Archive for the ‘坂達也からの今月のメッセージ’ Category:
29 06月
家族で祈ることの大切さ
坂 達也
今は既に患難時代に入っていることを、最近ひしひしと感じておられる方は私だけではないと思います。
そこで皆さんの中で、最近、色々なことで物事がうまく行かない、身体の具合も不調、家庭、或は仕事場で不和、争いごとが絶えない、些細なことから大きなこと迄、どちらを向いても道がふさがれ、障碍に出会う、まるで困難が待ち構えているようだ、悪魔の嫌がらせとしか思えない、と言うような苛立ちを憶えておられる方はおられませんか。
いや、以上のようなことは患難のうちに入らないことかもかもしれません。ヘブル10:32−34には、一世紀のユダヤ人で真の光であるキリストを知った人たちが、その後どれ程の患難・苦難の中を通されたか、しかし彼らがそれを喜んで耐え忍んだことが書かれています。そのことをヘブル人への手紙の筆者は「あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦い耐えた初めのころを思い起こしなさい。」と言います。彼らは人前でそしりと苦しみを受け、自分の財産まで奪われても喜んで忍んだのです。35、36節に「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」と書かれています。
はっきり申し上げて、クリスチャンがそのような患難を通るー主によって通されるーのは、主の御心であることは聖書の色々なところに書かれています。ロマ書5:3、4には「・・・患難が忍耐を生み出し、忍耐が練 られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す・・」とあり、
又、ヤコブ書1:2ー4には「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じる・・・この忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。・・」とありますから、クリスチャンが患難を通ることの意義と目的はここで明白です。
これこそ、私たち終末に生きるレムナント・クリスチャンが覚悟すべき最も重要な信仰の心構えであると信じます。
終末には大リバイバルが来ると言われますが、最後の時は、私たちレムナントが先ず「初めの愛」すなわち「初めの熱烈な主への信仰」に帰り、リバイブされねばならない時ではないでしょうか。その目的は私たちが最終的に主にあって「勝利を得る者」になるためです。
黙示録2、3と21章には「勝利を得る者 overcomer 」と言うことばが数度出て来ます。1ヨハネ5:4−5がその「勝利者」とはどのようなクリスチャンであるかを説明してくれています。「神によって生まれた者はみな、世に打ち勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に打ち勝つものとはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」
しかしそれをよく知っている悪魔は、終りの時が迫っている今、必死になって私たちの信仰を弱め、挫折させようとしています。主はそれをよくご存知です。主に「見込まれて favor を受けている」方であればあるほど、あなたは徹底的に敵にマークされ、敵はこれでもかこれでもかと攻撃の手を緩めません。
そのような時に、私たちが取るべき最も効果的な「勝利の手段」とは何でしょうか。私にとってそれは、たとえどんな困難に襲われても「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて主に感謝しなさい。」(1テサロニケ5:16−18)であることを最近改めて発見しました。患難を絶対に恐れてはならないのです。
クリスチャンとは初めからキリストにあって「圧倒的勝利者」であるからです。だからこそ悪魔はあらゆる手段と機会を用いてあなたを惑わし、恐れさせ、あなたの信仰をゆさぶります。私たちは一度主を信じたら、たとえ死に至るような罠を敵が仕掛けて来ても「死に至る迄忠実でありなさい、そうすればいのちの冠を与えよう」と主は言われます。私はこのところ色々な患難を憶えておりますが、上記1テサロニケのみ言葉を実行して勝利の喜びを経験しております。
夫婦で毎日祈る
私たち夫婦は二人暮らしですが、もうかなり前から、就寝前に二人で声を出して、家族のメンバーのため、あるいは、友人で祈りを必要としている人々を憶えて祈ることを日課として来ました。多くの場合は5分とか10分で終わることが多かったのですが、最近ある時に二人で話し合った結果、夕食後の静まった時間に1時間かけて、二人で「激しく」祈ることをコミットし合いました。それを始めて既に2ヶ月以上続いております。一人が言葉で祈る時、一人は異言で祈ります。又、声を強めて二人で異言ではげしく祈ります。主が祈りを次から次へと私たちどちらかに与えて下さるのです。この夫婦の祈りをするようになって(それは上記1テサロニケ5:17「絶えず祈りなさい。」の実行の一部ですが)、二人で一致して祈れば何事でも必ず聞かれると言う下記のマタイに書かれているみ言葉がうそではないことを体験して本当に驚いております。
二人三人が心を一つにして祈るなら、
どんな願い事でも主は聞かれる
マタイ18:19、20に「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(新共同訳)と言う非常にパワフルなみ言葉があります。
先日6月8日に掲載したリック・ジョイナー師の「教会を建て上げ治める」(一)で、師は「私はずっと今までこの聖書箇所を『もし,2、3人という少人数でもイエスの名で集まるならば、そこに主が来て下さる。』という様に解釈していました。でも主は『それは違う。』と言われたのです。そして『もし2、3人以上いるならば、わたしはそこにはいかない。わたしは2人か3人以上はいらない。』と主は言われたのです。」と言っておられますが、私はこれはすごいことを言われると思いました。
