WWGM

Walk With God Ministries


07 01月

南イスラエルからの戦況速報 ヨエル・ローゼンバーグ  1月7日


南イスラエルからの戦況速報

ジヨエル・ローゼンバーグ

状況は非常に逼迫しています。ハマスは過去10日間に500発のロケットをイスラエルに向かって打ち込み、南イスラエルに住む50万人以上の人たちが死の恐怖にさらされています。

イスラエル軍の死者は今のところ6名ですが、国民はその犠牲者の為に国を挙げて嘆き悲しむ一方、過去二年半の間ハマスの執拗なロケット砲撃というテロ行為に対して(この間に6、300発以上のロケットが打ち込まれたにもかかわらず)ほとんど何もして来なかったイスラエル政府がついに強硬な反撃に踏み切った事を圧倒的に支持し胸をなでおろしています。

このガザ地区には約150万人のパレスチナ人がハマスの人質状態でハマスのテロ行為の犠牲となって住んでいますが、一番最近では、反撃して来るイスラエル軍に対して、ハマスは国連経営の学校に立てこもり、そこから白砲弾を発砲して来たためイスラエル軍はやむなくその学校を空爆し、42人の死者と50人余りの負傷者を出す結果となりました。

これに対して世界はハマスに向かって怒りを発する人がいないのはどうしてでしょうか。パレスチナ人はハマスから自由になる事を必死で願い、内々ではイスラエル軍がテロのリーダーたちを打ち負かすことを歓迎しています。

ロケットを発砲するのをやめるようにハマスに圧力をかける代わりに、国際的な圧力は、ガザにおけるハマスのリーダーたちとテロの下部組織が破壊される前に、何とか一時的な停戦をするようにイスラエル政府に大きな圧力をかけてきます。エジプトとフランスの大統領が昨日紅海のリゾートで会って即刻停戦の決議案をプッシュして来ました。アメリカのライス国務長官もそれを支持する声明を発表しています。

トップリーダーたちとその精鋭軍の多くが殺されて打撃の大きいハマス側は今必死で停戦を望んでいます。弾薬庫とか政府の建物が既に爆破され、又エジプトとの国境にある彼らにとって重要な密輸のトンネルも破壊されました。エルサレム・ポスト紙の報道によれば、ガザ地区におけるパレスチナのジャーナリストが月曜日に「一般的な見解としては、既にハマス政府は事実上存在(機能)していない。総ての政府機関は破壊された。」と伝えています。ハマスのリーダーたちは今ではちょうどアルカイダのオサマ・ビン・ラデンとアイマン・ザワヒリのようにふるまっていて、彼らは人前に現れず、アラブ・テレビ局を通じて録音されたメッセージだけが報道されていると言います。

こういう状態にあるのですから今ハマスを生きかえらすことなく、イスラエルは断固としてエジプト・フランスの停戦案を拒否すべきです。……

イスラエル国民は、過去に国際的圧力に何度もだまされて来ましたが、幸い今回は又同じような停戦の圧力に屈しようとはしていません。チャンネル2ニュースの世論調査によれば、81%のイスラエル国民は彼らの政府がロケット発砲をストップしハマス組織を破壊するために、ガザを空爆だけでなく陸からも軍隊を出動させてたことは適切な処置であったと信じていると報じています。そして、60%の世論がハマスとの停戦交渉に反対していると言います。

私は今回現地に来てイスラエル人と話した結果、彼らは今回こそはハマス軍とその政治的リーダーたちを完全に撃破して、南イスラエルがロケット弾、ミサイル、白砲弾からの脅威から開放されるまで戦うことを望んでおり、そのゴールが達成しないで中途半端に妥協することは、今まで以上に悪い結果をもたらし、それは事実上ハマスに勝利をさせ、イスラエルの敗北を意味するという国民感情であることが分かりました。

しかしながら、そのような国民感情にもかかわらず、オルマート首相とそのイスラエル政府は一時的な早過ぎる停戦を受け入れる可能性も十分あります。事実、2006年にはこの政府はレバノンにおいて同じような一時停戦を妥協して受け入れています。又、ユード・バラク防衛長官は早期停戦を望むという考えを当初から発表しています。これからの数日間でオルマート政府が今回はどのような決意をしているかがはっきりするでしょう。(完)

