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Walk With God Ministries


01 05月

霊的な生活 ロン・マクガトリン 5月1日 2008年


霊的な生活

ロン・マクガトリン

私たちは、前いた場所に今はいない 今いる場所に将来はいない

私たちが今までいた場所は、人間中心であり、欲と煩悩に振り回された堕落した世界です。これからいくところは、神中心であり、義と平安に満ちた贖われた世界です。
今、私たちは、古い世界から贖われた新しい世界へと移るために旅をしている途中であり、それは時には荒れ狂う嵐に遭遇する長い道のりです。

聖霊は私たちに、「さあ、立ち上がって歩きはじめなさい」と、明らかに語っておられます。なぜならば、今の場所に座ったままでいると私たちは死んでしまうからです。私たちの生活様式の基礎を抜本的に変えなければ、私たちの今持つ弱点が国家を破滅する可能性があります。

聖霊は今、「強さと力と知恵を得て、世界が進む方向を変えよ。」と、私たちに語っておられると信じます。

ホーム・チャーチなどで、教会のやり方を少しばかり変えたとしても、それで最終的にうまくは行かないでしょう。選挙で違う政党を選んだにしても、それで世界を変えることはできません。税金をもっと少なくしても、多くしても、あるいは、もっと低い利息でもっとお金が借りれるようにしても、それで私たちの経済の危機を救うことはできません。現実的に見て、私たちの国家や世界がどんどんと下降線を辿っているのを変えるために、肉の人間ができることは何一つないのです。どんどんと悪くなっていく世界を回復するために肉の人間が考えつく最高の方策でさえ、愚かなことなのです。生まれつきのままの人間では、私たちが今どこにいて、何が起こっているかを全く理解できず、ましてや解決方法など分かるはずがないのです。自分は賢いと主張はしますが、現代の肉の人間の思いはむなしく、心は暗くなってしまいました。

ローマ1:21-22「彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、」

第一コリント2:14-15「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。」

御霊により知恵と力が現われ、超自然的に地球上の生命を基礎から変える

高いプライドを捨てさり、へりくだって自分たちの父祖の道から天の父の道へと御霊によって変えられていく聖なるレムナントを、神は今召し出されておられます。聖霊の助けにより地上のあらゆる分野で神の栄光を輝き出させる聖なる人々は、史上最大の収穫をもたらします。神はこれらの聖なる人々(年寄りも若者)と共に、あるいは彼らを通して、国家や世界の進む道を変えるように超自然的に働かれます。御霊により私たちはすべてのことが可能なのです。すべての被造物を支配しておられる神の愛と力と栄光が、キリストの御霊を通して流れ出るのです。

あなたがうなじのこわい神の民であるならば、御霊があなたの上に臨んでくださり、あなたの暗くなった思いをキリストのリアリティーで超自然的に満たしてくださるまで、神の御前に顔を地に伏せて昼も夜も泣き叫びなさい。

神の御前で長い間地に顔を伏せて聖霊を豊かに受けた者は、今立ち上がり御霊によって歩み、神が御霊によって示された力ある業をしなさい。御霊によって聞いたり見たりしたことを御霊のうちにしなさい。

父なる神の愛に包まれて、砂場ではしゃいでいる者は、もうふざけるのをやめて立ち上がり真剣になりなさい。おもちゃを捨てて道具を手にとりなさい。あなたが手にした道具は、聖霊によって力を与えられた動力機具となる。信じればすべてのことは可能だ。神にむかって子供っぽい応答をするのを神は喜ばれない。しかし幼子のような信仰と信頼は神を喜ばせる。

人々よ、我々は再び全く新たな日を迎えているのだ。それは偉大な力と光に満ちた日であり、夜をすばやく昼に変え、愚かな人々を闇から光へと呼ぶ。神のおられる天を見上げ、礼拝し信ぜよ。なぜならば、多くの者にとってこれが最後のチャンスだからだ。あなたは過去の霊的未熟さを早く捨てて、神が人間に対して初めから定められた最終目標の域に入らねばならない。その目標とは、あなたが召された仕事に神の愛と知恵を注ぎ込むことである。

御霊に歩む聖なる主のレムナントに注がれる神の大いなる力は、リバイバルという言葉では表せないほどに力強い。その力はどんどんと爆発的に大きくなり、神の栄光は邪悪な者の上に注がれ、聖なる者はきよめられる。