なるほど、神は「父と子」それに聖霊を加えて三人で完全な姿を成しておられるのですから、確かにそれ以上要りません。それに気が付かされ、師の言うことにうなずからざるを得ませんでした。そうであるなら主と私たちは「花婿」と「花嫁」の関係にあり、地上で私たち夫婦が一致して主に祈るなら、神と人間の関係の中で最も基本的で最も重要な「三人」の関係ではないでしょうか。
私たちはこの夫婦の祈りが聞かれることを今現実に体験しており、ぜひとも皆様にお勧めします。親しい二人の兄弟、姉妹でも友人の関係でも勿論よいのです。
家族の関係を大事にする
それに加えて、私たちが学ばなければならないことは人間関係であり、その中でも最も重要で特にクリスチャンが絶対におろそかにしてはならないのは、家族の関係です。1テモテ5:8に「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。」とパウロは私たちに厳しく警告しています。家族のつながりがいかに大切であるか、私たちが先ず「家族の交わり」を重んじなければならないことがこれでよく分かります。
祈りにおいてもそうですね。
これに関して最近よいお話に巡り会いました。私たちは以前によくこの方のメッセージを掲載しましたが、ビル・ヨントBill Yount 師の最近のお話の中で、彼は家族が集まって祈ることがいかに重要でいかにパワフルであるかに触れております。彼はたとえ家族の中に未信者がいても、未信者の祈りは聞かれないと思わずに、出来るだけその未信者も祈りの輪に加えて一緒に祈るように薦めています。彼は自分の家族の中の未信者に「あなたの祈りも聞かれるのだから一緒に祈って欲しい」と励まし薦め、実際にその人が家族一同の祈りに加わったそうです。その時、ヨント師はその未信者の上に聖霊がとまられ臨在されているのを見たと言うのです。そしてその人の祈りは実際に聞かれたそうです。
ヨント師は二人、三人が集まる祈りの効果を同じマタイ18:19を引用すると共に、申命記 32:30にある「一人が千人を追い、二人が万人を追う・・・」と言うみ言葉を引用して、二人が心を合わせたら、あるいは家族が皆で祈ればどれほどパワフルな祈りとなるかを強調しておりました。
家族で未信者の人がいても、その人を祈りに参加させることは、主が喜ばれるのです。例えば、その未信者本人が本当に困った問題を抱えているような時に、家族の祈りに加わるように励ますことによってその人と一緒に祈り、その祈りが聞かれたとなると、その人が主を信じるよい機会につながらないでしょうか。(終り)
24 05月
ペンテコステの日を心よりお祝い申し上げます
坂 達 也 ・ 柚 実 子
ハレルヤ! 日本の皆様は既にペンテコステ礼拝を済まされたと思いますが、アメリカは今日がペンテコステをお祝いする日曜日です。
ついては、皆さんの礼拝で次のことが起こりましたか。
その日には「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。・・・すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。・・・ この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。」と使徒行伝2:2−6に書かれています。
私たちは最後のリバイバルはこのようにして起こると信じて疑いません。それは下記のヨエルの預言の通りです。
『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。 主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう。』(使徒行伝2:17−21)
そうです。聖霊が私たちの上に臨まれる時、私たちは力を受けます。
おめでとうございます。もう皆様方にはリバイバルへの準備が出来ておられますか。いよいよこれからは、皆様の集まりの上に「突然」大きな音とともに激しい風が吹き下ることがいつ起こっても不思議はありません。それを心から期待しております。(終り)
05 04月
緊迫するアメリカとイスラエルの関係
坂 達 也
「過去6年間オバマ大統領とイスラエルとの関係は悪化の一途をたどって来ました。私が一月にご報告したように、昨年末の世論調査でアメリカ国民の47.4%はオバマ大統領がイスラエルを見捨てる恐れを持っていることが判明しました。今はその数字がもっと増えていると推測します。このまま行くとオバマ大統領は本当にイスラエルを放棄することを私は恐れます。」とヨエル・ローゼンバーグ氏は三月末に彼のブログで言っております。
この懸念は御存知のように、イスラエルのナタニヤーフ首相が米国国会議長ベーナー氏の招待により三月初めに米国議会で演説したことによって更に悪化しました。その後オバマ氏は折からのイスラエル首相の選挙に際し、ナタニヤーフ首相を落選させるべく反対派に資金援助をしたとまで言われ、その選挙結果が予想に反してナタニヤーフ首相の勝利に終わったことによって、この二人の関係は全く相容れない最悪の状態で4月を迎えました。
そしてスイスで開かれていたイランの核開発を阻止する7カ国外相会議で、3月末迄に結論を出すという期限を超えたにもかかわらず、異常としか思われないオバマ大統領の熱意と執拗なねばりによって遂にイランとの枠組み合意に一昨日無理矢理こぎ着けたのです。これに対して昨日の日本経済新聞電子版には「2002年から10年を超える外交交渉が続いてきたイラン核問題で、ようやく合意がまとまった裏には『レガシー(政治的な遺産)』づくりにこだわるオバマ米大統領の執念があった。在任期間が残り2年を切るなか、オバマ氏は野党・共和党の批判と中東諸国の反対を押し切って賭けに出た。」と報道しております。私はこの短い報道はかなり当を得たコメントであると思います。