著者紹介
ジョエル・C・ローゼンバーグ
「最後の聖戦」などでニューヨーク・タイムズのベストセラー作家となる。 イスラエルや中東の戦争やテロの犠牲者を人道的立場から救済するための非営利団体、ジョシュア基金の創設者。 祖父母は20世紀始めにユダヤ人迫害を逃れて米国に亡命。 シラキュース大学を卒業し、テル・アヴィヴ大学に留学した。
 コミュニケーションの専門家として、元イスラエル首相ベンジャミン・ナタニアフなどとの仕事を経験した。福音的教会であるワシントンDC近くのマクリーン聖書教会に所属。 


トップへ戻る

No Response Filed under: 未分類
20 12月

「主を見つめて待つ」祈り(1)   坂 達也  12月20日


「主を見つめて待つ」祈り(1)

                           坂 達也


哀歌3:25-26に「主はおのれ(主を)を待ち望む者と、おのれ(主を)を尋ね求める者にむかって恵みふかい。主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。」と言う御ことばがあります。
又、詩篇でダビデは次のように歌っています。「1 主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。2 まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように御前におります。3 イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。」(詩篇131:1-3)

最近は「主を見つめて待つ」祈りをされている方が日本でも増えて来ていることが今回の(2008年秋)日本旅行でよく分かりました。それは本当にすばらしいことです。それにつけても、このお祈りの秘訣は「自分の心をいかに静めるか」の一事にかかっているように思います。

先ず、このお祈りをするのに一番適した時間と言えば、その日の活動が始まる前の早朝のひと時か、あるいは周りが寝静まり、一日の活動から解放された夜の遅い時間ではないでしょうか。しかし夜はその日一日の労働・心労のざわめきが残っているので、朝の寝覚め時の魂の状態の方がより休まっていると言う点で私は朝を好みます。 

次に祈る時の姿勢ですが、椅子、ソファに背筋を出来るだけ真っ直ぐにして、しかし楽に長続きする姿勢で座ります。(あるいは座禅をするようにあぐらをかいても可)私の場合はベッドの高さが63cm、下部が25cm程空いていますので、そこにひざを入れ、小さな15-17cm高の木の安座にお尻を置いて(ひざまずくように)座ります。腕でベッドの上にひじをつき、疲れたら上半身をベッドに寄りかかるようにします。しかし出来るだけ背筋を真っ直ぐに保ちます。顔は少し上向け、目を閉じて上を見つめます。これが私にとって一番楽な姿勢ですが、それでも30-40分が限度です。その後はベッドの上に背中をヘッドボードに(枕をかって)もたれかかるようにし足を延ばして座ります。疲れたらソファーに座るのもよいと思います。但し、病気の時以外は出来るだけ横になって寝る形を取らない方がよいと思います。

こうして主と対面します。最初は特に主の臨在感が無い時が多いのですが、それでもやさしい主が前におられることを信仰で意識し、心から主への敬愛と礼拝の気持ちを持つようにします。そしてその気持ちを心でやさしく主に語りかけ、あるいは手を上げて(声を出しても出さなくても結構です)主を心から感謝し賛美します。しばらくこうして主に語りかける時間を過ごした後は主の語りかけを期待して待ちます。

主の前に出ているのですから、主だけを思い、出来るだけよそ事を考えないようにします。しかし、そうしている積りでも、心のどこかで心配事や、その日にやって来る、あるいは既にやって来た大事なことから心を完全に引き離し全く幼児のように無邪気な心で主の前に立つことは、意外に難しいことがお分かりになると思います。

人間の持つ意識の状態は実に微妙に働くようです。例えば、少しでも「急ぐ気持ち」とか「何かをしよう、しなければならない」と言う思いがあると、気持ちに「気負い」が出て心が静まった状態にはなりません。
昔仕事をしていた頃に接待ゴルフをやっていましたが、ゴルフは心の思いが如実に影響するスポーツです。飛行距離を延ばそうと思えば、腕から力を抜いて只クラブを握っているだけの状態にして腰の回転に自然について行くようにすると、振り子の原理でクラブの先では大きな遠心力が働き、球は思いがけないほど遠くへ飛んで行きます。しかし実際は、遠くへ飛ばそうと思えば思うほど力んで腕に力が入り、遠心力による加速を殺してしまう結果、かえって飛ばない経験をされた方は多いと思います。腕の「力を抜け」とよく言われましたが、痩せて非力の私には、飛ばしたい一心からでしょうか、どうしても腕の力が抜けないのです。

