Walk With God Ministries
Archive for the ‘未分類’ Category:
27 07月
50%のアメリカ人がイラクは大量破壊兵器を持っていたと信じている
ワシントン・タイムズ発 ジェニファー・ハーパー記者による報道
ハリス世論調査によれば、今はアメリカ国民の半数が、2003年にアメリカがイラクに侵略した際、イラクが大量破壊兵器WMDを隠し持っていたことを信じることが判明した。これは昨年の数字である36%からはかなり上回る。この数字は、最近数年間に報道陣が報じてきたものとは正反対で重要かつ驚くべき結果である。
この調査では、ブッシュ大統領が戦争に踏み切ったオリジナルの根拠を支持するような結果に世論がなぜ変ったのかについては論及されていない。この7月初めに、マスタードとサリン毒ガスを組み込んだ500個の化学兵器がイラクで発見されたと言う防衛局の諜報報告が発表された後にこの世論調査はなされた。
「化学物質が装丁されているもの、いないものを含め、湾岸戦争前の化学兵器が依然存在する。」と、リック・サントラム上院議員(ペンシルベニヤ州、共和党)により、6月21日の記者会見で、新たに機密文書扱いから解除された情報の細部発表がなされた。又、下院のP ホエクストラ議員(諜報関係部会のコミティー・チェアマン)は「イラクは大量破壊兵器がない国ではない。」と語っている。又、最近の数週間の間にミシガン州共和党はイラク戦争開始以来発見収集された武器についての機密情報をもっと解除して一般公開することを要求している。
一方、ハリス調査はイラクに関するポジティブなフィードバックを伝えている。調査に当たって72%の応答者は、フセイン時代に比べて今はイラク国民の生活が改善されていると答えた。2004年に似たような質問がされた時の答えは76%であった。それに加えて、64%の人がフセイン元大統領はアルカイダと強い拘わりを持っていたと答えており、2004年10月の調査での結果は62%であった。55%の人が「歴史は、アメリカがイラクを開放しデモクラシーをもたらしたと評価するであろう。」と答えている。
答えは余り熱意のあるものとは言えないが、アメリカのイラク人に対する信用度は多少増している。37%の人がイラク人は堅実な民主国家を作り上げることに成功するであろうと言い、これは昨年11月の調査より5%上昇している。
又、61%の人が、今回の戦争はイスラムのテロリストがアメリカをもっと攻撃するような刺激を与えたと答えている。この数字は2004年と変っていない。
加えて41%の人が、今度のイラク戦争によって、テロリストが再び大きくアメリカを襲う脅威というものを減らしていると答えた。この答えもこの二年間変っていない。
戦争による経済負担に関しては、前より大きな負担であるとは感じられていないようだ。調査結果によれば、56%の人が、イラクで使われている莫大な軍事負担の意味するところは、その分だけアメリカ本土を守るためのフアンドが減少すると受け止めており、この答えは昨年の62%から見れば減っているが、2004年は51%であった。
この戦争によってアメリカは海外から評価を受けていると思うかーという質問に対しては、68%の人が「ノー」と答え、昨年と変らない。2004年は62%であった。この調査は1020人を対象として、7月5-11日の間に行われ、誤差のマージンは3%と見られている。(終わり)トップページへ戻る
29 06月
二種類の主の臨在
ウェイド・テイラー
(階段の秘密-雅歌による霊的成長の手引き から抜粋)
主の臨在には二種類あることを知らねばなりません。
第一のものは、救われた者すべての内に来てくださる「内住の臨在 abiding presence」です。イエスを救い主として受け入れさえすれば、聖霊は必ず与えられます。すべて救われた者にとって、聖霊の内住は現実のものであり、私たちはそれを確信することができます。聖霊は誠実であられ、私たちの救いを保ち、イエスというお方を私たちに活き活きと示してくださいます。
第二のものは、主が知性、意志、感情を持ったパーソン(人格)として来られる臨在です。主は私たちの霊の小部屋にはいることを切望され、そこで私たちと語りあいたいと願われるのです。そして、そこから更に私たちを主の部屋につれて行ってくださり、 主の御計画を打ち明けてくださいます。このような主の訪れは「顕現的な臨在 manifest presence」 と呼ばれ、これを受けるには条件があります。主が私たちの霊の扉をたたかれるときに、それを識別する力と正しく応答する力とは、私たちが自分の「霊的感度」や「霊的姿勢」をどれだけ訓練し発達させているかにかかっています。ですから、私たちはいつでも自分の霊が主にしっかりと向いているようにし、主が私たちと交わりを持ちたいと願ってこられるときには、それをすぐ察知できるようにしていなければなりません。
イエスはヨハネ福音書で、ご自分を現されるときに必要な私たちの条件を明らかにされています。
「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」 ヨハネ14:21