一方これを受けてナタニヤーフ首相はこの枠組み合意に猛反対しており、又米国内でも大統領と共和党主導の国会側との亀裂は増々深まる様相を呈しています。
特に昨年の総選挙で米国議会は上下院共に共和党が過半数を制して以来、大統領は気に入らない議決法案を次々に拒否権を行使して却下するだけでなく(大統領の拒否権発動を無効にするには上院の2/3の票が必要、今はそこまでの共和党議員数はない)かなりの重要事項を国会を通さず独自の裁断で行使し始めました。共和党と多くの国民からは越権行為・憲法違反として大きな非難を浴びつつ、オバマ大統領が独裁者の様相を増々深めて来ていることは否めない事実です。
聖書からの警告とオバマ大統領
ここでローゼンバーグ氏が指摘する聖書の警告を改めて見てみたいと思います。
先ず創世記12:1−3で、神はイスラエルの父祖アブラハムに対して「わたしが示す地に行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民としてあなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。・・・あなた(イスラエル)を祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」と約束しております。
次にヨエル書3:2で、「わたしは万国の民を集めて・・・その所でわが民・・イスラエルのために彼らをさばく。彼らが・・わたしの地(の一部)を分かち取ったからである。」(口語訳)
その他:エゼキエル書38、39章に出てくるマゴグ・ゴグ(ロシアを含む北方国)とペルシャ(イラン)等の国々がイスラエルに集結され、神のさばきが下ること、又、ゼカリヤ書14:1−2、黙示録16章 ハルマゲドンの戦い
上記で神は、イスラエルを祝福する者を祝福し、イスラエルをのろう者をのろうと明言しています。私はアメリカに50年以上住んで来て、アメリカがイスラエルをかばい祝福しない時に、神が何らかの災難をアメリカに下されるのを見て来ましたから、この聖書箇所が真実であることを身に沁みて感じています。
そしてオバマ大統領は、ナタニヤーフ首相再選が決まった時点で、特にパレスチナ問題に対する首相の態度を強く非難し、今までアメリカの歴代大統領がイスラエルを擁護するために国連決議において必要時に拒否権を行使してかばって来たものを、今後は行使しないことを匂わせました。これを称して「アメリカはイスラエルを離婚するのか」と騒がれている通りです。
オバマ氏は、パレスチナ国家を正式に誕生させ、その際にエルサレムを二分し、領土配分でイスラエルの領地を1967年以前の状態に戻すという考え方に賛成しており、本当にそれが国連で採決されれば、まさに上記ヨエル書3:2が実現し、アメリカは神から完全にのろわれることになります。
今回アメリカが急いで取り付けたイランとの枠組み合意の影響
スイスで大筋が合意されたイランとの交渉妥結案に対して、先ず4月3日発表されたイスラエル首相のステートメントを下記のようにお伝えします。
「私は今イスラエル内閣の会議から帰って来たばかりですが、私たちの内閣は、今回の枠組み提案に全員が強く反対することで一致しました。この提案は私たちの周辺諸国、ひいては世界全体を非常に深刻な危険に曝すだけでなく、イスラエル国家の存続そのものを脅かすものであります。この合意は、イランの核融合施設を含む核施設の一つなりとも閉鎖する提案をしておらず、又今後の技術開発を禁止することも含まれていないのです。
この提案はイランが不正に核開発することを禁止しないばかりか、現在ある施設の全部が温存継続することを許し、その上、今までイランに課せて来た制裁 sanctions のすべてを早急に解除することを約束しております。それによって、数年後にイランは核兵器開発の禁止から完全に解放され、その数ヶ月後には核兵器を手に持って周辺国を超えた世界の国々を侵略することを可能にするもです。
このような合意はイランが核兵器を持つことを阻止するどころか、逆に核爆弾を持たせる道を舗装し助けてやるようなものです。そして中近東各国を核兵器製造競争に追いやり、やがて世界を恐ろしい核戦争に巻き込むことになるでしょう。
二日前にイランの軍司令官が『イスラエルを撲滅することは交渉の余地は全くない non-negotiable イランの最終目標だ。』と宣言しましたが、私はこれに対して『イスラエルの生き残ることこそnon-negotiableなイスラエルの最終目標である』と宣言します。そして、6月30日までに作られる最終契約書には「イスラエル存続の権利」をイランが認めることを明記することを要求します。」
一方アメリカ国内での反響はどうかと言えば、今回同意した枠組み案でアメリカは、元々持っていたイランへの要求の最低基準線を強硬なイランの態度によってほとんど骨抜きになるまで、なし崩しに譲歩してしまったと言う疑いを多くの人が持っています。これに対して大統領側はそうではないことを懸命に説明し、防戦を張ろうとしております。それは別途後述します。そして、大統領自身もイスラエルを守る意志を捨てたのではないことを国の内外に強調し始めました。
そこで、今真剣に取り沙汰され始めたのが、この大統領主導による「イランとの枠組み同意」を議会が承認するか、否決するかの問題です。議会へは既に先週以前に共和党によって「イランへの更なる制裁 sanctions」法案が提案されておりますが、その採決が「枠組み交渉」の結果が出るまで保留されて来ました。そこでいよいよその採決に入ることになりますが、正直なところ今の時代は何が起こるか一寸先の予測もつきません。採決されないかもしれません。しかし万が一この法案が議会を通れば、当然ながらオバマ氏は大統領拒否権を発動するでしょうから、その後、上院で2/3の多数決でそれを無効に出来るかどうかが今後の焦点となって来ます。事実、共和党議員だけでなく、一部の民主党議員の中にも今回の「枠組み同意」に懸念と不満を持つ人たちが出て来ており、その人たちが加われば、大統領拒否をくつがえす可能性が充分あるとも報道されており、大統領はその議会対策のために本腰を入れ始めました。