そこには喜びで満ち神の栄光にあふれるきよく心地よい平安がある。そこには偉大な光と共に偉大な闇がある。人間の歴史上最も極端な時代がもうすぐやってくる。

イザヤ60:1-2「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。」

過去を忘れなさい。あなたの将来のための自分勝手な計画を捨てなさい。神の栄光が来ようとしている。他のことは問題ではない。これは過激という以上のものであり、私たちの想像を超えたものである。地上が騒がしいときに完全なる平安がある。人々の心は恐れで震える。しかし、物事が激変する嵐の中でも完全な平安がある。

神は聖である。悪によって建てられた高いプライドの城、愚か者たちは立っていることはできない。高慢な宗教と高ぶる者の塔は、粉々に砕かれる。プライドの高い者は消えてなくなり、きよい聖なる火が人の邪悪な愚かさの刈り株を燃やし尽くす。

イザヤ2:11-18「その日には、高ぶる者の目も低くされ、高慢な者もかがめられ、主おひとりだけが高められる。 まことに、万軍の主の日は、すべておごり高ぶる者、すべて誇る者に襲いかかり、これを低くする。 高くそびえるレバノンのすべての杉の木と、バシャンのすべての樫の木、すべての高い山々と、すべてのそびえる峰々、すべてのそそり立つやぐらと、堅固な城壁、タルシシュのすべての船、すべての慕わしい船に襲いかかる。その日には、高ぶる者はかがめられ、高慢な者は低くされ、主おひとりだけが高められる。 偽りの神々は消えうせる。」
イザヤ5:15 「こうして人はかがめられ、人間は低くされ、高ぶる者の目も低くされる。」
イザヤ26:5-6「主は高い所、そびえ立つ都に住む者を引き倒し、これを下して地に倒し、これを投げつけて、ちりにされる。貧しい者の足、弱い者の歩みが、これを踏みつける。」
貧しい者と乏しい者の足が踏みつける

木、藁、刈り株は火で燃やされる。しかし、神の宝石は神の栄光を映し出して輝く。地には平和、人にはめぐみがある。イエスの死と復活は無駄ではなかった。それは、全地が神の栄光で満たされるからだ。

第一コリント3:11-13「というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」

マラキ4:1-3「見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行なう者は、わらとなる。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。・・万軍の主は仰せられる。・・しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。 あなたがたはまた、悪者どもを踏みつける。彼らは、わたしが事を行なう日に、あなたがたの足の下で灰となるからだ。・・万軍の主は仰せられる。・・」

マラキ3:17「「彼らは、わたしのものとなる。・・万軍の主は仰せられる。・・わたしが事を行なう日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。」

弱い者に強いと言わせよ。立ち上がって神の力強い息子となるように準備せよ。世界の定められた終末が今あなたの前にあるからだ。あなたはこのために生まれてきた。先に来て神の都を探すために命を捧げたすべての者が、成熟した神の息子達が立ち上がり力強い主と共に地上の御国、贖われた世界へと入っていくのを待ち望んでいる。御国の力と天の軍勢は、へりくだって立ち上がり、大きな叫びとともにキリストのからだである花嫁として、かしらなる天と地の王、キリスト・イエスに迎えられ、完全に一つとなる時を待つ者達と共にいる。主の御名に栄光あれ!主はすべての栄光を受けるにふさわしい。 ハレルヤ! 主の偉大なる御名に栄光あれ!

愛を追い求めなさい。愛は決して絶えることがありません。(終わり)


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06 04月

何十万人のイスラム教徒がクリスチャンに改宗している ジョエル・C・ローゼンバーグ 4月6日


イスラム圏に今起っていること

 ジョエル・C・ローゼンバーグ 2008年イースター更新

(2008年3月24日ワシントンDC)-「私は教会を建てます、そして地獄の門もその教会には打ち勝つことはできないでしょう」とイエスは言われました。(マタイ16:18)

この週末の時事問題に詳しい「ドラッジ・レポート」のトップ記事は、イスラム教からカトリックに改宗した著名なエジプト人の作家に、教皇が洗礼を授けたことでした。 そしてこの記事には、トップ扱いになる理由が充分あったのです。 これはイタリアやイスラムの世界ではとてつもなく大きな話題、特にオサマ・ビン・ラディンが、教皇はイスラムに十字軍を仕掛けていると非難した、その週にこの記事が出て来たのです。 然しながら、この特別な洗礼は、氷山の一角に過ぎません。