私たちの主を愛する気持ちが大きくなるにつれて、主が訪れてご自身を現わして下さるのを期待しながら待つようになっている自分に気がつくでしょう。私たちは主が来られたとき、自分の霊の戸をどうやってあければいいかを学ぶ必要があります。
新生したとき私たちは霊に生まれ、「新しく造られた者」となります。肉体の感覚が成長とともに徐々に発達するように、私たちの新しく造られた霊的感覚もどんどんと発達していかねばなりません。この内なる霊的感覚によって私たちは主の現われを察知するのです。
黙示録3:20a
「見よ。わたしは、戸の外にたってたたく…」
主との友情を心から願う人たちは、すばやく私たちの霊の戸をたたく主に応答して、自分の霊の小部屋へと主を招き入れます。この部屋は私の内なる人の中にあり、主と交わりをする場所です。それは私が主とふたりきりになるための特別の私の部屋であり、又、主が私とふたりきりになるための主の部屋なのです。というのは、私が一緒に食事をしてください、と主を私の部屋に招きいれると、主はそこから私を主の部屋への階段を教え、導いてくださり、そこで私は主とともに食事をするのです。そこで私は主のいのちに与り、主と一つになるのです。
雅歌5:2-3では、花婿が花嫁の都合の悪いときに訪れようとしましたが、花嫁はそれに答えませんでした。花嫁が「部屋の戸」を開けるのを躊躇したので、花婿は落胆してそこを去ります。しかしながら、彼は花嫁に「賜物と祝福」 を残していきましたが、それが「主ご自身の現われ」のすばらしさに比べれば、全く価値のないものであることを、彼女がはっきりとわかるようにしたのです。イエスは私たちが主を「祝福を与えてくださる方」としてのみ知るのではなく、「一人のお方」として主ご自身を知ることを熱望しておられるのです。
雅歌の時代には、家の戸の取っ手は内側にありました。ですから、戸を開けるためには、小さな穴に手を差し入れて中の取っ手をはずさねばなりませんでした。主は花嫁に会いたいと熱望されて、戸の穴に手を入れて取っ手をはずそうとしましたが、開けることはしませんでした。私たちの心の小部屋の戸は、私たちがコントロールしていて、私たちにしかあけられないのです。主がこのよう手を差し伸べられたことは、花嫁の心をかき乱しました。
箴言5:4
「私の愛する方が戸の穴から手を差し入れました。私の心はあの方のために立ち騒ぎました。」
主は決して私たちのプライバシーを侵害することはありません。私たちが戸をあけなければならないのです。主があけることは決してありません。この原則は聖書の中にはっきりと書かれています。主は外に立ち、戸をたたいて私たちが戸をあけるのを待っておられるのです。もし、戸をあけなければ、主は去っていかれます。
黙示録3:20b
「だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって…」
花婿の手が取っ手のほうに伸ばされるのを見て、花嫁は彼の思いを知り、やっとそれに応答して戸をあけます。
雅歌5:5-6
「私は起きて、私の愛する方のために戸をあけました。私の手から没薬が、私の指から没薬の液が、かんぬきの取っ手の上にしたたりました。私が愛する方のために戸をあけると、愛する方は、背を向けて去って行きました。あの方のことばで、私は気を失いました。私が捜しても、あの方は見あたりませんでした。私が呼んでも、答えはありませんでした。」
彼女が戸をあけたとき、主はもうそこにはいなかったのです。彼女の応答が遅れたために、主は彼女の部屋の戸口からご自分の「顕現の臨在」をやむなく取り去られました。しかし、主がそこにおられた結果として、取っ手に油が注がれていました。彼女が取っ手に触ると油注ぎが彼女の手にあふれました。それは主が去られるときに、彼女に手一杯の祝福を置いていったからです。以前でしたら、彼女は主がおられなくてもこの祝福だけで十分満足していたのですが、いまは彼女はうろたえ、花婿なる主ご自身の臨在を熱望するようになったのです。
花婿が訪れたときに花嫁がすぐに応答しなかったという失敗の経験は、彼女にとって大切な成長のステップとなりました。彼女はすぐに応答してさえいれば、彼の奥の部屋にのぼっていくことができたという「秘密」を学んだのです。主の「顕現的な臨在」に応答するチャンスを彼女は今回逃がしてしまいました。しかし、その苦い経験を通して、主が自分の部屋をノックされるときは、すぐにそれが聞こえるように、自分が早急に内なる霊的感度を養わなければならないことを学んだのです。また、自分
18 04月
ワシントンD.C.国会議事堂前で、聖書全巻を90時間連続で朗読
聖書朗読マラソンが祈祷週間に先立って行われる
国際バイブル・リーディング(聖書を読む)・協会(IBRA)は、ワシントンD.C.の国会議事堂前で聖書朗読マラソンを4月30日から始めると発表した。これは恒例の行事で今年は17回目にあたる。当日午後8時にフェイス・アンド・アクションの創始者であるロブ・シェネック師によって開会式が行われる。
「神の聖い御言葉である聖書の単純明快な真理へとこの国を引き戻すために、神がこのヴィジョンを用いてくださると信じます。」とピープルズ・チャーチの牧師でIBRAの実行委員長であるマイケル・ホール師は述べています。「すべての関係者―働き人、様々な協会、教会、議員や聖職者たち―は聖書を始めから終わりまでコメントを一切つけず、又中断しないで読むことによって、神の御言葉である聖書にのみ栄光を与えたいというただ一つの目的でみんな集まってきているのです。」