もっとも、この「イランへの更なる制裁 sanctions」法案は「イランとの枠組み同意案」を直接否定する法案ではありません。しかし、内容が現行の制裁の上に上乗せするものである以上、もしそれがそのまま通れば、現行の制裁すら解除する「枠組み案」を否定することになることは明らかです。これが論議の焦点となり、議会では何らかの改定案が出される可能性は十分です。従ってアメリカはいよいよ「大統領 対 議会=国民の総意」の対決を見ることになるでしょう。
オバマ大統領のアメリカ国民に対する報告
毎週土曜日朝に大統領が国民に対してビデオ・メッセージを送りますが、この4月4日のメッセージでは、大統領が妥結したばかりのイランとの交渉内容を下記のように説明しています。
「このイランとの枠組み取決めは、最も本源的で、粘り強い外交交渉の結果としてまとめられたものです。それは私たちの望む目標の核心に合致し、イランが核兵器に到達するためのあらゆる道を閉ざす目的に適い、彼らの核開発計画を厳しく制限する内容となっている、よい取決めです。
この取決めは、イランが核爆弾を造るに必要なプルトニウムを得させないようにし、兵器にするために必要な強化ウラニュームを造らせないことを目的としたものです。そしてその材料をストックとして蓄積しないことにイランは同意しています。それに加え、国際的に選ばれた検査官がいつも自由にイランの核開発基地に出入りして検査することを可能にし、もしイランが違反すれば、それが即座に世界に知れ渡るようになっています。もし何か疑わしいと思われる時は直ちに検査出来ます。ですからこの取引はお互いを信用することに基づくものではなく、未だかってなかった程のきびしい検証に基づいているものです。
この取決めは十年以上の長期に渡るものであり、その厳しい制限は未曾有のガラス張り検証によって20年あるいはそれ以上の長期継続が期待出来るプログラムです。しかもイランは「核兵器開発禁止条約Nuclear Non-Proliferation Treaty」 のメンバーとなり、核兵器開発は将来も許可されません。
以上の見返りとして、アメリカを含む国際共通社会は、今までに課せられたイランに対する制裁 sanctions を段階的に解放することに同意します。但しイランが取決めに違反すれば、解かれた制裁は直ちに元に戻されます。それに加え、アメリカ独自のイランに対する種々の制裁もすべて継続して課されます。
多くの重要な細目事項は、6月末までの三ヶ月間に決定される必要があり、すべてが同意されるまでは何も同意されてはいないことを意味します。この間もしイランが後戻りするようであれば、何の取決めも成立しません。
さて私は、これからアメリカ国内において激しい討論をすることになるでしょう。特に、議会Congress を通じてアメリカ国民に今回の取決め内容の主要な部分をすべて詳しく説明する予定です。その際にイランの核問題に対処するには次の三つのオプションしかないことを忘れないでいて下さい。最初のオプションは、イランの核開発施設を爆破することです。しかしそれをしてもイランの核開発を数年遅らせることにしかならず、その間中東にもう一つの戦争を招くことになるでしょう。次のオプションはイランとの交渉を打ち切って制裁 sanctions だけに頼るオプションです。しかしそれはイランが核開発をどんどん進めることを許すことになりよくありません。そこで最後のオプションは、今私が説明した厳しい検証を基にして、平和裏のうちにイランが核兵器を持つことを防ぐことが出来る一番よいオプションです。
大統領として、又アメリカ軍総司令官として、私は今回イランと取り決め同意した「枠組み」を推進する方法がアメリカのためだけでなく同盟国と世界にとっても最良の方法であると堅く信じます。
但しこの枠組みを細部まで取り決めるためにはまだ多くの仕事が残っております。外交交渉とは実に忍耐を必要とする骨の折れる仕事です。そしてそれが成功することを必ずしも保証しません。しかし本日、私たちはイランとの交渉を平和裏に達成する歴史的機会を得ることが出来たと信じ、それをご報告致します。そのために世界の国々(今回交渉に参加した5カ国)が私たちをしっかりと後押ししてくれております。そしてこれからの数ヶ月は、アメリカが今までの世界をリードして来たと言うアメリカにとっての最良の伝統を保持するために一層の働きをしなければならないと信じております。」(以上)
スイスで合意した取決めの枠組みに対して、ナタニヤーフ首相とオバマ大統領の見解をご紹介しましたが、両者の見解があまりにも違うことに皆さんは驚かれたと思います。私も驚きました。当然ながら私は、オバマ大統領の言うことが正しいと信じたいです。彼が嘘を言っているとは思えません。しかし、それではなぜイスラエル首相はこの交渉結果に真っ向から反対するのでしょうか。
それはイランと言う国が、こと約束事に関しては過去の実績から見て、全く信用出来ないからであると思います。ですからオバマ氏も断っているように、この大枠取決めをイランが忠実に守るとは考えられず、オバマ氏自身もイランが違反することをまるで前提としているように聞こえます。彼としては表向きあくまで大義名分の正論を唱えて取決めにこぎつけたという「功績」を世界に訴えることによって、米国大統領として自分の残すレガシーとしたいのではないかと言われても致し方ないと思われます。
問題は、オバマ氏の説明は表向き非常によいようですが、抜け穴が非常に多いことです。例えばイランは今まででも国連の監視視察団にすべてを見せることを極力しないようにして来た事実とか、今回最も重要と思われる地下施設には触れていないこととか、実質的にイランが暗に核兵器開発を続行出来る可能性を残しています。つまりイランが全く信用出来ない相手であることを百も承知で取決めを結ぶこと自体が意味がないどころか、かえって隠れ蓑を与えてイランの核兵器開発を許す「悪契約」であると言う疑問の方が大きいと言うことのようです。