2001年9月11日以降、報道機関がアフガニスタン、イラクそして中東について先例のない程多く報道していますが、本流のメディアではほとんど語られていない、大きな話題がひとつあります。 何十万人ものイスラム教徒が福音的キリスト教に改宗しており、広範囲に及ぶ迫害や、まさに現実味を帯びた死の脅威の渦中にありながら、今年彼らは初めてのイースターを祝うのです。

私はアメリカ合衆国と中東で、36名余のアラビア人とイラン人の牧師と福音教会の指導者にインタビューをした後、2005年にこの話題を 初めてリポートし始めました。 然しながら、この3年間私はイラク、ヨルダン、エジプト、ヨルダン川西岸地区、トルコそしてモロッコを旅する機会に恵まれました。 加えて、私は200人を越えるアラブ人、イラン人、クルド人、スーダン人そしてその他牧師やキリスト教の指導者達に会い、インタビューをする光栄にも与りました。 更に多くの資料を入手することで、その傾向がより鮮明になりつつあり、この話題はさらに私達を興奮させております。

聖書の神は中東で、未曾有の数の男性、女性、そして子供を神の心に引き寄せ、神の家族にその人達を受け入れるために、力強く働かれているのです。 より多くのイスラム教徒がこの30年間に– 特にこの7〜10年間に– 人間の歴史に於いて他のどの時代よりも多く、イエス・キリストを信じるようになりました。 昔からのカトリック教会、コプト教会そしてカルディア教会の間でリバイバルが起きています。 今日キリスト教会は、それが生まれたところで、まさに復活しているのです。

最近明らかになった事実について考えてください:

アフガニスタン– 例えばアフガニスタンでは、アルカイーダがアメリカ合衆国を攻撃する以前には、福音派のクリスチャンはたったの17人しかいませんでした。 今日、1万人を優に越えるアフガニスタン人がキリストの信奉者となっており、その数は堅実に増えています。 教会の指導者によれば、アフガニスタンのイスラム教徒は、今までにはなかったほど心を開いて、福音のメッセージを率直に聞いていると言っています。現に毎週数10人もの人が受洗しています。 聖書やその他のキリスト教関係の本が刊行されたり、アフガニスタンに持ち込まれるや否や、人々はそれらをひったくるように手に入れています。 ルカによる福音書に基づいて、キリストの生涯を2時間のドキュメンタリードラマにしたジーザス・フィルムが、ある都市ではテレビにまで放映されましたが、その直後に放映したテレビ局全体が警察に閉鎖されました。 「神はアフガニスタンでとても敏速に動かれるので、私達はただ遅れないように努力するだけなのです」と、あるアフガニスタン人のクリスチャンの労働者が、匿名を条件に話してくれました。 「指導者を養成することが、今いちばん必要とされています。 私達はこれらの新しい信者全員を世話するためには牧師を訓練する必要があります。」

ウズベキスタン– ウズベキスタンでは、1990年にはキリスト教に改宗したイスラム教徒はいませんでした。 でも今は3万を越える人が改宗しています。

イラク– 私がイースターの朝に「フォックス&フレンズ」というテレビ番組で話したように、イラクでは、サダム・フセインが全権を掌握した1979年には、キリスト教に改宗するイスラム教徒は、ほんの一握りでした。 然しながら、元々イスラム教であった7万を越えるイラク人が、今日イエスを信じています、そして1990ー91年の第一次湾岸戦争の後、ヨルダンに亡命した約5万人がキリスト教に改宗し、そして別に2万人がサダム・フセインが陥落してからキリスト教に改宗しました。 ジョシュア基金の幹部役員であるジョン・モーザーと私は、イラクの5つの州への9日間の旅から戻ったばかりですが、 私達は福音教会の指導者である19人のイラクの人達にお会いしました。 私はバグダッドからの100人を越える、元々イスラム教徒でイエスを信じるようになった人達の教会で、伝道する光栄に与りました。 そしてその教会は、バグダッドが解放される以前の2002年には存在だにしなかったのです。 そしてまた私達は、キリストに帰依し、今では牧師で教会を新しく作っている、たくさんの元イスラム教聖戦テロリストに会って、インタビューをする光栄に与りました。

