるいは組み立てられ、造られて行くことが実験的に証明されていることは新年に改めてご紹介しさせていただきたいと思っておりますので、お祈りくだされば幸いです。
 それでは、どうぞ皆さま、新しい年に向かって主と、皆様方のグループ・ご家族と一層の親しいコイノニアの関係に入れますように、心からお祈りしております。(終り)

14 08月

二つの椅子     坂 達也        2018年8月14日


二 つ の 椅 子

                   坂  達 也

 

 

 私は最近両目が急に見ずらくなりました。実は4−5年前に医師から白内障の手術を受ける時が来たと言われていましたが、恐らく信仰で少し癒されてよくなっていたものが急に元の悪い状態以下に悪くなったと思われ、その手術を行いました。そしてその後、立て続けに痛風(左足親指付け根が痛み出す)から帯状疱疹(背中左側から左腕手首まで)に発展しました。どちらも主な原因がストレスにあり、いずれ過激な仕事をしていた若い頃やったものの再発です。そして未だ疱疹が治り切らない前に、突然急性一過性脳虚血と思われる発作が起き(これは脳梗塞の初期に起こる症状)急患で二日間入院してMRI検査等の結果でそれが分かりました。今は自宅で静養中ですが、更に精密検査を受けております。ということで現在は身体全体が弱っておりますが、少しずつ良くなっており、やっとコンピューターの前で作文ができるように回復しましたので、これを書かせていただいております。

 就きましては、最近たまたま私たちのミニストリーが始まった頃に季刊誌として書いていた「マウンテンパークだより」2001年秋号に私が書いた文章に目が止まりましたので、それを下記の通りご紹介させていただきます。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 私もクリスチャンになってからいつの間にか30年近く経ちました。しかし何年経ってもいつもハッとすることが一つあります。それは今の自分は信仰で生きているのかどうかという反省です。少々大げさに言えば、クリスチャンは常に一つの意思決定を迫られていると言えます。それは一瞬一瞬、自分の身分証明を要求されているようなものではないでしょうか。

 フランシス・シェフアー師の表現を借りれば、クリスチャンは常に二つの椅子のどちらかに座って生きていると言います。一つは信仰の椅子、もう一つは不信仰の椅子、すなわち古い肉のままの自分で生きている椅子、そのどちらかに座って生きています。そして一日何回椅子を変えようと、いつもどちらかの椅子に座っていて、中間とか両方の椅子のどちらかの椅子に同時に座っていることはあり得ないというのです。

 クリスチャンになった後も、私は長い間不信仰の椅子にどっかり座ったままで、一生懸命信仰で生きようとして来ました。別の言い方をすれば、古い自分をよくしようと努力していました。古い自分(自己中心の魂の部分)を懸命に殺そうともしていました。しかしパウロはこれは全く無駄なことであると言います。私は長い間のこの無駄な努力を重ねた結果、最近やっとその間違いが実感として分かって来たのです。

 クリスチャンの内には、死んだ筈ですが実はピンピン生きている「古い自分」と、生まれ変わった「全く新しい自分」という二人の人間が共存しています。信仰で生きるには、古い自分は無視して(臭いものには蓋をして)新しい主と共にボーンアゲインした自分で生きる(主と共に、というより主ご自身が生きてくださる)ーつまり椅子を変えるしかないということです。

 

 シェファー師は「不信仰の椅子に座ったままでクリスチャン生活を送ろうとすると、たとえどんなに大きな声で賛美をし、どんなに熱心に宣教活動しても、それはほとんど全て(主の御心ではなく)自分で考えた肉と魂の行いでしかない。そこでは自分が宇宙の中心に置かれていることに変わりはなく、その人のクリスチャンライフの全てが遊戯であり、その人がどんなに戦うふりをしても、その人は所詮「おもちゃの兵隊」でしかない、なぜなら霊の戦いは肉では闘えないので全く役に立たない兵隊であるからだ、と言っています。付け加えるならば、そういう人は、自分の論理から出た「頭のクリスチャン」でしかないと厳しく決めつけています。そして、「信仰から出ていないことはみな罪です。」(ロマ書14:23後半)を強調しています。「信仰がなくては神に喜ばれることはできない。」(ヘブル11:6)どころか、「信仰から出ていないことはみな罪」であるならクリスチャンにとってこれは大変なことではないでしょうか。

 

 最近久し振りにシェファー師の「True Spirituality] を読見返して見て、もう一度上記の信仰のあり方の秘訣を学んだことは大変有益でした。

 今朝も起きて直ぐ、自分は今信仰の椅子に座ることをはっきり決意したところ、いつものように早朝の「主を見上げて待つ」祈りに入るやいなや、主のすばらしい御臨在の中に飛び込んで行くことができ、喜びが溢れ始めました。又、日中車を運転していたときでしたが、はっと思い出して信仰の椅子に坐り直す意識を持った途端に、喜びと主への賛美が心の内に迸り出ました。ハレルヤ。