主を見上げる祈りには、何かしらゴルフの飛行距離の秘訣に通ずる点があるようです。それは「自分の力でやろうとしてはならない」と言う点です。「自分(肉)に死んで神の力(霊)に総てを委ねる」クリスチャンの生き方の基本と似ています。

本当に自分の魂を静めるためには、先ず、私たちの魂が詩篇131を歌ったダビデのようであるべきです。万軍の敵を前にしたダビデは、主の前に心から「へりくだり」、自分の力で戦って勝てると言うプライド(力み)と憂慮を捨てて(アバンダンメント)自らを解放し、静かに只主だけを見上げました。これが聖い、静まった「主への全き信頼」の心であると思います。そうすれば主は必ずその信頼に応えて下さいます。それが上記の哀歌で言う「主の救を静かに待ち望むこと」でありましょう。ここでぜひもう一度上記の二つの御言葉をじっくり味わってみて下さい。

このような静まった心になった時に主からの平安が来ます。いや、来ると言うよりも、元々私たちの中には主が内在されているのですから、主の平安があるはずです。私たちは日頃忙しくしていると気が付かないのですが、本当に静まった時にはその平安を感じることが出来るのです。その点主の御声も同じです。主は私たちに親しく話しかけて下さっていても、霊的な声は「静かな小さい声」(still small voice)ですから私たちの魂が騒いでいる間はそれが聞こえて来ません。
御声と言えば、私たち被造物はみな、元々創造主である主が言葉で語って造られたのですから、その創造主の御声を聞くと、むしろ懐かしい親しい気持ちがしてもおかしくないと思います。

主イエスは父の御前にいつもおだやかな心と、全き信頼をもって立たれました。そうすると主には天の父がされていることが見えるのです。それをヨハネ5:19、20で主はこう説明してくれます。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです…。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。」ここに主を見上げて待つ祈りの究極の姿があるように思います。

ここに天の父と父の最愛の一人子であるイエスとの関係が見事に表されています。そしてそれは取りも直さず、主イエスと私たち主の花嫁との 関係であるのです。「父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになる」のと同様に、夫である主は私たち花嫁を「愛して、ご自分のなさることをみな」私たちにお示しになろうとされておられるのです。私たちはその主の期待に応えて、主をいつも見上げて待ち、示される総てを受け取ろうではありませんか。

その主が私たちに言われます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」」(マタイ11:28-30)と。
私たちは、そのような主の前に出る時、総てを主に委ねているのですから何の心配もいらない、本当に心から安心出来るのです。肩の力を抜き、心の底からリラックスして下さい。自分の心に「リラックスしよう」とやさしく語りかけて下さい。これが秘訣です。

こうして心が静まった状態で主の前に立つと、多くの場合、主が既に待っていて下さり、主の愛とすばらしい臨在に包み込まれます。神様とはこんなにすばらしい愛に溢れ、やさしい方であると言うことが実感され、誰でも感激しない人はいないと思います。「愛の父」と「やさしい主イエス」とに個人的に対面出来るのです。私たちの心にある総てを理解して下さり、こんなにやさしく思いやりがあるすばらしいお方は他にはいません。思わず「主を愛します。」という言葉が心の奥底から出続けて止みません。

それはヨハネ15:5で主が言われた「…人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっている」状態であると思います。そうなれば「そういう人は多くの実を結ぶ」ようになるのです。

パウロと言う人はこの祈りをよくした人の一人であると思います。彼は本当に主と個人的に深い関係で交わる人であったでしょう。エペソ3:12-19で「12 わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰(別訳では「キリストの私たちへの忠実さ」)により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。」と書いていますが、これが上記ヨハネ15:5と同じ状態を指しています。つまり私たちがキリストといつも結ばれた状態にある時、私たちは大胆に主の御前に出てこのお祈りをすることが出来るだけではなく、そうすることによって主の豊かな愛の中に入って行けるのです。それをパウロは続いて次のように形容してくれます。
「…14 こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。…16 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、17 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。18 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、19 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかりそれによって満たされるように。