カザキスタン– カザキスタンでは、1991年にソ連が崩壊する以前には、福音派のキリスト教信者は、たったの3人しか知られていませんでした。 今日では1万5千人を越えるカザフ族のクリスチャンがいます。 そして、すべての民族を合わせると、10万人を越えるクリスチャンがいます。

エジプト– エジプトの教会の指導者によれば、過去10年余の間に100万人を越えるエジプト人がキリストを信じるようになりました。 エジプト聖書協会の人たちが言うには、1990年代初頭には年間およそ3000本のジーザス・フィルムを販売していたものが、2005年には60万本を販売し、加えて(アラビア語の)テープに収められた聖書のコピーを75万本とアラビア語の新約聖書をおよそ50万部販売したそうです。 「エジプト人は神の御言葉に益々渇望しています」と、エジプトのクリスチャンの指導者は私に言いました。 昨年のクリスマスに、私は中東で最大のキリスト教の集まりを訪れる光栄に与りました。 そしてそれはカイロ郊外のとてつもなく大きい洞窟で行なわれました。 1万人余の信者が毎週末にそこで礼拝をしています。 2005年5月に開催された祈祷の会議には、2万人余の信者が集まり
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29 03月

坂 達也・柚実子 2008年 春の来日予定  3月29日


2008年春 坂 達也・柚実子の来日予定表
 
[日本に滞在中の連絡先:坂 達也 携帯電話 090-6644-6207]

4月15日(火)日本到着 3:10PM 中部空港 
  16日(水)         
  17日(木)門司港ハレルヤチャーチ 渡橋先生 
  18日(金)八女フロンチアチャーチ 近藤先生
  19日(土)水俣福音教会 神園先生
  20日(日) “
  21日(月)松山 天川美江さん
  22日(火) “  ”  家の教会での集会 
  23日(水)津田キリスト教会 水村先生 
  24日(木) “
  25日(金)鳴門ホープチャペル 森綾子先生
26日(土)関西ハレルヤチャペル 小山敏夫・良子先生
27日(日) “
28日(月)南紀リバーサイドチャーチ 寺田先生
29日(火) “
30日(水)京都、シオン・プレイズ・チャーチ
5月 1日(木)  “  祈りの歩行  夜 集会
   2日(金)
   3日(土)藤枝リバイバルチャーチ
   4日(日)    “
   5日(月)大府、神の家キリスト教会 上野定雄先生 
   6日(火) 
 L 7日(水)京都 神足教会 斉藤先生 
   8日(木)  “
   9日(金)東京へ 
  10日(土)府中 
  11日(日)  “ イエスキリスト緑の牧場 染本先生
  12日(月)東京  
  13日(火) “  
  14日(水)群馬 富士見四恩キリスト教会 高田先生
  15日(木)いわき グローバル・ミッション・チャペル 森 章 先生
  16日(金)福島 旭町キリスト教会 小久保先生   
  17日(土)福島 蓬莱キリスト教会  佐藤先生
  18日(日)    “
  19日(月)  
  20日(火)長野 サンクゼール 久世先生 
  21日(水) “
  22日(木) “      午後成田へ 10:00PM発 帰国


  以上ですが、お問い合わせとご質問はメールか携帯にお電話下さるようお願い致します。
  お祈りを感謝します。               
                                          坂 達也・柚実子

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09 03月

私たちの霊性を保つためには ウェード・テーラー 2008年3月9日


私たちの霊性を保つためには

ウェード・テーラー


「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。」(1コリント2:7)

私たちが受けている最も大きな賜物と祝福は、私たちが霊的に敏感であることと、それに飢え乾くことです。この飢え渇きと油注ぎによって、私たちは神の御言葉を通していただけるより深い啓示を理解することが可能になります。しかし、その飢え渇きは、放っておけば、徐々になくなって行き、ついには霊的に不毛の状態に陥ります。それを防ぐ方法は毎日、日課として神との霊的聖餐(コミュニオン)という個人的交わりを持つことをしっかりと維持して行くことです。

「年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」(イザヤ書40:30-31)

私たちが霊性を保つためには、毎日、特定の時間と場所を「主を待ち望む」ために確保しなければなりません。これをすることによって私たちの霊のバッテリー(力)が充電されます。