ぜひアメリカのために、このイラン問題のためにお祈り下さい。なぜならアメリカが実質このイランとの取決めを推進することによって、イスラエルを不利におとしめることになるからです。その結果アメリカが今の時点で神からのろわれるとなれば、アメリカの力はみるみる衰退して行き、その結果、世界は急速に悪い方に進むことが危ぶまれます。特に日本はアメリカにおぶさっているところが多く、多大の影響を受けるでしょう。(終り)ー 尚、このメッセージは昨年11月22日に私が書いた記事の続きとしてお読み下されば幸いです。
10 03月
神は愛です
坂 達 也
ジョッシュ・マクドエル師は壇上に立つと、いきなり会衆に向かって「この世の中で定義するのが最も難しく、しかも最も重要なことと言えば何でしょうか」と問い掛けた後、「それは愛です」と答え、次のように続けました。「私は今までの経験から、98%の福音的クリスチャンが愛の定義を明確には知らないと確信します。牧師も含めてです。クレイジーな話ですが、愛の定義を知らないでどうして愛を実行出来るのでしょうか。どうして真の愛の関係が持てるのでしょうか。
多くの人は1コリント13章が愛の定義であると答えます。それではお聞きしますが、この13章の中でどこに愛の定義が書いてありますか。どこにも書いてありません。書いてあるのは、愛 agape が何をするかの説明であって、愛が何かは書かれていません。愛が造り出すものが、寛容であり、親切であり、ねたまず、自慢せず、高慢にならない・・・ではありますが、これらは『愛の実』です。
又若い人の多くから必ずと言ってよい程出て来る答えは『愛とは感情 feelingである』と言う定義です。もし愛が感情であるなら、神は感情に対して『よい気持ちになりなさい』と命令出来るでしょうか。出来ません。例えばある人に『レバーの料理は好きですか』と聞くと、多くの人は嫌いですと答えます。その人に神は『食べなさい』とは言えても『好きになれ』と命令は出来ません。
愛の結果はフィーリングであっても、愛はフィーリングではありません。誰でも命令できるのは『行動する』ことにおいてです。それはその人の選択の結果によるもので、人は選択してアクションを起こします。すなわち愛はフィーリングとは無関係に意志決定をすることです。
このように100人のクリスチャンに聞いて2−3人しか正確な答えが出て来ないなら、つまり、教会では愛を定義出来なくて、この世の一般人に定義させるとすれば、それは大変危険なことではないでしょうか。」
以上はリック・ジョイナー師のモーニングスターでの集会の一部ですが、私はこれはチャレンジングなとてもよい質問だと思いました。クリスチャンの皆さんは同じ質問をされたら、とっさに何とお答えになりますか。
私が先ずしたことは、キリスト教と関係のない一般の辞書類を調べることでした。それで分かったことは、成る程、メリアム・ウエブスター辞書にしても、オックスフォード辞典にしても、その他のインターネット辞書の多くを含めてその答えを要約すれば、総じて「愛は強い感情、好ましく思う強い思い、敬慕、恋慕・・・」と書いてありました。
これで先ず分かることは、キリスト教に於ける愛と、キリストを知らない一般人の愛の解釈とは決定的に違うと言うことです。
アガペの愛
人間が持つ愛には色々な種類の愛がありますが、その中で最も重要で、不可欠な愛は、先ず神に愛され、その神の愛で、人間が神を愛し、他人を愛し深い交わり持つ愛です。愛は元々創造者の神から出たもので、神の性質、あるいは特質そのものです。なぜなら、神は「人間をご自分のイメージに似せて造られた」からです。(創世記1:27)しかし最初の人間アダム以来、人間は罪を犯し神から離れてしまいました。従って神を知らない未信者の人たちは愛が神から出ていることを知りませんし、神の愛を受ける道も閉ざされました。しかもキリスト教の神ご自身が、私たちにすべて必要なものを与えて下さる「愛」の方であることも知りません。
その神の愛はギリシャ語で agapeと言われます。この神の愛とは、無条件の愛(ロマ書5:8)あるいは、代償を要求しない無償の愛(ルカ6:35)と言われますが、この愛の根底にあるものは犠牲の愛です。(ヨハネ3:16等)すなわち、父なる神と子であるイエス・キリストの間で実行され、特に十字架で顕された愛です。
従って私は、ジョッシュ・マクドエル師の質問に対する端的な答えは「愛とは十字架の業」と答えたいと思いますがいかがでしょうか。十字架の業とは「他人のために自分を犠牲にする行動」です。(1ヨハネ3:16)
十字架の愛
神は、自由意志を与えて創造した人間が罪を犯すことを初めから予知していましたから、その人間を救うために、子であるイエスを人間として生まれさせる計画を創造以前から持っておりました。そして父ご自身が先ず、ご自分の最愛の一人子イエスを、人間が犯す罪の身代わりとして死なせることを決意していたのです。愛の神にとってこれ以上の犠牲はありません。それは自分自身を殺すに等しい、あるいはそれ以上の犠牲的行為でした。そう決意した父は、子である人間イエスに自らが死ぬことをして見せたのです。(ヨハネ5:19)それを見た子は、父がされたのと同じことを、自ら決意して、実際に十字架につかれました。こうして私たちすべての人間の犯す罪の身代わりになることが成立しました。
従って信仰でイエス・キリストの十字架の御業を信じる人間は、みな罪が赦され、永遠のいのちを受けることが出来るようになりました。しかし神は、キリストを信じた私たちが、キリストと同じように自らの命を神に差し出すことを要求しました。それは、私たちがキリストのからだとしてキリストと結合するためです。
クリスチャンの究極の目標は、イエスに全く似た者となることであり、それが私たちのアイデンティティーです。そうであるなら、イエスが十字架につかれた以上、私たちも十字架につくのは当然です。