私はキリストの愛の深みをここまで実感できるのは、この祈りをする人の特権であると確信します。17節に「あなたがたの心の内にキリストを住まわせ」とありますが、それは最初に主を信じた時に聖霊が内住されることを意味するのではなく、既に内住されているキリストと深い親密な交わりの関係に入ることを意味します。ここにおいてキリストと結ばれ(Union)ます。そして「神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされる」までに到達出来るのです。それがこの祈りのゴールです。

この祈りは神との個人的なコミュニケーションで、しかも全く霊的なものですから、最初からうまくは出来ません。しかし出来ないからと言って決して落胆し、急いだり焦ったりしないで下さい。主が現れて下さるのを期待して気長に待つのです。そして諦めずにたゆまず毎日実行して下さい。それが秘訣です。

私たちの前に現れたくてしようがないのは、実は主の方です。しかし主は私たちを真に肉的な者から霊の人間に変えるために敢えて時間をかけて下さるのです。現れて下さらないのも主の愛からです。
くりかえしますが、始めたら直ぐ主の臨在が実感されなくても決してがっかりしないで下さい。むしろ主が私たちを訓練されているのですから感謝して下さい。私たちに必要なのは忍耐と言いますが、人生でこれ程「やりがい」「待ちがい」のあるものはありません。喜びを持って忍耐して祈り続けて下さい。その意味ではスポーツとかお稽古事と同じで、たゆまない訓練が必要です。

信仰生活の実践において、私たちに最も必要なことはこの「主を待つ」ことです。何故ならそれは「自分では何もしないこと」の訓練であるからです。(続く)


トップへ戻る

No Response Filed under: 未分類
01 10月

その後のトッド・ベントリーに関して リック・ジョイナー 10月1日


現在のリバイバルの歴史と将来―パート10.その一
その後のトッド・ベントリーに関して

リック・ジョイナー

私が今一番聞かれる質問は、「トッド・ベントリーはどうしていますか?」ということです。彼は私たちのところに来て数日過ごしましたが、概して言えることは、彼の様子を見て私は励まされています。彼は自分の問題が多くの人々に問題を与えてしまったことを、非常に申し訳なく思っています。彼は自分が間違いを犯したことやおろかな選択をしてしまったことを十分認識しています。彼はそのことを手紙という形で出来るだけはっきりと発表したいと考えていますが、それには数週間かかると思います。というのは、私がそれを手伝うことになっているのですが、私は3週間外国に行かねばならないからです。また、他の数人の人たちからもそれに関して助けてもらいたいと考えているので、そのくらいの時間がかかりそうです。


彼のための今の計画は、彼の生活の実際的な問題を解決することです。そのために、彼と同じような問題を経験し、しかもそれに勝利した二人ほどの友達を訪ねる予定です。それから私たちのモーニングスター・ミニストリーのヘリテイジに来て、癒しと回復のプロセスに入り、ある期間ここで過ごす予定になっております。


私はフレッシュ・ファイヤー・ミニストリーの主だった二人のリーダーとも話しました。その結果、私は、トッド並びにこのミニストリーがこの危機を切り抜けるばかりではなく、彼らがこれから起こる主のムーブメントにおいて、パワフルな力、並びに、ファクターとなることを確信しています。


今回起きた問題は、すべての面において非常に深い教訓を含んでいます。それを解決し、それから学ぶことは、教会の未来のために大いに役に立つでしょう。私個人としては、レイクランド・アウトポアリングが今の時代に与えられた非常に重要な主の訪れであったことを疑ったことはありません。何万人、何十万人という人が癒され、奇跡を体験したばかりではなく、数え切れない人の信仰が高揚されました。そしてそれによって今もいろいろな場所で霊的な動きが急激に起こったり前進したりしているのです。教会も、癒し主としてイエスを知り、必要な奇跡をしてくださる方として信じるという最も重要な信仰を持つことによって、来るべき時に備えることができました。私たちは、現在の教会のレベルより更に高く成長していかねばならないのです。