朗読マラソンは5月4日(木曜日)の正午から1時の間に、黙示録の最後の2章を全員が一緒に朗読して終了します。 90時間の朗読マラソンの期間中、アメリカのためにとりなしをする人々の祈りの場所も用意されるとのことです。
詳しいことを知りたい方は、www.dcbiblemarathon.org をごらんください。(終わり)トップページへ戻る
04 04月
ハワイの問題
ハワイはよく「パラダイス」といわれていますが、勿論頭の痛い問題が沢山あります。私たちはまだこちらに来て日も浅く、よくはわかりませんが、今ニュースになっていることの一つは、ホームレスの問題です。
うちの子供がまだ小さいころ私たちは寒いオレゴンの冬をさけてハワイでクリスマス休暇を過ごしたことが何回かありました。子供たちはハワイが大好きになって、息子は「僕は大きくなったらハワイでビーチ・バムになりたい!」とまで言ったのです。ビーチ・バムとは、つまり川原乞食ということで、椰子の木陰に住んでも寒くはないし、働かないでも何となく暮らせていけるのではないかという妄想をもったようです。(彼は夢かなわず、現在はニューヨークで働いております。)
さて、冗談はさておき、ホームレスの問題は深刻です。ハワイの住宅事情は非常に厳しく、家やマンションの値段は東京やニューヨーク並みですし、アパート代も年々上がっています。勿論、アルコールや麻薬の中毒になって身をやつしてしまう人や精神病の人が多いのですが、仕事や家庭の事情でちょっと不運がかさなると家賃が払えなくなって、働いていてもホームレスになってしまう人たちが増えてきてしまったのです。
ホームレスに対する援助をしているキリスト教関係のグループが多くありますが、彼らはホームレスの人たちに食事を出す、洋服を与える、シャワー室を使用させる、法律的な相談をしてあげるというようなことだけではなく、霊的な支えもしています。私たちの教会の副牧師でもあるボブ・マーチャント夫妻はリバー・オブ・ライフ(命の川)という非営利団体をホームレスが非常に多いチャイナタウンの真ん中で運営しており、多くのスタッフやボランティアと共に毎日多くのホームレスに対しての働きをしていますが、上記の働き以外に昼と夕方に彼らのために礼拝をしていて、ホームレスの人が集っています。
ボブはこの仕事に任命されたとき、ホームレスに対する気持ちは特に温かいものではなかったそうですが、あるとき主に触れられて一瞬のうちに心が変えられたそうです。そして、彼らも自分も同じ主に赦され愛されている者だとわかり、彼らに対する愛で満たされたそうです。この夫妻はチャイナタウンのホームレスの人たちを名前で呼び、彼らからも信頼されています。その中から立ち直って人生を新たに歩みだした人たちも沢山います。
マーチャント夫妻がいつも言うのですが、麻薬中毒の人が立ち直るには、統計的に見て平均7回リハビリを受けなければならないそうです。つまり、リハビリを受けて、また失敗し、また受けて、失敗し…ということを7回くらい繰り返すわけです。ですから、彼らには、失敗したからといってすぐに裁かないで、何度でも彼らを赦し信じつづけて励ましてくれるマーチャント夫妻のような人たちが必要なのです。
ホームレスの数は去年から急増し、その対策が今急がれています。低所得者用の住宅の建設や、シェルターの建設が必要です。ハワイが神の国へトランスフォームされることへの大事な一歩がここにあります。私たちの教会のメンバーによる5つのチームのチャイナタウンでの祈りの歩行も始まりました。どうかハワイのホームレス対策のためにお祈りください。(終わり)トップページへ戻る
11 02月
イエスの受洗の図がコインに
2月2日ヴァレッタ(ロイター発) バプテスマのヨハネによって洗礼を受けるイエスの図がマルタのユーロ・コインに採用されることとなった。これは宗教に深い縁のある地中海マルタ島という文化的伝統を反映しているといえるだろう。
マルタは2004年にヨーロッパ連合(EU)に加入したが、2008年1月までには、単一の通貨にしたいと考えている。EUに加入している25ヶ国はそれぞれユーロ・コインの片面のデザインを独自のものにすることが許されている。
このイエス・キリストの受洗図はヴァレッタにある聖ヨハネ寺院の大理石の彫刻からとられている。コインのデザインにには受洗図と共にマルタの紋章とMnajdraの石器時代の神殿とが描かれている。
コインの図案は一般の投票で決められたのだが、一人の神父がEメールを人々に送り、イエスの洗礼図を推薦するようにというキャンペーンをしたのだった。
彼の名はブランドン・ガット神父といい、彼はEメールで、「このイエスの受洗図は美術的価値があると共に、キリスト教の伝統を忘れ去ろうとしているヨーロッパに、その伝統を思い起こさせるものとなるだろう。」と書いた。この言葉は、EUとしてヨーロッパが持つキリスト教の伝統についてEU憲法案の中では一切触れない決定をしたのに対して述べられたものである。(終わり)
トップページへ戻る
Page 9 of 10 « First ... « 6 7 8 9 10 »