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、……地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

この主のご臨在を待ち望む時を持つことによって、私たちの人間的弱さにとって替る神の力を受け取ることができます。その力と霊的な強さは主のご臨在の中で主と交わる時に得ることが出来るのです。

「主を畏れる人に/主は契約の奥義を悟らせてくださる。」(詩篇25:14)

上記で「主を畏れる」とは主への畏敬の念を持つことであり、私たちが主の御前に出る時に、この畏敬の念によって私たちが集中して気を逸らさず一心に主を見つめることを可能にします。
人生で、私たちは二つの違ったレベルの命を持って生きていることを認めなければなりません。

「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。」(1コリント15:44)

イエスと直接の個人的な交わりの関係を持つことによって、私たちの霊の命の働きが増しますが、それにつれて私たちのこの世のものに対する欲望が弱まります。私たちが日頃霊的にものを考えて行動するか、あるいは肉でするかによって、それぞれの命が強められたり弱められたりします。
私たちの霊的なレベルは、私たちがどれだけ主を待ち望むために時間を費やすかにかかっていますが、その主を見上げて主からいただこうとすることが消極的であってはなりません。むしろ主から何かを受け取ることを熱心に期待する積極性が必要です。それは待ち人が部屋に入ってくるのを今か今かと期待して待つのに似ています。主を待つ間、静かに主をワーシップし、又、主への私たちの心からの愛を表明することが大切です。

「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。
… わたしを愛する者には財産を受け継がせ、彼らの財宝を満たす。」(
箴言8:17,21)
 
私たちが主への愛を心から表明すると主はそれに応えて下さり、このやりとりが私たちの霊的理解をより一層うながし(霊的関係を強め、より親密にする)主のご臨在に対する私たちの感受性を増します。私たちがより大きく主を期待する時に主の実質(サブスタンス)が私たちの中に流れ込んで来るのです。

毎日「主を待ち望む」時間を持つことによって、私たちが霊的に豊かになるために最も重要な霊の命と力の分与(インパーテーション)を受けることになるのですが、これに平行して、私たちの肉の生き方(ソーリカル・ライフ)を十字架にかけることを私たちは忠実に実行しなければなりません。そのような肉の(魂的)生き方は、私たちが主の御前で時間を過ごさせないようにし、それに替るような時間の過ごし方を提案します。このような、あらゆる私たちの霊的成長を阻止するものを総て主の十字架にかけることを決意・実行することによって私たちは霊の命と力を受けて霊的に成長するのです。

私たちが「主の臨在の中で主を待ち望む」ことをしっかり実行して行く時に、十字架にかけるというプロセスを通して、主は、私たちが主の御前に出て静かな時を過ごすことへの妨げとなるものを取り除いて下さいます。私たちは皆このプロセスを通らねばなりません。そうした後に、私たちは主が放たれる霊の命をフルに受け取るという経験が持てるようになります。これこそ主が私たちに望んでおられることなのです。

「主を待ち望む」ことはそれを実行すればする程、その能力が強まって行きます。クリスチャンは他のクリスチャンと親しい関係を持つことは望ましいことであることに違いありませんが、それが霊の飢え渇きを満たすものでは決してありません。私たちの霊は、上に挙げられ、主と縦の関係-親密で主ご自身との個人的な関係-を保持されねばならないのです。私たちが主に近づき主の御前で時間を過ごす時に、主がご自身を私たちに知らしめてくれますから、私たちは主とより親しく個人的に交わることが出来ます。

「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6:6)

私たちが完全に一人になって主とだけ時間を過ごす特別の時間を設定することは大変重要なことです。
「…… わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)

主の御前で私たちが主を待ち望む時に、私たちの霊は命を与えられ、霊の領域に挙げられます。私たちが自分では何もしないでただ主を待つ時に主が働かれ、私たちのしたいこと(欲望)を正しいものに整えて下さり(リオリエント)、聖霊の領域によりオープンでより鋭敏になるようにして下さいます。しかし、この霊的に成熟するプロセスは、逆に私たちが自分の業で働く時に、主は私たちを待っておられ、霊的になることが妨げられます。

「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、…」(ピリピ3:10)