また、トッドの問題によって提起された種々の論点は、教会が次ぎに進む前にキリストのからだによってキチンと話し合われねばならないと思います。そうしないと同じような問題が将来起きたときにはもっと大変な混乱を招くでしょう。もう少し詳しいことがお分かりになったときに、皆さんも同意されると思います。この事態を正しく扱うことは、キリストの身体を強め将来のために教会を整えるすばらしい機会なのです。
今日までに多くの人たちがこの問題に言及されましたが、それは励まされるものであったり、又、がっかりするようなものでもありました。しかし、これを正しく解決することは、現在私たちが本当に必要としていることであり、教会全体を強めることができるのです。この問題から私たちが得るものは、本当に大きい可能性があるのです。主は私たちを常に勝利へと導いてくださり、今回も例外ではないと私は確信します。

トッドやフレッシュ・ファイヤー・ミニストリー、レイクランド・アウトポアリング、そして特にレイクランドや多くの場所で力強く働いておられる主をあきらめなかった人々の忍耐と祈りを、私は感謝します。レイクランドは多くの火をつけた火花(スパーク)であり、今も火をつけ続けています。消えることはありません。もしあなたが、どのような形であれ、それに触れられたのならば、どうか前進し続けてください。これはトッド・ベントリーがしたことではなく、主がしたのであり、主は今、劇的な速度で動かれているのです。実際のところ、これは止むことのない神の動きの始まりかもしれません。

それと同時に、私たちは傷ついた仲間を殺し続けようとすることを、もう止めねばなりません。ガラテヤ6:1で明言されているように、「いかなるあやまち」に陥った人でも、その人たちを回復させるのが私たちのとるべき唯一の道です。私はトッドがミニストリーに復帰するだけではなく、やがてもっと大きなインパクトを与えるようになり、今までより大きなパワーの中を歩むようになると確信しています。私がこう信じるのは、トッドに関して数年前に主から示されたものがあるからです。ボブ・ジョーンズが「レイクランドは来るべきものの予告編に過ぎない」と言った通りなのです。トッドは主が「地上最大のショー」と呼ばれるものを開始するために招集された人です。それは神がどのようなお方であるかを世界に示すために、神ご自身が地上を歩かれたとき以来最大のデモンストレーションになるでしょう。キリストのからだはそのために今整えられているのであり、レイクランド・アウトポアリングはその道を備え始めたのです。

それと共に、私はトッドの問題を知ったときにあまり驚きませんでした。彼のような性格と神からの召命を持つ人間は、偉大な勝利、前進を勝ち得るとともに、大きな失敗をも犯しやすいのです。使徒ペテロがそのよい例です。聖書の中で最も偉大な賛辞の一つを受けた直後に、神の御子ご自身が、ペテロを「サタン」(マルコ8:33)と呼びました。ペテロははじめ天から直接聞いたのですが、次の瞬間には地獄から聞いてしまいました。また、主を否むという私たちの出来る最悪のことの一つをしたすぐあとで、ペテロは赦しと回復を得て、ペンテコステの日のリバイバルのリーダーになりました。このことをよく考えてみてください。

このところ、この問題で毎日数時間を費やしておりますが、いまだにその真相やファクターについて、また解決するためには何が必要かを学ばされています。今回起こったことには多くの深くて重要な問題点が含まれています。妥協をほとんどしない人たちでも、より正確な情報を得たときに意見を完全に変えた人々の例も私は見てきました。もう少し進展すれば、すべてをはっきりさせるチャンスがあり、それによって多くの人が解放され癒されると思います。時として身体の癒しの方が魂と霊の癒しよりも容易であることがありますが、私たちはすべての面での完全な癒しが必要です。

私たちが絶対にしてはいけないことは恵みを制限し、出し惜しみ
No Response Filed under: 未分類
13 09月

イスラム教徒へ福音を伝えるボトロス神父 ジョエル・ローゼンバーグ 9月13日


イスラム教徒へ福音を伝えるボトロス神父

ジョエル・ローゼンバーグ



皆さんは多分、ザカリア・ボトロス神父(Father Zakaria Botros)という名を聞いたことはないでしょう。しかし、彼の働きを是非知ってください。彼はアラブ系アメリカ人で、イスラム教徒たちに福音を最も効果的に伝えている伝道者であり、また、イスラム圏に旋風を巻き起こしている人物です。ラッシュ・リンバー(Rush Limbaugh)の伝道者版とでもいうような人で、愉快で快活、聡明で芯があり、かつ挑発的です。彼は型にはまったような福音を語るのではなく、主イエス・キリストの福音を語っています。彼の敵は単に彼を黙らせようとするだけではなく、彼を暗殺することを願っているのです。