それが、キリストを信じた時に私たちが水の洗礼を受けることの意味です。私たちは、信仰でキリスト・イエスの死にあずかるバプテスマを受け、キリストと共に葬られ、又キリストが死人の中からよみがえったように、私たちもキリストと共によみがえったのです。こうしてクリスチャンはキリストのからだの一部となったのです。その「よみがえりのいのち」とは、この世では考えられない程パワフルな永遠に生きるいのちです。「このようにして、私たち自身も、信仰で一度死んだ者となり、キリスト・イエスと共によみがえって信仰で神のために生きる者となったのです。」(ロマ書6:3−11)
この十字架に示された「神の愛」と「よみがえりのいのち」は、主イエスを信じてキリストの後を追うクリスチャンにならなければ絶対に受けられないものです。
「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」
これはマタイ5:44に書かれている主イエスの御ことばです。神はアガペの愛で、どんなに憎んでも憎みきれないような悪人でさえ愛されます。
最近の大きなニュースの一つは、日本からヨルダン・シリヤ近辺で難民の報道活動を続けて来た後藤健二兄弟が ISIS の人たちを赦しつつ、殉死したことです。
その後エジプトのクリスチャン21名がリビヤでISIS に殺害されました。
その中に、未だ若いビショイとサムエルと言う二人の兄弟が含まれていましたが、この二人の兄のベシャーさんは、インタビューに答えて「私は二人の兄弟を誇りに思います。クリスチャンとしての誇りです。ISIS は私たちが望む以上のことをしてくれました。彼らが世界に流した映像の中で、殺されたクリスチャンたちは自分たちの信仰を告白し、イエス・キリストの名前を高く宣言しましたが、ISISはその部分をカットせずに世界中に伝えてくれたからです。それによってISIS は私たちエジプトのクリスチャンの信仰をより強いものにしてくれました。今回私たちの村から多くの殉教者が出ましたが、そのことを私たちは互いに感謝し合い、喜び、祝っています。決して悲しんではいません。・・・ローマの時代以降、クリスチャンが迫害を受け、殉教することがキリストの栄光を表すことを知っている私たちにとって、今回の事件は、私たちが迫害の危機を耐え忍ぶための助けとなりました。なぜなら聖書は私たちの敵を愛しなさいと語っているからです。
今日私は自分の母に、もし同じISIS の殺人者たちが目の前を歩いていたらどうするかと尋ねました。すると母は、神に彼らの目を開いて下さるように祈り、彼らは私たちが天の御国に入ることを助けてくれたので、私の家に喜んで招き入れる、と答えてくれた。」と語っています。
これは何とすばらしい神の愛の証ではないでしょうか。若い21名の殉教者たちは、主の栄光のために喜んで主の十字架の後を追って死んで行き、それを世界中の人たちに証して見せたのです。又、エジプトに残った遺族たちも、自分の息子と多くの同胞を殺した相手を赦し、その人たちの救いのために主に祈りを捧げたのです。これこそ人間の感情的な愛では絶対に出来ないアガペの愛です。
今世界中でクリスチャンが「イスラム国」によって迫害され殉死しています。世界中が残忍極まりない ISIS を憎み、彼らを撲滅しようと立ち上がっています。
神を信じる者として私も彼ら ISIS の行為は憎みます。しかし、彼らのためにもキリストは死んで下さったこと、父なる神は、彼らをも100%無条件で愛し、彼らが神に立ち返ることを願っておられるのです。
私は上記のエジプトのクリスチャンの証を私たちの教会の祈祷会でベンジャミン牧師が紹介してくれたことによって知りました。そして彼は集会の最後に「過激派のISIS だけが問題なのではない。むしろ過激的な愛を持つクリスチャンが少な過ぎることの方が問題ではないでしょうか。」と語っておりました。
十字架の愛はものすごい祝福をもたらす力の源
「神は愛である」と第一ヨハネ4:8に書かれています。そうであるなら、創造者である神がなさるすべてのことがアガペの愛の行為です。そのような神の愛は、尽きることなく永遠に神から流れ出てこの宇宙に溢れております。又、その神の愛には不可能は何もないという超自然の霊の力が内に秘められており、神はそのような宇宙で最もパワフルな愛で私たちを愛して下さっているのです。
私たちがキリストを心から信じる時に、私たちの内には聖霊が入られます。その聖霊が「生ける水の川」のごとく私たちが生きて行くために必要なあらゆる超能力の「霊の力」を与え続けて下さっているのです。その神の愛を受けて、私たちは熱烈に神を愛するだけではなく、他人をも愛せざるにはおられないようになります。その水は私たちの必要のすべてを満たしてくれるだけでなく、私たちから溢れ出て周りにいる人々にもふんだんに与えられるのです。これが「永遠のいのち」です。
しかし、私たちの多くは、往々にしてそのことを忘れてしまっています。そこで今回私は、改めて皆さんと、キリストの十字架の御業による恩恵の偉大さをもう一度思い返してみたいと思います。
罪が赦されたことの意味
考えてもみて下さい。私たち個人の一人一人が過去から今日現在に至るまでに犯した一切の罪、それに加えて、将来私たちが犯すすべての罪の代価を、キリストは私たちに代わって十字架上で支払い、すべてを処理して下さったのです。それは私たちの上に重くのしかかり、私たちには絶対に返せない大きな借金以上の重荷でした。私たちはキリストの十字架の御業によってそのような負債から完全に解放されたのです。
罪がないところと言えば天国がそうです。であれば、罪から解放されたクリスチャンは、地上にあっても既に「天の御国」に生きていると言って過言ではありません。問題は、地上は未だに罪の元兇である悪魔の支配下にあり、罪が蔓延し、未信者の多くは罪の泥沼の中で喘いで生きています。それを一日も早く罪のない天の御国にすることが、十字架上で悪魔に完全に勝利されたキリストの下で、私たちが地上ですべき仕事であり、最終目標であるのです。