私たちの霊的感覚が鋭敏になると 、主が私たちを主に引き寄せたいと願っておられることがよりはっきりと理解できるようになります。その結果、私たちは主と毎日交わる関係に入ることを熱望するようになるのです。これが発展して行くと、主のからだ(教会)と世界の国々に関する主のご計画に私たちが協力するように導かれます。

主を待ち望む時間を多く持つことによって霊的感性が増すと同時に、自然(肉)の領域における感性も鋭敏になります。しかし、より鋭くものが見えたり、感じたりする時に私たちは直ぐリアクトしたり報復に出たりしがちですが、そうするのではなく、そのより鋭い感受性を自分のうちにじっと持ちこたえることを学ばなければなりません。

「わたしの僕ほど目の見えない者があろうか。わたしが遣わす者ほど/耳の聞こえない者があろうか。わたしが信任を与えた者ほど/目の見えない者/主の僕ほど目の見えない者があろうか。 多くのことが目に映っても何も見えず/耳が開いているのに、何も聞こえない。」(イザヤ42:19-20)

イエスは非常に鋭い霊的感性を持っておられたので、人間の心の中がよく分かりました。しかし、その場の状況に直ぐ人間的に反応(リアクト)することをなさいませんでした。主はご自分が天から来たこと、即ち、天の立場をよくわきまえておられ、総て人間としてではなく、天の父が言われること、父がなさっておられることにのみ従ってことを運ばれました。

私たちは自分の持っている信仰で生きることを学びます。そして霊の領域に上げられ、そこで預言的な理解をもって霊の世界に入って行きます。「最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。」(1コリント15:46)
「……朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。」(イザヤ50:4)

主のご臨在の中ですばらしい時を過ごすと言うことを始めても、最初は主とか主の臨在をほとんど感じることが出来ません。しかし、それを続ける時に私たちがそのことを期待し続けるがゆえに、肉の領域から霊の領域に入って行き、やがて主と主の臨在をはっきり
感じるようになります。
 私たちがどんなに忙しい生活の中にいても、「主を待ち望む」ための時間を取ることは絶対に欠かせないことです。そして、私たちがそうすることによって失望することは決してないでしょう。(終わり)


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22 12月

クリスマスに際して   坂 達也   12月22日


クリスマスに際して

アメリカではクリスマスが近づくと、電球による建物の内外の飾り付けが盛大になされ、特に住宅地の夜景は実にほのぼのとしてきれいです。先日近くの老人ホームを訪れた時、入り口の側にきれいな飾り付けがしてありましたが、その中に「ノース・ポール(北極)はこちら」と書かれた1メーターあまりの矢印のサインが芝生の上にあざやかに電飾で浮き出ていました。

アメリカの多くの小さな子供たちは、サンタクロースの存在を本当に信じています。クリスマスが近づくとサンタに手紙を書いて郵便局に投函する子供が、恐らく毎年千人以上はいると思います。サンタは北極に住んでいると彼らは信じていますから、サンタ宛の手紙の住所は皆、ノース・ポールと書かれています。彼らはサンタに欲しいものと共に、クリスマスにしてもらいたいことを切々と訴える手紙を書くのです。

このような手紙が来ると郵便局では、その手紙を「死んだ手紙」つまり、行き所の無い手紙として集め、一定期間保管するそうですが、昔そのようなサンタへの手紙の内容が披露されて新聞に載り、私もそれを読んで子どもたちの純真な愛の思いに打たれた記憶があります。多くの子どもは自分のことより、周りの家族とか困った人をクリスマスに助けてやって欲しいという嘆願の気持ちをサンタに書くのです。

私たちが元住んでいたポートランドの郵便局に長年勤めて退職した親友からのメールによれば、最近四歳の女の子がサンタにではありませんが、天にいる神様に直接書いた「いじらしい神様へのお願いの手紙」が郵便局に届いたそうです。天国行きと書かれた住所の手紙ですから、これもサンタ宛と同じ「死んだ手紙」として処理されました。