先週、私はボトロス神父を電話でインタヴューする機会を得ました。(現在彼はアメリカに住んでいますが、その場所は安全のため公表されておりません。) アルカイダが彼を世界で一番悪質な異端者であり処刑するべき者だとして、彼らのウエブサイトに神父の写真を載せたことを、彼は話してくれました。彼らは神父の首に大層な報奨金をかけました。CBN(クリスチャン・ブロードキャスティング・ネットワーク)の報道では、その額は6千万ドル(60億円)にも上ると言っています。神父自身は額は知らないといっていますが、もしそうだとするとオサマ・ビン・ラデンの首へのアメリカ政府の報奨金が”わずか“2千500万ドル(25億円)なのですから、驚きます。

エジプト出身の70歳を過ぎたコプト派のこの神父に対して、テロリストたちはどうしてこのように激しく怒っているのでしょうか。それは神父が電波を使って彼らに戦いを挑んでいて、彼が勝利を勝ち取っているからです。

イスラム圏の諸政府は福音を国に侵入させまいとして様々な手段を使っていますが、神父はステートオブアート・サテライトの技術を使ってそれをすり抜けています。そして、モハメットが預言者であるとか、コーランが神の言葉であるというイスラム教の主張に対して、真っ向から挑戦を挑んでいるのです。彼はモハメットがとった行動を片っ端から分析し、彼の性格上の欠点や良くない行為を指摘します。 また、コーランを一節ずつ丹念に分析して、その矛盾や不合理を指摘します。 彼はイスラム教の間違いを何の遠慮もなく解明するだけではありません。聖書を使ってイエスがイスラム教徒たちを愛しておられ、誰でも、今までにどんな罪を犯していたとしても、その罪を赦し神の家族にするためにイスラム教徒たちが自分のところにくるのを待っておられることを説くのです。

この放送がケーブルチャネルを通してほんの片隅で流されていて、見る人もほとんどないのならば話しは別です。けれども、この90分番組はーー説教と教えと質疑応答(世界中から腹を立てたイスラム教徒たちが電話をかけてくる)で構成されているーーイスラム圏では人々の間で「絶対に見のがせない番組」となっているのです。この番組は神父の母国語であるアラブ語で週に4回、Al Hayat(命のテレビ)というサテライトテレビ・ネットワークで繰り返し放送されていて、北アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリヤ、ニュージーランドを始めてとして、北アフリカ、中東、中央アジアで見ることができます。そして多くの場所で見られるというだけではなく、一日5千万人のイスラム教徒が視聴していると言われています。

それに加えて、神父は数ヶ国語のウエブサイトを持ち、何百万人もの人が見ています。そこでイスラム教徒たちは神父の説教を読み、今までに多くの人がした質問に対する彼の答えをじっくりと学ぶことができるのです。また、「パル・チャット」と呼ばれるチャットルームに参加して、ライブで会話に加わることもできます。そこでは、よく訓練されたカウンセラーが対話に応じていますが、難問でもどんどん自由にすることを勧められます。カウンセラーの多くは、イスラム教徒からクリスチャンになった人で、人々の質問がどのようなところから出てくるか、どのようなことを人々は悩んでいるのかをよく理解できます。

その結果、ボトロス神父の名は(2003年から放送を始めたばかりなのですが)イスラム圏ではみんなに知られています。アラブの新聞の一つは彼を「イスラム社会の最大の敵」と呼びました。確かに何百万の人が彼を憎んでいます。しかしそういう彼らも神父の番組を見ているのです。聞いているのです。彼らは神父が言うことをじっくり考えて、それについて友人や家族と話しあっているのです。

ボトロス神父はイスラムの過激派聖職者たちにむかって、イスラムの教えに対する彼の攻撃に対抗しコーランを弁護せよ、と挑戦します。 すると、番組を見ている何百万もの人々がイスラム原理主義者の応答を聞きたいと待ち構えるのですが、それはほとんど起こりません。原理主義者たちは挑戦に応ずるのではなく、神父を攻撃することを選ぶのです。しかし、過激派が攻撃すればするほど、ボトロス神父は有名になります。