 

 ところで「信仰で生きる」とはどういうことでしょうか。簡単に言えば、「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。・・・」(ガラテヤ2:20)を信仰で生きることです。少し難しくいえば、「自分のなるべき姿、約束されている身分と責任を今現実のものとして生きるということではないでしょうか。

 

 古い自分ではなく、新しく主と共に蘇った私たちは、神の神殿であり、神の御霊が中におられ、イエスキリストの全権大使としての権威と力を備えた神の世継ぎの一人であるという大変な身分なのですね。しかも神が自分の中に住んでおられるだけでなく、自分もキリストの中に住む、つまり父の右座にキリストと共に位置するという既に今、神の家族の一員であるという、これが私たちクリスチャンの身分証明書であることを、そしてその特権と責任を帯びた人間であることを忘れてはならないと思います。

 ということで皆さまも、この辺りでぜひ一度ご自分の信仰の生き方をチェックされることをお勧め致します。 【以上で2001年文章を終わります】

 

 

私に今起こっていることの意味

 

 上記に書いた文章に照らし合わせて、私の身体に今起こっていることが何を意味するかは明らかです。そしてこの現実が神からの厳粛かつ重要なメッセージを意味することに気付き、心から反省するに至りました。

 実は上記の文章を書いた2年後の2003年春に、私は最初の拙本「主を見つめて待つー霊に目覚め・神の声を聞く方法」の初版を出版しました。この本をお読みいただいた方なら、この「主を見つめて待つ」が上記の文章「二つの椅子」の内容に基づいたテーマを中心として書かれていることにお気付きになられると思います。そうであるとすれば、明らかに私は、自分自身の書いた「クリスチャンの目標」に沿った「信仰の椅子に座った生き方」が15年後の今、出来ていないが故に、疲れ果てた瀕死の病人になったことにお気付きになるはずです。すなわち、正直に申し上げて、私自身が提唱しながら、その生き方がいかに難しいか、私自身が見事な失敗の見本でもあることが一目瞭然です。それを主から今回気付かされ、身を低くし自分の至らなさを悔い改めております。お赦しください。

 

 しかしその主が、私を今回主にあって蘇らせくださる約束を私ははっきりと信仰で受け取りました。

 

 就いては、最近私たち夫婦が送ったお見舞い状に対しご返事をいただいたヘンリー・グルーバー先生からの貴重な励ましをいただいたことを付記させていただきます。その励ましとは下記の4つのみ言葉でした。(但しヘンリー師には私が今このような状態になったことを知らせてはいませんので、ご自身に起こった今回の奇跡的な癒しに対するご自身の見解を書かれたものです。)

 

1ペテロ5:8−11 「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。」

 

Ⅲヨハ1:2ー3  「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。」

 

ヘブル11:25 ー27 「罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。 彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。」

 

ロマ 8:18 ー39「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。・・・そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。私たちは、この望みによって救われているのです。・・私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。・・・神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

 

 ヘンリーグルーバー師は、今までに少なくとも3度の死の苦しみに会いましたが、今回主が彼を3度目の奇跡的「蘇り」の経験を下さったと最近のビデオで証しています。

 私たちは1995年に神のご計画によってグルーバーご夫妻と出会い、日本の愛知県におられる安田先生ご夫妻の招きによって泉の森の開所式に参りました。それ以来ヘンリーグルーバー師は毎年2回か3回、この23年間欠かさず日本を訪れて下さった大変な主の器です。私たちは最初の10年間師にお供し、後は森明先生にバトンタッチして現在に至っております。(加えて、沖縄にも別途毎年欠かさず訪問されています。)

 

 グルーバー師の言われていることは、私たちクリスチャンで「主に選ばれた者」とは、主と同じ十字架の苦しみを受けて培われる「霊的訓練」を何度転んでも起き上がり忍耐を持って「死ぬまで」あるいは「主の再臨まで」喜んで走り続ける者の姿ーそれを言えば、上記のみ言葉はみな、キリストの「使徒」たちが綴った「自分の十字架を担いで主の後を追う」実際の姿を血の涙で綴ったものです。

 

 実は「真の救いー永遠の命」とは、それ程尊く価値のあるものであることを、私たち自身が、後から主に従ってついて来る後輩の「求道者」に見せて励まし伝えねばならないと思うのです。それが福音でなくて何でしょうか。

 

 私にとっては、それが2コリント3:18に書かれている「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと主と同じかたちに姿を帰られて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」 の御言葉の意味するところであると信じます。(終わり)


 Page 7 of 38  « First  ... « 5  6  7  8  9 » ...  Last »