その手紙の内容は、4歳のメレデスという名の女の子が、かわいがっていた14歳の老犬が死んで、その子は寂しさと悲しみの中からお母さんに頼んで天の神様に手紙を書いてもらいました。それには「天の神様、私の犬のアビーがそちらに行きましたが、写真を送りますので、見れば分かると思います。アビーはボール遊びが好きですから、どうぞ遊んでやって下さい。」と言うものでした。その手紙には差出人の住所と名前が書かれており、たくさんの切手がはってありました。
それからしばらくして金色の包み紙に包んだパッケージがメレデスの家に郵送されて来ました。中にはミスター・ロジャースの書いた「ペットが死んだら」という本と手紙が入っておりました。その手紙には見慣れない字で「メレデスちゃん、アビーは無事着きましたよ。写真を送ってもらったのですぐ分かった。もうアビーは病気ではなく元気で、あなたの犬であったことをとても感謝しています。わたしに手紙を書いてくれてありがとう。それにあなたに代わって手紙を書いてくれたあなたのやさしいお母さんにも感謝します。そんなすばらしいお母さんをあなたの為に特別に選んだのはわたしだよ。これからも毎日わたしはあなたのために一杯祝福を送るので、いつもわたしがあなたをどれ程愛しているか憶えていて下さい。 愛をもって。あなたの神から。」

私の郵便局出身の友人は、自分の元の職場である郵便局の「死んだ手紙」の部署に心あるクリスチャンが働いていることにいたく感激しておりました。

クリスマスと言えば、昨今はあまりにも世俗的になっていることは確かです。また教会の中では、「イエスの誕生が12月末と言うのはおかしい」とか「クリスマス・ツリーは異教の習慣だ」といってお祝いをしないクリスチャンもいます。私もそのような気持ちを少し持っていたのですが、最近自分のそのような批判的態度を悔い改めました。世の中の総てが、神の許しなくして何事も起らないのである以上、12月25日をイエス・キリストの誕生日とし、それをたとえ世俗的であっても、又クリスチャンでなくても、万人が贈り物を交換して大いに祝うようにされたのは神であり、神が許されたことであると思うのです。サンタクロースは本当にやさしい愛の天の父の心をあらわしていると思います。

アメリカ南部のあるクリスチャンが何十年とサンタクロースの役を買って出て、毎年クリスマス前になると札たばをたくさんかかえ、巷に出て行き、困っているような人に五十ドル、百ドル、二百ドルと言う現金の贈り物を与えていたそうですが、その人が亡くなったと言うニュースを二年ほど前に見ました。その人は小さい時貧しい境遇で育ちましたが、成人したある時、貧しい人がよいクリスマスを迎えることが出来るように助けたいと思い立って、決して経済的に豊かでない中からお金を貯めてはクリスマスにサンタになることを決意したのです。神はその人を大いに祝福し、やがてその人は大金持ちになりましたが、死ぬまでお金を貧しい人に配ることを続けたそうです。そして死に際にお金持ちの友人の手をとって自分のサンタの仕事を引き継いでもらいたいと頼んで死んで行きました。今はその後継者だけでなく、幾人かのサンタクロースが巷に現れ、いわゆる「年を越せない」ような貧しい人に思いがけない恵みを配って歩いています。又、貧しい子供たちにクリスマスの贈り物を与えるために多くの慈善団体、企業がきれいな包装紙で包んだプレゼントを山のように集めて、実際にサンタクロースの衣装を着けたサンタがそれを配るのは、アメリカの年末の街中で見られる美しい心温まる行事の一つです。

クリスマスはイエス様のご誕生をお祝いする日です。私たちが家族の誕生日をお祝いし、贈り物を送り、あるいはご馳走を用意してその人の誕生日をお祝いするのは世界中の習わしであると思います。そうであるならば、クリスマスには天におられる恵み豊かな父が、愛する私たち人間に大判振る舞いのプレゼントを与えて下さる以上に、私たち自身が誕生日を迎えるイエス様にこそお誕生日のお祝いのプレゼントをお送りすべきであると思います。そのイエス様に贈る最大のプレゼントは「人を赦す」ことではないでしょうか。下記にそのような贈り物を最近贈った人々をご紹介したいと思います。

先日コロラド州で銃の乱射で二人のYWAMの若者が殺されたニュースがありました。その事件が起った三日後に、殺された二人、フィリップ・クラウスさんとティファニー・ジョンソンさんの家族は、先ず犯人(その後自殺した)の叔父のフィル・アベータ牧師と会って和解し、その後犯人の両親、ロンとロレッタ・マーレーさん夫妻を訪ねて、お互いに手をとり、話し合い、いたわり合い、祈り合ってその犯人の家族を赦しました。

殺された犠牲者二人の家族はそれぞれ
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