彼が有名になるほど、もっと多くのイスラム教徒が番組を見るようになります。そして多くのイスラム教徒が見れば見るほど、ボトロス神父の言うことが正しいという結論に達する人も増えて、イエス・キリストに従うことを選び取るようになってきています。一ヶ月に千人のイスラム教徒がカウンセラーとの電話を通してキリストを受け入れる祈りをしていると、神父は推定しています。ある人たちは番組の放送中にライブで神父によってキリストを受け入れる祈りに導かれています。そしてこれは氷山の一角に違いありません。というのは電話回線が一杯になって話せない人が沢山いるからです。今は沢山の電話を受け取る訓練されたカウンセラーの数が足りない状態です。

「Inside The Revolution」のために私は多くのアラブ系の福音伝道者にインタヴューをしましたが、彼らは神がキリスト教史上最大のイスラム教からの改宗者の収穫をもたらすためにボトロス神父を用いておられると言っています。神父は自分は何百万人が働いているムーブメントのただ一つの声に過ぎないと言っていますが、効果があがっていることを喜んでいます。イスラム教からキリスト教に改宗する人たちが以前よりずっと多くなり、彼は私の著書「Epicenter」を改宗者が多数になっている証拠として、少なくとも三回は引用したと言っていました。

そして、彼は主イエスが自分にいのちを与えていてくださる間は、これからも福音を語り続けると誓っています。「神はその一人子を与えてくださったほどにこの世 を愛してくださった。それは御子を信じるものがひとりも滅びないで永遠の命を得るためである」というヨハネ3:16のことばが、彼を駆り立てているのです。彼は神がすべてのイスラム教徒を含めて全世界を愛しておられることを情熱的に心から信じています。彼は「誰でも」イエス・キリストが主であると信じるものは、ユダヤ人でもイスラム教徒でも、永遠の命を受けると信じています。彼はイスラム教徒はすべて過激派であるとは信じていません。しかし、すべてのイスラム教徒が霊的に失われたものだということは信じていて、彼らが彼らを創られ愛しておられる神の赦しと和解への道を見出すことができるように助けたいと必死なのです。


ボトロス神父が私に語ってくれました。「これは神の御手だと私は信じます。神が私を導いておられます。私が言うことも示してくださいます。ウエブサイトに書くことも神が教えてくださいます。神は贖いのメッセージが人々に届くように、もっとテクノロジーを使うように教えていてくださいます。」と。(終わり) 


トップへ戻る

No Response Filed under: 未分類
05 09月

坂 達也・柚実子 秋の来日のお知らせ   9月5日


坂 達也・柚実子 秋の来日のお知らせ

私たち夫婦の来日滞在予定
10月4日から11月3日まで。途中10月18日―26日は沖縄に参ります。(但し、グルーバー師とは3日間を除いて別行動です)

ルカ9:6「十二人は出かけて行って、村から村へと回りながら、至る所で福音を宣べ伝え、病気を直した。」ルカ10:9「その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた。』と言いなさい。」と主は言われました。

上記で明らかなように、イエスはご自身でそうされたと同じように、弟子たちにも出かけて行って、病気を癒し、福音を宣べ伝えるように命令したのです。使徒の時代には、宣教に癒しは付きものでありました。それに比べ今の教会は癒し抜きで力のない宣教をしています。
しかし、今こそ使徒たちが行ったことを再現する、あるいはそれ以上のことをする時がやって来たと信じます。

使徒行伝4:29-31に、「『主よ。…… あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。』彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。」とあります。

フロリダで起った癒しのアウトポアリングがきっかけとなり、今、癒しのリバイバルが世界中に広がりつつあります。
そこで、どうしたら皆様の教会でその癒しのアウトポアリングを持つことが出来るか、このテーマを中心にしたメッセージを持って今回日本に参りたいと思います。御地で私たちを交えての集会にご興味のある方はどうぞご一報下さい。(終わり)


トップへ戻る


No Response Filed under: 未分類
 Page 5 of 10  « First  ... « 3  4  5  6  7 » ...  Last »