しかし簡単に「すべての罪が処理された」と言いましたが、それは罪そのものだけではなく、その犯した罪の報いとして残る「のろい」と、罪の後遺症と言える「トラウマ」に縛られ、多くの人が断ち切れずに引きずっている「お荷物」の一切も、実は十字架上で既に処理済みであることに私たちは気が付かねばなりません。
それだけではありません。私たちがキリストと共に十字架につき、キリストと共によみがえったことによって得た「永遠のいのち zoe」で本格的に生きることは、私たちに更に大きな恩恵をもたらしてくれます。なぜなら、永遠のいのちとは奇跡を起こせる超能力と知恵そのものであり、それを活用することによって私たちはイエスがされた以上の奇跡を日常茶飯事として起こすことが出来るーこれが神の約束であるからです。これこそ、未だ地上に住む私たちが、天の御国そのものを地上に持ち込むことであり、今がその時です。そのために必要なものは「信仰」だけです。
その信仰が成熟するように聖霊が助けて下さっています。それには神の愛をいつもいただいている必要があります。それが聖霊によってふんだんに与えられる生ける川の水に例えられる神の愛であり、それは他人にどんどん与えなければ細って涸れてしまうのです。
今は自らの十字架を背負って主の後を追う時
世界中に今 ISIS の動きが広がっています。これを見て、世の終わりの時代が来ていることを疑うクリスチャンはいないと思います。いよいよ最後のリバイバルの時が目前に迫って来ました。
そこで思い出すのは、主を三度否んだペテロのことです。主はそのペテロを赦し、使徒のリーダーに復帰させるためにペテロに三度「あなたはわたしを愛するか」と問われました。(ヨハネ21:15−17)今主は、私たち一人一人に同じ質問をされているように思います。
そして主は、他の使徒たちの面前で、ペテロが晩年十字架刑に処せられて死ぬことを伝えました。どうしてでしょうか。ペテロが三度主を否んだのは公衆の前でした。そのペテロに対して主は公衆の前で十字架刑につけられて死ぬことを予告したのです。十字架刑で死ぬことは殉死を意味しないでしょうか。
私は21人のエジプトのクリスチャンが全世界の公衆の前で栄誉の殉死を遂げたことと、主がペテロになさったことは無関係ではないと思います。主はそれを励ましのことばとしてペテロに伝え、又、私たちへの励ましとして21人の殉死を全世界に見せたのであると信じます。(終り)
29 12月
2014年を振り返る
坂 達 也
この2014年を振り返ってみて気が付きますことは、主は私たちを今「世代交代」させるプロセスの最中に置いておられると言うことです。
そのことは、モーセに率いられて荒野を旅したイスラエルの民が、ヨルダンを渡って約束の地に入る前に、指導者のヨシュアとカレブ以外は全員若い世代に交代したことに預言的前例があるからです。主に従ってモーセはイスラエルと言う神の御国を興しましたが、ヨシュアに引き入れられた民のための主のご計画は、約束の地においてその御国を完成させることでした。終末の時代に入った今、私たちは、主の御国の完成のために約束の地で最後の戦いと大収穫のための働きを始めようとしております。
そのような時に、私たち家族がニューヨークを引き払うことが決まったのは2014年の年明け早々でした。先ず息子家族が二月初めにサンフランシスコに移住し、後を追って私たちも3月末にカリフォルニア州に引上げて参りました。その後私たちは約二ヶ月の間、日本を訪問したのですが、二年ぶりの日本で最初に気が付いたことは、日本の霊的空気がすっかり変わっていたことです。特に新宿シャローム教会を訪ねた際に主が私たちに見せて下さったのは若い世代のすばらしい胎動でした。それが今全国に広がっていることを見聞きさせていただき、心から興奮をおぼえます。しかしそれと同じくらい感動したことは、主に忠実に仕えて来た古い世代のリーダーたちの多くも、日本各地で主が奮い立たせておられることでした。
アメリカに帰った翌日から、私たちはサンフランシスコ市に近いウオールナット・クリークと言う町に住み始めました。それから直ぐ私たちは教会探しを始めたのですが、主は私たちのためにすばらしい教会を用意して下さっておりました。しかもそれが私たちが今まで接したことのないような「若い世代の教会」であったのです。今回はこの私たちの新しい教会を皆様にご紹介させていただきたいと思います。
教会を探し始めて約一ヶ月後でしたが、私たちは 近くのEmeryville と言うところにある Living Hope Christian Center (LHCC) と言う教会の礼拝に導かれました。この教会に足を踏み入れてびっくりしたことは、そこが多様な人種が混然と混じり合っているところで、しかも若い人がほとんどの霊的な活気溢れる教会であったことす。
この教会のリーダーは38歳になったばかりの黒人系の牧師 Benjamin Israel Robinson さんと、その奥さんで韓国人のSunHee Robinson さんで、彼女は夫とともに主人牧師を努めています。この珍しい組み合わせの牧師夫妻から最初に私が感じたことは、レベルが一段高いとしか言いようのない情熱と油注ぎでした。そして初めて出席した礼拝にはとても濃い主の臨在があり驚いたのです。私にとって今まで見たことのない種類の教会です。そこで「もしかしてこの教会こそは、私たちが長い間求めて来た教会で、主が私たちのために特別に用意された church home ではないか」と言う期待が膨らみました。それ以来私たちはこの教会に通い続けておりますが、その期待は裏切られませんでした。そして三ヶ月後に正式に教会員になりました。
私たちはニューヨークからサンフランシスコへの移住が決まった時点で、インターネットによる教会探しを始め、移住後に四つ程の教会を訪ねましたが、これはと言う教会が見つかりません。そこで、最悪の場合は二時間以上ドライブしなければなりませんが、ビル・ジョンソン師の教会に行くことを考えました。しかし、このLHCCに行き当たってからは、ジョンソン師の教会には一度は訪ねたいとは思いますが、所属教会としてそこまで行く必要は全くないと思っております。
この教会の礼拝は最初の45分が賛美で、これによって教会中に主の臨在が溢れます。次に、牧師が賛美中に与えられた「知識のことば word of knowledge」を語って、示された人々を前に呼んで、その人への個人的な「主からのことば」が語られます。そして、その人たちの病気の「癒し」が祈られますが、そこで多くの人が癒されます。
その後に牧師のメッセージがあるのですが、ベンジャミン師は「通常牧師はメッセージの準備に聖書と注釈書等を調べることにかなりの時間を費やしますが、私は、一週間の間、主を見上げながら過ごす中で、主が自然に語って下さるのを待ちます。それを最後にまとめて、講壇からは出来るだけ聞いたままを話すようにしています。」と言うように、頭で作らないメッセージであることがよく分かるお話をされます。従って深くてパワフルなメッセージであることが多いのですが、それが終わった後、最後に必要な人々が前に出て来てミニストリータイムとなります。全体としてはほとんど二時間の礼拝ですが、主の臨在と喜びで充たされ、時間の長さを感じさせません。
出席者は300名ほどですが、現在借りている場所が100人が限度の小さな場所であるため、礼拝は日曜日に三回行われます。そして分かったことは、今の場所は後一年以内に出なければならないことでした。しかし主から、次の会堂として500人入れる既存の建物を示されたそうです。そこで早速そこを借りる交渉に入ろうとすると、主が借りるのではなく、買いなさいと言われ、値段は四百五十万ドルでした。しかし牧師以下教会員は、その資金は既に与えられたと確信して今祈っている最中です。
私はその話を聞いて、この教会なら、私に不足している「生きた信仰」が学べると思いました。そこで最初に牧師夫妻と個人的に会食した際に、簡単に自己紹介した後でそれを伝え、又、私たち年寄りは、これからは皆さんのような教会の後押し役をすることが念願ですと伝えました。それに対して牧師は、私たちのような年配者がこの教会に必要であること、又日本人は他に一人しかいなく、日本に対して皆大きな関心があるので大歓迎でお迎えしますと言われました。
この教会がある町は、サンフランシスコ湾の東対岸にあるオークランドとバークレーと言う二つの都市に挟まれていて、どちらにも合併されないで存在する独立した小さな Emeryville と言う名の町です。面積が1平方マイル強、人口1万人余りです。教会は、この町で創立されてから未だ11年しか経っていないのですが、既に六回も場所を転々として大きくなって来ました。
それには別の理由もありました。この地区は元々原住民が住んでいた頃から霊的にのろわれた場所であり、西洋人が入って来た頃には全く廃墟化した無人地区であったそうです。その後二十世紀の始め頃までには交通の便のよい宿場町に発展しましたが、遊郭と歓楽地区で名が知られる程頽廃した街になったと言われます。町の創始者である Emeryville と言う人はこの町には教会は絶対に建てさせないと誓いを立てたそうです。
主から示された牧師夫妻は、そのような霊的に不毛な地で開拓伝導を始めようとしたのですが、最初の二年半は霊的打ち破りのために毎日町を祈りの歩行(一日で全部の通りが歩行できる)をするだけに専念したそうです。その後も色々な霊的・肉的な障害を乗り越えて来て、ようやく今は街の人々も歓迎してくれるようになったと言います。
次に、この教会の MISSION STATEMENTをご紹介しますと、「 We exist to raise up sons and daughters who burn to see Jesus, reflect His glory, and enlarge His Kingdom.ー私たちの教会は、イエスを見ることに燃えている神の息子・娘を育て上げて、主の栄光を輝かせ、主の御国を広げるために存在する。」と書かれています。
そして、牧師自身が、黒人に見えますが「多くの血が混じった混血」であるのと同じように、MULTIETHNIC ー多民族集合体の教会を目指し、礼拝にはそれにふさわしく黒人、韓国人、白人、メキシコ人、その他の人種が主の御名による一つの家族として一同に会し、喜びに充たされて交じり合う、霊的な CHARISMATIC な教会です。
この教会の特徴は、二つの大きなビジョンが与えられていることです。
一つは、サンフランシスコ湾岸周辺の人たちに対する地方教会としてのミニストリーです。それは「主の弟子を育てる教会」でもあります。その一環としてベンジャミン師は既にインターネットを利用した神学校を設立しております。
二つ目は、世界に向けてミショナリーを送る MISSIONAL な教会を目指していることです。既にこの教会では多くの若い主の働き人ーメッセンジャーと癒し手ーが育っております。そして既にインドネシヤ、アフリカ等で、年に一度はクルーセード集会を開き、救いと癒しの成果を上げております。又、日本を訪れることを強く願っております。
以上、この教会のビジョンのあらましをご紹介させていただきましたが、これは私たち自身の ミニストリーであるWWGM のビジョンと一致していることを確信しております。
そこで新しい年2015年には、このロビンソン師夫妻とその教会のミニストリーを、私たち夫婦は出来るだけ早く日本の皆様にご紹介したいと願い、目下その時期と方法について主におうかがいしております。どうぞご期待下さい。又、私たちのためにお祈りいただけますようお願い申し上げます。尚、今後ロビンソン師のメッセージを逐次訳してご紹介して参ります。
それでは皆様、どうぞよい新年をお迎え下さい。(終わり)
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